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ジョギング日記 月第4週分         

2008.7.31(木)

 今年になって、ほぼ欠かすことなく、毎日、日記を書いてきたが、このところ、一週間書いていない。風邪がぶり返したようになってしまったのと、結構多忙な日が続いたせいである。24日(木)に大阪で10キロ、26日(土)に横浜で8キロ走ってはいるので、ジョギング日記としての記述はできるのだが、振り返って、「この日は何があって・・・」ということを書く気力が湧いてこない。

 ということで、途中飛ばしてしまって、今日のこと。京都グランヴィアホテルで目覚めた。世が世なら、ここから加茂川べりを北へずっと上っていくのだが、そもそも、最初から道具を持ってきていない。おとなしく起きて、おとなしく朝食摂って、部屋でおとなしく原稿など書いていた。

 午後から、読売テレビの「ミヤネ屋」出演。実は、先週は、番組が終わって、新大阪駅から新幹線に乗り込もうとした直前に、テレビ局に携帯電話と財布を置き忘れてきたことを思い出した。駅員に30円借りるのを断られた。紹介された交番にはお巡りさんがおらず、途方に暮れた。売店でお金を借りようとしたら、「お困りでしょう」と女性店員が携帯電話を貸してくださったので、なんとか連絡が取れた。しかも、その店員さんは、「タクシーに乗るにしても、無一文では心細いでしょう」と、5千円も貸してくれた。地獄で仏、読売テレビに戻って、財布と携帯電話を入手することができた。

 今日は、ちょっとした物を買い求めて、かの親切な店員さんに御礼に行ったら、彼女はお休み。仲間の店員さんに託してきた。山形新幹線にサングラスを置き忘れたり、その他の失くし物をしたり、このところ失態続きである。暑さのせいにできればいいのだが、加齢化現象なのかもしれない。心しないといけない。

 「ミヤネ屋」の番組終了直前に、「明日、内閣改造」というニュースが飛び込んできた。明日、厚生労働行政の在り方懇談会の第一回会合が予定されているのだが、その時に、舛添大臣は出席可能なのだろうか。大いに気にかかる。

 今日で7月が終わるが、今月の月間走行距離は惨憺たるものである。10日、70キロ。2月の9日、62キロの時も風邪であったが、それよりわずかに上回っただけ。昨年の7月は200キロ以上走ったのとは、えらい違いである。


2008.7.23(水)

 ホテル・ニューオータニ大阪で目覚めた朝。体調万全なので、今日も走る。ホテル前の大阪城公園を走る選択肢もあったが、大川沿いを走るコースを選択。川沿いの木陰は、こういう日には走りやすいと考えた。そのとおりで、日陰の多いコースは、快適であるが、気温が高いのは、いかんともしがたい。7キロ走っただけでも、結構な発汗。再開間もない身であることを考えて、きょうのところは、これにて打ち止め。

 午後から、大阪国際交流センターで、講演と鼎談。先月もご一緒だった、泉南生協の笠原理事長とのコラボレーション。泉南生協で進めている高齢者の介護付き有料老人ホームの事業に関連しての話を展開。少人数ではあるが、熱心な聴衆の方々であった。

 夏の高校野球の各地予選がたけなわであるが、宮城大会では、わが仙台二高が勝ち進んでいる。昨日、準々決勝が延長15回引き分けになったが、今日の再試合で、聖和学園を3対0で破り、準決勝に進んだ。相手は、強豪東北高校であるから、勝てるはずもないが、よくぞベスト4にまで進んだものである。奇跡を信じて、心の中で応援したい。


2008.7.22(火)

 ホテルグランヴィア岡山で目覚めた朝。なんとか、6時20分にはホテルから走り出すことができた。これ以上遅くなると、気温が上がってしまう。岡山駅前から後楽園を目指す。後楽園、岡山城、旭川沿いは、これまでも何度か走ったことがある。岡山城を通り抜けて、京橋というところまで来たところで18分。そこから反転して戻ってきたが、復路では陽射しが出てきて、気温上昇中が体感できるほど。走った後は、驚くほどの汗が滴り落ちる。夏の走りを実感する瞬間である。復帰2日目。無理はしないが、着実に走ることも心がける。今月は、これでやっと45キロである。

 岡山駅から姫路駅へ。姫路信用金庫主催の「奥様カレッジ」での講演。受付、前座もこなそうと思うので、姫路城内での昼食も、ものすごいスピードで終わらせた。お迎えいただいた、姫信コンサルティングの由田雄吉郎社長には、「いらち」と言われてしまった。

 岡山は暑かった。姫路はもっと暑かった。大阪は、さらに暑かった。日本列島、猛暑の到来である。


2008.7.21(月)

 祝日であるが、朝早い新幹線で新倉敷まで。岡山県浅口市寄島へ。当地の福嶋リハビリテーション学院5周年記念、介護老人保健施設いるかの家リハビリテーションセンター開設10周年記念の講演を頼まれていた。学院の福嶋裕美子学院長は亡くなった山本和儀さんの「弟子」で、その縁で今回のことを頼まれていた。

 ご主人の福嶋啓祐さんは、寄島で17代続く医院の理事長。地域にこだわり、地域に根ざした医療、福祉を実現しようという熱血漢である。講演が終わってから、各施設を見せてもらった。設備の整ったリハビリテーション学院であるが、地の利がよくないために、岡山市や倉敷市の同種の学校ができたこともあり、学生が思うように集まらない。理学療法士、作業療法士は、これからますます大事な役割を果たすべき存在である。せっかくの素晴らしい設備が生かされないのは、もったいないの一語。


2008.7.20(日)

 2週間前の日曜日、宮崎市で大淀川沿いを走って以来のランニングである。2週間のブランクで、筋肉も弱っているだろうし、スタミナも落ちているはず。スローペースでいつものコースを走り出したつもりだったが、最初の1キロは、いつもより少し速いぐらいのペース。しばらくのブランクの後の走りではよくあること。ペース自体を身体が忘れているということなのだろう。曇っていて、気温も高くないのだが、再開直後に無理は禁物。2キロで反転、4キロ走にとどめた。

 午後から、ヘアケアで横浜そごうへ。横浜駅が異常な人出である。今晩、花火大会があるせいだろう。浴衣姿もちらほら。それにしても、こんな早い時間から始動して、夕暮れまでどうするつもりなのだろう。

  銀座の沖縄タイムス東京支社で取材対応、その後、丸ビル7階ホールでの「『きずな+』〜上海に瞳をこらして〜」の上映会へ。スペシャルオリンピックス創立40周年記念の催しである。2005年に、スペシャルオリンピックス冬季世界大会・長野で、ドキュメンタリー映画「Believe」の撮影スタッフとして誕生した、SO日本のアスリート9人からなるビリーブ・クルーが、今度は、上海での「2007年SO夏季世界大会」の撮影に挑んでできた映画である。映画には、SOの応援歌「きずな」を歌っている松浦亜弥さんが、撮影の苦労話をクルーから聞き出す役として登場している。上海での記者会見の模様が映画に出てくるが、ビリーブクルーのメンバーが、がちがちに緊張しながら、ジャッキー・チェンやチャン・ツィイーに質問している様子がほほえましい。松浦亜弥さんもそうだが、こういった世界の大スターがスペシャルオリンピックスに関わってくれていることの意義は、とても大きい。


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