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ジョギング日記  8月第3週分         

2010.8.21(土)

 テレビ朝日のスタッフが、昨日、今日と我が家にやってきて、取材していった。私と家族が、ATLとどう闘っているかということを報道したいのだろう。NHKとフジテレビで、同じような取材を受けたので、同じような番組になるかもしれない。所太郎さんによるインタビューのほかに、日常生活の様子を撮られた。妻の掃除、炊事といった場面もけっこう撮っていった。放映は、9月7日(火)の朝8時からの「スーパーモーニング」になる予定。

 夏の甲子園の決勝は、沖縄県代表の興南が神奈川県代表の東海大相模を破って優勝。春夏連覇である。4回裏に興南が一挙に7点を奪う場面だけ、テレビで見たが、まさに怒涛の攻めで、見事であった。東海大相模の一二三投手、興南の島袋投手、ともにここまでほとんど一人で投げきってきた。島袋投手のほうは相手方を1点に抑える投球だった。一方の一二三投手は、4回の7点で力尽きたという感じだった。興南はすごい。投打ともに、その強さが際立っていた。春夏連覇も当然のことと思われるほどであった。

 民主党の代表選。今日の朝日新聞の社説は、見出しが「なんのために戦うのか」と始まって、「この人たちはいったい何をやっているのか――。少なからぬ有権者があきれているに違いない。」と書いている。まさに、そのとおりだろう。ただし、今に至っても、私としては、小沢一郎さんが代表選に出るなどということを本気で考えているとは信じられないし、周りの党員の多くが「小沢出るべし」と言っているとは思えない。マスコミが面白がって煽っている部分が大きい。小沢さんのことだって、必要以上に、存在を大きく見せている。社説の「この人たち」の中に、「一部マスコミ」というのを含ませて読むべきではないかと思ったりしている。  


2010.8.20(金)

 通信販売で注文しておいた「美空ひばりカバーソング コレクション」4枚組みCDが届いた。私のように、外に出られない療養中の身とすれば、通販による買い物は便利である。「矢切の渡し」、「釜山港へ帰れ」、「北国の春」、「長崎は今日も雨だった」などが、ひばりの歌声で聴けるとは、なんたる幸せだろう。「昴」、「アカシアの雨がやむとき」、「上を向いて歩こう」、「ここに幸あり」、「知床旅情」、「ゴンドラの唄」といった名曲を、ひばりはどう歌っているのだろう。

 歌のうまさが抜きん出ているだけでなく、歌で文化を変えたということでいえば、アメリカではエルヴィス・プレスリー、日本では美空ひばりだと思っている。エルヴィス、ひばりといったファーストネームで呼ばれる歌手は、そうそういない。フランク・シナトラをフランクとだけで呼ぶか、島倉千代子を千代子と呼ぶのは、限られたファンだけだろう。エルヴィスもひばりも、それぞれ42歳、52歳と若くしてこの世を去ったことでも共通している。そして、亡くなって33年経つエルヴィスが、今でも新たなファンを獲得しているように、平成元年に亡くなったひばりのCDを、今、こうやって買っている人が大勢いる。家庭的には、どちらもあまり恵まれなかったというのも、残念ながら、両者とも同じ運命だった。

 夏の甲子園大会も、今日は準決勝。第二試合は、千葉県代表の成田対神奈川県代表の東海大相模だった。対戦をテレビで見ていた義母に、どっちを応援しているのか聞いてみた。義母は、千葉県出身、神奈川県在住だから、どっちか迷うのかと思ったら、即座に「成田」との答。やはり、ふるさと、出身地のほうの引力が強いことがわかった。結局、東海大相模が勝って、明日の決勝は、仙台育英を三回戦で破った沖縄県代表の興南対東海大相模で戦われる。さて、どっちを応援しようか。  


2010.8.19(木)

 6:13−6:24TBSラジオ「おはよう一直線」に電話出演。生島ヒロシさんとのやりとりである。自宅療養の現況を話した後、民主党の代表選、高齢者の行方不明問題についてコメントした。私の病気のことなど、知らない人にとっては、なんのことやらわからなかっただろう。代表選のタイミングは、総選挙の時期に合わせて行うべきだということを言い切れなかったのが残念だった。

 「小沢一郎さんの動きが注目されていますが」と生島さんに聞かれたので、「注目され過ぎです」と答えた。軽井沢での鳩山由紀夫前首相の勉強会の懇親会に出席するというだけで、「代表選に出馬できる状況かどうか、ここで党内の空気を読むための出席だ」などと報道されているが、そんなことがあるものか。どう考えても、小沢さんが代表選に出る目はない。勝てば総理大臣になるのだが、国民的支持が得られるとは思えない。総理大臣になってすぐに、政治資金規正法違反容疑について検察審査会が「起訴相当」の結論を出したら、総理大臣の座に留まれるはずがない。負ければ、それで小沢さんの政治生命は終わりだろう。出るだけで、民主党内の亀裂は修復不能なくらいに深くなる。そんなことがわからない小沢さんではないはず。

 暑さが少しやわらいだようだったので、朝の散歩を10分だけやってみた。筋肉が衰えているという実感はない。涼しくなったら、もっと長い距離を歩くことにして、この暑さが続く間は、ボチボチとつないでいこうと思う。  


2010.8.18(水)

 昨日、今日と、妻がPETの検査で、仙台厚生病院に行っている。仙台厚生病院は、院長が仙台二高の同級生の目黒泰一郎君であることもあり、毎年、私も一緒にここでPETを含む諸検査を受けていた。知事時代に住んでいたところと、道一つ隔てたところにあるご近所の病院でもあり、何かと便利であった。

  妻が二日間いない。その代役は次女が果たしてくれた。アルバイトを休んで、家事や私の世話をしてくれたのだが、こういうことも、昨日書いた「幸せ」の一つの形なのだろう。それにしても、妻の不在が二日間だけだったから、どうにかなったわけで、これがもっと長く続くようなら、どうにもならなかった。妻のありがたさを、改めて感じる機会であった。

  昭和56年の今日、父が65歳で亡くなった。29年目の命日である。自分がその年に近くなってきて、当時の父の無念さを知る。今年の墓参りは、仙台に行っていた妻がやってくれた。

  本田麻由美著「34歳でがんはないよね? 」(エビデンス社)を読む。改めて読むということだろうか。一昨年の4月に発刊された時に送っていただいたのだが、その時は、ぱらぱらと読んだだけだった。本棚を見回したら、この本が目に入って、改めてじっくり読んでみた。2002年、34歳で乳がんを発症した時、著者の本田さんは読売新聞で厚生労働省を担当する記者をしていた。私が宮城県知事になったばかりの頃に、彼女は読売新聞の東北総局に所属して、宮城県庁を担当していたので、私とも面識があった。その彼女が乳がんになり、三回の手術を受け、再発、転移の恐怖と戦った模様を綴ったのが本書である。闘病記を読むのはあまり得意でない私であるが、この本に関しては、同じくがんという病気と戦う者として、共感しながら読んだ。

  本の帯には、「患者として体験した心の叫びを綴る一方で、新聞記者ならではの視点で医療問題を見据え、自らモデルケースとなって「生」を探り続けた」とある。自分が乳がんになったことの理不尽さを嘆き、死の恐怖にとらわれている様子を率直に書き記すと同時に、新聞記者として取材しているような冷静な分析もある。その意味では、同じような状況にあるものとして、勇気づけられる。同じく新聞記者である上野創さんの「がんと向き合って」(朝日文庫)を読んだ時にも感じたが、若くしてがんに罹るのと、私のように還暦を過ぎてがんに罹るのとでは、受け止め方はかなり違う。上野さんの場合は、26歳での発病、本田さんは34歳である。まだまだやりたいことは、一杯残っている。仕事で言えば、現役バリバリである。そんな真っ只中でがんの告知を受けるのは、どれだけつらいことだろうか。そんなことを思いながら読んでいた。

  本田さんも、上野さんも、その後、病気から回復して、今は新聞記者としてバリバリ活躍している。本当に良かったと思う。自分の経験も糧として、ますますいい仕事をすることを期待している。


2010.8.17(火)

 池田晶子著「41歳からの哲学」(新潮社)を読む。むずかしい表現を使わずに哲学を語っている。最大の神秘は、自分が存在していること、世界があることであるということを基本に、死とは何か、宗教とは何かを問う。彼女は、平成17年に47歳で腎臓がんのため逝去。死ぬことは、まったく怖くないと書く池田さんが、自分の死をどうみつめていたのか、知りたいところである。彼女のヘヴィーリーダーでさえ、突然の死と受け止めていた。そうであれば、彼女の著書には、死に向う自分の病気についての記述はなかったはず。今度は、ベストセラーとなった「14歳からの哲学」を読んでみたい。

 先週末、お盆の期間ということもあって、長女がやってきた。次女とおばあちゃんも交えて、5人でテーブルを囲む食事の機会が何回かあった。夜は、テレビの前で、一緒になって楽天イーグルスの試合を見ることも多い。私の「現役時代」にはあまりなかったことである。今回、病を得て、長い自宅療養の期間を過ごしている。重い病気になったからこそ、こういった家族との団欒がある。幸せとは、こういうことなのかもしれない。となると、この時期に病気になったことは、必ずしも不運、不幸とは言い切れないだろう。

 夏の高校野球、三回戦の仙台育英対興南の試合をテレビ観戦した。大会屈指の好投手島袋を擁して春の選抜大会を制した沖縄県の興南高校には、とても勝てないだろうと思いつつ見ていた。予想通り、前半から点を取られて、打撃は島袋投手に要所を抑えられ、1対4で負けた。両親共に宮城県人であり、幼稚園から高校まで仙台で過ごした私にとって、甲子園球場での全国大会で宮城県代表を応援するのは自然な心の動きである。親の転勤などで、複数の県で育った人にとっては、どういったものなのだろう。逆に、どこの県代表を応援するかで、自分の心のふるさとが、どこかわかるということもあるのではないか。そういえば、神奈川県代表の東海大相模を熱狂的に応援することはないことに気がつく。現在住んでいるのは神奈川県であるのに。


2010.8.16(月)

 最高気温が、横浜で35.5℃という、とんでもなく暑い日。外来診察の日で、国立がん研究センター中央病院へ。行き帰りタクシーなので、楽ではあるが、タクシーの乗り降りの一瞬だけでも、今日の猛暑ぶりは体感できた。

 今日の診察でも、特に問題なしということが確認された。ステロイド剤であるプレニンを奇数日に2錠服用していたのを、1錠に減らすこととされた。徐々に、徐々にではあるが、服薬が減らされつつある。一歩前進と受け止めているが、これからの様子を慎重に見極めながら、一歩ずつ進んでいくことになる。

 今日は、1977年に亡くなったエルヴィス・プレスリーの命日である。享年42歳、短かすぎる人生であった。2000年のこの日、私たち夫妻は、日本からの20人以上の仲間と一緒に、テネシー州メンフィスのグレイスランドに墓参りに出かけていた。あれからもう10年経ったのかと思いつつ、エルヴィスの歌声を聴いていた。


2010.8.15(日)

 終戦記念日。65年目である。私も含め、「戦争を知らない子どもたち」のほうが、日本の人口の圧倒的多数である。300万人を超える命が、太平洋戦争で失われた。300万人という人数の多さに目を奪われると、その一つひとつに生活があり、人生があったことを見逃してしまう。(こう書いてみて、英語のLIFEは、命、生活、人生を意味することに気がついた) ATLという病を得て、自分だけでなく、家族、医療機関の方、そして友人たちが、私の命を救おうとして心を砕いてくれていることを実感している。その一つの命の300万倍の命が、この戦争で失われたことを考えれば、戦争というものの恐ろしさ、悲惨さを改めて認識するに至る。8月15日は、そんなことを含め、人生とは何か、戦争とは何かをしっかりみつめる機会にすべきであろう。

 65年前のこの日も暑かったようだが、今日の暑さは猛暑という言葉がふさわしい。その猛暑の中、熱闘甲子園にふさわしい試合が行われた。テレビにかじりついて応援していた仙台育英の対延岡学園戦である。前半で7対7の乱打戦がウソのように、後半は投手戦になり、両チームのゼロ行進が続いた。延長11回表、仙台育英は3点奪取。その裏、3回からロングリリーフの田中がきっちりと抑え、仙台育英が10対7で勝利した。これでベスト16、三回戦進出である。

 夜のプロ野球、楽天はロッテとの戦い。昼間の高校野球と同じような試合で、楽天の田中投手が7回まで3対3。こちらのほうは、延長12回裏、信頼感がいまひとつの小山伸一郎が今江にサヨナラホームランを食らって、3対6の敗戦だった。そうそううまくはいかない。


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