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ジョギング日記 3月第3週

2007.3.17(土)

 朝8時からの「ウエークアップ」出演のために、汐留の日本テレビへ。以前は、大阪の読売テレビで出演していた番組である。今回は、東京都知事選挙の四候補予定者のそろい踏みで出演。その後は、フジテレビに移動して、「知的冒険 ハッケン」出演。同じメンバーである。前回よりは、だいぶ攻撃的に出たつもり。
 午後は、新宿歌舞伎町の新宿ロフトプラスワンで、「『王様は裸じゃないか!!』〜新宿から石原都政を倒そう! 少数派総決起集会〜」にゲスト出演。セックスワーカー支援グループメンバー、風俗嬢、外国人住民支援者など、社会的にマイノリティと呼ばれるような人たちの会合だった。こういう会合は、どちらかというと好き、得意。出のところでは、エルヴィスの「冷たくしないで」を歌って登場し、帰りは「監獄ロック」で送られた。
 夕方は、浅草雷門前で台東区長候補の中山寛進さんの応援。今回初めて、選挙カー上からの街頭演説だった。勘が戻るまで少し時間がかかりそうだが、気分は爽快だった。こういったところへの移動は、すべて公共交通機関を使っている。荷物が多い時は、秘書役の松友クンは大忙し。


2007.3.16(金)

 朝から、新聞各社の「候補者の横顔」といった記事のために取材が続く。日経、読売、毎日と。各社の記者の聞き方が、かなり違う。ということは、かなり違う記事になるだろうということ。
 午後からは、新宿の選挙事務所へ。狭い事務所に机も入って、それなりに事務所らしくなっている。ここでも、取材を何件か受けた。


2007.3.15(木)

 昼過ぎから、「週刊朝日」で石原都知事と対談。始めは緊張したが、話しているうちに調子が出てきて、結構厳しい追及の口調になってしまった。誌面ではどのように扱うのだろうか。
 東京プリンスホテルでの荒井聡北海道知事候補予定者を囲む会に出席してあいさつ。終えて次の会場に着くのに時間的余裕がない。地下鉄、JRを乗り継いでの移動になったが、その間、走りに走った。
 午後7時から、中野ゼロホールで都知事選出馬予定の4候補そろっての合同演説会。石原知事は30分以上遅れて登場。黒川紀章候補予定者の暴走気味の発言に巻き込まれないようにしているうちに、そんなペースが身に着いてしまった。随分と大人しい印象を与えてしまったのは、ルールを守ろうとしたたしなみなのだが、選挙なのだから、そんなこと言っていられないと思い直した。その後のテレビ朝日、TBSのニュースでも4者そろい踏みだったが、中野の雰囲気を持ち込んでしまったきらいはある。


2007.3.14(水)

 朝、八王子小児病院へ。都立病院で、三年後には清瀬に移転して、清瀬小児病院、梅が丘小児病院と統合される予定とのこと。90床と小規模の病院だが、極小未熟児への対応など、先端の小児医療を担っている様子を見させてもらった。ここにも、何人かの取材陣が待っていた。
 昼は、六本木のレストランで、五十嵐敬喜さん、細川佳代子さんとご一緒。細川さんには、今回の選挙の確認団体「みんなの力」の代表になっていただいた。五十嵐さんがその事務局長。食事の後、例によって、記者団に囲まれての取材。細川さんは、「浅野さんとは、心が通じ合っています」とはっきり言っていただいて、代表をお引き受けいただく必然性が一発でわかってもらえた感じである。
 マニフェストの発表を今日から明日に延ばした。今日が最後の詰めのところである。その作業を一生懸命にやるという夜であった。


2007.3.13(火)

 今朝も富士山がきれいに見える。そんな天気の中で、皇居一周。ストップウオッチを押して見て、びっくり。28分59秒82。びっくりすることもないのだが、29分寸前のタイムというだけのこと。ともあれ、気持ちのいい走りであったことはまちがいない。
 毎日放送の取材を受けた後、墨田区京島に出向いた。耐震のまちづくりの様子を見たいということでの視察である。狭い路地、びっしりと軒を接して並ぶ木造住宅。地震が来たら大変な事態になることが推察される。区のまちづくりセンターの方のご案内で見て回ったが、地域の人たちの結束と心意気も感じた。ハード面での耐震改修だけでなく、ソフト面、ヒューマン面の力がまちづくりに結集し、それが災害対策になる可能性はわかった。
 選挙事務所の場所がやっと決まった。西新宿1−3−14−2の青梅街道に面した立地のよいところ。中身は、「狭い、汚い、古い」の三拍子がそろっている。過去三度の宮城県知事選挙の際の事務所と同じようなところなので、我々にはぴったりくる。そして縁起がいい。


2007.3.12(月)

 今日、仙台の家を出発して、東京に向う。仙台駅に行く前に、東照宮に寄って夫婦そろって必勝祈願。このところ毎年正月にお参りに行っているし、過去の宮城県知事選挙での必勝祈願で縁起のいいところである。
 東京で取材対応が二件。夕方は、民主党都議会議員と区長選挙候補予定者のパーティーに出席してご挨拶。仙台を出る時には本降りの雪だったが、東京は晴れ。新幹線の大宮付近から富士山の姿が見られた。この季節のこの時刻にここから富士山が見られるなんて、富士山大好き人間の私とすれば、うれしい限りである。


2007.3.11(日)

 9:40から、定禅寺通りの「9Aの店」でヘアカット。11:35には仕上げてもらって、食事を済ませて名取市民会館での講演。「団塊の世代の地域づくり」といったテーマでの基調講演と、シンポジウムでのパネラー。1時前から4時ごろまで拘束されることになった。この時期、この場所、この状況では、ややつらい日程であったが、地元でのお約束であり、きっちり務めを果たさせてもらった
 仙台国際ホテルに身体を移して、5時から講演。「許される嘘 許されない嘘」(講談社)の出版パーティーの前座として、1時間弱、本の話のほかに、都知事選挙の話もさせてもらった。3期12年で「卒業した」知事の仕事を、なぜ東京都知事という形で再びやろうとしているのか、地元宮城県に人たちにわかってもらいたいという思いもあった。「日本のための東京」というのが、一つのポイントである。
手に手に青いハンカチを持って送ってもらった 出版パーティーは、都知事選挙への出陣式のような意味合いを持ってしまった。仲間の温かい気持ちをじかに受け止めながら、勇気をいただいたような気がする。パーティーの最後に、手に手に青いハンカチを持って私を送ってもらったが、さながらブルーウエイブ、青いさざなみである。このさざなみが、360キロ離れた東京に伝わって、大きな波、うねりになればなどと思いながら、会場を後にした。


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