宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 8月第3週       

2004.8.21(土)

朝方、寝ていて寒く感じるほど。昼の暑さは残っているが、確実に秋に向かっているのを朝晩の涼しさで体感する。夜中に目覚めてテレビでオリンピック観戦。たまたま、女子サッカーがアメリカに負けた試合の後半戦、柴田亜衣選手が800m自由型で金メダルを取る様子の200m以降をリアルタイムで見ることができた。その場面だけ見て、あとは睡眠時間の確保に専念したのだから、なんとも効率的な観戦方法である。

 平日より少し遅く起きても走れるのが、土曜日のよさ。日は出ているが、夏の盛りに比べれば格段の涼しさの中を、軽く6キロ。汗のかき方がだいぶ少ない。走るのも楽。

 1市6町で大崎市の発足を目指す合併協定書の調印式が、古川市民会館にて開催。協定書への署名と記念講演が私の任務。ここまで到達したということは、関係者の大変な努力の結果である。そして、歴史の大きな転換点でもある。小異を捨てて大同につくという言葉を思い出した。18日、19日の新潟市での全国知事会でも、同じことが言われた。歴史が動くという瞬間には、同じようなことが起きるものである。

 夕方は、フロンティア・セミナー21での講演。首都圏で学ぶ宮城県出身の大学生を対象としたセミナーで、このところ毎年この時期と年末と、参加している。私も東京での学生時代に1年間だけお世話になった宮城県出身者のための五城寮の閉鎖に伴い、その代替措置としての奨学金制度の一環である。障害者問題について語ったが、反応のほどは不明である。


2004.8.20(金)

 台風の影響で、朝方に風が激しく吹いている。寝ながらその音を聞いていた。身体を休めることも必要。今朝の走りはなし。

 実に久しぶりにオフィスに登庁。事務的な説明を何件か聞いているうちに、仕事のリズムが戻ってくる。県庁全体としても、夏休みモードは終わり。これから実りの秋に向けてピッチを上げていかなければならない。新潟市での二日間の全国知事会を終え、「補助金廃止リスト」をまとめることができたことで、何かが大きく変わりつつあることを感じる。高校野球で言えば、甲子園を目指して県大会でなんとか代表権を得たという段階になるだろう。本番は、甲子園での強豪相手の試合である。その戦いに向けての静かな決意のようなものも湧き上がってくる。

 甲子園大会が霞んでしまい、プロ野球などやっていることも意識の外になってしまうようなアテネオリンピックでの日本選手の活躍ぶりである。ものすごいプレッシャーの中で、よくぞ実力を発揮して結果を出すものである。まずは、そのことに驚き、感動させられる。


2004.8.19(木)

 昨晩遅かったが、新潟では走るチャンスを過去に何回も逸していたことを考えて、がんばって6時過ぎから走り出した。今野秘書同行。信濃川の河口のホテルから、川沿いに上っていくコース。大雨という予報もあったのに、日がかんかんで暑い。そんな中を7キロ強。さすがに汗だく。

 地方財政自立改革(三位一体改革)に関する改革案をまとめるという、歴史的な知事会は2日目に入った。9時から12時過ぎまで。12時丁度に梶原会長が決を取るという断を下した。「こういった形で決を取ることに文句ある知事は、私に対する不信任案を出してください」という言葉の迫力に、各知事とも声なし。原案をもって提出することを40対7で了承した。私は、もちろん賛成の手を挙げた。これからの「戦い」の困難さを考えれば、手放しで感動していられないのだが、梶原知事の決然たる態度に感動して、ぐっとくるものがあった。  


2004.8.18(水)

 東京の朝、今野秘書ともに6時発で皇居一周へ。6分10秒ペースを忠実に守って走った。曇ってはいるが暑い。

 第15回目の霞が関勉強会、今朝のゲスト・スピーカーは、プロップ・ステーション代表の竹中ナミさん。通称ナミねえ。私の言い方では、並みじゃネー。ホントに並みではない人である。「障害者を納税者に」をどうやって実践に結びつけるかを、わかりやすく、迫力を持って語ってくれた。「口と体力と心臓の強さはギネスブック級」と本人が言うように、ノンストップで1時間以上の独演。出席者、皆感動。

 新潟市へ。全国知事会の歴史的な会合は、朱鷺メッセのスノーホールで午後2時に開会した。短い休憩と夕食をはさんで、深夜12時まで白熱の審議は続いた。私の隣の席に坐った石原慎太郎東京都知事は、「すごい」と感動の言葉を漏らしていた。ほとんどの知事が本人出席。語る議論も真剣そのもの。マスコミ取材陣がじっと見ている。私にも、何回も発言の機会が与えられた。公平に、十分に語らせてくれる梶原知事会会長のさばきに、心から感心させられる。


2004.8.17(火)

 オリンピックは、メダルラッシュ。正直、これほど日本選手がメダルを獲得するとは予想していなかった。まだまだ始まったところだが、やはり、柔道の谷、野村が男女で金メダルを早い時期に取ったのが、他の選手にもいい影響を与えている。今朝は、宮城県出身の森田智己選手が百メートル背泳で銅メダルを獲得。本人は金メダル狙いだったので、がっかりするかと思ったら、素直に喜んでいた。好感が持てる。次のレースにもつながるだろう。男子体操の団体優勝は、素晴らしかった。精神力が強い、物怖じしない、緊張し過ぎないのは、実力の一つであると教えられた。

 彼らほどのアスリートではないが、それなりに刺激を受けて、東京の朝、マイペースで隅田川コース13キロほど走った。湿度は高いが、曇っていたので走りやすい。

 オリンピックの陰に隠れてしまっているが、甲子園での高校野球も目を離せない。地元東北高校は3回戦で敗退。ダルビッシュ投手も歴戦の疲れか、調子がいまひとつであった。これが勝負の厳しさ。彼らの夏もこれで終わった。ご苦労様、そして、夢をありがとうと言いたい。

 夕方から、昨夜の「メンフィス同窓会」メンバーに刺激されて、「エルヴィス・オン・ステージ」を見た。久し振りの劇場での映画鑑賞である。空いているし、誰にも気兼ねがいらないので、ついつい2回分見てしまった。4年前に、メンフィスの映画館で同じ映画を見た時は、観客が一杯で、しかも拍手と歓声が止まることがない大騒ぎであったが、今日は、観客も少なく、大半が初老という感じの人ばかりなので、まことに静かな雰囲気であったのが、むしろ奇異に感じるほどであった。


2004.8.16(月)

 夏休みということで、奥入瀬に2泊の家族旅行。娘二人に妻と両方の母親。温泉良し、奥入瀬渓流の風情良し、十和田湖の景色良しで、満足であった。奥入瀬渓流を3時間の予定で歩くつもりが、山の天気は変わりやすい。途中でかなりの雨に降られて、1時間歩いたところで断念したのが、唯一の心残りであった。

 今日は、家族より少し早めに宿を出て、東京出張へ。知事会の会議で、地方財政自立改革(三位一体改革)について、本番の全体会議の前の最後の意見交換の場面であった。まだまだいろいろ意見があって、やや心配ではあるが、何とかまとまる方向に進むだろうと期待している。

 夜は、4年前に一緒にメンフィスへのエルヴィス・プレスリーの墓参りに行ったメンバー何人かで、「メンフィス同窓会」。今日8月16日は、1977年に42歳で亡くなったエルヴィスの27回目の命日である。いつものように、話題はエルヴィスのことだけ。死んでから何年経っても、ファンにとってはエルヴィスは永遠なのである。


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