2011.3.31(木) 世界が注目する原発事故
がんセンターでの外来受診の日。去年の今頃は、桜が咲いていたような記憶があるが、高速道路から見える範囲では、咲いた桜は見当たらない。2週間ぶりの受診であるが、検査結果は、異常なし。残念ながら、クレアチニンの値が1.2と、わずかに正常上限を超えている。2時間かけての生理食塩水の点滴をしてから病院を後にする。昨日の日記に、クレアチニンのことを書いたのがいけなかったのかもしれない。腎臓機能が実際に悪化しているわけではなく、薬の影響だろうというのが田野崎医師の診立てなので、心配はしていないが、2時間点滴チューブにつながれるのは、あまり楽しいことではない。ステロイド剤のプレドニンの量が3mg/日に減らされた。これは、一歩前進である。全体として順調であることは、変わりない。
全体として順調でないのは、原発事故の復旧状況。当面の復旧だけでも、数週間かかる。完全に廃炉を終えるには、2,30年は必要との見方が示されている。そうか、自分が生きているうちには、終わらないかもしれないのか。それを考えると、今回の原発事故というのは、規模として、危険度として、そして時間としても、とてつもない水準のものだということに改めてため息が出る。フランスのサルコジ大統領が来日して、菅首相と会談。5月のサミットは、原発事故を議題として、菅首相に冒頭の報告をしてもらうという話も出た。出席するとしても、菅首相も胸を張って報告できるような状況ではないだろう。なんだか、変な話のように思える。
2011.3.30(水)
原発事故復旧に各国からも支援の手
ウオーキングを10分+10分。決して「義務」と感じるわけではないが、毎日のノルマのようなもの。義務的に感じるノルマは、水分摂取である。毎日、2000CC。自分で淹れたお茶(ペットボトルのお茶でないということ)を大きめのコップで10杯飲んで、ノルマ達成である。これが毎日となると、結構大変で、昼間に飲み忘れていると、夜につじつまを合わせるために、まとめて数杯飲まなければならなくなる。そうなると、夜のトイレに行く回数が増える。水分摂取をまじめにやらないと、クレアチニンの値(腎臓機能を示す)が正常上限の1.1を超えてしまい、2時間かかる点滴を受けなければならない。水分摂取との因果関係があるのかどうか、やや疑問はあるのだが、半分は信じている。明日は、2週間ぶりの外来受診。クレアチニンの成績が合格圏内だといいのだが。
東京電力の清水社長が、体調不良で入院してしまった。社長に代わってリーダーシップを執るのが、勝俣恒久会長。その勝俣会長が記者会見で、今回の事故について謝罪をしていた。トップの役割は、それだけではないことは、昨日書いた。ぜひ、事故現場で苦闘している作業員を力づけて欲しい。作業が精一杯できるために、食事、寝る場所の確保など、作業環境の改善を指示して欲しい。長期戦を強いられる中、前線でがんばっている人たちのことを第一に考えるべきである。
原発事故の復旧を支援するために、アメリカが乗り出してきている。専門家の助言や無人偵察機の活用など、最大限に支援してもらっている。今日は、フランスの原発関係の専門家がやってきて、支援を申し出ている。ありがたいことである。この際、好意にすがろうではないか。諸外国との協力体制の下で、この困難な状況を乗り越えなければならない。
2011.3.29(火)
東電社長にお願い
暖かい春の日、ウオーキング10分+10分を終えると、汗ばむほどの陽気である。今日も、淡々とこなす。これも変わらぬ日常。
原発作業員の処遇が何とか改善されないか、昨日の日記で書いた。今日の日経新聞夕刊に、「原発作業員、毎晩『がんばろう』」という記事が載っていた。1日2食、クラッカーと缶詰の「食事」で、400人が1週間交代で復旧に全力をあげている作業員の様子が紹介されている。被曝の恐怖、一進一退の復旧作業、誰の顔にも疲れがにじむ。
同じ日経夕刊には、日本造血細胞移植学会と国立がん研究センターが、それぞれ、原発作業員らが万一被曝する事態に備えて、作業員の造血幹細胞をあらかじめ採取して凍結保存しておき、移植の準備をするよう提言したという記事がある。作業員が大量被曝で治療が必要になったら、凍結しておいた自分の血液(造血幹細胞)を移植する。私のATLの治療の際に受けた骨髄移植は、ドナーの血液であったが、この場合は、自分の血液を移植するので、免疫拒絶反応のおそれがない。有用な提言であり、そこまで考えてくれている医療関係者はありがたい。しかし、原発の作業員は、こんなことも準備しておかなければならないほどの危険な業務に携わっているということである。その事実は重い。
こんな大変な時期に、東京電力の清水正孝社長の姿が見えない。どこで何をしているのか。今、清水社長がやるべきは、原発事故の現場に出向いて、必死の作業にあたっている作業員の人たちに、深く頭を下げて、復旧作業への尽力をお願いすることである。感謝の言葉をかけるべきである。屋内退避をしている方々のところへ、食事など、生活に必要な物資を届けるように社員に指示すべきである。福島県庁に出向いて、謝罪をすることよりも、もっと大事なことがある。ここで乾坤一擲の働きをしなくてはならない、重大な局面なのですよ。覚悟を決めて対処すべきです。
2011.3.28(月)
作業員にもっと良い待遇を
東京都内で、桜が開花した。赤坂サカスの前の桜は、満開に近い状態である。災害、特に原発事故のことが気になって、桜を楽しもうという気持ちにならない。今年の花見の賑わいは、例年とは違ったものになるだろう。花見で浮かれている場合ではない。春らしい日差しの中で、ウオーキング10分+10分。継続は力であるということを信じて。
原発事故、復旧に関しては、進展なし。事態は、ますます悪化の方向というニュースだけが流れている。そんな中で、原子力安全院の職員が、発電所内の現状と復旧作業の様子をテレビで報告していた。作業員の待遇がとてもひどい。命を賭けての危険で過酷な作業をやりながら、食事は一日2食で、その内容もビスケットと缶詰だけ。寝るのは廊下やトイレの前で、毛布1枚しかない。なんなんだ、これは一体。作業員をこうした環境において、責任者はなんとも感じないのか。早急に改善せよ。こういった食事しか用意できないのに、なんらかの理由があるなら、教えて欲しい。国民のために、文字通り、命を張って日夜努力している作業員の人たちに、見ているだけしかできない我々は、毎日、頭を垂れ、無事を祈っている。その人たちに、こういった処遇をしていることは、日本全体として恥ずべき状況である。悲しくて、情けなくて、涙が出る。もう一度言う。責任者よ、作業員にもっと良い待遇を。
2011.3.27(日)
思い悩みたくはないが
春の光を浴びながら、本日も、ウオーキングを10分+10分する。内心、こういった「平和な」営みがいつまでできるのだろうかという思いもある。「たとえ世界が明日終わりであっても、私はリンゴの樹を植える」というほどのものではないが、自分の意志だけではどうにもできないことに思い悩んでいても仕方がない。「 」の言葉は、柳田邦男氏の「がん50人の勇気」(「文藝春秋」79年11月号)で引用されている。引用元は、マタイ伝6.34で、そのあとは、「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」と続く。
「明日のことは思い悩むな」とはいっても、原発事故のことは、思い悩まないではいられない。2号機からの水漏れで、極めて高い濃度の放射線が検出された。検査のメーターの針が振り切れるほどというから、とんでもない高さである。これで、冷却水を動かすためのシステムの復旧だけでなく、そもそも水漏れがどこで起きているかを調べることさえできない。作業中止である。テレビの解説で、今まで、楽観的な見方を示していた専門家も、今日は「極めて重大な事態だ」と認めていた。
震災・津波の被災地の復旧が戦災復興だとすれば、原発事故は、戦争続行中である。敵は攻撃の手を緩めない。「危険があるから今日の戦闘は中止する」ということは、戦争ではありえない。それで敵の攻撃の手が緩むことはないからである。戦況は、日を追って厳しくなっていくのだから、早いうちに敵を殲滅しなければ、こちらがやられる。「あの時、危険はあったが、攻撃を続行していれば・・・」といったことになってはならない。この戦争では、こちらが無条件降伏するわけにはいかない。降伏しても、敵の攻撃は続くのである。
以前のジョギング日記はこちらから
|