宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 8月第4週&5週       

2004.8.31(月)

 台風16号が東北地方にやってきている。朝方は、寝ていても聞こえるぐらいの強風が吹き荒れていた。走るのは中止。

 第62回になる「ふるさと懇談会―知事さんあのね」が田尻町で開催予定。「予定」というのは、台風の襲来で、最悪の場合、中止もありうるというのが、昨日段階での見方であった。ともかくでかけてみたら、9時45分、田尻町に着いた頃には、雨は上がっていた。スケジュールをこなすうちに、天気は回復していき、田尻町が誇るパークゴルフ場のある加護坊山に着いた頃には、青空が出て暑さに汗が噴出すほどの天気になっていた。

 これまでの61回と基本的には変わりないのだが、地元の人たちの元気さに触れて、こちら元気をもらった。明日は、田尻町を含む1市6町が合併して大崎市になることの是非を問う議案が、各議会で審議される。田尻町は承認間違いないが、あぶないところもある。そんな歴史的な時期のふるさと懇談会であった。

 田尻町から気仙沼市に移動。明日、気仙沼市で開催される防災訓練に出席のための前泊である。県内7つの地方振興事務所の所長会議懇親会にちょっとだけ参加して、3年前の知事選挙の際に食事をした居酒屋に行ってみた。とてもなつかしい。宮崎県から漁に出ている船の人たちの行きつけの店らしく、我々以外は全員そういう人たちだった。言葉がほとんど通じない。これまた、楽しからずや。


2004.8.29(日)

 疲れが残っていないかと心配もあったが、SMCにでかけて6キロ走ってみた。なんと言っても、このところ定着したゆっくり走りのおかげで、なんの苦もなく走ることができた。それに加えて、めっきり涼しくなった気候である。汗のかき方が違う。疲れ方も違ってくる。

  我々の目標ランナーのひとりである石川トヨ子さんが、筋肉の衰えからくる激しい腰痛で3ヶ月ほど休んでいた。本日、久しぶりに参加していた。動かないでいても、運動しても痛いのは同じ。医者からは走れるなら走ったほうがいいと言われているらしい。明日は我が身である。私の目標は、80歳で10キロを80分以内で走ることで、これなら野口みずき選手にも張り合えると思っている。森さんといい、石川さんといい、このところ怪我に泣くランナーを身近に見るたびに、長く走り続けるために細心の注意が必要であることを実感する。


2004.8.28(土)

 「夢ネットワーク」の収支報告の問題。今朝の各紙の県内版で報じている。大体は、淡々とした記事であるのだが、朝日新聞だけは記者の署名入り解説で、踏み込んだ内容を書いている。私とすれば、そこまで言うのかという感じである。

 午後から、岩手県立大学でのパネル・ディスカッションに参加。川勝平太先生の司会で、増田、寺田、三村の北東北三県知事とご一緒。地方分権や地域の産業振興など、テーマが若干拡散した感じで、私とすれば話しづらかった。

 だいぶ秋めいてきた。朝晩だけでなく、涼しさを感じる。寝苦しい夜がなつかしいなどという人もあるらしいが、我々ランナーにとっては、絶好の季節の到来である。大連での疲れもあり、今朝の走りは中止したのだが。


2004.8.27(金)

 大連から帰国。ホテルから空港まで、大連市人民政府の刑良忠副市長、慕國生中国貿易促進委員会大連市委員会副会長干涛大連市対外貿易経済合作局副局長にお見送りを受けた。最初から最後まで、大連市のみなさまにはお世話になり、おかげで有益な訪問とすることができた。友情の絆も強くなった。

 2時間半のフライトで仙台空港に到着。待ち受けていたのが、私の政治資金団体の会計処理の「問題」。私とすれば、公明正大できちんと説明すればわかってもらえることなので、そこだけははっきりさせたいと思う。

 夜は、県民会館での羽田健太郎と仙台フィルの演奏を楽しんだ。とてもいい演奏と雰囲気。こういう夜があってもいい。


2004.8.26(木)

 大連での2日目の朝。今野秘書とともに、昨日と同じコースを走った。交差点になるべきところにサークルというか、広場が配置してある街づくりである。走る際にも、サークルの外側をぐるりと回る。広場には、市民が思い思いに身体を動かしたりしている。それを横目に身ながら我々日本人チームは、昨日戻った地点より1キロ先まで行った。そこが、昨日、夏徳仁大連市長を表敬した大連人民政府のあるところ。目の前に広大な人民広場が広がっていた。

  そう言えば、昨日、夏市長を訪れた時に、市庁舎のバルコニーに立った。そこにあるボタンを押したら、人民広場の端っこ、300メートルほど先にある噴水が広場中に響く大音響の演奏とともに水を噴き上げたのには、心底驚いた。その装置の大掛かりさにではなく、こんなことができることに驚いたのである。同行の増田知事に「こういうこと岩手県庁前に作ったらどうなるだろうか」と問うたら、「とても、とても」と応じていた。

  その後の公式行事。大連国際自動車工業展覧会の開会式に出席。星海広場という、アジアで最大の広場にある展覧会場に、新車がずらりとん並んでいる。中国で一番人気がある車種は、ベンツ。その他、トヨタカローラなども人気があるが、値段が高く、庶民には高嶺の花らしい。

  現地に8年前に進出、5000人もの職員を雇用しているアイリスオーヤマの工場を、80人ほどのメンバーと一緒に見学した。大卒者を600人も採用している日系企業は他にないらしい。「他の都市も候補だったが、大連に決めて本当に良かった」と大山健太郎社長がおっしゃる。平均年齢23歳の社員がきびきびと働いている姿が印象的だった。


2004.8.25(水)

 昨夜はやや遅かったが、今朝の寝起きに支障はない。今野秘書と共に、大連市内を走った。宿泊のシャングリラ・ホテルから人民路、中山路を片道3キロ走って戻るコース。歩道が広く、きれいで走りやすい。ところどころ信号のない横断路があるのには、ちょっととまどう。

 今回の訪問の目的である大連商談会のオープニングが、宿泊のホテルにて9時から。宮城県と岩手県から35社の出展。相談、商談に訪れる人が引きも切らずという感じで盛況であった。そのあと、夏徳仁大連市長を表敬訪問。岩手県の増田知事と一緒ということが、相手方にも相当のインパクトとして伝わっているのがわかる。大連市共産党委員会の孫春蘭書記への表敬も実現できた。  


2004.8.24(火)

 成田空港から瀋陽へ。その前に、6キロ走っての出発である。瀋陽までは3時間だから、空の旅は、気持ちとしてはあっという間。岩手県の増田知事一行と同行である。

 空港からまっすぐに、瀋陽の産業開発区を視察。130平方キロというから、東西25キロ、南北5キロに及ぶ広大な土地である。開発は始まったばかりであるが、完成したらものすごい区画になるだろう。瀋陽の東北大学との結びつきが強い東軟ソフトパークという会社を見せてもらった。デジタル医療としてのCTなどの製作で中国最大のシェアを抑えるまでに急成長。説明にあたったのは、仙台の東北大学に留学経験があって、日本語がまことに流暢な趙さんという女性だった。

 そのあとは、清朝の故宮、北稜といった歴史的遺産を見学。満民族が打ち立てた清朝の首都があったところである。乏しい歴史の知識を思い出しながら、結構広い敷地の2ヶ所を興味深く見せてもらった。

 夕刻は、遼寧省人民政府の迎賓館にて、張省長への表敬。そのあとは、招宴があり、楽しい会話とともに、おいしい中国料理を満喫した。空路大連へ。大連泊。


2004.8.23(月)

 野口みずき選手がやってくれた。心を込めてテレビ観戦した女子マラソンで、野口選手が見事に金メダルを獲得した。すごいことである。あの過酷なレースで、27キロ地点でスパートをかけるということは、よほどの自信と精神力がなければできないこと。

  優勝した野口をほめたたえる一方において、優勝できなかった数々の選手の悔しさにも思いをいたす。2時間15分台の驚異的な世界最高記録を持つイギリスのラドクリフ選手が、36キロ地点で立ち止まってしまい、泣き出す場面をテレビの画面は克明に伝えてくる。前回のシドニー大会では高橋尚子に続いて銀メダルを獲得したルーマニアのシモン選手も途中棄権。

  そんな過酷なレースを2時間26分台で走り抜いた野口選手は、めちゃくちゃすごい。高橋尚子選手も出場していたら、ワンツー・フィニッシュだったのになと思ってしまうのだが、どうだっただろうか。

  寝貯めをしていたので、寝不足ではない。勤務のほうは、いつもどおりの月曜日の仕事が待っている。1時間近くに及ぶ定例記者会見も含め、しっかりと務めた。夕方は、明日からの瀋陽、大連訪問に向けての成田前泊に出発。


2004.8.22(日)

 6時半集合のSMCでいつもどおり6キロ走る。いつもどおりと違うのは、気温がめっきり下がって走りやすいこと。夏の暑い盛りのことを思えば、今はランナーにとっての天国である。

 書くべき原稿を早めに仕上げて、なんとか昼寝の時間を確保することに努力をした。日本時間で今晩12時にスタートするアテネオリンピックの女子マラソンを心を込めて見なければランナーのはしくれとして恥ずかしいではないか。


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