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ジョギング日記  8月第1週分           

2010.8.7(土)

 この日記は「ジョギング日記」と称しているが、実際は、ウオーキング日記である。このところの暑さでウオーキングさえ途絶えがちなのだから、「老人の夏休み日記」のタイトルのほうがしっくりくるかもしれない。

 昨年の6月にATL治療のために入院するまでの日記は、まちがいなくジョギング日記であった。その当時の走る姿が日記に貼り付けられている。今の姿は、これとはだいぶ違っている。黄金のふくらはぎは消失しているし、こんな躍動感のある走りはとてもできない。

 ジョギング日記を掲載していることの効用はいくつかあるが、これを書いている限り、ジョギングをやめるわけにはいかないということも、そのひとつである。昭和62年の8月6日から始めたジョギングの習慣であるが、朝は早くから起きなければならないし、めんどうになることもある。さぼりたがる心を叱咤してくれるのが、ジョギング日記であった。ジョギングをやめたら、日記だって続けられなくなる。それはかっこ悪い。そういった見栄とか、意地とかいったものが、易きに流れる弱い心を奮い立たせてくれる。

 ウオーキングを続けるためには、見張られていることを意識することも必要かもしれない。ウオーキングだけでなく、ATLという病気との闘いの姿勢を保ち続けるためにも、日記の掲載は役に立っているだろう。

 それにしても、今日も暑い。暑さの中での散歩は、闘病中の身には毒であるから、休みなさいと妻に言い渡されている。所ジョージさんが、農作業をしていて熱射病になったことも、妻の言に引用される。ここは、素直に妻の言に従うべきなのだろう。


2010.8.6(金)

 広島の原爆の日。国連事務総長と在日アメリカ大使が式典に出席した。そして、仙台では今日から3日間、七夕祭りで町がにぎわう。いずれも暑さの中での行事である。この暑さは、あと2週間も続くという。

 ジョギング日記の掲載を再開してから、いろいろな方から反響がある。昨日いただいたメールは、宮城県石巻市のKさんからのもので、お父様が私と同じくATLに罹ったとのこと。症状は5年前から出ていたのに、医療機関では風疹とか捻挫といった診断しか受けられなかった。去年の3月になって、高カルシウム血症による意識障害に陥ったことから成人T細胞白血病急性型の発症ということがわかった。当時70歳という高齢だったので、骨髄移植は受けられなかったということであった。メールでは、その後、お父様がどうしていらっしゃるのかには触れていない。

 ATLはまだまだ知られていない。そもそも、この病気が発見されてから30年ほどしか経っていない。九州を中心とした地域の風土病と見られていた時期もあった。医療機関でさえ、ATLに関しての知識は薄い。治療の件数も少ないし、研究実績もまだまだである。そんな中、石巻のKさんのお父様のような事例が生じる。早期に診断されて、治療が始まっていれば、違った展開があっただろうと思われる。

 このところ、新聞、テレビで私の病気についての取材が続いている。昨日も、取材の依頼があった。取材には、病状の許す範囲で、できる限り応じることにしているが、私としては、多くの人にATLのことを知ってもらいたいという思いがある。知ってもらうことによって、救われる命があるとしたら、私がこの病気になったことの意義もあるかもしれない。


2010.8.5(木)

 このところ続いている暑さの中でも、今日がそのピークらしい。ここ横浜での最高気温は33度。散歩以外は外に出ずに、冷房の効いた室内にいるのに、この暑さのせいか、いまひとつ元気が出ない昨日、今日である。これも夏ばての一種だろうか。

 真夏の夜のミステリーではないが、全国各地で、高齢者の所在不明が問題になっている。行方がわからない100歳以上のお年寄りは、朝日新聞社の調べで4日現在、全国で31人ということである。これから調査するという自治体もある。つまり、所在不明者がいるかどうかも不明という状態であるのだから、これからの調査で所在不明の高齢者の数はさらに増えるだろう。

 家族も自分の親の所在を確認していない。長野県内最高齢者の110歳の男性の息子は、「30年以上前に伊豆に行った。何かあれば連絡が来るはず」と言っている。家族は、親がどうしているか、関心がないのだろうか。心配しないのだろうか。

  所在不明ということは、生死も不明ということである。仮に死亡していれば、年金受給資格のない人に年金が支給され続けている可能性がある。所在不明の高齢者に敬老祝い金などが支給されている例もある。行政としても、これまでのチェック不足、無関心を反省しなければならない。

  宮城県知事時代、9月の敬老の日には、県内の百歳の方を一人選んで、自宅に出向き、お祝いに出かけたものである。当然ながら、本人に直接お会いし、いろいろお話もする。事務局としては、大勢の家族に囲まれた元気な百歳の方を選んでくるので、私との会話も十分に成り立つ方ばかりであった。面白いエピソードも聞けて、毎回楽しみにしていた行事であった。そんな経験から見ると、所在不明の百歳以上の方がいるとは、想像もつかない。

  「長寿大国日本」の看板が泣くような事態かもしれない。今回のことを契機に、行政としてもしっかりとした取り組みを考えなければならない。


2010.8.4(水)

 暑い日がまだ続いている。散歩は、この暑さを避けてやらなければならない。昨日の夕方は、夕食後、日が落ちてから散歩に出たが、暑さはおさまっていた。今日の散歩も。夕方だけだった。ここしばらくは、散歩のできない日が多くなるだろう。

 読む本がなくなってしまったが、日中の暑さの中は、近所の本屋に行くことはやめたほうがいいと感じた。何か読む本がないかと、書架を眺めて、手に取ったのが「病中閑話―荻島國男遺稿集」(荻島國男遺稿集刊行会)である。荻島君は、厚生省昭和45年入省16人の一人。平成4年4月、胃がんのため逝去した。

 「病中閑話」は、がんとの闘病中に、月刊誌に連載したものである。改めて読んでみて、自分自身と病気のことを透徹した目で眺めている様子に感銘を受けた。なによりも、文章がうまいのに感心する。今回の再読は、私もがんという病気を得てからのものであるので、自分の立場に置き換えて読んだ。その意味で、感慨がひとしおである。

  荻島君の場合、「がんの進行がこの段階まで来ると、もう治りません」と医師から告知を受けてからの闘病である。どれだけつらかっただろう。それを乗り越えようとする精神力に脱帽する。享年48歳。仕事は油の乗り切った時期だし、お子さんは長女がやっと成人式を迎えたところで、心残りはいかばかりだったろうか。

  あれから18年が経つ。ものすごく頭が切れて、厚生行政への思い入れが深く、誰からも慕われる人情家であった荻島君の姿を、今でもはっきりと思い描くことができる。


2010.8.3(火)

 食道がんの治療のため休養していた世界的指揮者の小澤征爾さんが、長野県の奥志賀高原ホテル「森の音楽堂」での室内楽の勉強会で、療養後初めて指揮する姿をマスコミに公開した。テレビのニュースで見たが、15キロもやせたという姿は、病気前の元気さには及ばないものの、楽しげに、精力的に指揮していた姿が印象的であった。私としては、こんなに早く復帰できるとは思っていなかったので、そのことにも感銘を受けた。どうしても復帰したいという強い意志が、病後回復の後押しをしたのだろう。

 一方、桑田佳祐さんが食道がんであることを公表し、しばらくの休養に入った。ごく初期であるので、十分に治療可能であるが、当面の活動は休止しなければならない。桑田さんも「絶対に戻ってくる」と宣言しているのは心強い。がんとの闘いでは、こういった姿勢がいい結果をもたらすはずである。

 お二人とも、早い時点で、自分ががんであることを公表し、治療に入ったのだが、そのことはとてもよかったと思っている。多くの方々の応援の声も寄せられるし、公表したことによって、じっくりと治療に専念することができる。私の場合も同様である。完治のゴールに、桑田さんとどちらが先に到達するか、競争するようなものでもないが、ひそかに競う気持ちがある。


2010.8.2(月)

 ふだんは、散歩でご近所の住宅街を歩くだけで、どこへも出かけない私。毎週月曜日の外来診察だけが、娑婆に出る唯一の機会である。今日は、その月曜日である。電車にまだ乗ってはいけない身なので、築地の国立がん研究所中央病院への行き帰りはタクシーを使う。高速道路の横羽線の東神奈川で乗り、首都高速の汐留で降りる。高速道路からの眺めもずいぶんと見慣れた。京浜工業地帯、羽田空港、大井競馬場、勝島運河。今日は、ほとんど渋滞がなく、自宅から35分ほどで着いた。

 2階の採血室で採血と採尿を済ます。結果が出たところで、田野崎医師の診察を受けるので、通常は1時間ほど待つことになるのだが、今日は40分ぐらいでお呼びがかかった。今日の検査結果は、ほとんどの数値が改善しており、悪化が心配されるものはない。急遽、レントゲンも撮ることにして、その結果も見てもらったが、肺のほうも着実に改善している。レントゲンは撮影したものが、診察室の医師のパソコンに即座に送付されるシステムなので、診察までに時間はかからない。テクノロジーの進歩に感心しつつ、ありがたいことだと思う。

 ということで、本日の診察結果も良好であった。薬の服用は、ほぼ現状維持。ステロイド剤のプレドニンは奇数日に2錠10mg、偶数日は服用しないので、一日あたり5mg。これも現状維持である。インシュリンの注射は、朝2単位変わらず、昼6単位を4単位に減らす。次回は、来週の月曜日。

 月曜日は、プロ野球の試合のない日でもある。6月末にスカパーを入れて、プロ野球の全試合の中継が見られるようになった。スカパーを入れた頃から、楽天は勝てなくなったのは、なんとも皮肉なことであるが、勝っても負けても、試合終了までテレビの前でみっちり応援している。今日のように、試合のない夜は、忘れ物をしたような気分になる。自宅療養の身には、最大の娯楽であるが、免疫力を高めるためには、楽天にはもう少しがんばってもらわないと困る。


2010.8.1(日)

 8月になった。猛暑は続く。散歩は控えめにしつつ、しっかり続けることにしたい。しばらくは、朝の散歩はやめて、夕方だけにするつもり。

 顔に発疹がまだ残る。目も赤くなったり、かゆみがあることが時々ある。小さなできもの様のところから、膿がにじみ出ているところもある。頭にも発疹のようなものが散在している。これらもGVHDの一種なのだろうか。それほど深刻なものではないが、しぶとくなくならない。

 昨日のことであるが、「日本からHLTVウイルスをなくす会」代表の菅付加代子さんと電話で話した。菅付さんは、ご自身がHTLVのキャリアでHAMを発症している。現在は車椅子での移動とのこと。そんな彼女が、HLTVウイルスの母子感染をなくすための妊婦検診の普及や、HAMを特定疾患としての研究治療事業の対象とすべきことを厚生労働省に働きかけるなどの運動の先頭に立っている。ご自身のHAMの症状も悪化しつつある中で、こういった活動をされていることは、驚くべきことである。

 ATL治療のための新しい薬の可能性など、いろいろな情報もいただいた。メールと電話による対話だけで、実際にお会いしたことはないのだが、いずれその機会もあるだろう。私も社会復帰ができた暁には、菅付さんと一緒に活動することもあるだろうと思う。


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