浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 3月第4&5週分          

2009.3.31(火)

 今日で3月が終わる。会計年度の最終日であり、いろいろな組織で、今日を限りに退職という人も多い。大晦日以上に、区切りになる日である。今朝、6キロ走ったのを入れて、3月の月間走行距離は156キロ、18日。22日に東京マラソンで42キロ走ったのを入れてこの数字だから、あまり走っていない月であった。こんなもんで、よくもフルマラソンを走ったものである。

 ラジオのニュースコメントでは、千葉県知事選挙について語った。森田健作さんが当選したが、当選後の彼のスピーチに力が入り過ぎで、興奮状態だったことと、支援者が胴上げをしたのは、いかがなものかと指摘した。選挙での当選は、高校野球の優勝とは違って、ゴールではなく、県政を担っていく出発点である。責任の重さに、身も心も引き締まる瞬間ではないかなとの思いがある。小沢一郎民主党代表の「辞任せず」が、選挙結果に影響を及ぼしたかについては、勝敗には影響なくとも、票差には影響があったと思う。小沢代表のことがなければ、民主党の推薦を受けた候補の、あれほどの大差の負けはなかっただろう。

 夜は、都内で、細川佳代子さんの出版記念会があった。私も発起人に名を連ねている。こじんまりした会ではあったが、それだけに心がこもっている。スペシャルオリンピックスの関係の方など、旧知の方もいらした。慶応大学SFCでの「福祉ゼミ」にゲスト出演していただいた方も、細川さんを含めて4人も。出版されたのは、障害者問題を、とてもわかりやすく、とっつきやすく書いた本である。多くの方に読んでいただくように、私も努めるつもり。


2009.3.30(月)

 京都グランヴィアホテルで目覚めた朝。寒い朝である。ホテルから鴨川目指して走る。地下鉄七条駅のところから川辺に降りて、水に近いのが特徴のこの川沿いに走り出す。川面には、さぎ、鴨など。朝早くから釣り糸を垂れている人も何人か。自転車が頻繁に通るのと、橋の下にホームレスの家(というのも、論理矛盾の表現だが)があるのが欠点のコースだが、それ以外は素晴らしい。特に、この季節、枝垂桜が咲きそろっている脇を走るのは、とても気分がいい。寒いこともあり、3キロで反転して戻ってきた。

 朝食後、平野神社へ。ここには、10種類の桜が揃っている。今咲いているのは、その名も「魁」という枝垂桜だけ。それでも、かなりの数の人たちが足を運んでいた。その後、金閣寺に回り、昼食の某所へ。「某所」と実名をここに書かないのは、みんなが殺到して、満員になってしまうのが、心配だから。おそばの店なのだが、昼食は多彩で豪華。そばづくし。立地がいい。お店に入っていくところの道に咲く枝垂桜が、丁度満開。ご主人が、「3日前に満開で、いらっしゃるまでに散ってしまわないか、心配していました」と言うが、このところの寒さで、花が持った。


2009.3.29(日)

 大阪リーガロイヤルホテルで目覚めた朝。昨日遅かったので、少し遅めに起きて、7時過ぎから走り出した。どうも、ホテルの位置を取り違えて、右と左、逆に走り出したために、桜宮橋の下から大川沿いを走るコースまでたどり着けなかった。何事も、走り出しのところで過ちを犯さないこと。ここで間違えると、取り返しがつかない。そんなことを考えながら、5キロでやめにした。

 クレオ大阪北のホールで、「オハイエ!」の上映会。午前、午後の2回上映で、上映前に30分のミニ講演をするのが私の役割。残念ながら、午前90人、午後50人と聴衆が少なかった。


2009.3.28(土)

 福岡県柳川市の御花の松濤館で目覚めた朝。国の指定名勝になっている松濤園が素晴らしい。松島を模した池があり、情緒がある。丁度満開の桜の木が緑の中に映える。ここを出て、有明海を目指したのだが、どこかで道を間違えてしまった。御花の近くの水郷のあたりをぐるぐる回っているうちに30分以上経った。雛祭のお雛様と下げ物という飾りが、各所に点在していて、なかなかのものである。東京マラソン後、初めての本格的走りであったが、まったく支障なし。疲れは完全に取れた。

 新幹線で博多駅から新大阪駅に移動。枚方青年会議所主催の「地域分権フォーラムinひらかた」で基調講演と、パネルディスカッションの司会。パネラーは、猪瀬直樹東京都副知事と地元枚方市の竹内脩市長。住民の意識を変えて、地方自治に関心を持ってもらい、行動に誘うというのが趣旨なのだが、なにしろ、時間的な制限もあり、むずかしい。トピック自体がむずかしいのだから、ある程度、仕方がないことかもしれない。9時過ぎからの懇親会だったので、今日の活動終了時間は、結構遅かった。


2009.3.27(金)

 TBSテレビ「朝ズバ」出演。北朝鮮の「衛星」打ち上げへの日本側の対応、小沢一郎民主党代表の「辞任せず」以後の民主党内の反応、農水省の組合ヤミ専従に関する秘書課長の文書書き換えなど。昨日辞任した平田財務副大臣が生出演。せっかく出ていただいたのに、時間の制限もあって、議論がかみ合わないままだったのが残念。年度末であるので、番組の改編、スタッフの人事異動などがあり、番組が5年目に突入、視聴率11.2%超えのお祝いなど、番組終了後、簡単な会があった。こういうのが、テレビ局のいいところだろう。来年度から、5時15分からの「早ズバ」が少し様変わりをする。期待したい。

 福岡県柳川市で講演。この地は、初めてである。会場は、宿泊地と同じ、御花というホテル。庭が素晴らしい。明治期の建物が残っている。北原白秋の生地であり、水の都であるこの町のことは、全然わからない。明日、なんとか、走ることが出来れば、この足とこの目で確かめられる。


2009.3.26(木)

 今日あたりは、少し長い距離を走ってみようと外に出たら、なんと、雪が舞っている。走るのに支障があるほどではないが、無理せず、今日は休むことにした。

 小沢一郎民主党代表の「辞任せず」の波紋が、民主党内で広がっている。「辞任せず」会見の際に、小沢代表から「世論の動向を見て」といった発言があった。この発言が、メッセージとして伝わっている。世論の動向ということなら、「小沢代表辞任すべし」が多いのは、まちがいない。これでは選挙は戦えないと、民主党議員が不安になるのも、当然である。「小沢は選挙の神様」といった、「小沢神話」は、文字通りの神話であって、実話ではない。こういう状況の中で、代表を辞めずにいることだけ見ても、「選挙に強い」とは言えないだろう。そもそも、与党が「小沢辞任せず」に喜んでいる状況を見れば、何をかいわんやである。

 WBCでの日本二連覇の余韻さめやらず。優勝の瞬間には、日本国中がひとつになった。与党も野党もない、大連立である。読売テレビ「ミヤネ屋」では、コメンテーターの春川さんが、息子さんを連れてWBCを観戦してきた報告があった。あんな素晴らしい試合を直接見てくるなんて、うらやましい限りである。10人以上の日本の選手のサインをもらったボールを持ってきたが、これは、息子さんの一生の宝になるはず。その息子さんは、WBC出場の野球選手を目指しているそうだから、頼もしい。「ミヤネ屋」では、その他、離婚した藤原紀香さんの帰国、大相撲八百長報道の「週刊現代」が敗訴して損害賠償を命じられたニュースなど。宮根誠司さんが、東京マラソンで4時間半切りの公約を果たせなかったために、頭を丸坊主にしたが、その姿に初めて接した。番組冒頭で、「浅野さんは、4時間17分で良かったですね」と紹介してくれた。


2009.3.25(水)

 今朝も、昨日同様に、2キロだけ走った。ペースは、キロ6分のふつうの走り。疲れはまだ残っているのだろう。これ以上走る気が起きなかった。

 所沢市社会福祉協議会で講演。「ふくしのまちづくりを市民の力で」というタイトルがいい。地域福祉をどう進めるか、地元の実践者と一緒に考える場面もあった。

 小沢一郎民主党代表の代表留任に、民主党内からも異議が出始めたようである。検察の不手際の声もあるが、それはそれ。責任問題とは別に、小沢代表が身を引いたほうが、あとあと、民主党にとってはいい展開になると思うのは、岡目八目なのだろうか。


2009.3.24(火)

 膝の痛みもなくなったので、2キロだけ走ってみる。行きは、7分、帰りは6分10秒ほど。疲れは少し残っているものの、ちゃんと走れる。年をとると、筋肉痛などは日が経ってから現れると言われているが、そういう兆候もないようだ。

 今日はなんと言っても、WBCの決勝戦。たまたま、8回の裏からテレビ中継を見られる状況にあった。久しぶりに、手に汗を握る試合だった。9回裏に、ダルビッシュで同点にされる。負けたと思ったが、1点で踏ん張る。そして、10回表には、イチローの劇的な2点タイムリー。そして、その裏は、ダルビッシュが締めて勝利。なんと、なんと劇的な試合だったのだろう。

 韓国の強さも印象に残る。いろいろあったが、原監督は男を上げた。イチロー然り。これから日本でのペナントレースが始まるが、全日本のチームメートとして一緒に戦った仲間が、今度は敵味方になる。岩隈が川崎相手にどういった気持ちでボールを投げるのだろう。敵対心は湧いてくるものだろうか。そんな新しい興味を覚える。それにしても、よかった。よくやった。

 夜には、小沢一郎民主党代表が、「私は代表を辞めません」という記者会見。どうも、すっきりしない感が残る。これは、後を引くだろう。明日以降の展開が気に掛かる。WBCでの日本の優勝で浮かれている場合ではない。


2009.3.23(月)

 東京マラソンから一夜明けた。軽く走ろうと家を出たが、右ひざに痛みあり。ここで軽く走っておくと、後が楽と思ったが、ダメだった。

 一夜明けて、改めて振り返ってみる。宮城県知事時代に秘書だった山内さんも完走し、メールで感想を送ってきた。3時間37分。去年は、生爪をはがしたりで散々で、4時間ちょいかかったのだから、リベンジにはなったようである。ただ、30キロ以降、5回も立ち止まって、「フルマラソンは楽しくない」と感じたらしい。それでも、「来年もエントリーしたい」と言う。走らない人には、こんな心理はわからないだろう。私の場合は、今回に限っては、不思議なほどにつらさがなかった。もちろん、走っている最中は、結構きついのだが、どうしようもないほどではないし、歩こうという状態には一度もならなかった。リズムに乗ること、結果的にイーブンペース維持、スタミナ温存対策、こういったことが成功の原因だろう。「4時間を切ってやろう」といった分不相応な目標を立てなかったこともよかった。

 東京の街を、3万人の仲間と一緒に駆け抜けるということだけでも、興奮することである。銀座、浅草の車道を堂々と走ることも魅力なのだが、私に関しては、景色を見ることをあえて回避して、アスファルトの路面だけ見ていた。それでも、沿道の応援のすごさに、感激してしまう。

  30キロ過ぎてからは、1キロごとにゴールが近くなるのを意識して、元気が出た。正確でわかりやすい1キロごとの表示があることも、ランナーにとっては、大きな助けになる。今回は、10キロから、5キロごとに大会スポンサーであるBCAAを摂取した。筋肉のベストコンディション維持に重要な物質ということを知っていたので、暗示にかけられた部分もあったかもしれない。15キロ以降、3回、ゼリー状の栄養補給をした。初めてだったが、摂取しやすく、走りながらできた。これも、ガス欠にならない要因だったのだろう。

  あんなに心配していた佃大橋の上りが、あっけなくクリアできたのも、不思議であった。前の女性ランナーの足元を見て、ゆっくりめに上っていったのがよかったのだろう。そもそも、これが佃大橋という意識すらなかったのだから、身体がヘロヘロ状態になかったということの証しでもある。

  今回快調に走れたので、だんだん欲が出てきている。来年も出たいな、その際には、4時間を切りたいなといった欲である。今回より、1キロあたり20秒以上縮めなければならない。ちょっときついかな。そういったことを考えるだけでも、楽しいものである。

  WBCの対アメリカ戦で、全日本が9対4で快勝。アメリカは、どれぐらい悔しがっているのだろう。それが知りたい。次は韓国と5回目の対戦だって。ウソでしょう。なんというルールなのかというほうが、気になってしまう。


2009.3.22(日)

 東京マラソン。朝4時起床、5時15分朝食。6時自宅発で西新宿の待ち合わせ場所のファミリーレストランへ。「チームすまいる」という枠で、秋野暢子さんのご配慮で参加させてもらっている。その仲間が、いったん、ここに集合してから、スタート地点へと移動。これが初マラソンという人もいる。サブスリー一歩手前の人もいる。

 都庁前のスタート地点で1時間以上待つ。トイレは済ましていたのだが、1時間待っている間に、また行きたくなるが、我慢。開会式での石原都知事の短い挨拶があり、9時10分スタート。私はCというブロックにいて、2分ぐらいでスタートラインに到達できた。Kブロックに並んだ人は、20分ぐらいかかったのではないか。

 人ごみで思うように走れないが、最初は抑えて入ろうと思っていたので、このぐらいのペースでいい。3キロぐらいから少し、空いてきた。それでもものすごい人並み。上り坂、下り坂のところでは、先行する集団が見えるが、道路を埋め尽くす人の姿に圧倒される。飯田橋あたりの看板「気をつけよう、飛ばしすぎは事故のもと」を見て、改めてペースを抑える。

 抑えたつもりでも、キロ6分より少し速いペース。そのペースで日比谷、皇居、西新橋、増上寺、田町、高輪、品川と、淡々と走る。品川駅で折り返してすぐに、「シローさん、がんばって」の声に沿道に目をやると、なんと、仙台から鳥よしの親方たちが応援に来ていた。3万分の一の偶然みたいなもの、奇跡に近い。道路の中央寄りを、帽子を目深にかぶって、下向き加減で走っている目立たないランナーを群集からどうやってみつけたのだろう。

 中間点、21キロあたりで、左ひざに痛みがきた。まだ半分ある。こんなところで痛みが始まったのでは、最後まで持たないのではないか。ここから、一切顔を上げずに、前の人の足元だけ見て、自分のリズムで走るように意識集中して2,3キロ走っているうちに 痛みが消えた。そのままのリズムで、ずっと走ったので、銀座から浅草まで、ほとんど景色を見ていない。結果的には、これが功を奏したような気がする。

 いつも壁になる30キロ地点。身体に異常はない。疲れをさほど感じない。このままいけそうな気がしてきた。35キロ地点でも同じ。恐怖の佃大橋も、いつ越えたのかわからないぐらい、比較的スイスイと上ってしまった。相変わらず、どこも痛くない。あとで公式ラップタイムを見たら、なんと、35−40Kmのラップが30:55で、その前の5キロのペースより速い。残り2キロになったら、もう大丈夫という気になった。特別飛ばすわけではないが、周りでは歩いているランナーも増えている中で、淡々と同じペースで走ってゴール。あえて言えば、「余力を残して」である。これまで4回のフルマラソンでは経験しなかったことである。スタミナの温存に、事前から相当気を遣った成果だろうと思っている。

 公式記録では、4:17:11.ネットでは、4時間15分台だろう。7年前、54歳で走った河口湖マラソンよりも、1分速いというのは、うれしいことである。全員完走の「チームすまいる」の面々と、楽しい懇親会・反省会を終えて、元気に帰宅した。


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