浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 4月第1&2週分          

2011.4.9(土)

尊敬すべき人たち   

 朝、5時過ぎに目覚めて、TBSテレビでマスターズのゴルフ中継を見る。中継は、石川遼選手のプレイを追うのが中心となるのは、他の日本人選手には申し訳ないが、仕方がないだろう。その石川選手は、落ち着いたプレーぶりで、昨日、今日と1アンダーで、計2アンダーの20位で予選通過。3回目の挑戦で、初めての予選突破、まずはおめでとうと祝福したい。話題はこれだけでない。今年の獲得賞金はすべて東日本大震災の被災地に寄付することは、英紙で絶賛されるなど、世界の注目を浴びている。毎度のことであるが、記者会見での適切なコメントにも感心する。そのことも含めて、これが19歳の若者なのかと、自分の19歳の頃と比べて、ただただ恐れ入るのみである。尊敬すべき日本人の姿がここにある。

 今朝の朝日新聞の「私の視点」で、在日米海兵隊基地外交政策部次長のロバート・エルドリッジ氏が紹介している米軍関係者の言葉に感銘を受けた。在日米軍の東日本大震災「トモダチ作戦」の現場での発言である。「お互いに知らない人もいるが、よい選手を集めたつもりだ。必ず勝つ」(海兵隊グレッグ・ティンバーレイク大佐―元アメフトの選手)、「自衛隊が被災者を助ける。我々はそれを支えて新たな歴史をつくる」(幕僚長のクリストファー・コーク大佐)、「こういうことをしようと海兵隊に入ったんです」(ブレアン・ハプケン少尉―女性)、「私の軍歴で一番満足できる経験になるかもしれない」(空軍の責任者ドゥエイン・ロット大佐)といった発言から、彼らが同盟国日本を支援することに誇りを感じていることがうかがえる。A friend in need is a friend indeed(まさかの友は真の友)という言葉を思い出す。ここにも、尊敬すべき人たちの姿がある。


2011.4.8(金)

大きな余震    

 昨夜23時32分、比較的大きな地震の揺れで目が覚めた。テレビをつけたら、震源地は宮城県沖で、仙台市宮城野区、宮城県栗原市では、震度6強が記録されていた。マグニチュード7.1という。女川原発では、外部電源3系統のうち、2系統が遮断されたが、冷却システムは支障なく作動したとのことで、まずは、ほっとした。これだけの大きな地震でも、大丈夫だったと安心すべきなのか、まかり間違ったら、事故につながった可能性にぞっとするべきなのか。3.11の巨大地震の余震ということだが、被災地の人たちにとっては、ある程度落ち着いたところにこの余震では、心が休まらないだろう。せっかく復旧したライフラインが再び止まって、不自由な生活に戻ってしまったところもある。大変だろうなと心が痛む。

 慶応大学SFCは、今学期の開講を一ヶ月遅らせて5月初旬からとなった。そのため、授業時間が、15回から13回に変更になる。それに伴い、私の担当する「政策協働論」のシラバス(授業計画)を変更する必要がある。シラバスはウエッブ上に掲載することになるが、その資料を作り直した。今日の「仕事」はそれぐらいで、後はぼやぼやしていた。


2011.4.7(木)

桜の季節なのに    

 今日の散歩は変則で、近所の篠原園地まで出向いた。桜が満開に近い。谷あいのようなところに数本の大きな桜が咲いている。それを見下ろすような感じで眺める桜の美しさは、何ともいえないほど見事である。近くの白幡池では、何十人もの人が、桜を見ながらの釣りを楽しんでいた。小鳥のさえずりぐらいしか音がしない静けさである。この変則散歩は、某局の番組のための映像に使う。同行のディレクター氏が、「家からこんな近くに、こんなに素敵なところがあるんですね」と感心していたが、言われてみればそのとおり。こういうのも灯台もと暗しというのだろうか。いい時間を過ごした。

 私だけ、こんないい時間を過ごしていていいのだろうか。被災地の東北地方の桜の季節は、もう少し先である。被災地の方々が、満開の桜を愛でる余裕があるかどうかわからない。今年も桜が見事に咲いた様子を見て、少しでも明るい気持ちになってくれることを願う。

   本当に願うのは、原発事故の一日も早い安定化であるが、桜が咲いて、桜が散っても、まだまだそこまではいかない。長期戦である。作業員の方々は、花見どころではない。日夜、命がけで復旧への戦いを続けている。3月29日の日記に書いた、医療従事者団体からの提言、つまり、作業員の造血幹細胞の自己移植のことだが、これが気になっていた。原発作業員らが万一被曝する事態に備えて、作業員の造血幹細胞をあらかじめ採取して凍結保存しておく。作業員が大量被曝で治療が必要になったら、凍結しておいた自分の血液(造血幹細胞)を移植することによって、白血病の発症を抑えられる。しかし、この提言に対しての原子力安全委員会の見解は、以下のようなもので、現段階では、幹細胞採取の必要はないという。「造血幹細胞の事前採取については、作業従事者にさらなる精神的、身体的負担をかけるという問題があり、また関連国際機関等においても未だ合意がなく、国民にも十分な理解が得られてはおりません。このため、現時点での復旧作業従事者の造血幹細胞の採取は、必要ないと考えます」。医学的な議論はあろうと思うが、こんな見解で、作業員の人権が守られていると言えるのかどうか。少なくとも、希望する作業員には、事前の幹細胞採取を認めてやるのが筋ではないだろうか。


2011.4.6(水)

大学復帰    

 午後から、慶応大学湘南藤沢キャンパス(SFC)へ。15時からの教員会議に出席。背広にネクタイ姿になったのは、1年4ヶ月ぶりである。冒頭に、今年度の新任教員の紹介があり、そのついでに、私も復帰のご挨拶をさせてもらった。見てのとおり頭の毛が薄いのは、加齢現象ではなく、放射線治療の副作用であると言ったら、何人かの教員は笑ってくれた。同じく放射線の副作用で耳の聴こえが悪くなっているので、お声を掛けてもらっても、返事をしないことがあるかもしれないが、無視されたと怒らないでもらいたい。免疫力がまだ十分でなく、感染症が怖いので、握手、抱擁、その他のボディタッチをしたいのだが、しばらく遠慮させてもらうと言ったら、もっと受けていた。これで、なんとか「あいつが帰ってきた」と認識してもらったと思う。だんだん、復帰の実感が湧いてきた。一ヵ月後に授業を再開したら、さらに実感が湧くだろう。どんな学生が受講するか楽しみ。ということで、「教え子」などという言葉が浮かんできて、次の文章にむりやり引っ張り込む。

 昨夜のことだが、NHK BSプレミアムで「二十四の瞳」を観た。昭和29年の松竹映画のデジタル リマスター版で、山田洋二監督が選ぶ「家族」を主題にした100本の映画の第二夜での放映である。小学校の頃、超満員の仙台の映画館で観たのが最初で、その後、新宿の映画館で観た。この時は一人で観たので、思う存分泣けた。小豆島の岬の分教場に赴任した大石先生(高峰秀子)が教えた12人の小学一年生。貧しい生活、戦争をはさんで、先生も子どもたちも、大変な苦労をする。教え子のうち、男の子は5人中3人が戦死、女の子は一人が病死して、戦後、残った教え子が大石先生の謝恩会をやり、自転車を贈るところで映画は終わる。小豆島の美しさ、子どもたちの愛らしさ(子役たちの自然な演技に泣かされる)、そして、高峰秀子の知的で芯の強い美しい先生の姿が印象的である。戦争の場面はまったくないのだが、戦争のおろかしさを強く訴える反戦映画になっていることも心を打つ。劇中で歌われる小学唱歌の数々。仰げば尊し、蛍の光、埴生の宿、朧月夜、荒城の月、浜辺の歌、七つの子、ふるさと・・・・。一種のミュージカル映画かもしれない。あれあれ、こんなことを長々と書いてしまった。


2011.4.5(火)

汚染水の放出    

 穏やかな春の日、ウオーキング10分+10分。まじめに続けているウオーキングだが、筋肉がついた、体力がついたという実感はない。ジョギングに至るまでの道は、はるかに遠い。あせらず、あわてず、一歩ずつ。なにごとも、そういった姿勢が大事。

 明日、慶応大学SFCの教員会議に出席する。職業生活への(再)デビューである。同僚の先生方に会うのが楽しみである。見た目にも気を配らなければならないので、昨日、近所の美容院で髪をカットしてもらった。カットするほどの量もないので、15分もかからずに終了。代金だけは、一人前にとられた。カットする量によって、料金に違いはないらしい。

 原発事故の復旧作業に重大な進展があった。放射能汚染水を海に放出した。建屋内の水を排出するために、避けられない措置である。そのことを報告する東電の記者会見で、担当者が泣いているのを見て、「泣いている場合かよ」と言いたくなった。汚染水の放出は、復旧作業を進めるためには、どうしても必要なことである。ここまで追い込まれたことは残念ではあるが、「ごめんなさい」といって涙を流されても、会見を見ている我々は不安を覚えるだけである。ここは「苦渋の決断です。この措置で、次のステップに進むことができるのですから、ご理解ください」と言うべきである。「こういったことは、社長などのトップが直接語るべきだ」と、今日のNHKニュースで水野倫之解説委員が言っていた。水野さんは、わかりやすい解説をするだけでない。こういった正論を述べる、頼もしい解説委員である。


2011.4.4(月)

100億円の寄付    

 風は強いが、天気はいい。気温も高い。日の光が強い。そんな中で、ウオーキング10分+10分。家族から、顔が金太郎の火事見舞いのように真っ赤になったと指摘されたが、紫外線にあたったからだろうか。これからは、紫外線対策もしなければならない。

 ソフトバンクの孫社長が大震災の被災者に100億円の寄付をするという。さらに、退任するまでの役員報酬の全額も個人として寄付するというからすごい。いかにお金持ちだとしても、こんなことはできることではない。その志の高さに、ただただ敬意を表する。ゴルフの石川遼選手は、今年の獲得賞金+バーディー一回10万円を寄付することを発表した。目標2億円という。19歳の若者が、こういったことをやってのける。そのほか、経済人、スポーツ選手、芸能人などが、巨額の寄付をしている。被災者の支援に尽力している人、募金活動をしている人、みんな心を一つにして、被災地救援に動いている。日本も捨てたものではない。こういう非常時にこそ、底力が発揮されている。

 原発事故の復旧は、大きな進展なし。枝野官房長官が、相変わらず、原発事故専門であるかのごとく、毎度毎度記者会見を続けている。新しい政治決断について話すのならともかく、状況説明だけの記者会見はもう卒業してもいい。官房長官の本来の仕事である、具体的な施策を打ち出す作業に専念してもらいたい。我々国民としては、NHKの水野倫之解説委員のわかりやすい解説で十分である。


2011.4.3(日)

春の甲子園閉幕    

 なんとなく元気が出ない。どこが具合悪いわけでもない。体温も平熱、血圧も正常。ひょっとして、被災疲れというのかもしれない。実際には被災していないが、被災の状況や原発事故のことを思い悩み過ぎると出てくる症状らしい。そんなに思い悩んでいるわけではないし、心身もそんなにやわではないと思うのだが。ということで、散歩は今日も中止、昼寝などしていた一日。

 春の甲子園で、東海大相模が優勝。圧倒的な打力と試合巧者ぶりが印象に残った。地元神奈川県代表が優勝したのだから、もっと喜んでもいいのだが、私にとって「地元」といえば、東北高校なので、東海大相模への応援はそこそこどまりだった。その東北高校、被災地の代表として、全国的な応援を得ての甲子園だったが、一回戦で7対0と完敗したのは残念だった。もう少し、「よくやった」というところを見せたかった。でも、出場できただけでも、被災地に大きな勇気を与えたと思う。その意味では、「よくやった」。だとすると、甲子園大会を自粛しないで開催したことは、「よくやった」という評価を受けていいのかもしれない。

 被災地の人たちにとっては、高校野球どころではない。避難場所を何度も移動させられている人もいる。宮城県南三陸町のように、町ぐるみで、他の町へ集団移動をしていく人たちもいる。いつふるさとに戻れるのだろう。正常な日常に戻れるのだろう。原発事故現場での作業員の人たちの苦労はいつまで続くのだろうか。「ぜひ働かせてください」という作業員がほとんどだという報道に胸が熱くなる。こんな状況でも、作業員の意欲は高いという。そんな人たちに、感謝し、感激する毎日である。


2011.4.2(土)

たまにはいいニュース    

 なんとなく気分が乗らなくて、散歩を中止した。このところ続いていたから、たまに休むのもいい。体調不良ということでもないが、こういう時に無理して散歩を決行すると、ほんとに具合が悪くなるということもある。予防のためとでもいうか。そのぐらい体調管理には、気を遣っている。

 司法修習中の次女の、弁護士事務所への就職が内定した。弁護士事務所も、ご多聞にもれずに就職難で、ここまでの就職活動では、本人も相当に苦労し、気をもんだが、なんとか決まって、まずはほっとした。家族でささやかにお祝いをした。

 これはいいニュースであるが、原発事故のニュースは、良くも悪くも大きな進展はなし。現状で、なにがどうなっているのか、放射線のレベルは健康にどの程度の悪影響があるのか、これからどういった推移をたどるのか、原発事故に関しては、用語にしても、内容にしても、専門的なことが多く、ニュースを見ている我々には、なかなかに理解がむずかしい。

 そんな中で、我が家で評価が高いのが、NHKの水野倫之解説委員である。彼の解説は、とてもわかりやすい。声がいいのも、こういった場合の強みである。彼の解説を聞いていると、楽観でも悲観でもなく、実物大で事態を把握できる気がする。最悪だったのは、東電による、特に初期の頃の記者会見。ただぺーパーを読み上げるだけで、質問されると、「よくわかりません、調べてから回答します」という反応では、聞いている我々は不安のみ募る。「最悪だった」と過去形で書いたのは、記者会見の冒頭に、「2ページ目のこめじるしをご覧ください」と始めた東電職員には、我が家で「なんだこれは」ととまどい、怒り、あきれたのだが、その職員が、最近は記者会見に出なくなったからである。伝えるということには、技術が伴う。この非常時だからこそ、わかりやすい説明は、国民にとってどうしても必要である。がんばれ、水野解説員。  


2011.4.1(金)

新年度が始まる    

 4月1日は、新年度が始まる日である。学校は新学期が始まり、諸官庁は新入庁者を迎え、新しい予算年度が始まる。企業も新しい社員が入ってくる。期待に胸はずませ、新たな闘志を燃やす。桜も咲き始め、浮き浮きした気分も漂うのが例年の4月1日なのだが、今年は様相が違う。被災地の学校では、新学期が始められないところも多い。被災地ではない首都圏の大学でも開講を1ヶ月遅らせているところが少なくない。私が復帰する慶応大学SFCもその一つで、開講は5月になる。いつもと違う4月であるが、何か新しいことが始まるという季節であることは変わりない。被災地の自治体や企業でも入庁式、入社式が行われた。いつも以上の新たな決意がなされたことだろう。  


以前のジョギング日記はこちらから



TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org