2011.3.19(土) 平常心を保つために
福島原発事故のことを考えると、気が滅入るし、血圧が上がる。幼児が、怖いものを前にして、ぎゅっと目をつぶる。目をつぶり、耳を塞げば、怖いものがいなくなるわけではないが、極力、原発事故関係のニュースは見ないようにしている。そして、通常の生活のパターンに戻ることを心がけつつある。
その流れということもあるが、3月9日を最後に中断していた散歩を再開した。「カビ吸い込みアクシデント」による「気のせい体調不安」で休んでいるうちに、寒さがあり、大地震があり、引き続き休止していた。10分+10分(9分57秒)。再開後はじめてなので、ゆっくり目の歩きだったので、復路は10分以内になった。外に出るのも久しぶり。風はあったが、とても暖かく、歩いていると汗ばむほどである。
読書も休んでいたが、再開し、「終着駅 トルストイ最後の旅」ジェイ・パリーニ著(新潮文庫)を読み終え、「アムステルダム」イアン・マキューアン著(新潮文庫)を読む。どちらも、どこでどうやって入手したのか、記憶がない。まあまあの出来、そこそこの感動。こうやって、本が読めることに感謝ということはある。
いろいろな媒体から、巨大地震被災についての取材依頼がある。被災地の人たちに前向きのメッセージを伝えられるならということで、極力、応じている。実際のところは、何を、どう語ればいいのか、とまどいのほうが大きいのだが。
2011.3.18(金)
巨大地震被害の一方で 昨日の出来事で、書くのを忘れた。がんセンターで、新たな「病友」二人にお会いした。そのうちお一人は、私と同じATLで、医科研の内丸薫医師の治療を経て、がんセンターで骨髄移植を受け、今の主治医は田野崎隆二医師というところまで共通である。いずれも私と同年代の女性で、とても元気なご様子である。あまりゆっくり話す時間はなかったが、こうやって病友の輪が広がっていくのはうれしいことである。田野崎医師から聞いたのだが、入院中にお世話になった朝倉義崇医師が、志願して宮城県に被災地の医療救援に出向いたとのこと。すごいこと、ありがたいことである。
このところのニュースは、巨大地震関係ばかりだが、今朝のラジオで、久しぶりにそれ以外のニュースを聴いた。リビアではカダフィ大佐の政府軍が、反政府軍に対する攻勢を強めている。日本では、同胞が助け合っているのに、リビアでは、自国民の間で殺し合い。東京の中野で中年男性が自室内で殺され、火をつけられた。巨大地震で、津波から逃れ、やっと命が助かった人がいる。一方で、同じ日本で、同じ時間に、殺人を犯す人がいる。最近の急速な円高には、ヘッジファンドなどの投機が入っている。各国から、日本の窮状を救おうという動きが伝わっている時期に、金の亡者がうごめいている。
プロ野球のセリーグとパリーグが 別々の開催時期を迎える。セリーグが予定どおり、3月25日に開幕。いずれは、プロ野球は開催する。永久に休止しているわけではないが、時期が悪い。「『この時期、野球で被災者に勇気を与える』というのは、傲慢ではないか」と、選手がコメントしていたが、そのとおりだろう。選手は、プレイに集中できるかも疑問。一方で、選抜高校野球は、予定通り開催、宮城県の東北高校も参加するという。高校球児の思いもあるので、いちがいにダメとはいえない。微妙なところ。
スポーツに限らず、あらゆる場面で、平時と違う「戦時体制」のような状況であるが、それがいつ元に戻るか。NHKは、今のところ、ほとんど全てが地震関係である。民放は、少しずつ、違う番組も入れているが、スポンサーも公共広告機構とか、医薬品メーカーなどに限られている。いつ、どんな形で元に戻るのだろう。
2011.3.17(木)
本日の外来受診 築地のがんセンターでの外来受診の日。今日は、夕方の診察であるが、その前に、胸部レントゲン、吸引、MRI検査があった。胸部レントゲンは、急遽、お願いして入れてもらった。2週間ほど前に、カビを吸い込んでしまうという「アクシデント」があり、それ以来、何となく調子が完全でない。最悪の場合、カビからきた肺炎を起こしているかもしれないと、ずっと不安を抱えながら、今日の受診を迎えた。胸部レントゲンも、その不安があったから頼んだ。そして、緊張の診断結果は、「異常なし」。レントゲンの所見も、血液検査の数値も、いずれも正常。そもそも、何の自覚症状もなく、自分でも「気のせい」とは思っていたのだが、安堵のため息である。よかった。これで、来月の大学復帰に向けて、正常に準備ができる。
このところ毎日書いてきた原発事故のことは、今日は、書かない。このことを考えると、実際のところ、血圧が上がってしまう。それにしても・・・・・。
仙台二高の一八会のメンバーの中で、安否がわからなかった大平真悦君の無事が確認された。塩釜市で歯科医院を営んでいるので、津波の被害を受けたのではないかと心配していたが、無事ということで、本当によかった。一方で、生島ヒロシさんの妹さんの安否が不明ということで、生島さんが心を痛めている。友人の私としても、心が痛む。無事でいてくれるといいのだが。まだまだ、さまざまな人間模様が飛び交う時期である。
2011.3.16(水)
友の無事に安堵、原発事故に危機感
被災地も電話が通じるところが増えてきて、今日は、知人、友人十数人と電話がつながった。ご家族を含め、みな無事で元気ということを知り、まずは安心した。ライフラインは、電気は復旧したが、水道がまだ止まっているところが多い。ガスは、まったくダメで、復旧の目処も立っていない。ガソリンが不足しているのに、とても困惑している。それでも、元気に前向きにやっていこうという決意を、みんなが示していたのは心強い。こちらが勇気をもらった。とても心配していた石巻の小林厚子さんが、ご家族ともども、無事であったという知らせが、今回のことで、一番うれしかった。「無事」とはいっても、ゴムボートで救助されたということなので、さぞや怖かっただろう。
原発事故。ニュースを聴き、事態の進展を知るたびに、心が穏やかでなくなる。今の時点で、「放射線レベルが下がった」という報告は、ほとんど何の意味もない。事故現場の復旧状況がどうなっているのか、どうすれば危機を逃れられるのか、最悪の事態ではどうなるのか、そういうことこそ知りたいのだが、それが明確に出てこない。自衛隊のヘリコプターによる、空からの放水が、この時点での危機回避の最後の手段と期待していたのだが、それが中止になった。「エーっ」というのが、率直な感想。そんなこんなで思い煩うと、血圧が上がってしまう。まさに国難である。
2011.3.15(火)
原発事故
原発事故のことで、頭が一杯である。大変なことになった。今更、誰のせいだ、だから言っただろうという非難合戦はしたくない。それにしても、東京電力の対応の拙劣さは、目に余る。菅首相は、今朝、直接東電に乗り込んで、報告遅れを叱責し、これからの対応をしっかりするように叱咤したが、早い時点で東電にのみ任せるのは見切って、政府も一体となって対応すべきだった。政府職員も、現場に行っていれば、済むことではないか。報告の遅れは、由々しいことだろうが、もっと由々しい事態は、現場で作業にあたっている職員が、報告に気を取られて、作業がおろそかになってしまうことである。そもそも、現場の技術者、作業員の人手は足りているのか。今は、現場に意識と労力を集中すべき時である。
東電の記者会見を聞いていると、不安が募る。枝野官房長官の説明を聞いても、「もっと危機感を持つべきでないか」との思いにとらわれる。大変な事態が進行しているのではないか。日経新聞夕刊に載っていた原発建設作業員の「11日午後5時までは天災だったが、それから以後は人災だ」の言葉は、的を得ているだけに、恐ろしい。
3.11以来、散歩、階段昇降、腹筋をしていない。読書もする気がしない。やはり、ふつうの生活、安定した気持ちが揺らいでいる。こんなことでは、いけないのだが。
2011.3.14(月)
絶望から希望へ
巨大地震以来、はじめてのウイークデイを迎えた。首都圏でも生産活動、学校、その他の活動が始まる。ということは、電気の需要が増えるということである。一方において、東京電力福島原子力発電所が、重大事故含みで、稼動を止めている。電力の需要が供給を上回り、東京電力管内で、大規模な停電が起きるおそれが出てきた。そこで採られた措置が、輪番制の計画停電である。来るものが来たなと受け止めた。実際の停電は、公共交通機関の大幅休止によるところが大きいのだが、今日のところは、ごく小規模で短時間で済んだ。しかし、交通機関は大きく乱れ、それに伴い、通勤・通学、帰宅に伴う混乱が生じた。
停電の可能性、水道・ガスも止まる可能性、交通の混乱、株価の暴落、経済活動、生産活動の停滞など、次々と生活上の支障が現実のものになってきている。被災地の窮状を思えば、不便をかこつことは許されない。それにしても、巨大地震の影響は、被災地だけでなく、生活のあらゆることに及んでいる。ふつうなら、どこかに不満をぶつけるところだが、その声は大きくならない。やはり、非常時であり、少々の不便さは我慢しなければならないという意識が浸透しているからだろう。大阪で、被災者への義捐金に協力した若者の「なにもできないけど、こんなことでもやらなければならないと思った、同じ国民の一人として」という言葉が印象に残った。こういう動きにこそ、希望を見出したい。
今回の巨大地震は、マグニチュード9.0と上方訂正された。世界的にも、歴史的にも、最大級の地震である。こんなことを生きて経験するとは、多くの人が夢想もしなかっただろう。津波被害の広がる町の様子をテレビ画面で確認し、何万人に上るだろう死者、数十万人の避難住民、何万人もの孤立住民を知ると、現実に起きている出来事とは、にわかに信じられないほどである。しかし、現実に起きた。起きたことを手をこまねいて見ているわけにはいかない。あの若者の言葉、「できることをやりたい」。
もう一人の姉が、無事でいることが、確認できた。ライフラインは止まり、電話も通じないという不便さの中にあるらしいが、それでも、元気でいることがわかって、やっと安堵することができた。被災者が、今、最も欲しいものは何かと訊かれて、「安否情報」と言っていたのは、そのとおりだと思った。被災しなかった私でさえ、安否が気になるのだから、被災者であれば、なおのことである。
2011.3.13(日)
支援の手
支援の手 今日も、一日、テレビで巨大地震についての報道を見ていた。宮城県では、県警本部長が、県内の死者は一万人を超えるだろうという見通しを語った。地震後2日経っても、被害の状況が把握できていない。津波の惨状の中で、遺体収容などの作業が進まないせいである。そんな中で、津波に巻き込まれながら、植木につかまって一夜を過ごして救助された女性が、九死に一生を得た状況を語っていたのには、よかったと思いつつ、生と死が紙一重という状況だったことを知らされた。津波に流されて、沖合いを漂流していた男性が、海上保安庁の船に救助されたという。そんな奇跡のようなこともあるのか。孤立していた人たちのうち、かなりの数が、ヘリコプターで救出された。まだまだ残っている人たちの救出が急がれる。
アメリカから、韓国から、ドイツから、救援の部隊が送られてきている。その他、救援の申し出が、各国から寄せられている。大きな力になるだろうし、精神的にも励まされる。災害の中で、温かい援助の手は、ほんとうにうれしいものである。
沿岸部に住む知人、友人の安否は、電話連絡が通じないので、今日に至っても、まったくわからない。心配でならない。仙台にいる何人かとは、電話がつながった。皆、元気で、無事である。姉は、公衆電話からの電話で、無事であることを確認できた。ライフラインは、すべて復旧していないという不便な生活ではあるようだが、まずは、一安心。母の住んでいるところは、全員無事であることは、今朝、こちらからの電話で確認したが、姉が実際に会って無事を確認したことも知らされた。
首都圏では、明日から、計画停電輪番制が実施される可能性がある。実際に停電が実施されれば、我々の生活も変わらざるを得ない。我慢するべきところは、我慢する。直接被災することがなかった住民としても、いろいろな形で協力するということ、そのひとつの形ということになる。国民一人ひとりが、心を合わせて、被災者のために、できることをやっていこうという動きにつながることを期待する。
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