宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 11月第2週        

2004.11.13(土)

 昨日は雨のため中止した2時間ランに再挑戦。「挑戦」というと、なにか「葉を食いしばって」という感じだが、本当のところは、ピクニックに出かけるようなもの。「口笛吹いて」というのが近い。ただし、走りながら口笛は吹きにくいが。

 先週と同じく、愛子方面へ。子ども病院は通り越して、愛子駅のさらに向こうまで。キロ6分10秒での11キロ地点、つまり1時間7分50秒行ったところから引き返してきた。その辺から右足の付け根に違和感が出てきたが構わず走る。こうやって走れる天気と自分の健康に感謝するという気持ちが、素直に湧き上がって来る。苦しくならないペースで、足を交互に前に出すだけ。これを繰り返せば、ゴールに辿り着く。単純な事実であるが、これが走ることの良いところ。右足の違和感は痛みの一歩手前までになったので、途中、2回ストレッチをした。これでほぼ回復。支障なくゴール。2時間14分ちょっとだから、復路のほうが速いペース。西風が強く吹いていて、往路は向い風、復路追い風のせいであろう。

 午後からは木町通小学校新校舎落成記念式典に出席。同窓生のつもりで出かけたが、来賓にされてしまった。次女の卒業式以来、母校に来るのは8年ぶりになる。3、4年の担任の鈴木利子先生、私の知事就任直後の県議会に「史郎ちゃんをいじめると承知しないよ」と乗りこんでいった阿部敏子先生もご出席だった。式典の最後に六年生全員の合唱があったが、これに感激。「一本の木」という歌。合間に入るセリフで、おじいさん、おばあさんとイチョウの木との関わりが紹介される。「おとうさんが日陰で遊んだイチョウの木・・・」といったあたりでは、ぐっときて涙が出てきてしまった。帰りに確かめたら、校庭にはイチョウの木が一本ならず、二本見事に残っていた。隣りには二宮金次郎の像も。

 式典が終わって校舎見学をしていたところに、合唱を終えた六年生何人かがやってきた。握手をしたらとても感激している様子に、こちらが感激してしまった。下手な字でサインまでさせられた。「僕がこの学校の卒業生ということは知っているの」と尋ねたら、「知っている、2週間前に知った」という返事には苦笑。

 夜は、直木賞受賞の熊谷達也さんを囲む会。最初に書いた小説の出だしを覚えているという。「ウエンカムイの爪」の冒頭。「音も臭いもしなかった」というのがそれ。「おならの話ですか」と思わず私は言ってしまった。ヒグマについての小説で、私も読んでいるのだが、顰蹙を買ってしまったようである。


2004.11.12(金)

 東京の朝。2時間走を試みるはずが、外は無情の雨である。走ることは断念したので、ゆっくりとした朝の時間を過ごすことになった。

 東京事務所で、午後の知事会に向けての予習、その後は、「週刊ベースボール」の取材。新球団参入に関してのもの。そうこうするうちに、総理官邸での全国知事会に出席する時間になった。

 小泉首相の登場を待って、まずは、昼食をあわただしくいただく。すぐに意見交換が始まった。梶原知事会会長は、三位一体改革について基本的な事項について説得力をもって論じた。私も、知事会社会文教調査委員長として、義務教育国庫負担廃止についての賛成論、厚生労働省の「代案」である社会保障関係の国庫負担率引き下げなどへの反対論を開陳した。昨日に続いて、石原東京都知事は、総論的ではあるが、小泉首相のリーダーシップを期待するという趣旨のもので、迫力があった。義務教育国庫負担廃止については、知事会の多数意見とは違った少数意見の発言があったのは、こういう場面では残念なことではあった。

  これらに対する小泉首相の発言は、注目されるところではあったが、具体的なものではなく、地方の意見を尊重してしっかりやるという決意表明にとどまるものであった。これは想定済み。今日のところは、これで精一杯であろう。いずれにしても、小泉首相の指導力に期待するしかない。

 12時から始まった会議。第一部の対総理大臣、第二部の各省大臣との意見交換が終わったのは、午後5時。最後は、少々疲れた。マスコミの取材をこなし、東京駅では回転寿司を急いでいただいて、あわただしく新幹線に乗り込んで、帰途についた。


2004.11.11(木)

 朝の出勤時間が早いこともあり、走りはなし。「東京からの一時帰省」のような午前中の仕事であった。久し振りに、トイレに行く時間もないようなあわただしさを残して、再び東京へ。

 用向きは、まずは、全国知事会議。明日の政府主催の知事会議に向けて、三位一体改革を進める我々地方側の「戦線の統一」を図る意味合いがある。8月18日、19日の新潟市での白熱の知事会においては、義務教育国庫負担廃止反対で論陣を張った石原東京都知事が「今は、一致団結すべき時。全面的に梶原会長を支えて闘う」といった趣旨の発言をされたのには、すぐ横で聴いていて感動した。野呂三重県知事も、同様の発言であった。まさに、ことここに至っては、そのとおり。予定では3時半に終わる会議であったが、実際は4時を回ってしまった。

 もう一つの用向きである「宮城県企業立地セミナー」は、そのおかげをもって、遅刻してしまい、私からのよびかけの弁は懇親会の場に移ってしまった。三位一体改革の議論のために遅れてしまったことを詫びつつ、宮城県への企業立地は、楽天球団の参入で証明された立地条件の良さをアピールさせてもらった。


2004.11.10(水)

 東京赤坂のTBSに5時50分着。生島ヒロシの「おはよう一直線」に生出演。このところ、電話での出演はあったが、スタジオに行くのは久し振りである。話題は、当然ということなのだろうが、宮城への新球団楽天の参入について。

  放送を終えて、今野秘書とともに神宮方面へランニング。神宮外苑の銀杏並木は、まだ紅葉が始まったばかりのところ。この時期としては暖かい天候の中を、汗をかきながら7キロ。ホテルでは、秋の叙勲の方々が大勢お泊りなので、エレベーターがなかなか来ない。乗ったら各階止まりになる。おかげで、朝の勉強会の集合時間に遅れてしまった。

  今日は一日、宮城県選出国会議員の皆様のところを訪問。特に、三位一体改革、介護保険への障害者の適用について、当方から説明をさせてもらった。ご本人がいらっしゃる率が高く、いろいろと議論をさせていただいたのは、収穫である。


2004.11.9(火)

 7時からの朝食会があるので、今朝の走りの出発は5時半。手元の時計の文字盤が暗さで見えない。皇居を半分回ったあたりでやっと明るくなってきた。だんだん明るくなっているこの感じがたまらない。今野秘書は、キロ6分ペースならきっちりとついてくる。

 例年どおり、この時期は政府要望で、霞が関の各省を回って歩く。陳情ではなく、提案・要請である。「楽天決定おめでとう」ということから始まるお相手が多い。「プロ野球だけでない県政もやっているのですが・・・」と応じる。不在の方が多い。歩き回り、階段を昇り降り。体力勝負のようなところもある。

 夕方は、楽天の三木谷社長と「新春対談」。「県政だより」の企画であるが、この時期に1時間半、じっくりと話し合えてよかった。


2004.11.8(月)

 このところ休みなしで走っていたので、今朝は積極的休養日とした。いつもより45分ほどゆっくりと寝床にいて、ラジオを聴いているのは、気温が下がった今朝のような状況下では、結構いい気持ちである。そのラジオでは、生島ヒロシさんが、「このところ休みなしで疲れた、休みたい」と珍しくぼやいているのが気に掛かる。

 いつもの月曜日。定例記者会見では、新球団の参入、三位一体改革、アメリカ大統領選挙結果とイラク情勢、ベガルタ仙台への支援など、大変幅広い質問が飛んだ。それでも、40分ほどで終了。

 午後は午後で、日程が次々と続いて、ばたばたのままに上京。「子ども関連事業の国庫補助金の一般財源化を考えるシンポジウム」のパネラーを務めた。


2004.11.7(日)

 11月からSMCの集合時間は7時からになる。だから、今朝は7時集合。11月にしては暖かい朝である。走る時にはウインドブレーカーを脱いで、短パン短シャツ姿になったが、これでも汗をかく。こんな格好で、木々が色づいている中を走る気分は最高である。

 古川市での農業問題についてのシンポジウム。基調講演とパネラーの役を果した。古川に向う高速道路から眺める景色は、紅葉の盛りで見惚れるほどなのだが、出番に備えて車の中であわてて予習をする私には、ゆっくり楽しんでいる余裕はない。夜は、プライベートな仲間との楽しい会合。そんな合間に、原稿2本あわただしく書いた。


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