2006.6.24(土)
羽田経由小松空港で、福井へ。コミュニティネットワークふくいの松永正昭専務理事に招かれて、明日、講演をするというのが本務であるが、松永さんの展開している事業を見たいという想いもあった。知的障害者にとって、就労こそがなにより大事ということを実践してきた松永さんである。私が厚生省障害福祉課長時代の昭和63年ごろに知り合い、平成3年には活動母体を創り上げて、それから驚異の発展を続けてきた。なによりも、障害福祉は技術でありシステムであることを実践で示しているところがすごい。給食づくりをしている福祉工場を見せてもらったが、ITも活用しながら、随所に知恵と工夫が詰まっている。「職員は給料に見合うだけ、しっかり働け」というのも小気味いい。
そんな勉強もしつつ、芦原温泉に宿泊。いい温泉、いい料理、いい話を心ゆくまで楽しませてもらった。
2006.6.23(金)
朝日新聞本社で、朝、「時流自論」の担当をしている大野博さんと面談。10:30には、そこに朝日ニュースターの佐藤敦子さんがテレビカメラを持ってやってきた。スタジオに入る前の様子を撮るということで、私の移動状況を撮影する。11時から1時間ほど、スタジオで収録。私が聞かれ役になるコーナーは20分ほど。お相手は猪瀬直樹さん。若干、不完全燃焼のうちに収録を終える。
仙台に帰ってきて、宮城学院女子大学の吉崎泰博学長と対談。大学の機関紙に掲載するためのものである。創立120周年の伝統を生かしつつ、さらに発展してもらいたいと願っている。
夜は、「とうほく食文化応援団」の放送終了を祝しての打ち上げの会。第二クールが始められるといいねというのが、皆の願いだった。そのための条件整備は必要である。
2006.6.22(木)
麻布台のラジオ日本へ。地下鉄神谷町駅から歩いて行った。この界隈、東京タワーが目の前にあるようなところなのに、小さな八百屋さんが店を出していたり、ビルの谷間に二階建ての家が建っていたり。狭い道の急な坂といった地形のところもあって、不思議な雰囲気を醸し出している。ロシア大使館、アメリカン・センターがある地区でもあるので、外国人の姿をひんぱんに目にする。そんことに気を取られてか、目的地に着くまでに、何度か迷ってしまった。
ラジオ日本での仕事は、「こんにちは!鶴蒔靖夫です」という番組で、地域創造ネットワークジャパンの設立について語るというもの。この団体の代表として、名前だけで何も貢献できていないことの負い目もあり、広報のつもりでの出演である。だから、出演料、交通費もなし。
番組出演を終えて、JR京葉線にて海浜幕張へ。障害児(者)地域療育等支援事業コーディネーター研修会での基調講演を頼まれていた。この長い名前の事業は、20年近く前の厚生省障害福祉課長時代に、私が手がけて作ったものである。当時は、障害者は入所施設に入所すれば万全のサービスが受けられるのに、在宅の障害者はサービスがゼロに近い状態だった。施設の持っている機能を地域の障害者のためにも利用させようというのが、事業創設の趣旨であったことを思い出す。それが、ここまで育ってきたことに感慨を覚える。講演では、地域で障害者を育てるということの意味を、75分間、私としては熱弁を振るったつもりである。
夜は、日本テレビにて、これで4晩目、最後となる「きょうの出来事」でのコメント。特番でいつもより30分遅れての番組開始。4日間で身体が馴れたせいか、眠くなることはない。それなりに楽しく、意義深く、連続出演を終わらせてもらった。少しだけ寝て、ワールドカップ日本代表対ブラジル戦をテレビ観戦するつもり。
2006.6.21(水)
今日も日程詰まりの一日。 慶應大学での第一時限「地方分権と福祉政策」の外部講師に、坂本祐之輔埼玉県東松山市長をお迎えしている。坂本市長は、前日から宿泊しての登場。パワーポイントを駆使しての、わかり易い、聞きやすい説明は、学生に好評であった。なにしろ、加山雄三をそのまま市長にしたようなハンサム、ギター抱えての歌自慢、スポーツ万能の彼が、福祉のまちづくりの話を熱弁するのだから、学生が身を乗り出して聴かないはずがない。呼んで来た私としても、大変にうれしいことである。
次の日程は、逆の立場。神奈川大学の外部講師としての講義をするという場面である。法学部の学生に「知事業とは何か」という講義を90分間やらせてもらった。
夜は、日本テレビ「きょうの出来事」出演の3回目。奈良市での母子焼け死事件についてのコメントを求められたが、今の時点では、なんとも対応しにくい状況であり、困惑のコメントになってしまった。
2006.6.20(火)
昨夜が遅かったので、いつもより少しだけ遅く起きた。慶應大学SFCの研究室にて、10時信濃毎日新聞の取材。11時ネットワーク横浜の石神恵子、杉山典子横浜市議会議員が来訪。ご依頼事項があったようだが、「それはともかく」と言って、午後からの「政治参加論」の授業に出ていただくことにした。今日の授業では、先週に引き続き、地方議会と選挙についてをディスカッション(実際は、学生からの質疑応答方式)する予定である。格好のゲストが現れたというところである。突然の申し出であったが、そこは議員としての実績がものを言う。「喜んでやらせてください」とお引き受けいただき、授業では学生からの質問に的確に答えていただいた。授業後提出された学生からのコメント・ペーパーからは、多大な感銘を受けたことがうかがわれた。本当にありがたいことである。
4時限目の「組織における危機管理」の研究プロジェクトを終えて、神田神保町の岩波書店に駆けつけて、雑誌「世界」の「疾走対談」へ。今回第3回目のゲストは、二神能基氏。二神さんは、NPO法人ニュースタート代表である。ニートと呼ばれる人や、社会への適応がむずかしくて引きこもりになった人などを「立ち直らせる」仕事をしている方である。私の見立てでは、ご本人も「高級ニート」のような人生を歩んできたようである。そんな方との対談であるから、面白くないはずはない。そして、考えるヒントをたくさんいただいた。こんな「個別授業」をみっちり受けた上に、謝礼までいただけるのだから、ありがたいことである。「世界」の9月号に掲載予定である。
10時過ぎには、日本テレビ「きょうの出来事」のコメント役二晩目。山口県光市での母子殺人事件の最高裁判決についてのコメントだけ。こういうニュースの時には、クールビズなる服装は、私の感覚からいうと、似合わない。暑苦しく見えても、背広にネクタイで出演させてもらった。
2006.6.19(月)
朝、県社協で執務をしてから、東京へ。12:20東京駅丸の内の日本工業倶楽部での十八日会。昼食をはさんでの講演、勉強会で、数ヶ月前には私が講師であった。官僚、企業のトップを務め上げた人たちがメンバーである。今日の講師は、日本テレビの橋本五郎さん。小泉首相の「三ない」、変えない、迷わない、聞かない、頼まないなどという話はとても面白かった。
14:00から日比谷の市政会館で、分権型社会研究センターでの勉強会。新藤宗幸先生がリードしている、とても真面目な会である。今回は、生活保護制度のあり方についての提言の総まとめ。私のように、途中から加わっての議論では、ちゃぶ台をひっくり返すような根本論になってしまう。それは遠慮したほうがいいのだが、結局、そんな発言になってしまった。
16:30から、帝国ホテルで、NHKの取材というか、お勉強のお相手。この手の場面は、苦手であるが、40分間説明しまくったという感じである。話題は、障害者自立支援法。
夜は、日本テレビの「きょうの出来事」でのコメント役として出演。30分弱の短い番組では、出番はごく限られる。テポドン発射問題、ワールドカップ日本戦について、短くコメント。スタジオを出たのは、12時過ぎになってしまった。
2006.6.18(日)
久しぶりに予定の入っていない休日。朝のSMCも、雨のためでかけず。先週は、慶應大学の「中間レポート」の採点に一日中没頭していたが、今日は「ボーっと」のほうである。
と思っていたのだが、いろいろ思い出してみたら、やることが結構あった。パソコンの不調が直ってみて、メールを開けたら、返信、対応すべき用件がたまっていた。慶應大学の授業のレジュメづくりの宿題もあった。それでも、昼過ぎには全部終わったので、母親のところに妻と出かけた。その後、頭をやって(美容院に行ったの意)帰宅。
その後は、テレビの前での時間。まずは、楽天対巨人戦。なんと、2対1で勝ってしまった。そして、引き分けに終わったW杯日本代表対クロアチア戦。その合間に、「とうほく食文化応援団」の最終回をチェック。
6月14日(水)の「日本市民会議」の立ち上げ一万人集会のことを、あえて書かないでいた。この日記でも、私としても主体的に関わり、その活動に期待をしていた。結論だけ書くことになるが、この活動からは身を引くこととした。「本意でない展開になったから」というのが理由であるが、結果として、何人かの方々にはご迷惑をかけてしまった。申し訳ないと思いつつ、私としてもけじめをつけたいと考えて、身を引くこととした。
以前のジョギング日記はこちらから
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