浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 1月第3週分          

2011.1.15(土)

 のんびりした日々    

 土曜日なので、いつもより遅く、8時近くになって、ボチボチと起きだす。玩具福祉学会の理事長の小林るつ子さんからのメールで、「玩具福祉研究」の巻頭言を依頼された。玩具福祉学会は去年10周年を迎えた。私は、一応、名誉会長ということで名を連ねているが、ほんとに名ばかりである。こういう機会には、少しは尽力しなければならない。ということで、巻頭言を書いて、小林さんにメールで送った。締め切りは2月末ということだったが、こういうのは、依頼があったらすぐ書くに限る。放っておくと、忘れてしまうことが多い。毎度言うことだが、内容はともかく、書くのは速いのである。(「玩具福祉学会」で検索すると、ホームページが最初に出てきます。ご興味のある方は、どうぞ)

 そろそろ散歩を再開しようかと思っているところだが、今日の寒さは尋常でないらしい。この寒さは、しばらく続くとのこと。散歩再開は、もう少し先に延びる。夕方以降に水分を摂取することが、夜間のトイレにつながるのではないかと疑っている。そこで、今日は、昼のうちに、一日のノルマの2,000ccを飲んでしまった。そのためだろうか、日中にトイレに頻繁に通うことになった。トイレに行っているだけで、一日が過ぎてしまった。そう感じるほどに、何もやらないままに、時間だけが過ぎていく。

 明日16日(日)14時―16時 赤羽会館大ホール(東京都北区赤羽南1−13−1)で「知ってください! HTLV-1ウイルスについて」というシンポジウムがあります。入場無料です。主催は、菅付加代子さんが代表を務める「日本からHTLVウイルスをなくす会」(通称「スマイルリボン」)です。私の主治医の田野崎隆二先生もパネラーとして参加します。私は残念ながら出られませんが、ご興味のある方は、ぜひご参加ください。


2011.1.14(金)

 知的部門のリハビリ    

 「毎日が日曜日」の今の生活であるが、今日は、知的活動に時間を割いた。午前中に、私も会員になっている分権型政策制度研究センターのニュースレターの巻頭言に、地域主権改革についての原稿を執筆した。午後からは、産経新聞大阪本社の木村記者から橋下府政についての取材を2時間近くにわたって受けた。その後、「家族という視点――精神障害者と医療・福祉の間から」滝沢武久著(松籟社)の書評を書いた。滝沢さんは、精神障害者問題に長年関わってきて、障害者福祉という共通点で私とも接点があり、その活動ぶりを頭が下がる思いで見てきた。その滝沢さん本人からこの著書を送られ、書評もお願いされたので、とても書評と呼べるような内容ではないが、急いで書かせてもらった。

 社会復帰を目指す中でのリハビリの知的部門のようなものである。身体的リハビリの散歩は、まだ自粛中であるが、執筆活動、取材対応で頭を使うという形でのリハビリは順調に進行中である。この部門では、病気発症以前の状態に戻ったような気がする。戻っていないのは、筋肉と頭髪である。


2011.1.13(木)

 病友たち    

 国立がん研究センター中央病院の田野崎医師に外来受診をする日。今日も、車が多摩川を越えるところで、富士山の姿が見えた。雲がかかっていて、あまりくっきり、はっきりとは見えなかったが、それでもラッキーという感じである。診察の結果もラッキーという状況で、検査結果は特に異常なし。胸のレントゲン検査の所見も悪化の兆候はなし。それに伴い、ステロイドの服用量は、6.5mg/日から6.0mg/日に減量された。

 診察の待合室で、南克己さんに会った。前にも書いたが、南さんもATL患者で、東大医科研に私と同じ時期に入院し、がんセンターへの転院もほぼ同じ時期、骨髄移植の時期も、退院の時期もほぼ一緒である。その後は、順調に回復への道をたどっている。そういった情報交換をして、お互いに励ましあう仲である。

 今日も、いろいろと話をした。そうやって話をしているところに、石井竜也さんが声をかけてきた。石井さんは、2,3ヶ月前に、「浅野さんですか、私も白血病です」と声をかけてきたのが最初で、今日は二度目である。彼の話しを聞いて驚いた。骨髄移植を終えて、2年半順調に経過していたところ、おとといの診察で、白血病が再発し、脳の腫瘍も疑われ、明日、頭部切開して組織を取り出して確定診断をするとのこと。「あの苦しい治療をまたやるのかと思うと、絶望的になります」というのは、ホンネだろう。私と南さんと一緒になって、「あきらめずに、しっかりがんばって。大丈夫、きっと回復するから」と励ましたが、その励ましに勇気づけられたと言ってもらった。同病の患者からの励ましは、特に、心に残るはずである。ほんとうに、がんばってもらいたい。同病の患者のためにも。

 昨日は、安河内眞美さんと電話で話した。彼女がATL患者であることは、「がんサポート」の記事などで承知していた。骨髄移植を受けて5年経つが、テレビ東京の「なんでも鑑定団」に出演するなど、元気に活躍している姿を見て、大いに勇気づけられていた。自分も、あんなふうに社会復帰できるのだという目標でもある。昨年末にお手紙を出していたのに、電話で連絡してもらった。先輩病友として、いろいろ教えてもらいたいことがある。励まし合いたいという思いもある。いずれお会いすることになるだろうが、その他、いろいろな形で連絡を取り合いたいと思う。南さんも、安河内さんも、主治医は田野崎医師である。その意味では、田野崎学級の同級生といったところだろうか。他の田野崎先生の同級生の方、「夢らいん」を通じて、メールで連絡いただけないかな。仲間を増やしたい。

 12月21日の日記に書いた宮本真樹さんから、昨日もメールをいただいた。彼女は、WT−1ペプチドワクチンの研究に協力して、治験ワクチンの接種を受けている。昨日もその接種の日だったとのこと。同病の患者のために、少しでも協力したいという姿勢に頭が下がる。彼女も病友である。乳がん手術から1年でホノルルマラソンを完走した和歌山県の硲理香さんは、12月21日の日記ではHさんとして登場してもらったが、実名で構わないと言ってくれた。彼女は「がん友」であり、走る仲間でもある。

  今日は、千葉県の小栗保克さんからもメールがあった。彼は、AML(急性骨髄性白血病)で、かなり厳しい予後を経験しながら、職場復帰を果たしている。私と同じく、宮城県出身であるとのことで、さらに親近感がある。今日のメールでは、「白血病の仲間が勇気をもらえることでしたら、実名オーケーです」と、この日記に実名で登場してもらうことを承諾してくれた。こうやって、だんだん、病友の輪が広がっていく。


2011.1.12(水)

 取材あいつぐ    

 昨夜は、トイレに3回立った。回復は一直線には進まない。一進一退、「♪三歩進んで二歩下がる」ということである。朝の起床が早いこともあって、日中は眠さが残る。午後からは、かなり長い時間、昼寝をした。こういうのも、珍しい。

 午前中、朝日新聞の取材が入る。名古屋市の河村市長、大阪府の橋下知事、阿久根市の竹原市長の動きをどう見るかという切り口から、地方議会のありかたについて、持論を展開した。紙面に載るのは、来週であるが、どういった形でまとめられるか。取材にあたったのが、旧知の坪井ゆづる氏であったこともあり、気楽に対応できたのはよかった。そもそも、取材対応は嫌いではないし、こういったことが、社会復帰への準備になるということもあり、積極的に受けることにしている。先週、7日(金)に毎日新聞から地域主権改革について取材を受けたが、それが14日(金)の夕刊に出る予定である。辛口すぎる言い方になったのが気になるが、果たしてどういう紙面になることやら。14日(金)には、同じく地域主権がらみで、橋下知事についての取材を、産経新聞の大阪支社の記者から受ける予定。病気の話題だけでない、政治問題について、自分が、まだ取材される価値があると見られていると認識することは悪くない気分である。

 小沢一郎さんが、国会開会前には政治倫理審査会に出ないと言い出した。そんなこんなしているうちに、強制起訴になり、今度はそのことを理由に、政倫審にはもう出る理由はなくなったと言うだろう。やはり、小沢さんとしては、どうしても政倫審には出たくないらしい。民主党執行部がぐずぐずしている間に、「敵」は逃げ切る算段をしている。こういう茶番劇を見せつけられる国民は、がっかりを通り越して、民主党を見限る態勢に入っている。しっかりして欲しい、民主党、菅首相。最後の詰めを怠りなく。そんな中、民主党の両院議員総会が開催された。そこでの執行部批判は想定の範囲内である。執行部としては、内部での多少の不協和音はあろうとも、断固とした姿勢で、小沢問題に決着をつけるべきである。

 タイガーマスク、伊達直人の名前で、全国の児童養護施設へのランドセルの寄付が相次いでいる。ランドセルに限らず、現金だったり、食料品だったり。送り主も、伊達直人だったり、矢吹丈だったり。こういう流行は大歓迎である。こういった善意の行動が、骨髄バンクへの登録というところまでつながってくれることを期待している。他人のために、やれることがある。そのことによって、確実に助かる人がいる、喜ぶ人がいる。そのことを実感することは、善意を寄せる人にとっても達成感につながる。日本における新しいボランティア活動の幕開けになってくれるといいなと思いながら、今回のタイガーマスク現象を眺めている。


2011.1.11(火)

 「無着陸飛行」達成せり    

 ついに、「無着陸飛行」を達成。翼よ、あれがパリの灯だ。昨夜は、一度もトイレに立つことなく、朝を迎えた。途中で睡眠を邪魔されないので、熟睡できる。これからも、この調子が続きますように。

 午後は、2時間余の取材が入ったが、久しぶりに読書の時間も持てた。「明日の記憶」荻原浩著(光文社)。2005年本屋大賞第二位を獲得した作品である。若年性アルツハイマーに冒され、徐々に記憶を失いっていく主人公佐伯が、その恐怖を語り、最後には、自分の運命を受け容れていく過程を描いている。

 不治の病に冒されていることを知り、徐々に、そして確実に人格が壊れていくことを自覚することは、どれだけ恐ろしいことであるか。最後のページで、佐伯が自分の運命を運命として受容する境地に至ることを示唆するところが描かれるのだが、まさにその最後の場面では、妻が山の窯から戻ってくる佐伯を出迎える。その女性に、佐伯は名前を尋ねる。「いい名前ですね」という佐伯の言葉に、彼女が少しだけ笑ってくれたと書くのは、佐伯自身である。既に、自分の妻がわからなくなっている。私自身、大変厄介な病気に罹り、長い間闘病をしてきた身であるが、若年性アルツハイマーのように、徐々に、確実に人格が壊れていく病気は、本人のつらさ、恐ろしさは、私の病気とは比べ物にならないほど厳しいだろう。そんなことから、人間が生きていくことの意味を、改めて深く考えさせる作品である。


2011.1.10(月)

 成人の日に   

 昨夜は、トイレには一回しか立たなかった。「無着陸飛行」も、もうすぐ達成できるだろう。こんな小さなことでも、うれしい変化である。毎食後の階段昇降と、起床後・就寝前の腹筋は休まず続けているので、筋肉が戻りつつある。このことも含めて、少しでも前進していることを自覚することは、療養中の身として励みになる。

 今日は、成人の日で祝日。毎回書くことであるが、成人の日は1月15日と昔から(昔は)決まっていたのである。三連休にすれば、旅行客が増えるという魂胆なのだろう、「ハッピーマンデー」とか呼んで、1月の第二月曜日を成人の日と決めてしまったのは、どなたの陰謀なのだろう。(国会で「国民の祝日に関する法律」を改正して、いくつかの祝日を「ハッピーマンデー」にしたのは知っているよ) 7月の海の日、9月の敬老の日、10月の体育の日も同様に月曜日に移動させられている。三連休にするために祝日があるのではなく、その日にその祝日の意義を国民みんなで実感するために設けられているのだから、設定日を動かしては、その意義は十分に感じられないではないか。

 それはそれとして、今日は成人の日。二十歳を迎えた若者たちにおめでとうと言いたい。飲酒も喫煙もオーケーだし、選挙権も与えられる。名実ともに大人の仲間入りである。各地で成人式が挙行されている。数年前には、式典での新成人の乱暴狼藉がニュースになったが、最近は少し収まったようだ。私が知事の時は、成人式に出席して挨拶をするという場面はなかった。成人式は、県ではなく、各市町村の主催だったからである。まともに話を聴かない成人たちの姿にイライラすることから免れていたのだから、私としては幸いなことだった。

 私が成人式を迎えた42年前には、250万人の仲間がいたが、今年の新成人は、その半分の124万人だそうだ。この少ない数の若者たちが、われら団塊の世代の老後を支えてくれるほうに回るのだと思うと、申し訳ないと思いつつ、がんばってくれよなと声をかけたくなる。


2011.1.9(日)

 あの日にかえりたい   

 昔のことを調べる必要があって、過去の「ジョギング日記」を開けてみたら、ついつい、2006年と2007年の二年分をじっくり読んでしまった。大学の授業、テレビ出演のほかに、毎月10件以上の講演で全国あちこち移動する毎日だった。そんな中で、朝のジョギングも、2006年の走行距離が1,138キロ、2007年が1,489キロであり、ほぼ二日に一回は走っていたのだから、なかなかのものである。2007年の春には、都知事選挙に出馬ということもあった。今から見ると、すごい多忙さであり、身体的にも大変な活動をよくもこなしていたものだと思えるのだが、日記の記述からは、そんな生活を楽しんでいる様子がうかがわれる。元気一杯だったということもあったが、充実感を覚えつつの毎日であったから、忙しさを楽しみながら過ごすことができたのだろう。

 長い闘病生活も、そろそろゴールに近づきつつある。いずれ、社会復帰を果たすことになるが、過去の日記で確認したような多忙な生活に戻ることができるかどうか。ジョギングも、あれほどの距離をこなすレベルまでいけるどうか。「♪あの日にかえりたい」と思う気持ちもあるが、病後であるだけでなく、加齢化による限界も考えなければならない。それを意識しながら、あの日の輝ける活動の日々に少しでも近づきたい。

 週刊新潮のK記者から電話取材を受ける。私の闘病生活について、1時間以上、かなり詳細にわたる取材であった。取材の途中で、K記者が慶応大学SFCの2008年の卒業生で、在学中に私の授業を受講していたことを知った。そんなこともあって、丁寧に取材に応じることになった。13日(木)発売の「週刊新潮」に掲載予定。どんな記事になるか、楽しみである。

 夜は、日本テレビで「はじめてのおつかい」を見る。大好きな番組であり、一年に数回の放送を楽しみにしている。子どもたちのけなげさに、毎回のことであるが、涙が出てしまう。


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