宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 11月第4週&5週         

2004.11.30(火)

 11月最後のランは、皇居一周コース。昨日の今日なので、おそるおそる走り出したのが、6時20分。右足にも、左足にも痛みがない。そのまま皇居一周を走り通すことができたのは、自分でも驚きである。キロ5分43秒ペース。今日の7キロを入れて、今月の走行距離は155キロということになった。

 東京でのスケジュールは、結構きつい。8時半から雑誌の取材。全国知事会の説明の後、10時からは社会保障審議会医療保険部会。三位一体改革がらみで、我々地方案では「禁じ手」として「入れてはならない」というものだったのに、政府案の「全体像」では国民健康保険への県負担の導入という形で、補助金削減リストに入れてきた。その額7000億円であり、補助金削減額、税源移譲額の中で大きな割合を占める。内容も問題であるが、審議会で真面目に議論しているのに、突然結論が出された。そのことに対して審議会として「遺憾である」といった意見表明をすべきではないかと主張したが、部会長には上手にあしらわれてしまった。そのこと自体も、まことに遺憾である。

 東京事務所に戻って、県の政策誌「政策の風」のためのに、苅谷剛彦東大教授との対談を収録した。苅谷教授は教育問題が専門である。教育における地方分権の推進、障害児教育こそ教育の原点という私の持論も述べさせていただいた。私にとっては、とても有意義な対談であり、1時間という制限時間では短か過ぎた。

 場所を品川の高輪プリンスホテルに移して、民主党との意見交換会。すぐそのあと、
21世紀構想フォーラムのセッション。どちらも、テーマは三位一体改革。しかも、メンバーは、先週土曜日に一緒だった片山、増田両知事と清水、穂坂、石田市長、逢坂町長。それぞれ毎度お馴染みの議論を展開することになるのは、当然であるが、それはそれ、相手によって言い方が変われば説得力も増す。

 セッションの合間に、橋本大二郎さんから電話が入った。一昨日の高知県知事選挙で当選を果たした。私も応援に行ったということもあり、ホッとしたところ。「早く戦線に合流してください」と言っておいた。


2004.11.29(月)

 昨日のカッパマラソンは、自分としても満足のいく結果であった。右足の状態に不安があったにかかわらず、痛みを感じずに完走できただけでなく、記録も予想以上に良かった。走り終わった後のバテバテ状態もさほどでない。一夜明けた今朝も、筋肉痛が残っていない。短い距離でいいから走ったほうがいいと思い、走り始めた。500メートルで膝が痛くなった。心配していた右足ではなく、左足である。同時に、右足の付け根の痛みも再燃である。走るのをあきらめて、そこから歩いて戻った。好事魔多しというのだろうか。「俺がそんなに強いわけないさ」なのか。ともあれ、能力以上にがんばり過ぎたということ。原因がわかっているのだから、心配はしていない。しばらく無理しなければ元に復する。

 決算委員会の分科会で、部局長が出席している。よって、通常なら次から次へと続くレクチャーの日程が入らない。月曜日定例の庁議や記者会見以外は、自分の時間が持てた。稀有な機会である。「知事への手紙」の返信をしたり、机の上を片付けたり、読む暇がなくて横に積んでおいた文書を読んだり。少しばかりすっきりした。


2004.11.28(日)

 登米町での第19回カッパマラソンに出場。特別招待選手らしい。大会の名誉顧問の役割もある。以前に、2回ほど出場したことがあるが、7,8年ぶりの参加となる。来年の4月には、9町合併して登米市になるので、登米町主催の大会としては、これが最後。登米伊達家400年にもあたる。

 その記念すべき大会である。右足付け根に故障を抱えながらだから、不安一杯でスタートラインに並んだ。天気はいい。景色はいい。折り返しまでは、キロ5分10秒ペースで、一緒に走る森さん、山内さんと「ちょっと速過ぎるかな」と言いながらのランであった。10キロ地点ぐらいから、右足の違和感が出始めるが、痛みまではいかない。折り返して3キロぐらい走ったところで、足が痛くなりそうになったが、スタミナは、まだある。逆療法ということで、上り坂で思いきってペースを上げてみた。不思議なことに、足の痛みはなくなり、逆に、身体がよく動くようになった。そこから4キロほどは、キロ4分40秒から50秒ペースに上がった。あとは、そのまま押していってゴール。1時間47分41秒。

  完走が目標で、まさか50分切れるとは思ってもみなかった。最後は、右足でなく、左足のほうが痛みそうになった。ゴール間近の一番苦しいところでは、「これが人生だよな、痛みを気にし過ぎずに思いきってやれば、道は開ける」と考えつつ走った。疲れはあまり残っていない。4月のつばきマラソンでの雪辱を期していたのだが、小野寺五典衆議院議員には、またしても3分ほど負けてしまったが、あちらは10歳も若いのだから仕方がないとあきらめる。

  午後からは、岩沼市民会館でのコンサート。山形由美さんのフルート、錦織健さんのテノール。解説は三枝成彰さん。三枝さんのプロデュースによるコンサートは、これで3回連続ぐらい聴かせてもらっているが、毎回、とても面白く、堪能させられる。


2004.11.27(土)

 外は激しく風が吹いているのが、寝床からもわかる。今朝は走れないという大義名分が立つからというわけではないが、いつもより45分ばかり遅い離床となる。6時半には眠くないからといって起きてしまうところが、一種の貧乏性なのだろう。明日は、カッパマラソン。今日少しでも走っておいたほうがいいのか、右足の筋肉を休めるために走らないほうがいいのか。悩むまでもなく、走らないで明日を迎える。

 早稲田大学のキャンパスで、「ローカル・マニフェスト推進大会」があり、そのパネラーとしての参加を同大学の北川正恭教授に頼まれていたので、日帰りで東京へ。強風のため、新幹線が1時間も遅れている。本来乗る列車では、推進大会に間に合わない。入ってきた列車に飛び乗ることにした。その仙台駅で下の姉にばったり。大学のクラブの同窓会で東京へ行くとのこと。隣の席に坐り込んで、息子の娘、娘の息子の写真を見せられた。つまりは、孫自慢ということ。昨夜は、母のところで上の姉と一緒だった。そして下の姉とは新幹線でばったり。強風がもたらした偶然である。

 「ローカル・マニフェスト推進大会」は、会場一杯の参加者で、熱気むんむ。昨日の今日であるので、マニフェストのことだけでなく、三位一体改革の全体像のことが話題になる。北川教授の司会でのパネル・ディスカッションは、私のほかに、増田岩手県知事、片山鳥取県知事、逢坂ニセコ町長、穂坂志木市長、石田犬山市長がパネラー。自分も入っているので言いにくいが、役者がそろっている。司会の北川さんが知事職に留まっていたら、地方を無視した、あんな政府案は出させなったはずなのにといったこともしゃべらせてもらった。本音である。


2004.11.26(金)

 朝、自宅でひと仕事があったので、走りはなしにした。「ひと仕事」は、三位一体改革の政府案に対する意見をまとめるもの。朝の時点では、予定原稿にならざるを得ない。

 その政府案なるもの、明らかになった。ある程度予測はしていたが、ひどいものである。改革の大義が全く感じられない。地方案との開きがあまりに大きい。小泉首相のリーダーシップが発揮される場面がなかったのが、こんな案になった要因である。「自分の出番はないように」と周囲に言い置くようでは、とてもとてもこんな大改革などやれるものではない。同僚知事たちも、怒り、失望のコメントを出しているようである。一夜明ければ、また新しい展開があるかもしれない。

 県議会のほうは、決算特別委員会。丸1日かかりきりに近い状態であった。休憩時間に三位一体改革の情報を集め、原稿を手直しというあわただしさ。


2004.11.23(火)

 朝早く、羽田空港から高知竜馬空港へ。橋本大二郎さんが、出直し知事選挙で苦しい戦いをしているというので、応援に駆けつけた次第。丁度1年前の今日も、橋本さんの知事選挙応援で高知に来ていた。まさか、1年後にまたまたこういう形で応援に来るとは、思ってもいなかった。

 高知県の西のほうを回っている本人とは別行動で、私達は高知市内を中心に活動した。「私達」というのは、もう一人、田中康夫長野県知事がご一緒だから。彼と並んで、高知市内の繁華街を歩き回り、市内のあちこちで応援演説をした。動員とは無縁の聴衆を前にして演説を行い、いかにも手作りの部隊と一緒に回る。これが選挙の醍醐味である。気持ちのいい選挙運動という気がする。応援に来て良かったというのが、実感である。かくなる上は、28日の投票日に是非ともいい結果を出して欲しいと願うのみ。


2004.11.22(月)

 出勤が早い時間にセットされていたので、今朝の走りはなし。昨日に続いて、暖かい素晴らしい晩秋の朝だったので、走らなかったのがもったいない気はした。身体のコンディション維持のためには、この辺で休んでおくのが得策ではある。

 いつもの月曜日どおりで、日程が進んでいく。定例記者会見は、所要35分。三位一体改革の行方如何、県政の重要課題を三つ挙げよ、県内景気は回復したか、宮城野原運動公園の再編計画はどうかなど。

 午後からは、宮城大学に出向いて、特別講義に来ていただいた、宮城県政策顧問である成毛真インスパイア社長と対談を20分だけして、東京に向けて出発。せっかく来ていただいたのに、仙台で会食もできずにお帰りいただくことになったのは、心苦しいだけでなく残念である。

 東京での会議は、三位一体改革のヤマ場を迎えて、全国知事会の「三位一体改革研究会」。内容は書けないが、いよいよぎりぎりの攻防が始まるという緊張感も感じる集まりだった。  


2004.11.21(日)

 SMCで5キロ。いつもは6キロだが、仕事に出かける時間が迫っていて、途中でショートカットして帰宅したから。晩秋とは思えないほどに、青空が広がる暖かい陽射しの朝である。「こんな日はめったにないな」と言い合いながら、気分良く走った。右足の調子はそれほど悪くない。28日のカッパマラソンまでには、本調子に戻るだろう。高橋尚子選手の右足首骨折とは比べるべくもないが、ランナーに故障はつきもの。無事これ名馬であるとすれば、故障なく走りを続けるのも、一つの勲章である。

 日本てんかん協会の全国大会での講演を1時間。そのあとは、全国グリーンツーリズム・ネットワーク鳴子大会で開会式での挨拶のため、鳴子町へ。途中、岩出山町の「伊達な道の駅」で昼食を摂るために寄ったら、お客様が一杯で驚いた。岩出山町町制施行50周年の記念式典に出席し、そのあとは、自宅の近所の大崎八幡神社が改装なったということで、それを見にでかけた。小野目宮司のご案内で、じっくりと見せてもらったが、日光東照宮より30年も前にできたという、素晴らしい建築様式に感銘を受けた。左甚五郎の手になる数々の彫り物も見せてもらった。世界に誇るべき文化財である。  


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