浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記   8月第2週分        

2010.8.14(土)

 仙台で奇妙な殺人事件が起こった。殺人の実行に関わった二人が逮捕されたのに続いて、被害者の妻も逮捕された。被害者は自分で転んだといっていたが、外からの襲撃と思われる事故で怪我をし、そのための入院を終えて退院した日に自宅前で襲撃され殺された。つかまった二人と被害者は家族ぐるみの付き合いもあり、そのうちの一人と被害者の妻は特別な関係にあったらしい。

 最近、ミステリー小説をよく読んでいるが、そのストーリーそのもののような事件である。仙台での事件で、被害者が勤めていた常葉木学園とか、泉区とか、聞き慣れた固有名詞が出てくるので、ついつい耳をそば立てる。テレビのワイドショーは、夏枯れの時期に格好の話題である。その真相やいかにという興味をひきつける。面白がって眺めていては不謹慎である。早く真相が解明されることを望んでいる。

 今日は曇り空ではあったが、湿度が高く、じめじめした暑さの一日である。家族が心配することもあり、今日も散歩はやめにした。こんなに休んでいると、筋肉が弱ってしまうのが心配になる。散歩にでも出ない限り、家の中での移動だけなので、運動不足は免れない。早く涼しくなってくれないかな。


2010.8.13(金)

 「物語介護保険――いのちの尊厳のための70のドラマ」(岩波書店)の下巻が届いたので、一気に読んだ。厚生省での先輩後輩をはじめ、ごく親しい人たちがたくさん登場してくるので、ことさら興味深い。改めて思うのは、この時代に介護保険制度を導入したことは、奇跡に近い快挙だということである。関わった人たち、一人ひとりは、知的能力だけでなく、身体的、精神的にも極めて優れた資質を持ち合わせていた。さらに、理想を実現しようという情熱、現場に出向いて答を探す行動力が際立っている。そして、介護保険の実現という一つの目的に向かって、役所の壁を突き抜け、職域を越えての見事なまでのチームワークが形成された。同じ志も持つ人たちの人的ネットワークの存在が、実現にあたっての大きな力になっていたことを、この「物語」を読んで、改めて確認することができた。

 私の名前も、ちょこちょこと出てくるが、私は介護保険制度の準備の時期には、厚生省を離れていたので、波乱万丈の歴史に直接関わることがなかった。それが、少しばかり残念ではある。直接関わって尽力した人たちにとっては、当時はきつい仕事ではあったとしても、まことに貴重な経験であっただろう。それをうらやむ気持ちもないではないが、それ以上に、彼らのことを誇りに思う気持ちのほうが強い。

 著者の大熊由紀子さんは、この物語の語り部だけではなく、実際にこの壮大なプロジェクトで重要な役割を果たした人である。彼女が主宰する「えにしの会」は志を同じくする人たちを結びつけるネットワークである。「まさに縁(えにし)の下の力持ちですね」と由紀子さんに言ったことがあるが、ものすごい力持ちである。そのネットワークに属する人たちが、介護保険制度実現においても、大きな働きを示した。

 霞ヶ関の官僚にいい印象を持っていない人も、この本に登場する官僚のことを知れば、評価を変えるはずである。カリスマ自治体職員の存在も、このプロジェクトの推進の過程で注目されることになった。新しいタイプの市民運動も、ここから芽生えたとも言える。介護保険制度ができたことだけではない。今後に引き継がれるたくさんの財産を残したのだと、「物語」を読みながら、納得した。

 午後から、横浜労災病院の耳鼻科へ。火曜日に続いて2度目の受診である。イケメンの鈴木貴裕医師に鼓膜に貼り付いた耳垢をとってもらった。前回は、耳垢が乾いていて、取れにくかったが、このところ3日間、「寝耳に水」を自宅でしていたので、耳垢は柔らかくなり、撤去作戦は成功した。まだ、一部残っているので、26日にもう一回受診する。自宅に戻ったら、テレビの音がやけに大きい。昨日までは、この音量でも、聴こえにくかった。今日の治療で明らかに改善したことを確認できた。


2010.8.12(木)

 今日は、25年前に日航機事故が起きた日である。前にも書いたことがあるが、25年前、私は北海道庁民生部福祉課長であった。この日、札幌で知的障害者施設を運営する橘文也さんのところを訪問し、そのあと、ススキノで一杯やろうかと二人で移動中であった。そのタクシーのラジオが事故を伝えており、乗客の中に坂本九さんがいることを知った。

 坂本九さんは、北海道のテレビで、毎週日曜日に「サンデー九」という番組をやっていた。福祉関係の施設やイベントを訪ね歩くという番組で、橘さんのところにも、何回か訪れており、橘さんと坂本九さんは仲間とも呼ぶべき間柄だった。この時の橘さんの驚きと嘆きを、今も、はっきりと思い返すことができる。

 あの事故にさえ遭わなければ、坂本九さんは、福祉の分野で、もっといろいろ活躍できたはずである。私も、その仲間に入っていたかもしれない。障害を持った人たちと、楽しそうに交歓する、得がたいキャラクターであった。そんな坂本九さんを含め、500人以上の生命が一瞬にして失われた、痛ましい事故であった。

 あれから25年。事故を起こしたJALは厳しい経営難に直面している。経営再建が大きな課題であるが、その一方において、この事故のことも決して忘れてはならない。今のJALで事故当時在籍していた社員が2割以下になっているということを知り、御巣鷹山事故のことを風化させてはならないと強く思った。

 午後、「はむるの会」の石母田衆さん、聖マリアンナ大学の山野嘉久医師などが自宅に来られた。「はむるの会」は、HTLV-1ウイルスの撲滅を目指す活動を行っているNPO法人である。9月11日にお台場の国際交流館で開催するシンポジウムに私のビデオメッセージが欲しいということであった。ビデオを収録した後、HTLV-1のこと、HAMやATLのことなど、いろいろお話することができた。患者が少ないということもあってか、厚生労働省の協力が得られないという悩みを抱えている。私が復帰できたら、こういった活動にも関わっていこうと思う。厚生労働省出身の私がATLに罹ったということも、何かの運命だろうから。


2010.8.11(水)

 昨日の労災病院での耳の治療の際に、一日2回、耳に点眼薬を2滴注入するように申し渡された。耳垢の部分に潤いを与えた上で、13日の診察を受けるという趣旨である。起床時、就寝時に、ベッドの上で妻にその役目をやってもらう。昨日の就寝時が第一回目だったが、これがホントの寝耳に水だなと思った。

 臓器移植法が改正されて、脳死した本人の意思表示カードがなくても、事前に家族に対して本人から口頭で臓器提供の意思が示されていれば、臓器提供ができることになった。その第一号の提供ケースがあって、複数の臓器が複数の医療機関に提供され、複数の患者に臓器移植が行われた。これはこれで、わが国の臓器移植の推進にとっては一歩前進なのだが、まだまだ問題点は残っている。一つ一つ、症例を重ね、議論を尽くし、関係者みんなが納得できる着地点をみつける努力は、継続する必要があろう。法律が改正されて、要件が緩和されたから、どんどん症例を増やしていけばいいというわけにはいかないと思う。

 同じ移植でも、私が受けた骨髄移植の場合は、ドナーの方の意思ははっきりしている。家族がいる場合は、その家族の了解も得たうえでなければ、骨髄の提供はできない。本人の意思と家族の了解が基本にあり、その結果、私は骨髄移植を受けることができて、今も生きている。

  骨髄移植は、移植を受ける患者よりも、骨髄を採取されるドナー側の身体的、精神的、時間的負担が大きい。事前の検査などに、かなりの時間が取られる。全身麻酔がなされるとはいえ、骨髄に百回ぐらい注射器を刺されての採取であり、採取後の回復にも時間を要する。それだけの負担をしていただいて、ドナーになっていただくわけで、ドナーの方には心の底から、感謝の気持ちが湧いてくる。その思いを、どなたか知りえないドナーの方にお伝えする手紙を今日書いた。骨髄移植財団を通じて、ドナーの方にお手紙をお届けいただくシステムになっているのだが、匿名で出さなければならない。こちらの名前を明かせないのが、もどかしいのだが、ドナーの方に、感謝の気持ちだけは伝わってくれればと願っている。

 甲子園球場での夏の高校野球の5日目。第2試合に仙台育英高校が登場した。相手は島根県代表の開星。開星に先行を許し、追いついてはまた突き放されるという試合だった。最終回の仙台育英の攻撃開始時には、3対5で負けていた。1点取ったが、2アウト。最後のバッターになるはずの打者の打球がセンターに上がった時には、負けを覚悟した。なんと、これをセンターが落球。6対5と逆転である。その裏、開星の攻撃は2アウトながらランナー1,2塁。糸井君の打球は左中間を抜けるような当たり。これが抜ければ、逆転サヨナラとなる。その打球を、レフトの三瓶君がスライディングキャッチ。なんとも劇的な仙台育英の勝利であった。


2010.8.10(火)

 火曜日は生ゴミを出す日。近所のごみ収集所に、収集日を守らずゴミを出す人がいる。ネットの中にゴミは入れることになっているのに、ネットの外に出す人がいる。そのゴミを狙って、カラスがたくさん寄ってくるのが最近の状況だった。ゴミ袋を破って中身を道路に散乱させる。そこに仲間のカラスがやってきて酒池肉林を展開する。その乱暴狼藉の後は、道路一杯に生ゴミが散乱し、見るも無残なありさまである。見た目だけでなく、不衛生でもある。マスクをして散歩をする身としては、命にかかわる。

 そのカラスが、ここのところ、姿を消している。暑さのせいなのだろうか。どこに移っていったのだろうか。また戻ってくるのだろうか。カラスのやりたい放題に辟易していたので、いなくなったのは喜ばしいのだが、突然いなくなったことは真夏のミステリーである。それにしても、ゴミ出しで守るべきエチケットが守られていない。こちらのほうこそ、問題だと思う。

 最近、耳の具合がおかしい。飛行機の着陸時に耳が詰まる感じになるが、そういった状態に近い。今日、横浜労災病院の外来で診察してもらった。ATL治療の際の放射線照射によって、鼓膜がやけどしたような状態になり、そこに耳垢がこびりついてはがれないことによるものと診断された。固まった耳垢を取り去ることが必要なのだが、そのためには、耳垢に潤いを与えた上でないとできない。ということで、これから3日ほど、目薬を耳に2滴ずつ一日2回注入して、耳垢にある程度の潤いを与える。13日(金)にもう一度診察していただいて、少しずつ耳垢の撤去作業に入ってもらうことになった。

 横浜労災病院まではタクシーで行った。病を得るまでは、ほぼ毎日走ったコースである。タクシーに乗っていて感じたが、労災病院までだけでも結構な距離である。走っている頃は、もっと先まで行って戻るという日課だったのだから、元気なものだった。あの頃の元気は、戻ってくるのだろうか。


2010.8.9(月)

 久しぶりの雨模様の一日。自宅7:49発で国立がん研究所中央病院着が8:55。高速道路の汐入出口付近で事故の見物渋滞があり、浜崎橋インターでは自然渋滞。おかげで1時間以上かかった。

 今日の検査結果は、特に大きな変化はなし。特記すべき症状も出ていない。ということで、投薬はこれまでどおり。次の外来診察は来週の月曜日16日である。田野崎先生に「お盆の休みとか先生は取らないのですか」と尋ねたら、「外来の日は休みません」とのこと。朝から晩まで、暑さ寒さにかかわらず、忙しく働き続ける田野崎先生は、一体いつ休むのだろうか。むずかしい患者を抱えて、気が休まることもないのに、本当に大変だなと思いつつ、患者としてはありがたい存在である。

 久しぶりに最高気温が30℃以下という涼しい日だった。夕方に10分間だけ散歩に出た。衰えた筋肉に、少しばかり活を入れることができた。


2010.8.8(日)

 昨日の夕方のことであるが、妻が手の指先の痛みを訴える。やけどしたかのようにひどくヒリヒリするとのこと。考えられる原因は、夕食準備でししとうの種を指で掻き出したことしかない。ネットで調べたら、実際に、同じような被害にあっている人がいて、何人かがその状況をブログなどで公表している。流水に指をあてると痛みはその時だけは収まる、アルコールを塗るといいなどの体験談である。塗るものとしては、ピーナッツバター、コーヒーなども挙げられていた。ただし、どれも決定的に改善する治療ではないらしい。痛みが続くのは、3時間から3日まで、人によって違っている。

 流水で長時間冷やし、油、コーヒー、アルコールなども試した。私の自宅療養生活のために手、指用の消毒用アルコールがあったのが役立ったようだ。鎮痛剤を飲み、 昨晩は、痛みで眠られなくなることも心配したが、なんとか眠れたらしい。一晩経って、痛みはだいぶ薄らいだ様子。それにしても、災難はどこに転がっているかわからない。まさか、ししとう(唐辛子も同様である)の種に触れることによって、やけど様の激烈な症状が出るとは想像もしていなかった。

 妻はこのところおなかの調子も悪い。泣きっ面に蜂状態になってしまった。炊事、掃除、洗濯などの家事もままならない。皮膚のGVHD対応で、軟膏を塗るのに妻の手を借りているのだが、昨日は娘に代役をやってもらった。彼女には、掃除も手伝ってもらった。家事のヘルプはおばあちゃんにもやってもらった。こうやって、家族みんなで私の闘病を支えてもらっている。それにしても、妻に何かあると、無力な私としては、本当に困ってしまう。今回のやけど騒動で、改めて実感した。

*後日医師に「ししとう事件」について話をしたところ、消毒用アルコールはアレルギーを起こす人もいるのでよくないとのこと。水でよく流して、医師に相談するようにと言われてしまった。 。

 


以前のジョギング日記はこちらから



TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org
5