2008.5.31(土)
今朝も雨で走れない。これで、水曜日から4連敗。今月は、14勝17敗の負け越しで、走行距離は119キロ。五月というのに、五月晴れどころか雨の日が多かったのと、一時期体調不完全だったことが、十分に走れなかった理由である。6月は梅雨入りだから、もっと雨が多くなる。何とか、負け越しは免れたい。
雨が降り続く肌寒い日である。身体を休めるには、格好の日かもしれない。昼に楽天が広島相手に8対2で快勝したのを確認し、夜は、プロ野球で巨人がソフトバンク相手に負けるのに快哉を叫び、バレーボール男子の日本対イタリア戦では、「日本もやるじゃないか」と半分驚いていた。NHKの土曜ドラマ「トップセールス」の最終回も見てしまった。毎度思うが、よくできたドラマで、主演の夏川結衣とその母親を演じる十朱幸代の演技が素晴らしい。途中で亡くなる役だが、尊敬すべき上司役の蟹江敬三の存在感ある演技も特筆ものである。終わってしまうのが、残念なドラマであった。
2008.5.29(木)
神戸市舞子の舞子ビラで目覚めた朝。案の定というか、天気予報どおりの雨模様。目の前の明石大橋の半分から淡路島寄りは、霧の中のような状態である。朝食を摂った後、一時、雨は上がったが、また降り出した。完全に雨が上がったのは10時過ぎ。持ってきたジョギングシューが無駄になってしまった。いいところだっただけに、残念である。
大阪に移動して、読売テレビ「ミヤネ屋」に出演。船場吉兆の廃業の話題では、同じような事例で何度か言ったが「築城三年、落城三日」と、「あってはならないこと」の呪縛についてコメントした。橋下大阪府知事への府立施設廃止反対についての短かすぎる陳情についても、「もっと迫力を持って要望しないといかん」というようなこともコメントした。宮城県知事時代は、要望を受ける立場だったが、こういう場では、要望する側にも注文を出したくなる。
大阪から横浜に戻る新幹線の窓から、富士山の姿が見えた。日が長くなったからこそのことである。ちょっと前までは、新富士駅付近では真っ暗だった。雲に隠れている部分が多かったが、それはそれで、幻想的な富士山の姿であった。
2008.5.28(水)
前日遅かったので、無理せず、走らず。慶應大学SFCでの授業。その後は、新幹線の新神戸経由で舞子ビラ神戸へ。日本生命明石支社主催のセミナーでの講演。受付のお手伝い、前座を経て、1時間半の熱弁。自分で熱弁というのも変だが、500人以上の聴衆の方々の反応の良さに乗せられて、こちらもいつも以上のノリであった。
講演後は、懇親会にも押しかけ参加。ホテル内の日本料理の店、10室ほどに分かれて、一部屋4,5人から14,5人のバラバラ懇親会という珍しい形である。そのすべてに顔を出して、親しくご挨拶をした。アテンドしてくれた塩見さん(?)は、「別館の中華の店で、また別なグループが・・・」ということで顔を出したら、ここでさらに10以上のテーブルにお客さまがいらして、その各テーブルでもご挨拶。「日本料理の店で、一組、挨拶し残したところがあって・・・」と塩見さん。走り回りながら、選挙でこんなことがあったなと思い出していた。
泊まったホテルの部屋から、明石大橋が目の前に見える。淡路島もすぐである。いいところで、明日は走りたいのだが、外は雨がざんざん降っている。
2008.5.27(火)
朝から陽射しが強い。気温も高い。そんな中を、周遊コースを6キロ。このコースは、途中で1キロほど続く上り坂がある。これが結構きつかった。5月にしてこの暑さでは、7月、8月が思いやられる。もっと早い時間に走るのも手だろうか。
慶應大学SFCで3コマの授業の日である。「政策協働論」の授業では、昼下がりの眠くなる時間帯だし、教室のこの暑さだから、居眠り学生続出かと覚悟していたが、意外に睡眠学生は少なかった。なんとなく、安心。
授業を終えて、汐留の日本テレビに移動。明日のニュースで使う地震特集の収録である。宮城県知事時代の宮城県北部連続地震での失敗の教訓など、話をさせてもらった。中国四川省での大地震は、「明日はわが身」と受け止めるべきである。何よりも、住宅や学校などの耐震化が急がれる。命を救うには、これしかない。
2008.5.26(月)
加古川プラザホテルで目覚めた朝。6時半には、昨夜ご一緒した後尾義晴さんがロビーで待っていた。後尾さんは、メタボ対策で走り始めて十数年という。それじゃ一緒に走りましょうと、昨夜合意に至ったものである。加古川の河川敷を並んで走り出したが、彼は4キロ地点ぐらいで川のほうに降りていった。小用でも足すのかと思って、構わず走り続けたが、後から来る気配がない。6キロ地点で折り返して、1キロほど行ったところで、男性ランナーを追い越した。それから2キロぐらいのところで、そのランナーに追いつかれ、「浅野さんですか」と声をかけられた。いつもは見かけないランナーがいる、一体誰なのかと追いついてみたら、私だったということ。しばらく並走しながら聞き出したところによると、そのランナー、大亀さんは、毎朝欠かさず、このコースを21.4キロ走っているとのこと。月間では700キロ近くになる。ランニング談義をしながら、最後は握手をして別れた。後尾さんのその後。4キロ地点で、急に脱水症状になり、川に下りて、川の水を飲んだら治ったので、そこから河川敷より一段下の道を走ったとのこと。「川の水を飲んだ」というのがすごい。これはこれで、印象に残る走りではあった。
午後から、老人施設事業協会での講演。時間の配分をまちがえて、言いたいことの部分を大急ぎで話したような気がする。私としては、若干の消化不良なのだが、聴いているほうもそう感じてしまっただろうか。
2008.5.25(日)
体調も完全に戻ったので、今朝あたりから走り再開ともくろんでいたが、外は雨である。ゆっくり寝ていられない性分なので、走らなくとも、7時半には朝風呂に入り、活動開始。自由時間があまりない中で、大学の授業準備、原稿書きを済ませる。狭い書斎であるが、ちょっとした合間には、最近買ったばかりのBOSEのステレオから音を出して楽しんでいる。このところは、エルヴィスではなくて、ビートルズ。アルバムのHELP、ABBEY ROADを繰り返し聴いている。発売当時、メロディーラインの美しさと新鮮さに驚いていたが、今聴いても印象は変わらない。エルヴィスとは違った意味で、彼らは天才である。ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンが、同じ時期、同じ場所にいた偶然は、奇跡とも言うべきものだろう。
午後からは、加古川市に移動。明日、東播磨ブロック老人福祉事業協会の総会で基調講演をする。前日から入って、主催役員と夕食もご一緒するという日程は、ついぞないことである。10人ほどの役員の方々が、どうして老人福祉施設の運営の仕事に入ったのかなど自己紹介をお聞きしながら、楽しいひとときであった。
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