2010.7.10(土)
日の光がまぶしい朝の空気の中、20分の散歩。昨夜の就寝が、いつもより遅かったので、今朝の起床は7時だった。散歩をそのままサボってしまうことも考えたが、いつもより1時間遅れで決行。楽しみでの散歩というより、ノルマとしての日課という面が否定できない。完全に習慣化されるまでは、こういった「努力」も必要となる。
布川事件の再審裁判が始まった。43年前の殺人事件で桜井昌司さんと杉山卓男さんが強盗殺人罪で無期懲役が確定していた事件である。二人は、平成8年に仮釈放されていたが、再審を求めて平成17年に再審が認められ、今回の初公判となった。
この事件も、自白に頼っての起訴であり、その自白の信用性が疑われている。目撃証言にも疑問ありということで、冤罪である可能性が高い。事件から43年を経てからの再審開始ということだが、43年というのは気の遠くなるほどの時間である。平成8年に仮釈放になっているとはいえ、無期懲役の判決を受けて、二人の怒り、悔しさ、絶望感はいかばかりであったろう。
足利事件で濡れ衣を着せられた菅谷利和さんが再審裁判で無罪判決を受けたことは記憶に新しい。厚生労働省の村木厚子さんが公文書偽造で起訴された事件については、以前に書いた。いずれも、検察の恣意的な捜査によって、無実の人たちが苦しめられている事案である。
なぜ、こんなことが起こるのだろうか。検察の言い分について、結果的には認めてしまっている裁判官の責任も免れない。国家権力の発動の前に、一人の個人の立場はとても無力である。であるからこそ、司法当局には自制が求められる。村木さんの例を見ていると、ひとごとではない。明日はわが身という危機感を多くの人にも共有してもらいたい。その上で、検察の動きも市民の目できっちりと見ていくことが必要である。
2010.7.9(金)
昨日の朝とは打って変わって、今朝は、今にも雨が落ちてきそうな空である。散歩するには、こういった天気のほうがいい。暑くなくて快適である。往復20分。まだまだ筋肉の回復は不十分である。地道に続けていこう。散歩の帰り道で、ご近所の佐藤さんがご自宅の前を掃除しているのに出くわした。「いやー、元気になってよかったね」と声をかけられた。そういう佐藤さんは、先年奥様を亡くして、99歳の一人暮らしである。庭の手入れも買い物も、全部自分でなさっている。私にとっても、ひとつの理想であり、目標と言える。
菅首相の使うフレーズに、「強い財政、強い経済、強い社会保障」というのがある。この三つを同時に追い求めることは可能だということを強調したいらしい。強い財政、強い経済というのはわかるが、強い社会保障とはなんだろう。具体的な形が見えない。たぶん、手厚い保障を安定的に継続していける社会保障という意味なのだろう。このことについては、今朝の朝日新聞でプロップステーションの竹中ナミ理事長が、同じような疑問を呈していた。つまり、「強い社会保障って何?」ということ。
重度の障害者を保護を受けるだけの存在から、働いて税金を払う主体に変えるための就労援助を行っているプロップの経験を踏まえ、竹中さんは「補助金はいらない、仕事をくれ」というわかりやすい言い方で施策の方向を示している。障害者(ザ・チャレンジド)が何を求めているのかをしっかりと見定めて、適切な施策を打ち立てること、これが強い社会保障のひとつなのだろう。財源がないのはわかっている。財源がないことを、正しい施策ができない言い訳に使うのではなく、障害者が望んでいる施策を適切に選ぶことによって乗り越えていくことはできる。
2010.7.8(木)
久しぶりに青空が広がる朝。お天道様を見るのも久しぶりである。ここのところの散歩は曇り空の下だったので、暑さはあまり感じなかった。今朝は太陽の下の散歩で、暑さを感じた。本格的な夏がやってくれば、暑さはこんなもので済まないだろう。散歩もそれだけきつくなることを覚悟しなければならない。
年金型生保の二重課税問題について、先日、最高裁は年金型生保に相続税と所得税の二つを課すのは二重課税で違法であるとの判決を出した。法律を素直に解釈すれば二重課税は認められないのだが、事実上、二重課税になっていたのは国税庁の通達による。判決を受けて、野田財務大臣は、法律で定められた5年の期間を超過した事例についても所得税を還付するという措置をとること、他の金融商品でも同様な問題がないかどうか調査するという方針を発表した。
いくつかのことを考えさせられる。徴税当局の都合で、法律に反するような扱いをされることの理不尽さというのは感じるが、そのことは長い間放置されてきた。同じような例で、二重に課税された多くの人は、泣き寝入りをしていたことになる。今回の裁判は夫をなくした一人の女性が提起した。その案件が最高裁まで辿り着いて、「二重課税は違法」という確定判決を得るに至った。この女性の勇気と行動力がすごい。反面、こんな理不尽を見逃していた学者やマスコミの責任はないのだろうかとも思う。
野田財務大臣の素早い対応にも敬意を表したい。徴税当局としては、まことに不本意な判決だったろうが、その責任者たる大臣がすぐさま対応するというのは、珍しいことである。
税金を取られることは、国民と「お上」との関係を考える契機となる。国家権力による徴税であるから、国家権力とは何かということを考えることにもなる。さらには、徴税されたほうからすれば、取られた税金が国なり自治体によってどのように使われるかに関心を持たざるを得なくなる。無駄でなく、ちゃんと使われているのなら、高い税金も甘んじて払おうという気になるが、そうでなければ抵抗の声をあげたくなる。政治への関心というのは、実は、税金を取られることから始まるとも言えるのではないか。
私自身が、自営業のような仕事もするようになって、税金の高さに驚いている。驚くだけではない。こんなに取っておいて、勝手な使い方をしたら許さないぞという思いも湧いてくる。行政に対しても、お任せでは済まされないという気持ちになる。こういった気持ちの集合体が、国民の政治への参加という形になる。
消費税の問題も、こういった観点から考える面はあるだろう。所得税や住民税が非課税だったり、低額である人も、消費税は負担しなければならない。その負担を唯々諾々とやるのではなく、この税金がどう使われるのかについても鋭い関心を持つに至るはずである。政治への関心と言い換えてもいい。そのプロセスを経て、その国、その自治体の政治的レベルが上がるという結果をもたらすはずである。
2010.7.7(水)
毎週月曜日に、築地の国立がんセンターに外来診療に出かける以外は、誰にも会わず、どこへも行かない生活を続けている。そんな生活の中で、毎日、やらなければならないことがいくつかある。
一番大事なことは、薬の内服。昼飲む薬はなくなり、ほとんどが朝食後の服用である。細菌、カビ、ウイルスによる感染の予防のための薬が大半である。最近、尿酸値が上がってきたので、それに対応する薬も飲んでいる。起床してすぐに1錠だけ飲むのは、骨粗しょう症の予防の薬。これを飲んでいるのは、プレドニンというステロイド剤を服用しているからである。なんやかんやで、朝食後の薬は、12錠(奇数日は11錠)である。
プレドニンの服用は、肺のGVHD治療のために入院していた初期の頃には、点滴によっていたが、その後、内服に変わった。当初は、一日50mgだったが、今は、偶数日20mg、奇数日10mgに減った。これがゼロになれば、飲まなくていい薬が出てくるだけでなく、感染症への対応も少しゆるくなるなど、ひとつの転機になるはずである。免疫抑制剤であるプログラフの服用は、昨日からなくなったが、その次の目標はプレドニンの服用からの解放である。内服以外では、霧状のステロイドの吸入が、朝と夕にある。これは、肺に直接ステロイドを届けるものであるが、いずれ中止ということになるだろう。
水分の摂取というのも、腎臓機能の低下を防ぐために、毎日、気をつけなければならないことである。一日あたり2000ccの摂取が推奨されている。500cc入りのお茶のペットボトルを3本と、200ccの牛乳3箱でこれが達成できる。なかなかしんどい時もあり、ノルマを達成できないようなペースでいる時には、妻から「ちゃんと飲みなさい」と叱られる。そうやって叱咤する妻を、ひそかに「水飲ませおばさん」と呼んでいる。これだけ水を飲むので、小用も近い。「おっしっこマシーン」に化した如くである。
毎食前には、血糖値の測定とインシュリンの注射をしている。ステロイド剤の服用により、血糖値が高めに出てくる。一ヶ月半ほど前に開始した時に比べれば、インシュリンの量は三分の一以下になった。これもステロイドの服用が終われば、やめられるはずである。
体温、血圧、血中酸素量の測定も、朝と夕に行い、結果を記録している。いずれも、異常なし。起きてすぐに測定する体重も同様に記録している。ちなみに、今朝は53.9kg。一時期は、52キロ台だったが、最近は53キロ台で安定している。病気になる前は、63キロだったのだから、10キロも減ったことになる。
朝と夕方の散歩も日課となっている。今朝は20分間。無理のない範囲で継続することが何より大事と思っている。入院中には、やせて、ふにゃふにゃになっていたふくらはぎが、なんとか固さを取り戻し、太さも増している。こういったことを確認することは、散歩を続ける際の励みになっている。
といったように、毎日欠かせないノルマをこなしながら、一歩一歩完治のゴールを目指している。
2010.7.6(火)
昨日の夕方は雨模様のため、散歩を中止した。結局、昨日は、朝夕とも散歩なしだった。今朝は、雨が降ってきそうな空模様ではあったが、なんとか往復20分の散歩をすることができた。まだまだ足の筋肉ができあがったという感じはない。もう少し続けていけば、ジョギングできる筋力もついてくるのだろうが、それまでには2,3ヶ月かかるかもしれない。
郵便事業会社(JP日本郵便)の宅配便「ゆうパック」の遅配が問題になっている。7月1日から日本通運の「ペリカン便」を統合しての運用が始まったが、二つの違ったシステムが並存し、配達員が新しい情報端末の使い方に習熟していないのに、取り扱い個数が大幅に増加したので、適切に対処できなかったのが原因である。
日本郵便の社長は、鍋倉真一氏。私と大学時代の同級生である。その鍋倉君が記者会見で頭を下げている様子に、昔、一緒に遊びまわったのを思い出した。昔と変わらない風貌だが、今は、大変な状況であり、同情してしまう。
今回のことを、別な観点から眺めてみると、日本の宅配業がいかに優秀かということを、逆に、示しているようにも見える。業界最大手のヤマト便のサービスは徹底している。客の満足を最大限にするための企業努力を惜しまない。ついでに言えば、ヤマト福祉財団での活動などを通じて、社会貢献にも実績を挙げている。そういうライバルがあるからこそ、今回のゆうパックは批判にさらされるだけでなく、実際に、顧客が他の宅配業者に乗り換える動きも出てくる。競争にさらされていることからくる現象である。
まだまだ官業のにおいを払拭しきれていない日本郵便であるが、少なくとも、宅配分野では激烈な競争の中で、民間企業としての試練に立たされている。今回の混乱は、この試練のひとつの局面である。
同じく今日の朝日新聞の一面トップは、国交省系の建設弘済会・空港環境整備協会を3年以内に解散させる方針を固めたというニュースである。同省の最大級の天下り先であり、やっている仕事は、国の仕事の独占受注である。この図式により天下りの職員の給料を賄うだけでなく、相当額の内部留保を可能にしてきた。民間にできることは民間にというのが原則であるが、天下り先の確保のために無理やり作った団体は、この原則に横車を押す存在となる。
これと比べること自体が適当でないのかもしれないが、日本郵便は官業の独占受注という立場ではない。今回の遅配騒ぎが示しているが、激烈な競争を勝ち抜いていくだけの企業マインドが必要とされる。民営化とは、こういったことを助長することも、目的のひとつだったはずである。日本郵便は、今回のことでめげずに、もうひとつ力強い企業に脱皮することを願っている
2010.7.5(月)
がんセンターの外来に行く日。いつもより少し早めに行く必要があったので、今朝の散歩は中止した。がんセンターの入口で、先日のフジテレビクルーが待ち受けていて、私が病院内に入る場面を撮っていた。その後の田野崎医師の診察の場面も、撮影していた。放送では、一体、どういった画面になるのだろう。
今日の診察も、いい結果だけだった。肺炎はほとんど治っている。その他の数値も順調で問題なし。今日から免疫抑制剤のプログラフをやめるという方針を聞いて、思わずブラボーである。完治を目指してのレースで、ひとつのステージを越えたことを意味するからである。ステロイド剤であるプレドニンのほうは、偶数日2錠、奇数日1錠の一日10−20mgとだいぶ少なくなっているが、こちらはもう少し続ける。これがなくなれば、また新しいステージということになる。
参議院選挙だ、大相撲不祥事だ、終わったけどワールドカップだと騒ぎ立てている間にも、株安、円高の数値が並び、統計上は景気回復のように見える日本経済の先行き不安が忍び寄っている。欧州各国の財政危機の余波が日本にも及んでくるのではないかといった懸念から解放されない。結局は、中国などの新興国の経済発展に期待するしか打開策はないのかもしれない。そもそも、日本経済はどういうことを基軸に進んでいくべきかについて、方法論まで含めた戦略が持てないままに、状況に流されているというのが現状ではないか。
2010.7.4(日)
自宅に閉じこもって、どこへも出かけず、誰とも会わない生活を続けているので、ひにちの感覚、曜日の感覚が希薄になっている。今日は日曜日であるが、いつもと同じ行動パターンである。
日曜日も早起きというのは、病を得る前からの私の習慣ではあった。走るということがあったし、日曜日はいつもより長い距離を走れるので、日曜日の朝に遅くまで寝ているという選択肢はなかった。今は、「毎日が日曜日」であるから、遅くまで寝ているなら、毎日でも可能なのだが、6時過ぎには離床するという習慣は抜けていない。
今朝もいつもと同じ。起床時に服用する薬を1錠飲む。体温の検温などをして、散歩に出る。今朝は、片道9分、往復18分の歩き。妻は「無理しないで」と毎回注意するが、徐々に歩く時間を伸ばしているので、決して無理しているというほどのものではない。いずれは、長い時間の歩き、さらにはジョギングへの移行ということも視野に置いているので、「徐々に伸ばす」ということも必要なのである。歩くことによって、だんだん筋肉がついてくることも、励みになる。
日曜日なので、テレビでは党首クラスのメンバーによる討論の番組が見られる。しかし、どうも噛み合わない。それと、9人も居並ぶ討論というのも、まとまった議論にならない要因ではある。要するに、新党の数が多過ぎるということである。
そのテレビ討論に、民主党から菅首相が出てこないことが、野党からは「逃げる菅」と批判されている。今日のテレビ朝日の番組でも、菅首相の代わりに枝野幹事長が出演していた。確かに、1対8で菅首相が槍玉に上がる事態が予想されるので、出たくない気持ちもわかるが、ここは守りではなく攻めの姿勢で、打って出たらいいのではないかと思う。
それにしても、今回の参議院選挙の盛り上がりは、いまひとつということを改めて感じる。争点がはっきりせず、むずかしい選択ではあると思うが、一人ひとりの有権者が考え抜くような選挙であって欲しい。であってはじめて、選挙後の状況に対して発言権が得られることを忘れてはならない。棄権をしておいて、「しょせん政治なんて・・・」と嘯くのは、あまりかっこいいものではない。
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