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ジョギング日記  12月第3週分        

2007.12.15(土)

 大阪のホテル・ニューオータニで目覚めた朝。風はあるが、晴れている。気温も低くないので、走るのには絶好。軽く6キロ。大阪の紅葉は、今でも十分に楽しめる。黄色に染まったイチョウを眺めながらの軽やかなラン。大阪城の姿も、青空をバックに目に映る。

 東大阪市のユトリート東大阪で、「すべての人が地域で暮らすために」という障大連東ブロック結成記念講演を14:45から1時間。1時間では短いなと最初から思っていたところに、前の演しものが7分押したので、司会の人に苦言を呈してしまった。主催者側の熱意が伝わってくる会だったので、会そのものはとても素晴らしかった。

 伊丹空港17:40発で仙台空港へ。仙台駅前のメトロポリタンホテルで、木町通り小学校6年2組のクラス会が18時から開かれている。20時少し前に着いて、なんとか一次会の終了前に間に合った。鈴木利子先生の傘寿を祝う会の名目である。首都圏方面から駆けつけた人も含めて、20人も集まった。先生は傘寿、我々生徒も還暦である。二次会にもほとんど全員が参加。まとまりのいいクラスであると改めて思う。要するに、幹事の人たちのがんばりのおかげであると、感謝感謝。

 国分町での二次会を終えた後、帰りは定禅寺通りを回ったが、12日から始まった光のページェントの灯は消えていた。今年から、消燈が1時間早まって23時になったとのこと。これも財源不足のせいなのだろうが、見損なって残念だった。まあ、今月末までには、見る機会があるだろう。


2007.12.14(金)

 二日連続でTBSへ。昨日はラジオで、今朝はテレビのほう。「朝ズバ」は、薬害C型肝炎訴訟に関しての、国の対応、「宙に浮いた年金」の照合問題に関する公約違反についてがメインで、何度もニュースが繰り返された。そのたびに、私に意見が求められる。どちらも旧厚生省関連である。他人事のようなエエかっこもできないなと思いつつも、厳しい意見を言ってしまう。

 番組を終えて、羽田空港から小松空港へ。小松市法人会での講演。会場で、20年ぶりぐらいになるなつかしい人にお会いするというハプニングもあった。前座プラス1時間半の講演を終えるとすぐに、小松駅へ移動して、そのまま「サンダーバード」号で大阪へ。後で振り返っても、どこに行ったのか思い出せなくなるのは、こんなあわただしい日程のせいもある。


2007.12.13(木)

 朝、5:20スタジオ入りで、TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう一直線」に出演。聴取率特別週間だそうで、力が入っている。そういう時にお呼びがかかるのだから、うれしいことである。ラジオ大好き人間としては、気の合う生島さん相手に、たくさんしゃべれるのが何より楽しい。今朝も、硬い話題から柔らかい話題まで、幅広くこなすことができて、満足である。

 午後からは、大阪の読売テレビで「ミヤネ屋」出演。大好きな「芸能ノスタルジア」のコーナーは、今日は1968年、昭和43年を取り上げた。大学三年、東大紛争の真っ只中である。星影のワルツ(千昌男)、帰ってきたヨッパライ(フォーク・クルセーダーズ)、恋の季節(ピンキーとキラーズ)などがヒットしていた。和田アキ子のデビュー曲、グループ・サウンズのオックスなど。この頃をリアルタイムで知っているのが、出演者では私ぐらいのものなので、司会の宮根さんは、しきりに振ってくる。それも楽しくてしょうがない。  


2007.12.12(水)

 慶応大学SFCで「政策法務論」の授業。宮城県知事時代の「みやぎ知的障害者施設解体宣言」などを題材に、知事の政策決定について説明をした。障害福祉には詳しくない学生にとっては、なじみのない分野の話をどのように聞いたか。コメント用紙で読ませてもらった限りでは、関心はなかなか高い。

 夜は、「バンキシャ」5周年パーティーで知り合った脚本家の井沢満さんと食事。お互い、まったく違った分野の職業を持っている。事実上、初対面のような二人であったが、会話がはずんで面白かった。


2007.12.11(火)

 慶応大学SFCでの授業。今回の「地方自治論」は選挙について。自分の選挙を題材に、知事選挙と議員選挙の違いなど、体験的に感じることを中心に講義。福祉ゼミでは、ADHDの障害を持ち、「えじそんくらぶ」を主宰する方をゲストに迎える。「ぶどう社」の市毛研一郎社長も同行してきて、久しぶりの再会となった。発達障害は、診断が難しいが、自分だって少しはその傾向があると思わせるタイプの障害なので、聞いている学生にとっても自分ごと意識が強いのではないか。いつも以上の関心だった気がする。


2007.12.10(月)

 8:15の新幹線に乗る日程なので、長い距離は走れない。片平から大橋、澱橋コースの4キロだけ。なんとなく体重が重いような気がして測定してみれば、そんなに太ってはいない。筋力が弱ったせいか。枯葉を踏みながらの走りは、初冬ならではであるが、それはそれで情緒がある。

 ノンストップの新幹線であるから、仙台から出かけていっても、10時過ぎからの日本フィランソロピー協会の理事会には十分間に合う。会長として、何もできていないが、せめては、理事会の議長ぐらいは務めなければならない。「フィランソロピー」という名前がまだ市民権を得ていないというか、知られていない。毎回の理事会で語られる課題が、今回も議論されたが、なかなか名案がない。活動そのもので知らしめていくしかないのだろう。

 夜は、「文藝春秋」の「同級生交歓」の写真撮影。ソニーの中鉢良治社長、KDDIの小野寺正会長兼社長と私は、仙台二高昭和41年卒業の同級生である。会ってすぐに思い出話から議論が始まった。要するに、昔と変わらないということ。多弁な人間は、40年経ってもそうだし、寡黙な人間もそのとおり。どんな写真になるのだろう。それよりも、私が書くことになった紹介記事がちゃんと書けるかどうか。


2007.12.9(日)

 2週連続でSFCで走ることができた。「久しぶり!」というランナー仲間にも会えた。今回は、スペシャル・オリンピックス宮城のアスリートも参加している。33歳のU君。先週、旧小牛田町で、生まれて初めての10キロレース「ひとめぼれマラソン」を45分で走ったとのこと。ご一緒のお母様が大変な感激。「この子、途中で死ぬんじゃないかと心配で、心配で」というレース観戦だったらしい。「ゴールの瞬間は、ともかく無事でなによりと安心してしまった」。ほんとは、私のような還暦近いランナーにこそ言うことではないかと思いつつ、知的障害を持つお子さんの親心に触れた感じである。心配ないよ、お母さん。U君は、今朝も、おじさんランナーの私たちを遠く置いていくような快調な走りだった。

 久しぶりに仙台の家で時間があった。大学の仕事をこなして、頭の手入れへ。従業員みんなが顔なじみの定禅寺通りのこの店に行くと、ほっとする感じ。来週は、この定禅寺通りで光のページェントである。この時期の仙台は、なかなかいい。

 夜は、久しぶりにお食事会。楽天関係者、県会議員など4人で、面倒な話は抜きの楽しい酒席であった。今日は、久しぶりが多い一日だった。


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