浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 3月第1週&2週            

2006.3.11(土)

 しまった寝坊したと目を覚ましたのが6時22分。この時間だと起きて走るのは中途半端である。しばしたって、今日はなんの予定も入っていないことを思い出した。朝飯前でなくて、昼飯前に走るのもありだなと思い直して、実際に11時7分発で愛宕大橋下からの広瀬川河畔走りを敢行。気温が高い穏やかな日和。冬場の走りに身体が慣れてしまったランナーにとっては、暑いと感じるほどである。実際に、走っていて発汗が多くて、それが疲労感と筋肉硬化につながる。久しぶりに早くゴールしたいと思ってしまう1時間走であった。そういえば、今年初めてうぐいすの声を聞いた。新米歌手のうぐいすなので、たどたどしい歌い方であるが、それでも春の到来を耳から感じた瞬間であった。

 昼からは、定禅寺通りの美容室に。片平の自宅から行きも帰りも歩いて行った。コートを着ないでも汗が出るほどの陽気である。こういう瞬間も悪くない。なんということない土曜の昼下がり。「なんということない」ということの幸せを思う。


2006.3.10(金)

 前日は最終新幹線での仙台への戻りで遅かったので、今朝も走らない。

 午前中は東北大学の研究室、午後から県社協で執務。夜は連句の集まり。これまでの勾当台会館から今回はやま鮨の二階に会場を移しての「座・うぬぼれ」である。食べ物がおいしくて、お酒も旨くて、句作りのほうは10句もいかないうちに「今夜は句作りより腹作りにしよう」ということになってしまった。それはそれで楽しい。いつもながらアハハハ笑い興じているうちに夜が更けた。

 渡部恒三先生が民主党の国会対策委員長になったことが話題になっている。水戸黄門と言われたことを踏まえて、しっかりと由美かおるさんからの電報を披露するところなど、恒三先生らしいパフォーマンスが冴えている。これで民主党の失点がすぐ回復するわけではないだろうが、明るい兆しは感じられる人事である。


2006.3.9(木)

 昨夜が遅かったので、今朝の走りはなしにした。体重の増え方が気になるので、本当は走りたかった。来月のつばきマラソンに向けての練習ということも意識する。この調子では、練習不足、体重オーバーで、4月16日の本番は気仙沼大島のアップダウンをアップアップで走ることになるのだろう。

 昼から、東京霞が関の全社協ビルでの全国社会福祉協議会の評議員会に出席。評議員はずいぶん数が多い。私も今回からその一人になる。ついでに理事にも選任された。長尾立子会長をはじめ全社協の幹部の方々の他に、厚生省の先輩何人かにご挨拶ができたのはよかった。

 次の日程まで余裕があった。地下鉄丸の内線本郷三丁目で降りて、四月に慶応大学の教授に就任するにあたって提出を求められていた大学の卒業証明書の交付を受けるために、東大まででかけた。東大の本郷キャンパスには朝のジョギングではこのところ二回ほど来たが、昼間来るのは久しぶりである。法文一号館の法学部事務室の教務係にて「東京大学法学部第3類(政治コース)を卒業したことを証明する」という証明書を発行してもらった。考えてみたら、卒業証書ももらったかどうか記憶がないので、今回初めて大学を卒業したということを証明したもらったことになる。「卒業年月日 昭和45年3月31日」とくあるから、実に36年前の出来事である。ちょっとした感慨にふけりながら、本郷のキャンパスを後にした。

 その後は、日本テレビにて「バンキシャ」の出演に関しての打ち合わせ、6時半からはスペシャル・オリンピックス日本の理事会に出席。理事候補としての出席なので、発言は期待されていない。スペシャル・オリンピックス日本が、細川佳代子理事長の超人的な活躍によって、長野世界大会の成功など、ここまで実績を積んできたことはほんとにすごい。最終の新幹線にて仙台に戻る。


2006.3.8(水)

 山形駅隣接のメトロポリタンホテルを6時10分に出て、小雨の降る中で山形県庁を目指す。なだらかではあるが、上り坂のずっと続く。広い歩道のまっすぐな道で走りやすい。県庁をちょっと越えたところで4キロ。復路は逆にずっと下り坂ですこぶる楽な走りである。今日のホテル発は8時だから、戻ってからが大忙しであった。

 昨日に続いて「とうほく食文化応援団」の収録。食べる場面があるので、朝食はごくごく軽めにした。今日の目的地は、山形市幸町の蕎麦処庄司屋さん。江戸時代から続く老舗で、対談相手の社長は4代目。ニューヨークで蕎麦修行をした変り種の息子さんが5代目。面白い話をたっぷり聞いて、おいしい蕎麦をたっぷり食べた。毎朝、いつもより長い距離のジョギングをしても、体重は増加気味である。  


2006.3.7(火)

 会津若松の朝。盆地だけあって、さすがに寒いが、元気に6時22分に東鳳を出発した。鶴ヶ城方面を目指したのだが、ひょっとして飯盛山にも行けるのではないかと思い返して、そちら方面に方向を変えた。意外に近いところにあって、白虎隊自刃の地、白虎隊の墓などにも行くことができた。仙台市立木町通小学校6年生の修学旅行以来であるから、46年ぶりということになる。ホテルでもらった地図で確認しながら、そこから鶴ヶ城へ。なかなかいいところであった。会津若松の観光名所を一応網羅してホテルに戻ったら7時4分になっていた。広い風呂場には私一人の姿しかなく、ゆったりと温泉を楽しむことができたし、言うことなし。

 本来の目的のロケは、鶴ヶ城をバックにした路上で番組予告編、市内の野口英世記念館あたりでもう一カット。老舗の料理旅館の馬場社長との掛け合いがハイライトである。訥々とした会津弁に味がある馬場社長にも助けられて、ミニ番組の収録第一回が無事終了した。

 ロケバスは次の目的地である山形市内まで移動。会津若松を出るあたりで、雪化粧した磐梯山が美しく目に飛び込んでくる。修学旅行を思い出すのは、こんな時である。山形でも、楽しくておいしい夕食を14人のメンバーと一緒に摂って、今日も早々と就寝。


2006.3.6(月)

 暖かい朝。少し遅め、6時35分発でいつもの6キロコースへ。GPSの距離表示が正確さを欠いているので、1キロのラップタイムが7分何秒とかの表示が出てしまう。もう少し使い慣れれば、正確になるのか。機械にも学習ということがあるのだろうか。よくわからない。昨日の16キロ走はあまり影響はない。汗をいつも以上にかいたのは、気温が高いせいである。

 シニアのための元気講座のようなもので、午前中は1時間半の講演、午後は2時間15分のパネル・ディスカッションでのコーディネーター。どちらも、少々時間を持て余したのは、珍しいことであった。しかし、大事な仕事であるので、私なりに精一杯やらせていただいた。

 気温がさらに上がって暖かい。オーバーコートが邪魔である。そんな陽気の中、郡山経由で会津若松へ。東山温泉の東鳳で夕食、宿泊。「とうほく食文化応援団――浅野教授と行く、スロー風土探訪記」というミニ番組の収録が明日から始まる。なんだか修学旅行のような乗りで楽しくなってくる。アサヒビールをたらふく飲んで幸せになって就寝。


2006.3.5(日)

 倉敷の朝。昨晩は、「ももたろうフォーラム」の実行委員の方々と、ホテル近くの居酒屋で歓談し、その後、北川秘書とちょっとだけ倉敷の夜を探訪した。知らない土地で、知らない店に入るのは、ちょっとスリルがあって面白い。実際に、面白かった。

 翌朝は睡眠十分で目覚め、体調万全で走り出した。北川秘書も「行けるところまで行きます」ということで、倉敷国際ホテル前から一緒にスタート。ホテルからすぐの美観地区を抜けて、後は倉敷川をひたすら下る。北川秘書の足音は3.5キロ地点で聞こえなくなり、4キロ地点で振り返ったら姿も見えなくなった。私はさらにひたすら倉敷川沿いの土の道を走り続け、8キロ地点の藤戸というところで反転。昨夜、居酒屋で誰かが「藤戸のほうまで走ったらいいよ」と言っていたのを思い出した。別に藤戸を目指したわけでもないのに、着いてしまった。信号もほぼゼロ、平坦で土のコースはめったにない。とても気持ちよく16キロを走りきった。

 今日の仕事はこれで終わりでなく、9時45分から「ももたろうフォーラム」での対談がある。毎日新聞の野沢社会部長が対談のお相手。ご自身、19歳の自閉症を持つ息子さんを持つ。だからこその説得ある話で、引用するエピソードも興味深いものであった。打ち合わせは、じゃんけんでしゃべる順番を決めただけというぶっつけ本番で、「1時間45分も話が持つかな」とお互いに心配していたが、とても充実した対談になった。

 障害者を地域で支えていこうという人たちの熱意が、この「ももたろうフォーラム」を6回も開催する原動力になった。素人っぽい運営も好感が持てる。16キロ走もやれたし、満ち足りた気持ちで岡山を後にした。


2006.3.4(土)

 今朝は寝坊をしてしまって、結局走れず。天気も良かったので、残念という気持ちが強い。

 昼過ぎから岡山へ。倉敷市での「ももたろうフォーラム」に、明日の朝、出番がある。仙台空港から神戸空港経由。こういう時には便利であるけれども、こんなところに空港を新たに作らなくてもいいのではないかと思ってしまう。  


2006.3.3(金)

 弥生三月ひな祭り。GPSを装着して6キロ。高い建物の近くを通った時などには、衛星の電波をうまく捉えられなくなって、「信号弱い」の警告が出る。そうなると距離の表示も不正確になってしまう。GPSに全幅の信頼を置くにはもう少し使い慣らさないといけない。

 午前中、仙台市福祉プラザで仙台市の民生委員・児童委員の障害福祉部会の皆様の研修会で講演。「みやぎ知的障害者施設解体宣言」についてということであった。同じような話をしても、聴いてくださる方によって反応がかなり違う。今日の反応はそこそこといったところだろうか。会場のしつらえ、最初の司会の人による雰囲気の持っていきかたでも違ってくる。今日は少し堅苦しかった。

 夜は、宮城県体育協会の方々が、私が体協会長を辞めたことのねぎらいの会をしてくださった。ありがたいことである。有り難いことでもある。


2006.3.2(木)

 朝の出発が早いので、走りは3キロだけで切り上げた。広瀬川の河畔コース。GPSをつけて走ったが、表示はほぼ正確である。キロ6分前後で走っていることを一応確認できた。1キロ走るごとに、ブーという警告音が出るのは、メリハリがついていい。

 7時46分のMaxやまびこで東京へ。このグリーン車はシートがゆったりしている上に、乗客がほとんどいないので、原稿を書くには最適である。「はやて」にしなかったもう一つの理由は、10時過ぎに浜松町メルパルクに参上せよというリクエストに応えるためには、一本早い新幹線ではなければならなかった。公務員研修にあたる担当者百人余を相手に、研修の重要性を一生懸命説いた。防衛施設庁の官製談合の不祥事も、もとを質せば研修がしっかりしていなかったからだろうというようなことも申し上げた。

 とんぼ返りで仙台に戻って、著書原稿の直しなど。なんとか出来上がりのめどがついてきた。


2006.3.1(水)

 弥生三月の最初の日は、朝から雪である。春の淡雪だからすぐに消えるだろうが、走るには不適である。昨日16キロも走ったのだから、今朝は休んでもいいのである。

 午前中は東北大学の研究室で過ごして、午後からは名取・亘理地区の社会福祉協議会の役員研修会での講演。施設福祉から地域福祉へ、介護保険法の改正、障害者自立支援法の施行といった状況の中で、社協に期待されるものも大きく変わっている。事業内容と意識の転換を行わなければ、社会の期待に応えられないというようなことを、私としては一生懸命1時間半にわたって述べさせていただいた。


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