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ジョギング日記 12月第5週分                

2006.12.31(日)

 今年最後のSMC。今年の出席率は半分以下だったが、最後は出られてよかったの6キロ走。雪に悩まされることが一度もなかったSMCであった。来年も、この仲間たちと一緒に元気で走れたらと願っている。12月の走行距離は77キロ。2006年総計は1138キロであった。

 今日の「在宅勤務」は、慶應大学SFC関係の仕事。根を詰めてやったので、これも夕方には終了できた。こうやって一つひとつ宿題を片付けながら、2006年が暮れていく。  イラクのフセイン元大統領が処刑のニュースが入ってきた。随分と早い決着である。遺恨の連鎖が起きなければいいのだがと思いつつ、一人の独裁者の最期に思いをはせる。


2006.12.30(土)

 6:40発で片平から北目町、五橋を経て愛宕大橋を渡って広瀬川河畔を走る。河原まで降りた道は、昨日の雨が凍っている。こわごわ、ゆっくり走る区間もあった。この冬初めての耳あてをつけたが、それほどの寒さではなく、復路では汗が吹き出るほど。久しぶりの二桁10キロ走。

 仕事のない日が今日から続く。たまっている原稿を執筆。「年金時代」の「新・言語学序説」に「携帯電話について」、「厚生福祉」の「視点」に「障害者の就労」、「iJAMP」に「新世代の知事に期待するもの」、「ガバナンス」の「アサノ・ネクスト」に「改革派知事の退任」、同じく「ガバナンス」の特集「自治体・信頼性回復への道」(仮称)に「自治体不祥事と首長の姿勢」と合計5本の原稿を書き上げた。これでは、まるで在宅勤務である。なんたる貧乏性の私だろうと思いつつも、宿題が減っていくことには快感を覚える。


2006.12.29(金)

 昨晩は、実母、義母も一緒に家族で秋保温泉に宿泊。ホテル内の何箇所かの温泉をはしごして堪能。ご馳走も堪能。体重のことを考えれば、今朝は走りが正解だったのだが、天気が荒れ気味であることに恐れをなして、自粛。

 今年最後の仕事になるが、福島テレビの年末特番、「劇震2006」1時間50分にゲスト出演。昨年の同じ時期には、秋田放送の「ツイセキシャ」という年末特別番組に橋本五郎さんと一緒に2時間半出ていたのを思い出す。「劇震2006」では、佐藤栄佐久前福島県知事の逮捕に関する取材の裏側を生々しく伝えていた。地方テレビ局の記者、カメラマンの執念、がんばりが強く印象に残る。


2006.12.28(木)

 5時半に目覚めて、FMラジオで「朝ズバ」を聞きながら徐々に覚醒していくというのが習慣になりつつある。そこでまずやっていたニュースが、辞任した佐田行革担当大臣の後任に渡辺喜美内閣府副大臣が任命されることが内定というものであった。就任3ヶ月の大臣を不祥事で更迭しなければならない。安倍内閣にとって、厳しい年末である。

 宮城県社会福祉協議会では、今年の御用納め。職員の前で会長として年末の挨拶をする。暦の上だけのことと言いながら、一年のけじめである。知事時代にも、年末、年始には職員の前でのあいさつをしていたことを思い出す。これが苦手だったことも一緒に思い出した。


2006.12.27(水)

 天気予報では、大型の低気圧が来ていて、大荒れになるということだった。朝方、走る時間帯は雨。朝食時には青空が見えるほどに回復。気温も高めである。

 佐田玄一郎行政改革担当大臣が、不透明な政治資金の使途で窮地に立たされている。いずれ、大臣を辞任しなければならないほどの事件である。安倍内閣にとっても窮地。タウンミーティングでのやらせ問題、本間正明税調会長の辞任に続く「不祥事」に揺れている。テレビに出てくる安倍首相の顔色も冴えない。

 夜は、宮城県社会福祉協議会の忘年会。事務局メンバー70人近くが参加。国分町の居酒屋を会場に、2時間飲み放題。圧巻である。この元気で来年もがんばってもらいたい。  


2006.12.26(火)

 TBSテレビ「朝ズバ」に出演。今朝のコメンテーターの相棒は、旧知の山本寛斎さん。ご自分で作成した服装は個性的だし、声も大きいし、言うこともはっきりしている。山本さんの個性に負けないようにするのは容易ではない。もちろん、勝ち負けという問題ではないのだが。

 東京は大雨に近い降りかた。この雨の中、「三田評論」に掲載する座談会が慶應大学三田キャンパスで。田町駅のタクシー乗り場は長蛇の列。仕方がないので、駅から三田キャンパスまで歩いた。風まじりの雨なので、結構濡れる。こういう人生もあるのだなと、変に納得しながら雨の中を濡れながら歩いていた。


2006.12.25(月)

 日本フィランソロピー協会の理事会が昼から。仙台からの新幹線を東京で降りる間際に新聞社からの電話取材で、片山善博鳥取県知事の三選出馬せずのニュースを知った。先日も鳥取で会ったばかりである。3期12年を務めた身からは、2期8年で十分と言われると、ちょっと困るのだが、これはこれで片山さんの決断である。


2006.12.24(日)

 SMCで6キロ走。「今年は雪がなくていいね」と言い合いながら、キロ6分ペースでゆったりと走る。確かに、今年の冬は雪がないだけでなく、暖かい。冬は冬らしくきっちりと寒いのも悪くはない。この程度の走りでも汗をかきながら、そんなことを思っていた。

 都大路を駆け抜ける高校駅伝である。私が知事に就任した年に、仙台育英が男女アベック優勝を果たした。平成五年は、現職知事と市長がゼネコン汚職で逮捕、作況指数が30パーセント台の大冷害と、いいことがなかった宮城県であったが、最後に素晴らしいニュースで沸き立った。13年ぶりのアベック優勝も夢ではなかったが、女子は3位、男子は2位に終わった。どちらも3区まではトップだった。優勝は逃したが、立派な成績である。こういうのを見ると、ランナーとしてはレベルがまるで違うのだが、走りたい気持ちが湧き上がってくる。

 有馬記念では、ディープインパクトがぶっちぎりで一着。人間だと、一流ランナーでも8分かかる距離を、この馬は2分台で駆け抜ける。

 


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