2011.1.8(土) インフルエンザの予防接種
インフルエンザの予防注射を、横浜駅近くのT診療所で受けた。6日のがんセンターでの診察の際に、インフルエンザの予防接種をしていいのかどうか、田野崎医師にお尋ねした。「してもいいです。でも、効くかどうかはわかりません」とのお答え。私だから効かないのか、そもそも、インフルエンザの予防接種は効かないものなのか、そこまでは問い詰めなかった。まあ、だめもとで、安心のために、受けることにした。
義母、妻、娘はすでに、T診療所で予防接種を済ましている。自宅の近くにも、予防接種が受けられる診療所はあるが、いつも混雑しているし、子どもが多いということで、そこに行くことで風邪などを拾ってくる心配がある。T診療所を選んだのは、標榜科目が泌尿器科であって、子どもは来ないし、比較的空いているからである。予防接種の効果が発現するのは、1ヶ月後であり、その頃には、インフルエンザの流行は下火になっているだろう。それでも、やらないよりは、やっておいたほうがいいと思い、今日の接種となった。
今日は、わがエルヴィス・プレスリーの誕生日である。1935年生まれだから、生きていれば、76歳である。この齢になっても、しっとりとしたバラードを歌っていたかもしれない。42歳の若さでこの世を去ったKing of Rockn'roll を偲びながら、一人彼の歌を聴いていた。
2011.1.7(金)
「朝ズバ」出演 TBSテレビの「朝ズバ」に生出演するために、早起きしてスタッフの到着を待っていた。6時半ごろ、突然、我が家の電気が止まった。三つの部屋の暖房、乾燥機、トースターと、熱源の電力をいっぺんに使ったせいで、容量オーバーになったのだろうが、こんなことは初めてである。「よりによってこの大事な時に・・・。電気が使えないと中継ができなくなってしまう」とあせってしまった。配電盤を点検したが、ブレーカーは下りていないので、どうやって復旧するのかわからなかった。そこにTBSのスタッフがやってきて、見てもらったら、もう一つ配電盤があって、そこのブレーカーが下りていた。それを元に戻して、無事復旧。いやいや、とんだハプニングだった。
そんなハプニングもあったが、予定どおり、「朝ズバ」の「8時またぎ」のコーナーで、みのもんたさんとやりとりすることができた。「ATLで闘病中の浅野の近況紹介」といったコンセプトで番組が作られているのだが、スタジオと結んだ冒頭に、「菅政権については、どう考えていますか」とみのさんから質問されて、ややとまどってしまった。
それはともかく、挿入されていたヴィデオはわかりやすく、とてもうまく編集されていた。ヴィデオ映像に続いて、自宅からの中継で、私の病気のこと、闘病の様子を紹介させてもらった。番組の後半では、再び、現在の政治状況について、みのさんから質問されたが、患者としての浅野ではなく、元コメンテーターの浅野を意識してのことだろう。
妻にも質問が振られて、自宅で私を支援することについて答えていたが、自分の声と中継モニターの音声とのタイムラグがあることに戸惑って、うまくしゃべれなかったと本人は言っていた。
「朝ズバ」の金曜日のレギュラーコメンテーターとして2年近くを経た2009年の5月29日、この日が最後の出演となった。ATL発症の告知を4日前に受けていて、すぐに入院することになっていた。この日の番組が8時半に終わり、その後、ミーティングをしているスタッフ(みのもんたさんも同席)に、自分がATLを発症して、入院治療が必要になるので、しばらく出演できないと申し上げた。病気のことは公表して構わないとも言っておいたので、翌週の「朝ズバ」で私が病気療養のため、しばらく休むということをみのさんから紹介があった。これが、マスコミを通じて、私の病気について伝えた最初だったと思う。今朝は、スタジオではなく自宅からの中継ではあるが、1年半ぶりの出演で、感慨もあった。私の代わりを務めている与良正男さんからは、番組の中で、「いつでも代わりますから、早く戻ってきてください」と声をかけてもらった。
夕方、大原ディレクターから連絡があり、今朝の「朝ズバ」の私の出たコーナー(の一部?)が、1月10日(月)に東北放送で18:15からの「Nスタみやぎ」で放送されるとのこと。これで、リアルタイムではないが、宮城県の方々にも見ていただける。
2011.1.6(木)
今年の初受診 国立がん研究センター中央病院での本年最初の外来診察の日。病院に向かう車が多摩川にかかったところで後ろを見たら、雪を冠った富士山の姿が見えた。ほんの一瞬で見えなくなったが、その姿の美しさ、神々しさに心を打たれた。富士山を見たのは、2年ぶりぐらいだろうか。それもあって、変わらぬ富士山の姿に感激したのである。
田野崎医師に新年のごあいさつをして、診察に入る。検査結果は問題なし。ステロイド剤のプレドニンは、明日以降、7mg/日から6.5mg/日に減る。こうやって、少しずつというか、恐る恐るというか、様子を見ながら減らしていく作戦と心得た。「このぐらいの量のステロイド剤を使っていて、社会復帰はできるのでしょうか」との私の問いには、「ステロイド剤がこの程度のレベルであれば、問題はないでしょう。実際に、ステロイド剤を服用しながら、活動している方はたくさんいらっしゃいます」との答。まずは、明るい展望が持てる。封印されていた食べ物として、漬物、生もの、梅干などがあるが、「何を食べてもいいですよ」という田野崎医師の言葉を聞いて、隣に控える妻に、「なっ、いいんだってよ」と念を押した。別に、どうしても食べたいわけではないが、食べ物について「あれもダメ、これもダメ」ということがスッキリこないという思いがある。ついでに、お酒についても、「一週間に一度、一合はいいです」というお墨付きももらった。これも、どうしても飲みたいというわけではないが、一歩一歩前進していることを確認したいという私の願いがある。新年最初の診察なので、新年ならでは、主治医から少しでも前向きなことを引き出したかったので、いろいろ訊いてしまった。
このところ読書にあてる時間が少なかった。元日以来、読んだのは、向田邦子の作品だけ。昨年末に読んだ「父の詫び状」に続いて、「思い出トランプ」、「あ・うん」、「阿修羅の如く」、「きんぎょの夢」を続けて読んだ。「思い出トランプ」は直木賞受賞作品を含む短編集であるが、無駄のない文章で、人生の機微を魅力たっぷりに描いている。
「あ・うん」は緊迫感のある小説である。どんどん向田ワールドに引き込まれる感覚を持ちながら読み進めた。以前に読んだと記憶していたが、これだけ引き込まれるということは、今回読むのが初めてだったのかもしれない。山口瞳は、文庫版の解説で、「『あ・うん』は、反戦文学として、恋愛小説として、友情小説として完璧だ」と絶賛している。さらに、山口瞳は、この解説より前に書いた文章で、「向田邦子には、悪戯っぽい少女と、快活な少年と、人生の達人であるところの中年女性とが同居しているのであって、一粒で三度おいしいという趣きがある」と分析しているが、解説では「私は、いま、ここで、苦渋に満ちた熟年男性もつけ加えたいような気持ちになっている」と書いている。山口瞳さんの解説に影響されたわけではないが、「あ・うん」は向田邦子の小説の中での最高傑作ではないか。これで、本屋に行けない私のために長女が買ってきてくれた5冊を読み終えしまった。明日からは、まだいっぱい残っている、根本久仁子さんから送ってもらった本を読むことにしたい。
2011.1.5(水)
テレビ取材 今日から、娘の司法修習の研修が再開されるので、朝が早い彼女の生活ペースに合わせなくてはならない。ゆっくり寝てはいられないということである。こうなると、正月気分からも抜け出したような気がする。もっとも、今年の私は、正月のお参りに行くこともなく、家から出ることもないので、正月気分を味わうというほどではなかったのだが。
TBSテレビ「朝ズバ」のスタッフが取材に来た。7日(金)の「朝ズバ」の「8時またぎ」のコーナーで、HTLV-1ウイルスとATLについて取り上げられる。担当ディレクターの大原博司さんは、全国あちこちに足を伸ばし、ずいぶん長い期間をかけて取材をしてきた。この問題について、かなりの思い入れがある様子である。その大原さん、我が家の玄関までは来ていたのだが、風邪気味だと自分で言って、家の中には入らず、車の中で待機となった。私が感染症にかかるリスクに神経をとがらせていることを、わきまえてのことである。このため、本来、大原さんがインタヴューをするはずだったのが、彼に代わって、カメラマンが急遽ピンチヒッターに指名された。突然の指名にとまどいを隠せないのは当然だろう。
妻と一緒に昼食を摂っているところを撮られ、食べながらインタヴューを受けた。カメラマンが、カメラを回しながら質問してくる。お互い向き合ってのインタヴューの形をとらなかったのは、普段の生活の中で、私が何を考えているのか引き出そうという意図なのだろう。せいぜい2,3分しか使われないのに、合計では1時間ぐらいカメラを回していただろうか。編集するのが大変だろうなと、こちらのほうが気を回してしまう。
大原さんがみっちり取材した内容を10分ぐらいに編集したヴィデオが、7日の番組で流される。その後、自宅と「朝ズバ」のスタジオを結んで、私がスタジオのみのさんとやり取りをする場面が用意されている。ATL、HTLVI-1ウイルスについて知ってもらう貴重な機会である。この番組に限らず、取材には積極的に応じることにしているが、それが報道されることにより、この病気について、多くの人に関心を持ってもらうことを期待しているからである。「朝ズバ」は、東北放送では7時20分でローカル番組に切り替わってしまうので、宮城県の人たちは「8時またぎ」を見ることができないのが、残念ではある。
2011.1.4(火)
元気で長生き 夜中のトイレは2回に減ったが、なんとかこれをゼロにしたい。夜中のトイレゼロというのは、リンドバーグの大西洋無着陸飛行に匹敵する快挙のように、今の私には思える。ちなみに、1927年5月、ニューヨークからパリまでの無着陸飛行に要した時間は33時間半である。単独飛行だから、操縦席から離れるわけにはいかない。その間の排尿排便はどうしたのだろう。
朝、新聞を取りに庭に出たところで、外を見たら、三軒隣の佐藤さんのおじさんが庭から私に手を振っているのが見えた。新年の挨拶のつもりで、こちらも手を振ったが、おじさんは「元気でね」と私に向かって大きな声を出した。佐藤さんは98歳。1年前に奥様を亡くされてから一人暮らしである。私が散歩の時に出会うと、「病気治してね、元気でね」と声をかけてくる。矍鑠(かくしゃく)という言葉があるが、まさに、佐藤さんのためにある言葉で、その身のこなしは矍鑠としている。背筋をピンと伸ばして歩く姿は、とても98歳には見えない。
そういえば、同居している義母は87歳、仙台にいる母は90歳で、どちらも元気である。持病があり、耳も遠くなっているが、頭はしっかりしている。長生きはいいことだが、元気で長生きはもっといい。「♪ひとつひとつ人生の扉を開けて」ここまで到達した。私も「♪I'll maybe live over 90」と思っており、佐藤さんのおじさん、二人の母は目標とすべき人たちである。
2011.1.3(月)
早稲田の優勝おめでとう 昨日から今朝にかけて見る夢が初夢ということだが、いろいろ夢を見たような気がするが、起きてみたら、どんな夢だったか忘れている。少なくとも、富士、鷹、なすびは夢に出てこなかった。もちろん、悪夢もなし。今年は、起きているうちに夢を見よう。それが実現するように、世の中すべてのものに祈ろう。
箱根駅伝の2日目。予想どおり、早稲田大学が優勝。これで、出雲全日本大学選抜駅伝、全日本大学駅伝での優勝に続いて、三冠を達成である。志方文典、佐々木寛文など主力選手が怪我で出られない中で、この結果を出したのは、早稲田大学の層の厚さだろう。昨年優勝の東洋大学とアンカー勝負になったが、21秒差で逃げ切った。ひたひたと迫る東洋大学に、アンカーの中島選手はひやひやだったようだ。途中、後続確認のために何度も後ろを振り返る姿をテレビで見ていて、「大丈夫だろうか」と心配したが、見事に逃げ切った。史上最も僅差の勝利だそうで、見ているほうとしても、最後まで力が入った。
シード権争いも、手に汗握る勝負だった。4校がゴール直前まで並走するアンカー勝負になった。日体大(8位)、青山学院大(9位)、國學院大学(10位)がほぼ一線でゴール。城西大学は、3秒差でシード権を失った。國学院大学の寺田選手が、ゴール直前でコースを間違えるというハプニングがあったが、それでも10位に入ったのは立派。コースを間違えるのは、選手も悪いが、コースで整理にあたる係員の不手際でもある。何のために、コースに立っているのか、こういった「事故」を未然に防ぐように、選手を正しいコースに誘導するという役割はしっかりやってもらわないと困る。
それにしても、今年の箱根駅伝は面白かった。沿道では、驚くほど多くの人たちが応援している。その光景を見ながら、これも世の中が平和だからこそできることなのだという感慨を抱くのは、私だけであろうか。その意味でも、いつまでも続いていって欲しい箱根駅伝である。
2011.1.2(日)
正月は箱根駅伝 正月恒例の箱根駅伝。その一日目のレースのテレビ中継に、わくわくしながら見入っていた。ほとんどの区間が20キロを超える長丁場なので、1分や2分離されても、追いつくことができる。その抜きつ抜かれつを見るのが楽しい。
今日のレースでは、一区で20位最下位だった東海大が、エース区間である2区で3位にまで順位をあげたのには驚かされた。村沢明伸(2年生)が、なんと17人抜きという快挙である。戦前の私の予想は、東洋大学が5区のたすき渡しでどんな順位でいようとも、「山の神」の異名を持つ柏原竜二が山登りでトップを奪うというものだった。結果は、そのとおりになり、東洋大学が往路優勝を果たした。柏原選手は、この1年、ずっと不調だった。山登りの途中の柏原選手の表情は、苦しさでゆがんでいた。「これは、最後までもつかな」とテレビを見ている私も心配したが、トップ早稲田大学との2分54秒差をひっくり返した。柏原選手のタイムは、1時間17分53秒で3年連続の区間賞。昨年、自身が出した1時間17分08秒には及ばなかったが、調子万全といえない中で、きっちり結果を出すのは、彼の精神力だろう。感動した。今日の段階で、復路の予想をしておけば、優勝は早稲田大学が東洋大学を逆転して勝ち取るだろう。
仙台に住んでいた頃は、SMC(サンデー・マラソン・クラブ)の有志メンバー30人ほどと一緒に、塩釜神社までの往復34キロを走るのが、1月2日の恒例行事だった。仙台駅に6時33分に集合して、記念写真を撮り、7時ごろから走り出す。8時が箱根駅伝のスタートだから、イヤホンでラジオ中継を聴きながら走る。34キロという距離は長いが、遅いランナーに合わせて、キロ7分のゆっくりペースでの走りだし、塩釜神社に着いたら参拝をし、記念撮影をしながら休憩をとるので、それほど大変ではない。とは言いながら、半分ぐらいの人は往路だけでやめるので、復路はペースがあがり、かなりきつい走りになる。完走を果たして、仙台駅に戻った時には、それなりの達成感がある。「これで、今年一年がんばるための体力は証明された」と思うのも、毎年恒例であった。
2011.1.1(土)
年の始め 年が明けた。夜が明けて朝が来るのであって、朝が明けるのではないのだから、「新年明けましておめでとう」はおかしい。旧年が明けて新年がやって来るのだという理屈を言う人がいる。それはともかく、新しい年の到来は、それだけでめでたいものである。今年の元旦には、素直にそう感じる。
家族揃ってお雑煮を食べる。こんな単純なことではあるが、これも幸せの一つの形である。去年は入院中で、三が日にお餅が出ることはなかった。だから、なおのこと、家族で祝う正月が貴重に思える。久しぶりのお餅を食べながら、そんなことを考えていた。
元旦といえば、年賀状である。11時ごろに届いた。こちらから出しそびれていた人からの年賀状には、「早々とお年賀状をいただいて、ありがとうございます」という返信をする。年末に作ったリストと照らし合わせての作業になるので、結構、時間がかかったが、何とか今日中に終えることができた。
その作業をしている時間に、実業団ニューイヤー駅伝のテレビ中継があった。作業をしていたので、いつもの駅伝のようには集中して見ることができなかった。その駅伝であるが、アンカー勝負になって、3人がゴール直前まで並走する大接戦になった。この場面は、作業を中止して、手に汗を握りながら見た。満を持してスパートしたトヨタ自動車の熊本選手の力走で、トヨタ自動車が初優勝を遂げた。おめでとうございます。
年の始め、「今年こそは」という決意をする時期である。私なりに、今年に賭けるところはある。運命の声に耳を傾けながら、決意したことの実現のために、一歩一歩、前に進んでいく、そういう年にしたい。
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