2011.1.22(土) ネット社会と情報
昨晩は、アジアカップ・サッカーの準々決勝、日本対カタール戦をテレビ観戦。久々に、手に汗にぎり、興奮した。イエローカード2枚目で退場の吉田選手を欠いて、10人になった日本チーム、その後すぐのフリーキックでカタールにゴールを奪われ、1対2とされた。見ている私も、今日はこれで負けだろうと、ほとんどあきらめていた。その弱気を打ち破る香川の今日2発めのゴールで同点に追いつき、さらに、終了間際に伊野波の一発で逆転勝ち。「逆境でも最後まであきらめてはならない」、難敵の病気と闘う患者としては、教訓とすべきような日本チームの戦いぶりだった。闘病に喩えるのは、ちょっと、こじつけ過ぎかな。
私の罹った病気ATL(成人T細胞白血病)のことは、一般にはよく知られていない。なにしろ、病気になる前の私も、まったく知識がなかった。知識がないのだから、関心の持ちようもない。ATL発症の原因となるHTLV-1ウイルスについても同様に、世の中全般は無関心である。困ったことに、医療関係者の中でさえ、この病気について知識がない人がたくさんいる。だから、ATL患者が症状を訴えて医療機関を訪れても、他の病名を告げられ、結果的に治療のタイミングを逃してしまうという悲劇が起きてしまう。
ATLに限らず、他の白血病、血液のがんについても、一般の理解が進んでいるとはいえない。知識があると思っている人も、古い情報が頭に入っていて、「白血病は不治の病である」という思い込みの人も少なくない。白血病を取り巻く医療の進展は目覚しいものがあり、今や、白血病は治せる病気であることを是非知ってもらいたい。ATLをはじめ、白血病の治療において大きな成果を挙げている骨髄移植についても、ごくごく限られた人たちしか正しい知識を持ち合わせていない。このことに関して、最近、私にとって、大きな「事件」が起きた。事件後すぐでは、感情的になったりする恐れがあったので、日記には書かなかった。そうこうするうちに、この「事件」は一件落着ということになったので、ここで紹介することにしたい。
匿名で掲載されているブログの日記で、「前宮城県知事の浅野史郎さんが、療養中というテレビ番組を見た」、「骨髄移植というと、『近い将来の死』を連想する」と書いてあるのが目に留まった。その日記では、「骨髄移植後の5年生存率はゼロだという」といった記述など、とんでもない発言が続く。自分のことについて、「近い将来の死」と書かれたことに怒ったという単純なことではない。こんな間違った情報が広がってしまうことに、大きな危惧を覚え、「あなたの情報は正しくない」ということを伝えるコメントをこのブログに書き込んだ。
何人かの病友には、この辺のことをメールでお伝えしたが、怒りを共有するような反応もあったが、「こんなのとは、関わるだけ損」というご意見も返ってきた。私の妻も、同じように、「やめておきなさい」という意見であった。結果としては、私のコメントを読んだブログの主が、誤りを認め、問題の日の日記を削除した。その後の日記で謝罪し、反省の弁を公開した。その意味では、一件落着である。ブログの主に誤った思い込みはあったとしても、悪意はないことはわかった。しかし、だからこそ、匿名の「とんでも発言」が飛び交うネット社会の恐ろしさを実感してしまう。
いろいろなことを考えさせられる「事件」であった。今回のように、反撃の機会がある場合には、適時・的確に反応することが必要であること、それに加えて、正しい情報をきっちりと伝えていく努力もしていかなければならないことを教えてくれた。我々がやるべきことは、まだまだたくさん残されている。
2011.1.21(金)
”今夜も思い出し笑い ” 3時05分に起きてトイレへ。この夜、2回目。ベッドに戻り、イヤフォンで「ラジオ深夜便」を聴く。今日は、「にっぽんの歌 こころの歌」の最初のところに間に合った。「昭和歌年鑑:昭和50年の流行歌」で、「年下の男の子」(キャンディーズ)、「心のこり」(細川たかし)、「ロマンス」(岩崎宏美)、「夢よもういちど」(真木ひでと)、「我が良き友よ」(かまやつひろし)、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)、「いちご白書をもう一度」(バンバン)、「やすらぎ」(黒沢年男)、「私鉄沿線」(野口五郎)、「中の島ブルース」(内山田洋とクールファイブ)が次々にラジオから流れてくる。昨日から、ベッドの中では、ラジオをイヤフォンで聴いているが、これがいい。音楽が直接身体に入ってくる感覚。
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は、作詞が「天才」阿木燿子。昭和50年、この曲を初めて聴いた時には、ほとんどが宇崎竜童のセリフでできている斬新な曲づくりに驚かされた。当時、私が仕事をしていた環境庁自然保護局のY局長のところに、やくざまがいの態度の「実業家」H・Y氏がスタイル抜群の若い美人を伴って「陳情」(「ゆすり」にかなり近い)に何度もやってきた。剛毅なY局長は、彼の言い分をまったく聞き入れないので、ついにH・Y氏はあきらめてしまった。一緒にいたスタイル抜群女性のことは、私も含めて、局内のスタッフみんなが気になっていた。H・Y氏が去ってからだが、Y局長が「アンタ、あの娘のなんなのさ」という宇崎竜童のセリフを言ったので、スタッフは大笑い。そんなことを思い出しながら、この名曲を聴いていた。林真理子氏じゃないけど、”今夜も思い出し笑い”。
「ラジオ深夜便」では、毎定時にニュースが流れる。そのニュースを担当する佐藤隆輔さんの落ち着いた語りぶりには、ほっとする。佐藤さんが登場するのは、月に数回だが、その数回の機会に聴けるともうかったような気になる。佐藤さんは、仙台二高の先輩であり、仙台市立木町通小学校時代の親友佐藤四郎君の兄上である。75歳にして現役、声も若々しい。驚くべきことであり、うらやましいことであり、自分の目標でもある。「追悼」下巻の333頁に、「NHKスポーツ報道部の鈴木正彦、佐藤隆輔氏来。昨年来の約束になっていた「文蔵」(「居酒屋兆治」のモデル)にご案内する」(1993年1月25日(月)の日記)とあるのをみつけた。
夜中(朝方)に一時間もラジオを聴いていられるのは、「毎日が日曜日」の生活を送っているからこそである。今日は金曜日であるが、「現役」のころは、毎週金曜日、この時間(3時45分)に起きて、4時半に自宅を出発、TBSテレビの「朝ズバ」に出演していた。そんな生活に、ほんとに戻れるのだろうか。
2011.1.20(木)
山口瞳さんの「追悼」 1月から、がんセンター中央病院での外来診察は、それまで毎週月曜日だったのが、木曜日になった。朝、タクシーを呼んで出かけるのだが、今朝の運転手は我々を築地に運ぶのが3回目だという。道筋を教える必要がないから、こちらも楽である。木曜日が外来診察の日だと知っていて、我が家の近くで待機しているのではないだろうか。電話で呼んだらすぐに駆けつけてくれるのだから、これも我々にとっては好都合である。なんと、がんセンターから戻るタクシーの運転手も今回が2回目とのこと。我が家までのコースをちゃんと覚えていて、我々が何も言わずとも、間違いなく送り届けてくれた。
今日の診察の結果も、異常なし。肺のCT検査結果の所見でも、安定した状態であると言われた。薬は、これまでどおりに処方されたが、ステロイド剤だけは6mg/日から5.5mg/日の服用に減量。このところ、1週間ごとに0.5mgずつ減量されている。慎重に、着実にステロイド剤を減らしていく作戦は進行中である。
昨年末に山口瞳さんの奥様の治子さんから、「追悼」(上巻)山口瞳著(論創社)が送られてきたことは、12月14日の日記に書いた。先日は、「追悼」(下巻)が送られてきた。今回の下巻には、50人の方への追悼文が集められている。ほとんどが、「週刊新潮」に連載していたエッセイ「男性自身」に掲載されていたものである。だから、一人ひとりの追悼文として独立しているものではなくて、追悼の文章が載っている回の「男性自身」の再掲で構成されている。
この「追悼」下巻の最後に登場するのは、高橋義孝さんである。山口瞳さんを知るもっとずっと前から、私は高橋さんの文章に親しんでいた。父親が高橋義孝さんの随筆の愛読者であり、私はそのおこぼれを読むことがあった。中学一年の時に、高橋さんの「この日この時」というエッセイを真似て作文を書いたのを思い出す。その高橋義孝さんは、山口瞳さんにとっての人生の師である。「文章の魂を高橋先生からいただいた」と山口さんは書いている。その文章が載っているのは、「仔象を連れて」というタイトルの「男性自身」であるが、これが、31年間、一度も休まずに1614回の連載を続けた「男性自身」の最終回である。実は、私はその最終回(当然ながら、「最終回」とは表示されていない)を、出張で札幌に行く飛行機の中に置いてあった「週刊新潮」で読んだ。その最後のほうに、「どうやって死んでいったらいいのだろうか。そればかり考えている」という文章があって、「山口さんの病状は、そんなに悪いのか」と驚いた。私がこれを読んだ数日後に、山口瞳さんは亡くなった。この辺の状況は、山口さんの一人息子である正介さんの「ぼくの父はこうして死んだ」(新潮社・1996年刊)に詳しい。「追悼文の名手」とさえいえる山口瞳さんの追悼文を、山口さんが書いたら、どんなに素晴らしいものになったのだろうと、ありもしないことを考えている私である。
2011.1.19(水)
夜中、二回目のトイレに起きたところで時計を見たら、3時20分。ベッドに戻って、NHKラジオの「ラジオ深夜便」で「にっぽんの歌 心の歌」をやっている時間である。ラジオをつけて、まず飛び込んできたのが、「中央フリーウエイ」(荒井由美)。続いて、「明日に向かって走れ」(吉田拓郎)、「酒と泪と男と女」(河島英五)、「揺れるまなざし」(小椋佳)、「雨やどり」(さだまさし)、「キャンディ」(原田真二)、「サクセス」(ダウンタウンブギウギバンド)。いい曲ばかりで、ついつい聴きふける。昭和51年、52年の「青春の歌・思い出のフォーク&ポップス」特集であった。
当時、リアルタイムで聴いた曲ばかり。「雨やどり」ではちょっとばかり涙が出てきてしまった。聴衆の笑いを誘いながら始まる歌(ライブ録音)が、後半でぐっと泣かせる。そのテクニックが、あこぎに感じられ、鼻につくところもあるのだが、今日も、ついつい泣かされた。昭和51年、52年といえば、私の独身最後の日々である。あれから35年の時が過ぎ去った。今日聴いた曲が、私の中では少しも古びていないので、なおのこと、時の流れの速さに驚いてしまうのである。
昨日、一昨日の日記で、口腔衛生について書いたら、何人かの方から、ご示唆をいただいた。「シュミテクト」が、ご自分の経験でも、とても有効であること、超音波歯ブラシのソニッケア(商品名?)を使っての歯磨きがお勧めであることをIさんから教えていただいた。Tさんからは、「ヤクルト薬用アパコートS.E」をお勧めのメール。日記を見ての早速の反応で、ありがたいことである。この日記が、双方向性であることを実感する。これで、ますます私の口腔衛生が向上し、「芸能人(?)は歯がいのち」と言われるように、きれいな歯がよみがえってくることだろう。こういったご示唆以外にも、「こういった療法が免疫向上に効果がある」といったことや、「こういう飲み物が身体にいい」といって、現物を送ってこられる方もいらっしゃる。そのことについては、別な機会に書くつもり。
川崎市長が、子ども手当の地方負担分を拒否する(対象者への全額支給はする)方針を発表した。神奈川県の松沢知事も、地方負担を拒否する方針を早くに明らかにしているし、千葉県浦安市、三重県松阪市も同様の方針という。こういった動きについては、私としては、十分に理解できるものと受け止めている。地方にも財源がないのだから困るとか、地方自治体としては、既に、全額国庫負担という前提で予算を組んでしまっているから今更それはないでしょといったことではない。
地方主権改革戦略会議の議論で、「現金支給は国、サービス給付は地方」という基本原則が示されたが、政府は、子ども手当の支給財源に地方負担を入れることを当時から考えていたからだろうが、この基本原則は、昨年6月に閣議決定された「地域主権戦略大綱」からは抜け落とされている。地域主権改革は、民主党政権が「改革の一丁目一番地」といって、推進しようとしているものである。だとすれば、子ども手当の地方負担の是非は、地域主権改革の基本的原則に照らして論じられなければならない。ところが、実際の政策判断はいかがなものだろうか。
子ども手当に地方負担を入れざるを得なくなったのは、国の財源が足らないからである。財源が足らないのであれば、子ども手当の額を減額するか、もっと根本的議論として、子ども手当の施策をやめるかしかない。それは、マニフェストを変えることになるというのだろうが、地域主権改革についてのマニフェストは、どうなるのか。財源あっての新施策である。子ども手当しかり、農業者個別所得補償制度しかり。両施策とも、国民の間に相当の反対論もある。「マニフェストは絶対に守らないといけない」ということでは、自縄自縛になってしまう。ここでこそ、政権内での熟考が必要なのだが。
あらあら、いつも以上に長い日記になってしまった。
2011.1.18(火)
口腔衛生、続き
昨夜は、アジアカップ・サッカー一次予選の最終戦、日本対サウジアラビア戦をテレビ観戦して、寝るのが遅くなってしまった。その試合だが、前半から、着実に日本が得点を重ねて、5対0で危なげなく勝利を収めた。サウジィアラビアは、本来なら、優勝を狙える強豪チームなのだが、すでに予選敗退が決まっているので、モーティヴェーションがまるで日本と違う。21日には、日本はカタールと準々決勝で対戦するが、今回の試合のようなわけにはいかない。必死にいかなければ、勝てる相手ではない。
ということで、朝は眠かった。朝の早い時間に、仙台の母から電話があって、「今朝の朝日新聞の3面に史郎が載っているよ」とのこと。そう言えば、先週、1時間以上の取材を受けたことを思い出した。記事になっているのは、ほんの一部分であるが、「改革派知事」の一人として扱われている。記事を見て、「そうか、俺は、昔、知事だったんだ」と改めて認識した次第。不思議な感覚である。そんなふうに感じられるほど、最近は、ATL患者としての自分という認識のほうが強い。テレビや新聞・雑誌で取り上げられるのは、患者としてであることが多いせいもある。母は母で、久しぶりに、患者でない私の記事を見て、うれしかったのだろう。そういう思いもわかる。
昨日の日記で、口腔衛生のことを書いた。私の歯の状態は、万全というような書き方だったが、実のところは、ここ最近、冷たいものを飲んだり、食べたりした時に、上の歯の左右の奥歯のあたりがしみる。この辺の歯肉が炎症を起こして、歯グキが退縮し、象牙質が露出しているらしい。だから、象牙細管を通じて、刺激が歯髄神経に伝わり、知覚過敏症状を呈しているものと思われる。免疫が低下しているので、今は歯医者に行ける状態ではない。テレビCMで「シュミテクト」というハミガキが効くらしいというのを見たので、妻に買ってきてくれるように頼んでいたのだが、たまたま、昨日それを買ってきた。その時点では、日記は書き終えていたので、なんだか、嘘を書いたようなことになってしまった。歯肉なこと、いや、皮肉なことであった。
早速、今朝の歯磨きから、「シュミテクト」を使っている。毎食後の歯磨きも、ブラッシングだけではなく、ハミガキを使って磨く。さてさて、その効果は、いつごろ、どんな形で出てくるのやら。テレビCMに踊らされただけの結果にならないといいのだが。
2011.1.17(月)
口腔衛生 司法研修で、早く家を出る娘聡子に付き合って、6時に起きる。5時から、ベッドの中で「生島ヒロシのおはよう定食」、5時半から「おはよう一直線」を聴きながら、体温を計測し、腹筋運動をする。司法研修の仲間に風邪引きが多く、聡子も風邪をもらってきたかもしれないと言って、2,3日前までは、食事を時間差で別々に摂っていた。風邪引きの疑いがなくなって、今は一緒に食事を摂るようになったが、それだけ、家族も私を風邪から守るために気を配っているのである。
風邪を引かないように注意するということのほかに、今の生活で心がけているのは、口腔衛生である。この病気だけにあてはまるわけではないが、口の中を清潔に保っておくことは、患者にとって、すごく大事なことである。骨髄移植を前にして、がんセンターの歯科で診察を受けた。これは骨髄移植を受けるすべての患者が受けることになっている。未処置の虫歯があったり、歯石がたまっていたりすると、骨髄移植に支障をきたすので、そういった不具合があれば、移植前に処置する必要があるからである。私の場合は、とてもよく手入れされていて、問題なしという診断であった。
入院治療中も、現在のような自宅療養中も、口腔内を清潔に保つべきことを、指導されている。起床してすぐと、毎食後に歯磨きを欠かさないようにしている。このうち、歯磨き粉を使って磨くのは、起床後だけで、毎食後の歯磨きは、ブラッシングだけである。歯間ブラシを一日一回は使いなさいと歯科衛生士には言われているのだが、なかなかそれが守れない。しかし、それ以外は、歯磨きをはじめ、口腔衛生の保持には努めている。その結果だろうか、口内炎は入院中もほとんど発生しなかったし、退院後はまったくなし。これはありがたいことであるので、今後とも、口腔衛生には、まじめに取り組もうと思っている。
歯磨き以外に、毎日、欠かさず続けているのが、階段昇降と腹筋運動。散歩再開までのつなぎと思っているが、そういう目標があるので、さぼることなく継続できている。階段昇降は、だんだん回数を増やして、今は、毎食後に6往復、腹筋運動は、起床前と就寝前に、これまた、だんだん回数を増やしつつやっている。15回から初めて、今朝は、29回であった。不思議なことに、腹筋が痛くならない。まだまだ負荷が足らないのだろうか。ジョギングのように、風景を楽しんだり、季節の移り変わりを体感したりという楽しみがなく、階段昇降にしても、腹筋運動にしても、義務感でやっているのが危うい。
2011.1.16(日)
教育的指導 「毎日が日曜日」の生活をしている私にも、日曜日はやってくる。いつもより少し遅く起きて、8時からTBSテレビの「サンデーモーニング」を見る。畏友寺島実郎が出ていない日は、見るのに身の入れ方が少し弱くなる。今日がそうだった。
昼からは、都道府県対抗女子駅伝をNHKテレビで観戦。民放と違って途中でCMが入らないので、トイレに行くタイミングがむずかしい。当然ながら、宮城県チームを応援するが、前半はいい線いっていたのが、後半はズルズルと後退して、結局は30位でゴール。宮城県チームは、1993年から7年連続して入賞し、1995年の大会では優勝した。優勝の翌日、阪神淡路大地震が発生し、京都のホテルに泊まっていた宮城県チームは、その日に仙台に帰れなかった。そんなことも思い出したが、その頃の活躍と比べての最近の低迷ぶりが、残念でならない。「アンカーにつないだ時点で、1分差以内ならひっくり返す」といっていた京都チームは、3秒差の一位でアンカーの福士加代子がたすきを受け取った。この時点で、京都チームの優勝はまちがいなし。結局、二位岡山に51秒差をつけて14回目の優勝を果たした。
一日に一回は、妻から叱られている。教育的指導といったほうがいいかもしれない。多い日には、一日に3回も。「腕を掻いちゃダメでしょ。叩くぐらいにしておきなさい」。GVHDが軽く皮膚に出ていて、ぽっちり赤くなったところがかゆい。でも、掻くと、なおさらかゆくなるし、治りも遅れる。「ネットばかり見ていると、目が疲れるし、ろくなことがないですよ」。教育ママに似ていないこともない。「水分をちゃんと摂らないと、腎臓機能が悪化します。さあ、がんばってもう一杯お茶を飲みなさい」。そんな励ましがあるから、なんとか、一日2,000ccの水分摂取ができている。妻の励ましに、私も素直に従っている。自宅療養が順調にいっているのは、これがあるからである。叱られていると受け取らずに、ありがたいと思わなければならない。
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