2010.12.11(土) 昨日の日記に書くのを忘れてしまったが、昨日の朝6時10分から6分ほど、TBSラジオの「生島ヒロシのおはよう一直線」に電話出演した。時間が短かったうえに、私の近況について尋ねられたので、菅政権への注文として言いたいことのほんの一部しか触れられなかった。「聴きました」とか、「教えてくれれば聴けたのに」といった声が聞こえてくるのは、毎度のことである。
寝ながら聴いていた今朝のラジオで「夫婦どつき漫才の玲児・敏江の正司玲児さんが成人T細胞白血病リンパ腫で亡くりました」とニュースが伝えていた。朝日新聞の訃報欄では、病名を「白血病リンパ腫」と中途半端に書いていたが、日経新聞では「成人T細胞白血病リンパ腫」と正しく紹介されていた。71歳で亡くなったということだが、そこまでどういう経緯をたどったのか、骨髄移植を受けたことはあったのかなど、同病の者としては、知りたいという気持ちである。
妻が風邪気味ということで、昼に横になったりして、体力を温存している。歯痛が出たのも、ストレスと疲れがたまっていることが引き金だったが、今回の「風邪気味」も同じ原因かもしれない。光子は、この風邪は私からもらったと疑っている。私には、風邪の症状はないのだが、昼間に計測した体温は37.2℃。微妙なところではある。私に風邪をうつしてはいけないということで、光子は寝室を別にし、食事も一緒に摂らないようにしている。やり過ぎに近いが、それだけ、私が風邪を引くことには敏感になっている。
読書する集中力が、やっと戻ってきた。日の当たる、ポカポカの応接間で読んでいるのだが、途中でこっくり居眠りをしながらの読書である。なんだかご隠居さんのようだが、考えてみたら、こういったのんびり生活を送れているのは、恵まれたことである。
今日読んだのは、「ハルカ・エイティ」姫野カオルコ著(文藝春秋社)である。著者の名前は知っていたが、読むのは初めて。「エイティ」というのは、物語の主人公の持丸遙さんの現在の年齢が80歳ということで、そこに至るまでの一代記を綴ったものである。一つ一つのシーンの描写が、精密画のように、詳しすぎるほどであるが、詩的なにおいもちりばめられていて、読んでいて心地いい。人物がしっかり描けている。非現実的なストーリーでない。これらは、いい小説たる必須条件である。作者は頭がいいし、センスもいい。この作品も、友人の友人が送ってくれたものだが、今までのものと同様、「当たり」である。姫野カオルコは、作品のテーマごとに文体を変えるらしいが、そうなると他の作品も読みたくなる。
2010.12.10(金)
退院して4日目。入院中は、一日4回、看護師が血圧、酸素濃度の測定に来る。隔日には採血がある。薬の内服の確認、その他、変わったことないかと声をかけられる。点滴をしている時には、シャワーを使う前に、点滴挿入口のカバーをしてもらった。そういった日常から、今は、何でも自分でやることになった。その日内服すべき薬を、朝一番で用意する。毎食前は血糖値測定、値が一定以上の場足のインシュリン注射も自分でやる。血圧、酸素濃度、体温、体重も忘れずにやり、その結果を記録する。そのことが大変だと言っているのではない。これ以外、やらなければならないことはないので、むしろ暇をもてあましてしまうのが大変だということである。無為徒食という言葉が頭に浮かぶ。まあ、こうやってゆったりとしていることも、今の時期に必要であり、これも正しい自宅療養のあり方だと考えることにしたい。
小沢一郎議員の国会招致について、民主党内でも賛否両論、ごたごたが収まらない。小沢さんが出席を拒否したら、党を除名するという方針を、民主党代表たる菅総理が決断し、決然と実行すればいい。党の分裂を危惧する人もいるが、小沢さんにくっついて民主党を出て行くという議員がどれだけいるか。与党の議員であることの居心地の良さを知った議員に、与党を離れるという行動がとれるかどうか。どっちつかずで、小沢さんの問題を扱えば、野党の反発を招くというだけでなく、国民からも見放される。党を割るなら割れ、という気合で臨まなければならない。いつまでも火種を残しておけば、いつかは真っ赤に燃え上がる。
2010.12.9(木)
夜、寝につくのが遅いのに加えて、寝入りばなの1時間おきのトイレで眠りが浅い。今朝の起床は、7時半過ぎである。入院中は、6時前には起きていたのだから、これだけでも生活のペースが変わっている。
自宅での療養生活、「今月一杯は無理しないように、おとなしく過ごしなさい」と田野崎医師から申し渡されているので、そのような生活を送っている。昼前に、3分ほど庭に出たのが、退院以来初めての外気に触れる機会だった。「おとなしく過ごす」という意味が、家の中に閉じこもっているということまで意味しているのかどうか、よくわからないが、膀胱炎の悪夢が完全に消え去らないうちは、ともかくおとなしくしていることに専念する気持ちである。
日中、特に具合が悪いということはないのだが、ちょっと鼻水が出たり、ちょっと吐き気がしたり、ちょっとだるかったり、いずれも「ちょっと」ではあるが、元気一杯という状態ではない。本を読むのも、集中力がなくて、このところ中断している。その代わりに、NHKのBSの番組を見ていることが多くなった。今日は、BSハイビジョンで、スペインの古都を訪ねる番組を見た。いずれ完全に回復した暁には、私も行ってみたいと思うほどに、魅力的な町の様子が紹介されていた。昨日は、同じチャンネルで、ライオンの群れの生態を驚くほどの克明さで記録した番組に魅せられた。メスライオンとオスライオンの駆け引きで、メスライオンのとる行動は、人間の女性とそっくりというような場面もあり、苦笑しつつ、よくぞこういう場面を撮ったものだと、感銘を受けながら見ていた。
2010.12.8(水)
改めて確かめないと、今日が何日で、何曜日なのかわからなくなるような生活である。そういえば、今日は太平洋戦争の開戦、真珠湾攻撃の日なのだが、新聞、テレビの報道で触れられているのは、目にしていない。お騒ぎで報じられているのは、市川海老蔵の傷害問題のほうである。もっと大事な問題があるだろと言いながら、暇をもてあましている身なので、複数のテレビ局でのこの問題の報道を見ている。
仙台のSMC(サンデイ・マラソン・クラブ)の岡本幸治さんからはがきをいただいた。17年前、私が知事になってすぐの頃に、岡本さんからのお誘いで、SMCに参加させてもらった。仙台にいる時は、毎週日曜日、岡本さんをはじめ2,30人の仲間と一緒に6キロコースを走ったものである。岡本さんは、私より一回り上だから、73歳になっただろうか。はがきには、東京マラソンは抽選に洩れたが、来年の青梅マラソン、つくばマラソンを走ると書いてあった。早い時期に、一緒に走りましょうとも言ってくれている。岡本さんは、私にとっての理想である。まずは、元気を取り戻し、岡本さんと一緒に走れることを願っている。
自宅療養の一日は、ゆったりと過ぎていく。まだ目一杯の元気元気状態ではない。どこがどう具合が悪いということはないのだが、日中眠くなる。筋肉が衰えているのも実感するのだが、そのリハビリは、今のところ封印している。
2010.12.7(火)
今日、3週間の入院を終えて、国立がん研究センター中央病院を退院した。今回の入院は、膀胱炎への対処ということであった。退院を契機に、今回の膀胱炎を総括してみたい。
骨髄移植をした後、ある程度の期間は、合併症や感染症など、いろいろなことが出現するものであり、実際に、GVHDが肺に出現したことで、2回入院した。これは、ある程度想定内のことである。しかし、膀胱炎は想定していなかった。膀胱炎による頻尿と排尿痛は半端でなく、「なんとかしてくれ」と口にも出し、このままこの苦痛が続くことになったらと思うと、絶望感を持つ瞬間もあった。
ATLを発症して以来、病気による身体的苦痛を感じることはなかったし、治療のための抗がん剤の投与の副作用は、それなりにつらいこともあったが、これも想定内だった。そのこともあり、「闘病」というイメージとは違った心境で治療を続けていた。このまま完全回復へと進むのではないかと、ある意味では、高をくくっていたところがあった。そんな甘いものではないということを、今回の膀胱炎で思い知らされた。
膀胱炎の痛みが続く中では、強気、前向き、楽天的な自分が、弱気、後ろ向き、悲観的になってしまったような気がした。膀胱炎から回復した今は、また、強気、前向き、楽天的な自分に戻ったが、今までの心構えとはちょっと違う。完治までには、何でもありうるのだということを、心に刻みながら、これからも療養を続けたい。
3週間ぶりに自宅に戻って、まずはほっとした。おいしいごはん、大きなテレビ画面、ゆったりした風呂、入院中には期待できなかったことを味わって、改めて退院したことの喜びを感じている。入院中は、話す相手は医師と看護師しかいなかったが、家族との会話が戻ってきたのは、何よりの幸せである。実際には、自宅療養となると、妻をはじめ、家族にいろいろ負担をかけることになるのは、心苦しいが、しっかりした療養生活を送って完治を果たすことによって、これに報いるしかない。
2010.12.6(月)
睡眠薬を飲んで寝た夜。昨夜も、大体においてよく眠れた。途中トイレは2回。朝一番の体重は54.7と減っていたので、利尿剤の注入はなし。血糖値も88と低い値。このところ、朝の血糖値は低い。朝食前のインシュリン注射はなし。昼、夕の血糖値も徐々に落ち着いてきている。このまま正常に戻って、インシュリンからは解放されたい。
朝倉医師が検査結果を持ってきた。CRPは1.52とさらに低下。生理食塩水の点滴も今日からやめた。入院治療としてやるべきことはなくなったので、明日退院するということになった。
夕方、妻のいるところに、田野崎医師がやってきて、光子と一緒に説明を聞いた。年末までは、注意して、慎重に生活するように。来客も避けたほうがいい。これからもGVHDがどの部位にいつ発症するかわからない状態ではあるが、早めに対応すれば、心配ない。といったことであった。明日、退院になるが、もう帰ってきたくないなとは思う。毎週月曜日の田野崎医師による外来診察だけで済んでくれるといい。
2010.12.5(日)
昨夜は、10時ごろ、睡眠薬を飲んで寝たら、よく眠れた。途中で3回トイレに行ったが、それで眠れなくなることもなかった。トイレに行くときには、少しふらふらしたが、これは予想していたとおりの睡眠薬の影響だろう。
今日も一日大過なし。検査がないので、状況が動かない。福岡国際マラソンをテレビ観戦。モロッコの38歳のガリブ選手がぶっちぎりで優勝。暑さの中で、あれだけの走りができるのはすごい。日本勢では、松宮隆行選手の3位が最高。世界との差は、歴然としてある。
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