2009.1.23(金)
昨夜の就寝は遅かった。目覚ましの音で3:41に起床。金曜日は、3:45に設定した腕時計のアラームのか細い音で起きるのだが、今日は、別な目覚まし時計が思ったより早めに鳴ってしまった。外は雨。かなり大粒の降りである。たまには、お湿りが必要。どうせ、走れない日なのだし。
TBSテレビ「朝ズバ」出演。ソニー14年ぶりに2600億円の赤字とか、日銀の経済成長見通し、0.6%からマイナス2%へ下方修正、カルロス・ゴーン社長など、ルノーの幹部の賞与返上とか、景気の悪い話題が多い。政治の話題も、オバマ新大統領は、昨日で一応出尽くしたようで、「消費税引き上げ準備、2011年まで」という「玉虫色」の決着という日本の政治の話題がメインであった。朝青龍12連勝は、一応、明るい話題として出されたのだろう。ゲストの杉山さんは、「優勝は、絶対、白鵬」と断言していた。それに、石川遼選手のマスターズ特別推薦というのは、とても明るい話題であった。
ソニーの大幅赤字の記者発表のあった翌日だから、株式は相当下がるだろうと予想がついたが、そのとおり。7745円まで下がった。反転の材料も、あまりない。これからの日本経済、しばらくは低迷状態を覚悟しなければならないと、改めて思う。
大阪市中央区の企業人権推進協議会で講演。障害福祉の話を中心にした人権について。わかりやすく、興味を引き付けつつ話すことは、こういった話題では、ことのほかむずかしい。
2009.1.21(水)
短い距離をゆっくり走ろうというつもりで走り出した6:45ごろ。体調もいいので、10キロ走ってしまった。最後の1キロは、キロ5分半ぐらい。
走り始める前、ベッドの中で、オバマ米国新大統領の就任式のテレビ中継を見ていた。200万人の人たちが、ワシントンのあの狭い地区に集まった。1981年、レーガン大統領の就任式では、私もあの群集の中にいたが、数の上でも、熱狂ぶりでも、今回の就任式には遠く及ばない。あの場にいた人だけでなく、テレビの前にいる人も含めて、歴史的瞬間を共有しているという意識に包まれる。オバマ大統領の就任演説は、これまでの彼の演説に比べれば、意外と、冷静で穏やかなものであった。YES,WE CANとか WE
ARE ONEといったフレーズも使われていない。話しぶりも熱狂的ではない。しかし、深く、静かに、聴いているものの心に広がっていくような演説であった。
さあ、これからが大変。「異常な期待」に応えられない時に、America国民が、世界が、どれだけ寛容に待つことができるか。できない理由を理解することができるか。私の関心は、そちらのほうに向かってしまう。
銚子商工会議所の新春講演会へ。青年部の人たちが中心になって、企画・運営していた。市立病院の閉鎖など、市民生活の大変さの中で、なんとか元気を取り戻そうという人たちがいる。CHANGEが必要なのは、アメリカだけではない。
2009.1.20(火)
今朝も、横浜で10キロ走。なんだか身体が重い。実際に体重が増えているのと、筋力が落ちているから、そう感じるのだろう。重い身体を落ちた筋力で運んでいるというイメージ。それもあって、ペースを、いつもよりぐっと落として走った。曇り空だったので、ほとんど期待していなかったのだが、いつもの地点から、富士山の姿がうっすらと見えた。今日の走りでも、足はまったく痛みなし。
慶応大学SFCで、秋学期の最後の授業。「地方自治論」は、試験を実施した。80分でかなりの量を書かなければならない。時間制限を考えれば、難問であろう。「持ち込み可」としているが、持ち込んだ資料を読んでいるようでは、書くほうがおろそかになって、時間が足らなくなる。「頭も、手も、腱鞘炎です」というのが、前学期の「政策協働論」の試験が終わった後の、学生の感想だったが、今回も同様だろう。後は、この採点で、私の頭が腱鞘炎になる。
二つの研究会も、今日が最終授業。学生の発表。一人、7分しか持ち時間がない中で、結構、まとまった発表をする学生の姿を見て、少しばかりの驚きとともに、頼もしく感じた。
2009.1.19(月)
岡山市の全日空ホテルで目覚めた朝。このところ2日間の走りで、左足側上部の筋肉の痛みがまったく出ない状態なので、今朝も、時間的余裕がある中で、まとまった距離を走れる条件が整っている。岡山駅を西口から東口に抜けて、桃太郎大通りから県庁どおりへ。県庁を過ぎたところが相生橋で、そこを渡らずに旭川を上流に向けて進路を取る。1キロぐらい行ったところで、河川敷は走れなくなる。自動車も通る狭い道路を走ることになるのは、あまり楽しくない。
30分地点で反転。昨夜岡山に入ったのに、この地で次期衆議院議員選挙目指してがんばっている、厚生省の先輩である熊代昭彦さんに声を掛けていなかったことが気になってきた。私は、熊代後援会の会長である。走り終えて、ホテルに戻ったら、すぐに電話しようと考えていたところに、マイクでの演説の声が、かすかに遠くから聞こえてきた。ひょっとして、熊代さんの声かもしれないと思い、声の元をたどっていった。旭川にかかる新京橋の上らしい。熊代さんでない人の演説だったら、何事もなかったように戻ってこようと思って近づいていったら、なんと、熊代昭彦さん本人だった。
岡山駅方面目指して、新京橋を渡ってくる車の列に向かって、たった一人で演説をしている。後ろから、トントンと肩を叩いた。熊代さんは、私を支援者の一人と思ったのか、「ありがとうございます」というようなことを言うので、「浅野史郎です」と名乗ったら、一拍おいて、「オーッ」と驚いた様子。こちらはジョギングスタイルで目深に帽子をかぶっているので、無理もない。二人並んで、走り去る車を相手にしばらくマイクを握って、演説した。こういう偶然もある。自分で言うのもなんだが、これは春から縁起のいい幸運ではないだろうか。
岡山プラザホテルで、岡山東、岡山西の法人会合同での新春講演。受付、前座、講演、お見送りと、いつものワンセットをこなして、帰途に着いた。
2009.1.18(日)
昨日は、左足の違和感なしに4キロ走れた。今朝も、おそるおそるの挑戦続き。キロ6分半のペースで、6キロ。まったく異常なし。こうやって走れることのありがたさを実感しながら、ゆっくりペースで走った。
岐阜県北方町の町制施行120周年式典での記念講演。新幹線の新富士駅からの富士山は、厚い雲の上に頂上付近だけ、姿を現していた。これはこれで素敵なものである。これで、6日間連続で富士山を見ている。
北方町での講演は、町民の方々と一体となったような雰囲気で、話している身としても、とても楽しいものだった。室戸英夫町長さん、井野勝已議長さんなどとの交流会も和やかで、楽しかった。面積が5平方キロ、人口1万8千人。岐阜市と隣接しながら、合併せずに行く道を選択した北方町。町制施行130周年記念の機会にも、お招きいただけるだろうか。
朝青龍が8連勝で勝ち越し。前にも書いたが、麻生首相も自分の身と重ね合わせて、喜んでいるのではないだろうか。
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