2010.9.4(土)
帝京大学医学部付属病院で、アシネトバクターによる院内感染が起きて、46人が感染し、9人が死亡したという報道があった。アシネトバクターは、複数の抗生剤が効きにくい多剤耐性菌である。今回の事例では、感染しているのは、60代以上が7割を超え、血液や循環器に重い病気を患って免疫力が低下している人が多いということである。免疫力が低下しているということでは、私にもあてはまる。院内感染ということだから怖い。私が入院していた医療機関では、感染への対応がきっちりと厳格になされているから安心であるが、今回のような事例は、困ったことである。それにしても、抗生剤の効かない細菌が存在するということが、なんとも怖いことである。
午後から、毎日新聞の記者がお二人来られて、取材を受けた。ATLやHTLV-1について熱心に追いかけている記者たちで、知識も問題意識も十分である。世の中の関心が徐々に高まってきた中で、HTLV-1対策の充実を促したいという熱意が感じられる。ATLという病気になったのも運命であると感じているが、私としても、この病気をこの世からなくすために、そして、同じ病気で悩む人たちの救いとなるように、できる限りの協力はしていきたいと思っている。こういった取材に応じることも、その一環である。二人の記者は、「いい記事書きます」と言って帰っていった。
彼らが帰っていったところで、テレビを見たら、楽天対西武の試合が9回裏の楽天の攻撃の場面であった。1対6で楽天の敗色濃厚で、これで4連敗かとあきらめつつ眺めていた。なんとなんと、涌井、シコースキーを打ち崩して、この回に一挙6点を挙げて逆転さよなら勝ちした。さよならヒットを打ったのは、我が家では「だめ外人」といつもくさしていたルイーズ選手である。勝負は、最後まであきらめてはいけないと、改めて思い知らされた。バンザイ。
2010.9.3(金)
暑さは去らないが、さすがに9月。日が短くなった。夕食後散歩に出ると、日が完全に落ちて、世の中は真っ暗である。真っ暗な中で、虫が鳴いている。着実に季節は移っていることを実感する。
戸部良一著「外務省革新派 世界新秩序の幻影」(中公新書)を読む。帯には、「曰く、『西洋の世界観から脱却せよ』 『皇道外交』を主張して世論を導き、やがて世論に追い越されていった外交官たちと満州事変以後の日本」とある。あの戦争に駆り立てていったのは、軍部だけでなく、外務省の革新派と呼ばれる人たちの存在もあったことを知る。学術的というよりは、小説、ドキュメンタリーのようなタッチで、興味深く読み進められた。一ヶ月前には、佐々木譲著「ベルリン飛行指令」(新潮文庫)を読んだが、こちらは、日独伊三国同盟締結を機にゼロ戦をベルリンに移送するという、困難な任務を果たした日本海軍のパイロットの物語。太平洋戦争に至るまでの経緯が、興味深く描かれているという意味では、共通した読み物である。「戦争を知らない子どもたち」である私にとって、改めて噛み締めるべき歴史である。
2010.9.2(木)
NHKテレビのクローズアップ現代で、熱中症の話題が取り上げられていた。東京だけで、この夏130人以上が熱中症で死亡している。室内で寝ている間に、高齢者二人が熱中症で亡くなったということに驚いてしまう。今日の散歩も、涼しくなった夜になってからにした。熱中症になるほどのリスクは犯していない。
我が家の狭い庭に雑草がはびこってしまった。垣根もぼさぼさになっている。昨日から、シルバー人材センターに頼んで、庭の手入れに二人入ってもらっている。今日までで、かなりすっきりした。暑い日中の仕事なので、それこそ、熱中症が心配になるほどであったが、無事にやり遂げてくれた。
一日中家にいるので、テレビを見ることが多いが、どこのテレビ局でも民主党代表選挙の話題を取り上げている。ついつい見てしまう。今日の午後は、日本記者クラブでの公開討論会の実況を見たが、記者の質問は、突っ込みがいまひとつで、議論が深まらなかったような気がする。それにしても、二週間も、こういうことが続くのは、いかにも長過ぎる。
2010.9.1(水)
今日は防災の日。87年前に関東大震災があった日を防災の日と定めて、毎年、全国各地で防災訓練が行われている。新聞、テレビでは、防災の心得を大きく報道している。87年経っても風化していないのは、大地震をはじめとする災害が、住民が忘れる前にやってきているからであろう。
宮城県知事時代、宮城県沖地震が近い将来必ずやってくることを前提として、防災対策を進めていた。自治体トップにとって、実際に災害が発生した時には、先頭に立って指揮をとり、現地に赴き、被災者の救済にあたることは当然である。苦い思い出がある。2003年7月に宮城県北部連続地震が発生した時に、私はブラジルのサンパウロにいた。宮城県から南米に移住した方々の記念式典に出席するという公務遂行のためである。帰国のタイミングが遅れてしまい、宮城県に戻った時には、厳しい批判にさらされたのを思い出す。
首都東京が大きな地震に襲われたらどうなるのだろう。3年前に都知事選挙に出た時に、老朽危険住宅の建て替えなど、防災対策の充実をマニフェストの上位に掲げた。首都機能の移転が真剣に議論されたのは、首都圏を大地震が襲った時に、国家機能がマヒしてしまうことを防ごうという趣旨もあった。阪神淡路大震災の記憶が薄れるにつれて、その議論も立ち消えになってしまった。東京の街の地下を縦横に走る地下鉄の路線は、まだまだ増えつつあるのを見ると、東京には絶対に大地震は発生しないと決め付けているとしか思えない。「天災は忘れる前にやってくる」ことを、改めて想起することが必要である。
防災の日に民主党代表選の告示日が重なったのは、特に意味があるわけではない。マスコミはここぞとばかりに、報道に時間を割き、力を入れている。「政策をぶつけあって、正々堂々と戦い、決着をつけるのはいいことだ」というコメントが多いが、きれいごとに聞こえて仕方がない。本当に政策で戦う選挙なのですか。だったら、鳩山由紀夫さんが、菅さん支持から小沢さん支持に突然変わったのは、どちらかの政策が変わったからなのか。「小沢さんには自由党から民主党に来ていただいた。私を総理にまでしていただいた。小沢さんを支持するのは大義だ」と言っているのは、政策に賛同するからではないよと言っていることと一緒ではないか。中身は権力闘争で、各議員が、菅、小沢、どちらの支持か決めるのは、恨み、怒り、嫉妬、恩、義理、どっちが得か、好きか嫌いかといった次元のものが、政策の違いより大きな比重を占めているといったら、言い過ぎだろうか。
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