2010.12.25(土) クリスマス・プレゼント
以前にも、同じようなことを書いた覚えがあるが、現在の状況を記録しておくという意味からも、自宅での療養で、毎日やらなければならないことについて、書いておきたい。
まず、朝一番に体重を計測し、朝夕に血圧と脈拍の測定(テルモ自動血圧計で)、血中の酸素濃度測定(指にはさむだけで計測できる機器で)をする。体温の測定も朝と夕にやる。その結果は、表に書き込んでおき、次の外来受診の際に田野崎医師に見てもらう。その日に服用する薬を、朝、昼、夕に分けて準備する。現在は、一日に17錠という多さであるが、習慣になっているので苦ではない。朝と夕には、キュバールの吸引もある。こういった薬をきちんと服用することは、自宅療養では最も大事なことである。
食事の前には、血糖値を計測し、その値が150以上なら、インシュリンを注射する。朝食前の値は、例外なく149以下であるが、昼食前、夕食前には150を超えることが多い。この計測を忘れて、食事にとりかかり、「ああ、まずい」とあわてて計測キットを取り出すことが何回かあった。こういったことに加えて、自宅療養中には、リハビリとしての運動も必要である。たとえば散歩だが、今月中は自粛しているので、これはなし。代わりに、一昨日書いたように、階段昇降をしている。そうそう、一日2000ccの水分を摂取するというノルマがあることを忘れるところだった。この量を毎日こなすには、かなりの努力が必要である。
テレビを見ていて、昨日より聴こえがよくなっていることに気がついた。それまでは、テレビの音声が聴き取りにくいと感じることが多かったが、今日は、同じ音量ではっきりと聴き取れることに驚いた。昨日の治療の効果が、立派に出現したということになる。横浜労災病院の鈴木先生、ありがとうございました。これが、私にとってのクリスマス・プレゼントとして、喜んで受け取らせてもらいます。
2010.12.24(金)
クリスマス・イヴにワインを 午後から、横浜労災病院の耳鼻科の診察を受けた。イケメンの鈴木医師の診察では、鼓膜についている垢が薄い膜状になっているので、それを取るということだった。最初に診察を受けた半年前は、鼓膜にべったりという感じで垢がついており、それを柔らかくするために、耳の中に水を入れ、しばらく時間をおいてから、機械を耳に入れて垢の吸出しをした。痛かったし、つらかったことを思い出す。今日は、あの時より垢は薄くついているので、取りやすいはずと言いながら、鈴木医師は耳の中に機械を入れた。実際は、取りにくかったようで、機械が鼓膜の近くまで押し込まれた時には、思わず「痛い、痛い」と声に出た。これで、今までより聴こえがよくなったかどうか、まだよくわからない。こういった症状は、放射線照射の副作用よるものなので、半年もすれば治りますと、鈴木医師は説明した。「えーっ、半年もかかるの?」というのが、率直な私の感想である。
今夜は、クリスマス・イヴ。去年のクリスマスは、がんセンターに入院中で、体調もかなり悪かった。肺と胃の痛みがひどくて、塩素モルヒネの点滴をしても、痛みは去らなかった。口内炎、吐き気、食欲不振で食べることもままならない。顔のむくみもひどくて、妻に言わせれば、「お地蔵さんよりもっとひどいありさま」だったらしい。
今年のクリスマス・イヴは、家族と一緒に祝うことができた。エルヴィス・プレスリーが歌うクリスマスソングを静かに流しながら、ターキーならぬチキンにかじりつき、ケーキを食べた。2週間前の外来診察の際に、田野崎医師に「クリスマスにワイン、正月にお酒、これはいいでしょうか」という私のお伺いに、「いいですよ。でも飲み過ぎないように」という返事を得ていた。妻が結構いい赤ワインを買ってきてくれた。およそ一年半ぶりのアルコールである。期待する一方で、少しの不安もあった。飲めるだろうか、具合悪くならないだろうか。飲んでみたら、素敵な味の赤ワインであった。「おいしい、おいしい」と連呼しながら、「ありがとうね」と妻に感謝した。その妻は、「だめよ、久しぶりなんだから、そんなに飲んじゃ」と教育的指導をするので、グラスに一杯で切り上げた。病気の前は、この程度で酔ってしまうことはなかったが、今夜は、この程度で結構いい心持ちになった。幸せである。メリークリスマス!
2010.12.23(木)
応援のために祈りを 朝、いつもどおりの時間に起きようとしたら、「今日は祝日なんだから、ゆっくり寝てて」と妻に言われた。娘の司法修習の研修が休みなので、朝食は遅くていい。家族も、休日ぐらいは、ゆっくりしていたいのだろう。毎日が日曜日の私は、いつが祝日なのか、気にかけていないので、今朝のようなことになる。今日は、天皇誕生日の祝日である。
湯船で胸を触ってみたら、筋肉がなくて、ぶよぶよである。太もも、ふくらはぎも筋肉の落ちようが顕著である。洗髪は、昔の頭髪豊富な時と比べれば、あっけないほどに終わってしまう。洗った後は、タオルでさっと頭を拭けばそれで終わり。ドライヤーで乾かすほどの毛の量ではない。嘆いているのではない。今のこの状態を覚えておけば、いずれ筋肉が戻ってきて、髪も伸びてきた時に、「あの頃は、あんなだったんだよなあ」と話のタネにできる。
筋肉が落ちたことを意識したからというわけではないが、昨日から階段の上り下りを始めた。外での散歩を自粛しているので、運動といえば、この程度しかできない。毎食後の歯磨きを終えた時に、二階までの階段を三往復する。単純過ぎる運動なので、いずれ飽きてしまうのだろうなと自分でも思うが、何もやらないよりはましだろう。
昨日の日記に、「オウエンのために祈りを」(ジョン・アーヴィング著)を読んだことを書いた。言葉遊びになるが、これが音声言語だと、「応援のために祈りを」とも聞こえる。病を得てから、私のことを心配してくれる友人たちは、「何かできることはあったら、何でもしますから言ってください」と申し出てくれた。お見舞いに行きたいとも言われた。その時の私の答は、「気持ちだけで十分です。その代わり、私のために祈ってください」というものであった。祈ることで、祈りの対象になった人の病気回復に効果があるという、アメリカでの実験結果があるらしい。だとすれば、私のために祈ってくださるというのは、単なる気持ちの問題ではなくて、実際に私を応援してくださることになる。
友人たち、今まで知らなかった人たちが、私のために祈ってくださっていることは、目には見えなくとも、感じるものである。そのことで、大きな力をもらっている。明日の夜は、クリスマス・イヴ。そんな時期だから、こんなことを考えるのだろうか。
2010.12.22(水)
今日は冬至 今日は冬至である。夜明けは遅く、日暮れは早い。ジョギングをほぼ毎朝続けていた頃だが、この時期に走ることには特別の趣があった。6時過ぎに出発するころは、真っ暗である。6キロ走るとして、3キロ地点で折り返す頃に、太陽が昇り始める。世の中がだんだんと明るくなっていく。その中を走るのが、冬のジョギングの醍醐味である。8キロ走る時には、鶴見川沿いの4キロ地点で折り返すと、右前方に雪をかぶった富士山が見えてくる。見えているのは、ほんの1分弱。あとは、建物が邪魔になって見えなくなる。天候によって、毎回富士山が見られるわけではないが、見えた日は、「今日はいいことがありそう」といい気分になったものである。
ジョン・アーヴィングの「オウエンのために祈りを」上下(新潮社)を、やっと読み終えた。「やっと」というのは、途中中断もあって、読了に6日もかかってしまったからである。上下各巻450ページもある大部の小説ということもあるが、作品の重さに読むのがついていけないところもあったからである。
大人になっても150センチに足らない小柄なオウエン・ミーニーは、頭脳明晰、独特の説得力があり、気遣い十分で、友達思い、年長者から子供まで、周りの尊敬を集めずにはいられない存在である。しかも予知能力もあり、自らを神の子と半分信じている。そのオウエンと子供時代からずっと一緒のジョン・ホイールライトが小説での語り部であるが、オウエンとジョンとの世にも稀な友情物語として読むこともできる。子供時代からの20年近くの出来事を、たくさんの魅力的なエピソードを交えて描写する作者の力量に驚きながら読んでいった。
ただ、この作品は、キリスト教についての知識と理解がないと、なかなか読み解けない。オウエンは、夢の中で、死亡年月日まで刻まれた自分の墓碑銘を見てしまい、実際に、亡くなった日付も入った自分の墓を作ってしまう。「ラストの盛り上がりに感動した」という複数の読者の書評を読んでいたので、期待していたのだが、オウエンが夢に見たとおりの日に命を落とすという幕切れは、私にとっては現実離れという感じがぬぐえず、せっかくの素晴らしい作品なのに、ここで、やや興ざめしてしまった。私の読み方が、素直でないのかもしれない。作品としては、だいぶ前に読んだ「ガープの世界」、「ホテル・ニューハンプシャー」と同様に、完成度の高いものであり、全体としては、小説の醍醐味を十分に味わうことができた。
2010.12.21(火)
同病の仲間に励まされて 「夢ネット」を通じて、宮本真樹さんから初めてメールをいただいた。彼女は、慢性骨髄性白血病(現在は、「骨髄増殖性疾患」と仮に診断されているらしい)で、この4月に骨髄移植を受けた。国立がん研究センター中央病院の12B棟に入院していたということで、時期はちょっとずれるが、私と同じ病棟にいたことになる。病名と主治医は違っているが、白血病で同じく骨髄移植を受けたということでは、病友というか仲間と言っていいだろう。宮本さんは、今は順調な経過をたどっているとのことで、病友としては、うれしいことである。彼女が経験していることを、もっともっと知りたいという気になった。彼女からは、「髪の毛は絶対に生えてくるから」との応援メッセージをいただいた。宮本さんの髪は5センチまで伸びたというのに、私のほうはまだまだ。それでも、「絶対に生えてくる」ということを信じて、気長に待つことにしよう。
同じく、「夢ネット」を通じていただいた和歌山県のHさんからのメールには、驚き、感動した。乳がん手術から1年経っただけの彼女が、ホノルルマラソンを完走したという。私がフルマラソンを走るときには、一緒に走りたいとメールにはあるが、私のほうは、今は散歩すら休んでいる状態なので、夢としては持ち続けたいが、フルマラソン完走なんていつになったらできるのだろう。
今朝の朝日新聞の「ひと」欄で「日本からHTLVウイルスをなくす会」代表の菅付佳代子さんが取り上げられていた。菅付さんがHAMの患者として、大変な障害を持ち、どれだけ苦しい思いをしているか、その障害を持ちながら、同じ病気で悩む患者のためにどれだけ大変な活動をしているかを承知している私としては、この程度の紹介では不満ではあるが、限られた字数の紹介文では、それも仕方がない。この記事で引用されている「病気を恨んで憎んでといった人生は嫌だった。対策が進めば、自分が病気になった意味が少しはあったと思える」という菅付さんの言葉に感銘を受けると同時に、私にも、病気になったことを契機にして、やるべきことがあるのだということを、改めて認識した。
同じく今朝の朝日新聞の39面には、「HTLV-1特命チーム」が総合対策をまとめたという記事が出ている。32面には、「がんの痛み 早めに除く―緩和医療」という緩和医療の必要性と有効性についての解説がある。同じ32面で、がんと闘った俳優の小西博之さんの「負けないで」というインタビュー記事が掲載されている。34面の科学欄では、「がん幹細胞 解明進む」という見出しで、最新の研究状況が詳細に紹介されている。新聞やテレビで、がんについての報道が目に付くようになった。私が病を得たから、こういった報道にことさら敏感になっているだけではないだろう。世の中の関心が高まっていることの反映だろう。こういった報道を通じて、がんについての一般の正しい理解が進むことは、喜ばしいことである。
2010.12.20(月)
とうもろこしのひげ茶 国立がん研究センター中央病院で外来診察を受ける日。12月にしては、おだやかで、暖かい天気である。行き帰りの車の中は、暑いと感じるほどであった。今日の診察では、これまでと大きな変わりはないということで、まずは安心した。気になっていたCRPの値は、0.06(正常値上限0.1)だったので、炎症はおさまっているということになる。ただ、腎臓機能の指標であるクレアチニンの値が1.3(正常値上限1.1)という最近ではないような高さだったので、生理食塩水の点滴を受けることになった。点滴には2時間かかる。いつもの外来なら、午前中には帰れるのだが、点滴が終了したのは午後1時過ぎになってしまった。昼食は、久しぶりに19階のレストランで食べることになった。
クレアチニンの値が高かったのは、予想外であった。自宅でも、毎日2000ccの水分摂取を続けているのに、なぜだろう。水分といえば、先日、アイリスオーヤマの大山健太郎社長から、とうもろこしのひげ茶を送っていただいた。飲んでみたら、とうもろこしの香りがして、とてもおいしい。このお茶は利尿作用が高いのだが、私が出血性膀胱炎になったのを知って、大山社長が配慮してくれたのだろう。お心遣いに感謝するのみである。このとうもろこし茶は韓国産で、アイリスオーヤマが販売している。LEDの売り上げで高いシェアを誇る会社が、こういったものまで販売する間口の大きさに驚いてしまう。
私が点滴を受けていた頃、総理官邸では、「HTLV−1対策の特命チーム」の最終会合が開催されていた。夕方のニュースで見たら、菅首相も出席していたようだ。患者団体の記者会見では、政府の迅速な対応への感謝の言葉とともに、これからの対応を継続的にしっかりやってもらいたいという期待の声もあった。
その菅首相、今日の小沢一郎さんとの会談は、物別れ。そうなることは最初からわかっていた。民主党役員会でも、結論が出ず、来週まで検討する(様子を見る?)とは何たることだろう。すでに遅きに失しているのだが、政倫審に呼ぶか、証人喚問をするか、小沢一郎さんへの対応に関して、この期に及んでもまだ決められないとは、情けない。
2010.12.19(日)
人生の扉 朝はゆっくり。7時過ぎ、寝床の中でニッポン放送の「イルカのミュージック・ハーモニー」を聴いていた。イルカも大好きな歌手である。あの独特な声が耳に快い。今朝、最初にかかった曲が、竹内まりやの「人生の扉」だった。2年ほど前、飛行機の中でこの曲を聴いて、いたく心を動かされた。
「人生の扉」詞・曲 竹内まりや (前略) ♪ 満開の桜や 色づく山の紅葉を この先いったい何度 見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ ひとりひとり 愛する人たちのために 生きていきたいよ I
say it's fine to be 60 You say it's alright to be 70 And they say
still be good to be 80 But I'll maybe live over 90 (後略) 50歳を越えた頃から思い浮かぶようになった思いを、歌にしたということが、竹内まりや自身が書いたこの曲の解説で明らかにされている。飛行機の中で初めて聴いた時には、英語の歌詞のところが、特に、心に残った。竹内まりやの英語の発音が完璧であることにも感銘を受けたが、歌詞の内容に心打たれた。長生きをすることは素敵なことだと言ってしまえば、単純に過ぎる。歌の最後は、「だんだん弱っていくことは悲しいと私は思い、年老いていくことは厳しいことだとあなたは言う。みんなは、人生なんて何の意味もないと言う」(実際は、この部分も英語)。それに続く最後のフレーズが、But
I still believe it's worth living (それでも、人生は生きるに値すると私は信じている)である。
大きな病を得て、この歌の持つ意味がさらに深まった気がする。生きていくことは、それ自体、素敵なことだという応援歌のようにも聞こえる。起きだして、CDでこの曲を聴いた。素晴らしい作品であると、改めて感じた。
朝の洗面の時に、頭髪に目がいく。期待したほどには、髪の毛が戻ってきていない。がんセンターの放射線科の伊丹医師からは、「必ず生えてくるから、大丈夫」と言われているのだが、いったいいつになるのだろう。「♪僕の髪が、肩まで伸びて、君と同じになったら、約束どおり、町の教会で結婚しようよ、mmmm」。髪の毛が昔と同じになったら、予定どおり社会復帰できると思っていたのだが、なかなか髪の毛が伸びてこない。このままだと、社会復帰の時期も遠のくのかと心配になる。しかし、そんな、しっぽが頭を振るような考え方はよくない。このままの髪で社会復帰すればいいだけのこと。It's
fine to be 60、60代としての素敵な生き方を送るためにも。
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