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ジョギング日記  3月第3週           

2006.3.18(土)

 天気もいいし、時間もある。長い距離を走りたい気持ちを抑えて、軽く7キロ。先日うぐいすの声を聞いた同じ県スポーツセンター裏で、またうぐいすの歌を聞いた。この前よりだいぶ歌がうまくなった。まだ「ホーホケキョ」の一度鳴き、ワンフレーズの歌声であるが、この声を耳にすると春だと心から感じる。

 春の陽気に誘われてというのも変だが、彼岸の入りなので妻と墓参りに出かけた。北山の東昌寺は同じ想いの人たちで一杯。明日の天気予報は雨模様だし、WBCの韓国戦があるから、墓参りは今日済ましておくということなのかもしれない。

 午後から、大崎社会福祉協議会の合併調印式で祝辞を述べるために古川市へ。1市6町の合併の時も、新市名をめぐってもめた経緯があるのを思い出した。社会福祉協議会の合併も、別の要因ではあるが、すんなりとはいかなかった。新市発足の3月31日に間に合わずに、7月1日発足となったのもその理由による。雨降って地固まるとは言うが、雨が降ったことは事実であるし、地が固まるかどうかは、今後のやり方次第である。県社協会長としては、大いに関心を持って見ていかなければならないと思いつつ、式典を後にした。  


2006.3.17(金)

 天気予報では朝から雨ということだったので、その気になって就寝し、その気になって目覚めた。仙台地方では、6時過ぎの時点では天気予報ははずれ。曇ってはいたが、雨降りではなかった。一旦走らないと決めたことは、気持ちとしても戻れない。結局、今朝の走りはなしとなった。

 県社協にちょっと顔を出してから東京へ。強風のため4分遅れでの東京駅到着。降りて丸の内近辺を歩いたら、とんでもない強風で歩くのもままならない。春二番と呼ぶのだろうか。丸の内の日本フィランソロピー協会の会長室で、取材、社会貢献についてのご相談、アンチ・エイジングについてのご相談の三件に対応させてもらった。「ハイ、次の方どうぞ」という仕事は久しぶりである。その後は、隣の丸ビルの会議室で東北大学経営協議会に出席。今月末で委員としての任期が終わるので、私とすれば最初で最後の委員会出席となった。

 すごい偶然なのだが、厚生省同期の真野章君との会食が、同じ丸ビルの2階下の居酒屋に設定されていた。真野君と久しぶりにいろいろ語り合った。厚生省に入省して、同じ公衆衛生局の新米事務官として仕事をしてから36年になる。そんなに月日が経ったことが信じられない。そんな想いもあって、ついついお酒が進んでしまった。

 えーっ。帰りの新幹線のホームでの夕刊広告で、「WBC日本チーム準決勝進出」を知った。神様はいるのである。こんな奇跡もあるのだということに、ある種の感慨を禁じえない。


2006.3.16(木)

 昨日、我が家では血圧計なるものを購入した。お医者さんで計るのと同様の正確さであるという触れ込みである。計ってみたら、やや高めであった。そこで、ジョギングをどうするかである。体重が適正を保っているのは、まちがいなくジョギングのおかげなのだから、やめるというのは論外である。ただし、何ごとも程度問題であり、やり過ぎもいけない。どの程度がやり過ぎなのかも、よくわからない。そんなことを考えながら、今朝はゆっくりペースで6キロ。「運動後、入浴後、食後には血圧は高くなる」ということだったので、そのとおりの条件下で計ったみたら、起きぬけ時の計測より血圧は20ポイント近く低く出た。器械がおかしいのか、私の身体がおかしいのか。「血圧は高くなる」という理論がまちがっているのか。

 今朝の通勤は、徒歩10分にて東北大学の研究室まで。春の兆しがあちこちに出ている。今朝のジョギングでも、川内のスポーツセンター裏でうぐいすを聞いた。歩いての通勤が気持ちいいほどの春の訪れである。

 WBCの韓国戦は、惜しいところで敗戦。これで日本チームの準決勝進出の可能性は3パーセントほどになった。それにしても、あの米国戦がくやしい。今朝の朝日新聞「かたえくぼ」に「ジャッジミス イラク戦争の時もそうだった」とあったのには笑ってしまった。どちらのミスにも、笑ってはいられないのだが・・・。


2006.3.15(水)

 前日遅いので走りはなし。

 「とうほく食文化応援団」の収録は、今日が三回目で、ニッカウヰスキー工場へ。北海道の余市がスコットランド北部にあたるとすれば、仙台市郊外新川川のほとりはスコットランド南部にあたるということを、今日の対談相手の荒谷工場長にお聞きした。私がマイウイスキーをブレンドする場面があって、そこでウイスキーを少しだけだが賞味してしまった。これが、また、旨い。2分30秒の番組だが、収録にかける時間は、待ち時間も含めると結構長い。ウイスキーづくりも番組づくりも、時間をかけないといいものはできないということで納得。

 WBCの日本対メキシコ戦は、6対1で快勝。先日のアメリカ戦は判定ミスで敗れたが、その後味の悪さを解消するような勝ちっぷりではあった。各選手は春先で練習不十分での参加はつらいと思うが、一生懸命やっている姿には感動させられる。


2006.3.14(火)

 寒い一日。朝も寒いという予報だったこと、昨日20キロ走ったということ、これが今朝走らなかった理由である。

 寒い一日というのはそのとおりであった。県内社協めぐりの最終局面で、今日は登米市と栗原市の社協を訪問したが、雪が舞ったり、風が強かったり、気温も低くて真冬並みの天気であった。9町合併の登米市、10町村合併の栗原市、社協も同様に合併したのだから、大変難しい運営であることはよくわかる。そういった中で、いろいろ模索しながらがんばっている様子に感心しつつの訪問であった。

 スカイマークエアラインが、機体の損傷の整備を怠っていたという。航空運賃が安ければいいというのではない。こういった会社が、どうしてこのような不祥事を起こしてしまうのだろう。どうやったら防げるのだろう。ことが利用者の生命に関わるだけに、放ってはおけないことである。


2006.3.13(月)

 昨日の日記に書くことになったが、新聞を見てびっくり。昨日の名古屋国際女子マラソンでの、ぶっちぎりの勝利を確信させる渋井陽子選手の激走も、35キロまでであった。弘山晴美選手はすごい。テレビで見ていた時の彼女は、25キロ過ぎぐらいで顔をゆがめ、息が上がっていたのに、あの状態から逆転するとは信じられない。そんな弘山選手の走りに刺激されたわけでは全然ないが、今朝は久しぶりに2時間走を試みた。赤坂から渋谷、松濤、駒場、代々木上原へ。そこで道が狭くなり、小田急線の踏み切りに引っかかるという悪いコースに見切りをつけた。復路で神宮外苑をぐるりと回る時間調整をして、なんとか2時間走を完成させた。自分のペースを守って走ったので、疲れは感じない。

 10時から岩波書店の馬場公彦さんと著書についての最終打ち合わせ。彼もランナーで、来週は荒川のフルマラソンを走るという。3時間そこそこというハイレベルのランナーである。練習量は少ないらしいのに、なんでそんなに走れるのだろう。昼からは工業倶楽部で「十八日会」。今日の講演は、フライ在日英国大使であった。内容も面白かったが、流暢な日本語にも驚かされた。隣の席の外務省OBが「こんなに日本語ができる英国大使ははじめて」と感嘆していた。

 県社協に戻って一仕事。仙台・東京間の新幹線はなんと便利なのだろう。1時間40分の車内は、誰にも邪魔されない仕事の場にもなるし、読書、居眠りにも丁度いい。


2006.3.12(日)

 久しぶりのSMCである。春で陽気がよくなったせいか、今日の参加者は57名。昨日の走りは身体が重かったが、今朝はいつもの調子に戻った。たまにみんなと一緒に走るのも楽しいものである。

 名古屋国際女子マラソンでの渋井陽子選手の激走を途中までテレビ観戦して、東京へ。30キロ過ぎで2位の弘山晴美選手を1分近く離していたから、弘山選手からはトップの渋井選手の姿は豆粒のようにしか見えなかっただろう。テレビ観戦を中断した時点では渋井選手のぶっちぎり優勝を確信していた。この日記は翌日に書いているのだが、13日(月)の新聞を見てびっくり。なんと弘山選手が逆転優勝しているではないか。37歳でマラソン初優勝。しかも300メートル差をひっくり返しての大逆転。人生あきらめてはならない、そして何が起こるかわからないということを知らされた。

 東京での用事は、日本テレビの「バンキシャ」出演のため。今日の放送は、石川県でのカラス被害、北朝鮮の路上生活の子どもたち、福井県立病院の救急専門医師の活躍という話題であった。コメントの時間が短いので、なかなか気の利いたことが言えない。そのことに恥じ入りながら放送を終えた。


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