2010.7.3(土)
朝の散歩は、3分間歩いたところで、ポツポツ雨が落ちてきたので、そこから戻った。散歩で風邪を引くようなことがあっては詰まらない。梅雨時だから、雨はつきものである。
私の知事時代には地方分権と称していたが、今は、地域主権という名前で論じられている。民主党は、地域主権こそ改革の一丁目一番地と主張していた。民主党政権になって、地域主権が大いに進展するかと期待して見ていたのだが、基本原則が次々と骨抜きにされているようで、心配している。
霞ヶ関官僚側からの反撃によって骨抜きが図られているという見方があるが、そんなことははじめから分かっていることである。その動きを政治が抑えていくのが、政治主導ということではなかったのか。地域主権を進める民主党議員の間でも、地域主権の意義と重要さが、きちんと理解されていないのではないか。問題提起がきっちりとできていないのだから、目下の参議院議員選挙の争点になどなるはずもない。こんなことでいいのだろうか。
権限と財源をめぐっての国と地方の綱引きではない。霞ヶ関対自治体首長という図式でもない。地方のことは地方で決める原則を徹底することによって、地方議会に代表される住民が財源の使い方などについて、しっかりとした役割を果たせるようになる。そのことこそが民主主義であり、「地方自治は民主主義の学校」というゆえんでもある。
この目的からどんどん離れていくような動きが気になって仕方がない。確かに、一朝一夕では解決できない問題だとは思うが、方向性をまちがえては、いくら時間をかけてもどうにもならない。
2010.7.2(金)
参議院議員選挙まで、あと10日を切ったが、盛り上がりはいまひとつである。期日前投票が前回選挙より増えているということなので、最終的な投票率がそれほど落ちることはないとは思うが、有権者の間のとまどいのような雰囲気が気になる。とまどいを感じているのは、私だけかもしれないが。
とまどいのひとつが、消費税論議である。消費税の引き上げは、いずれは避けられないものであることは私だけでなく、多くの国民が感じていることではある。ただ、菅首相の問題提起のタイミングとやり方が気にかかる。民主党内での詰めた議論はなされていない。現に、小沢一郎前幹事長は、公然と消費税引き上げの動きを批判している。「静かにしていて欲しい」とはいっても、小沢氏が民主党の重要なメンバーであることには変わりない。菅首相は、事前に小沢さんと、このことについて話し合いをした形跡がない。敬して遠ざけるということでは済まない。
選挙戦の中で、消費税引き上げに関わる内容的なことにまで、菅首相が言及していることも踏み込み過ぎではないのか。低所得者には還付する、その場合の収入基準は250万円だったり400万円だったり。しゃべり過ぎて墓穴を掘った鳩山前首相の例を踏まなければいいのだがと心配してしまう。
内容としては、消費税は社会保障にあてるというようなことを言っている。であるとすれば、社会保障の毎年の伸びに合わせて消費税率を毎年引き上げていかなければ論理的整合性がなくなる。そんなことが可能なのか、適当なのか。
どうも、消費税引き上げに伴う反対を意識するあまり、いろいろと耳に快い「論理」を持ってきて、その反対を和らげようという意図があるのではないかと思ってしまう。もっと、正面から正論を唱えるほうが、後々のことを考慮しても適切な道と思う。まあ。政治とはそういうものであり、ましてや選挙を前にしての状況では、仕方がないものかもしれないが。
夕方から、フジテレビのスタッフが取材にやってきた。私の「闘病生活」について、フジテレビ夕方の「スパーニュース」で取り上げたいということだった。私が闘病中のATLという病気は、あまりにも知られていない。ウイルスが介在する血液のがんであり、母乳による母子感染が主たる感染ルートであるということから、妊婦検診で母体のHTLV-1ウイルス感染を調べることによって、母子感染を防ぐことができる。にもかかわらず、検診が進んでいない。このことだけでも、ATLについて知ってもらうことには意義がある。そんなことも思って、この種の取材には、できるだけ応じるようにしている。
インタビューは妻にもあった。散歩の様子も撮られた。私の状況を心配している人たちが見てくだされば、元気に生活していることがわかってもらえるだろうと期待するところもある。
2010.7.1(木)
月が移って7月になってしまった。梅雨のさなかで雨が多い。気温も高い。そういえば、去年の今頃は、東京大学医科学研究所附属病院に入院していて、温度、湿度が一定に保たれた病棟から一歩も出ない生活をしていた。暑い、寒いも、晴れだ、雨だも、まったく感じることがなく、季節の移り変わりも、日の長さが変わることで、わずかに感じるぐらいであった。今は、朝夕に散歩をしているが、季節の動きを五感で感じることができる。それだけでも、自宅にいることの幸せを実感する日々である。今日も、朝、夕ともに15分の散歩であった。散歩の時間を伸ばすのも、あせらず、じっくり、着実に。
厚生労働省の村木厚子局長が、郵便割引制度を悪用した偽の証明書発行事件で虚偽公文書作成・同行使罪に問われた裁判が結審した。昨年、丁度私が入院した時期ごろに、村木さんが逮捕されたニュースに接した。村木さんとは、障害者問題という共通のライフワークを持つこともあり、いろいろな場でご一緒する機会があった。共通の友人も多い。その人柄、仕事に取り組む姿勢に感銘を受けていた。だから、村木さんに限って、こんな事件に関わっているはずがないと強く感じたのを思い出す。
その後、事件の内容がわかってくるにしたがって、検察が描くストーリーの荒唐無稽さに、驚き、あきれた。これは、検察によるとんでもないでっち上げであると確信するに至った。
逃亡のおそれや証拠隠滅などのおそれはまったくないのにもかかわらず、村木さんは5ヶ月以上も拘置された。なんと理不尽なことだろう。身体が震えるほどの怒りを覚えた。私も同じ時期に、ATL発症という、死ぬか生きるかの困難に見舞われた。「何も悪いことしていないのに」見舞われた不幸という意味では、私と村木さんの運命は共通するところがあり、村木さんには同情以上の想いを抱いたものである。しかし、彼女の場合は、検察という「加害者」が存在していることが、私の病気の場合とは違う。だから、なおのこと理不尽という思いが募る。
この裁判において、裁判官は元部下の供述調書の大半について、証拠採用しないことを決定した。このことを見れば、9月10日の判決で、村木さんに無罪が言い渡されることは確実である。それにしても、厚生労働省の幹部として油の乗り切った時期の村木さんを1年半も仕事から引き離すという、取り返しのつかないことをしてしまった検察の責任は極めて大きい。
私も病気を克服するから、村木さんもこの事件を乗り越えて欲しいと、心から願っている。村木さんのがんばりようと、周りの人たちの応援の様子に、私も大いに勇気づけられている。今度のことを、村木さんとゆっくり語り合える日が来ることを、心待ちにしている。
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