2009.1.31(土)
千歳空港から羽田までの便は8:30発で、早い時間に札幌のホテル発となる。札幌駅の早朝は、さすがに寒い。羽田への便には、中国からのお客様が多い。中国語が、あちこちから聞こえてくる。
真冬の札幌行きなので、天候による飛行機の延着などを心配していたが、問題は飛行機ではなく、上野からの列車だった。常磐線の土浦駅からかすみがうら市での講演に出向く日程だった。上野駅に着いたら、「強風の影響で、常磐線は運休か大幅遅れ」ということで、乗車予定の特急は運行のめど立たず。なんとか、普通列車に乗り込んで、土浦駅までたどり着いた。講演会場に着いたのは、出番の10分前。着いてすぐ、前座をやるのが、私のしぶといところ。人権にからんで、障害福祉を語るというものなので、得意の分野でもある。聴衆の半分以上が女性という中で、なんとか90分の講演を務め上げることができた。
2009.1.30(金)
TBSテレビ「朝ズバ」出演。昨日の衆議院での代表質問の話題が中心。小沢一郎民主党代表が、代表質問に立たないのが疑問といった声が、スタジオでも多かった。解散総選挙を目の前にした、最後の通常国会であるのに、論戦が極めて低調で盛り上がりに欠ける感がある。これから、予算委員会での審議では、もっと白熱の論議が交わされることを期待したい。
午後から札幌へ。千歳空港から列車で札幌駅。駅で降り立って、町の姿を見ると、毎回のことであるが、この町に住んでいた24年前の空気が戻ってくる。変わっている部分より、変わっていないところが目に付く。整然とした街並みの、美しい都市であることに、心打たれる。例年のこの時期に比べて、かなり雪が少ない。雪靴を履いてきたら、おかしく思われるほどである。
用向きは、上田文雄札幌市長の「第5回元気セミナー」の講師を務めること。有料にもかかわらず、400人以上の人たちが札幌国際ホテル国際館に集まっていることに、驚かされる。45分ほどの短い講演というのは、あまりやったことがない。あれもこれも話そうと思って、気ばかりあせってしまう。私の後に、上田市長が話すのを聴かせてもらったが、弁護士稼業が長かっただけあって、非常にうまい。説得力がある。市長の歌の入ったCDをおみやげにいただいたが、歌を披露するだけあって、声もいい。自分の身体の「BEFORE and AFTER」をさらして、ごみの有料化導入の広告塔にならんとしているらしい。そのために、今は、デブを目指しているとのこと。ユーモアのセンスも抜群である。
2009.1.29(木)
昨日、6キロ走ったので、今日は8キロ。これで足の筋肉の状態が悪化しなければ、この調子で距離を伸ばしていく作戦。走ってみて、悪化はしないが、目覚しい改善でもない。最後の1キロは、5分05秒だった。これだけスピードを出すと、かえって、痛みがどこかに飛んでいってしまうようである。使う筋肉が、微妙に違うからだろうか。
佐賀県での裏金問題で、井本勇前知事が6億8千万円の損害賠償を請求されている事件について、地元記者からの取材を受ける。宮城県では、県警の犯罪捜査報償費についての情報開示請求事件の仙台高裁判決が出て、それについてのコメントを求める電話取材が相次いだ。一審の仙台地裁では、ほぼ全面的な開示を求める判決が出たのに、県警が控訴していた。二審では、逆転判決。仙台地裁では証人として証言した私に、感想を聞きたいということだった。県警が勝訴したように見えるが、本当のところは、事実を明らかにする機会を失ったということ。事実明らかにしたところから、組織として再出発すれば、すばらしい組織に生まれ変われるのに・・・、というコメントをしておいた。
夜は、昭和41年入学東京大学12Bのクラス会。毎年開催しているが、このところ2年欠席していた。今回は14人の出席。弁護士をしている3人以外、ほとんどが、第二、第三の職場で活躍している。体重や腹囲がどうなったとか、病気がどうとかの話題のほうが、仕事の話より先に来る。出席しているということだから当然だが、みんな元気なのがなによりである。
2009.1.28(水)
今朝は、結構寒かった。気温はともかく、吹きつける風が冷たかった。こういう時に威力を発揮するのが、ロッテのミニホカロンである。薄手の軍手をはめているが、このホカロんを握っていると、手が冷たくない。右手が温まったら、左手と交互に持ち替える。10枚で250円。「ランニング・コスト・ゼロ」と言っていたが、冬の走りでは、一回25円のランニング・コストがかかる。今朝は、左足の痛みの予感がしたので、6キロでとどめた。東京マラソンまで2ヶ月を切った。走りこみが、全然足りない。体重も高値安定である。このままでは、42キロ走はとても無理である。
夕方から浜松へ。新幹線でパソコンに集中していたが、ふと窓の外を見たのが新富士駅付近。目の前にでっかい富士山の姿。16時53分。夕方の富士山は、久しぶりである。このところ、毎日、富士山を見ていたが、いずれも、朝方で、遠くからの小さい姿だった。今日は、至近距離での夕方の雄大な富士山を見て、圧倒された。やはり、富士山はいい。素晴らしい。
浜松では、駅近くのクリエート浜松で、浜松市役所職員への研修の講演。前座を途中で抜けて、鈴木康友市長にご挨拶。前座に途中休憩が入るのは、初めての経験。300人の職員は、とても熱心な聴衆で、話していても気分が乗ってよかった。帰りの新幹線は、各駅停車のこだま。車内が空いているのがいい。
国会では、麻生首相の施政方針演説。これが、いかにも役人が作ったような迫力のない代物。麻生さんは、独自の麻生節を期待されて首相になったのではなかったか。奇跡の復活劇の朝青龍が、突如、モンゴルに帰国して、横綱審議会委員の激怒を買った。引退勧告が出るような事態である。麻生首相が朝青龍復活劇にいったん感激したのだが、急転直下、引退勧告ということになれば、自分の身にまた引き比べて見て、またまた、がっくり来るのではないだろうか。
2009.1.27(火)
目覚めが悪かった。遅かった。走るタイミングを逃してしまったので、今日は休養日とした。筋肉も、ここで休めたほうがいいというのは、自分への言い訳的な後知恵。
福島市で地方自治について、講演。地元の東邦銀行の主催であるが、聴衆は、自治体関係の人。だから、ほとんど真っ黒け。つまり、背広にネクタイの男性陣が相手である。ふつうなら話しにくいのだが、前座の段階から、なじんでもらっていたので、すんなり溶け込めた。昼食は、旧知の瀬谷会長、そして佐藤雄平福島県知事とご一緒。
2009.1.26(月)
前日、20キロ走。こういう日の翌日は、少しでも走っておくのがいい。ということで、4キロのみ走った。前日の疲れは感じないが、筋肉の張りは残っている。例の左足の脇上部の筋肉。休んで治すか、鍛えて治すか。今回は、鍛えて治すことにした。2週間前から、腹筋運動を始めた。最初の3日間は、腹筋が痛くて、まっすぐの姿勢が取りにくいほど。そこを我慢して、さらに3日続けたら、痛みはまったく雲散した。これが、「鍛えて治す」ということ。休んだら、痛みはなくなるが、腹筋運動を再開したら、また痛みが始まっただろう。初期の痛みを我慢して、鍛えて、一段とたくましくなった筋肉が残る。今回の左足の筋肉が、そのような転帰をたどるかどうか。
川崎市の障害者関係の講演。夕方からは、「厚生労働行政の在り方懇談会」に出席。2月は、委員の日程調整がつかず、開催なしの予定。その次の会は、私の日程が都合つかない。となると、私が出席できるのは、今回が最後に近い。いろいろ発言したが、どれだけ取り上げられるか。
2009.1.25(日)
朝、起きるタイミングを失してしまい、朝飯前の走りはパス。その代わり、とても珍しいことではあるが、朝飯後、10時過ぎから走り始めた。
最低気温は低かったが、外は雲ひとつない晴天で、日差しが暖かそうである。そんな中で、いつものコースを走り始めるが、日曜日の昼ということで、景色が違う。人が多い。鶴見川の川沿いでは、少年野球チームの試合があり、応援の人たちも集まっている。ジョガーの姿も、いつもの朝の何倍もいる。
時間的に余裕があることもあり、昨年の11月2日以来の20キロ走を敢行。往路はキロ6分以内の少し速いペースだったこともあったのだろう。15キロ過ぎからは、ペースががくんと落ちて、7分を超えるほど。最後の2,3キロは、膝と筋肉に痛みの兆候。なんとか20キロを走り終えたが、まだまだ鍛え方が足りないことを実感した。これでは、3月の東京マラソンは、完走も危うい。怪我に気をつけつつも、もう少し鍛錬を積まなければならない。
昼過ぎからは、私とは全然レベルの違う、大阪女子マラソンのテレビ中継を見ていた。渋井陽子選手が、復活の優勝。ゴールして、とても喜んでいる様子を見て、涙を誘われる。勝てない時期はつらかったのだろう。それと同じ復活劇が、夕方の大相撲。これも、リアルタイムで見ていた。本割であっけなく負けた朝青龍が、決定戦では執念で白鵬を破って優勝。憎らしいとは思いつつも、率直に、朝青龍の意地を称えたい。内閣総理大臣杯の授与は、麻生太郎首相による。何度も書いたが、周囲の「ダメだ」の見方を覆しての復活優勝を、自分の身に引き寄せて、誰よりも喜んでいるのは、麻生首相だろう。
以前のジョギング日記はこちらから
|