2011.4.16(土) みんなが奮闘している
昨日の甲子園球場での対オリックス戦はテレビ観戦して、結果まで見届けたのだが、楽天が本当に勝ったのか、確かめるために、新聞のスポーツ面を何度も読んだ。田中将大投手の気力のピッチングと山崎武司選手の激走があり、3対2で勝利はまちがいなかった。今日の試合も、先発永井の好投と最終回に三者三振に討ち取るスパイアーの完璧抑えで連勝。宮城Kスタが使えないので、甲子園でホームゲームを戦うという変則日程だったが、関西のファンの暖かい声援も力にしての健闘ぶりである。ただいまのところ、パリーグトップ。東北の被災地の皆さんも勇気をもらっただろうが、私も元気をもらった。
元気をもらったはずなのだが、今ひとつ体調が心配で、今日の散歩は中止にした。慎重を期したというべきか、サボりの言い訳か、微妙なところである。休んだおかげで、そして楽天の活躍を見たせいで、体調は万全に戻った。
河北新報社の佐藤純さんから大震災の特別報道写真集が送られてきた。テレビの映像とは違った、生々しい写真に、改めて震災の被害のものすごさに圧倒される。報告と御礼の電話をした。その際の佐藤さんの話では、河北新報社としても、多くの販売店が津波で流され、多くの販売員の人たちが亡くなったとのこと。新聞を配達しようとしても、家がなくなっていて届けようがない。代金の徴収も滞る。広告収入も激減。しかし、新聞発行は続けなければならない。これからの経営は、厳しいものがある。原発事故で町ごと移住してしまっている地区を抱える福島の新聞社は、もっと大変だという。ここが踏ん張りどころで、なんとか頑張って欲しいと心から願う。
今日は、もう二人の佐藤さん、宮城県栗原市の佐藤勇市長、福島県の佐藤雄平知事に電話して、いろいろ話をうかがった。お二人とも、文字通り、昼夜を徹しての奮闘ぶりで、頭が下がる。まだまだご苦労は続く。体調が心配であるが、なんとか、頑張って欲しいというのが、三人の佐藤さんに対する私からのメッセージである。
2011.4.15(金)
連日の外来受診は耳鼻科
TBSラジオ「おはよう一直線」に6時10分ごろから電話出演。生島ヒロシさんとは、大震災の後に、電話で話をする機会があった。私はそれをラジオ出演と勘違いしていたので、大震災後はじめての番組出演だったのにもかかわらず、被災地の方に語りかけることを失念してしまったのは、失態といえる。番組での私のコメントは、大震災に関わるものだけ。震災復興会議は、委員寄せ集めの合議制なので、責任ある役割は期待できないこと、ボランティアは、県などの指示、調整を期待せずに、どんどん現地に入っていくべきであること、原発事故で大事なのは適切な情報公開であること、こんなことを早口でまくし立てたような気がする。与えられた時間が限られているので、ついあわててしまうのは、いつもながらの反省点である。
今日のウオーキングは、午前中のうちに済ませた。強風と強い日差しの中を15分+15分。ずっと10分+10分だったのを、11日から少しずつ時間を延ばしてきた。11日に11分+11分、12日に12分+12分、13日に13分+13分。わかりやすさもあるが、遊びごころも潜ませている。30日に30分+30分にする気はない。24年前に、「脱デブ宣言」をしてジョギングを始めたとき、5分+5分から始めた。始める前に読んだ本から学んだのは、Fitness(運動) & Fatness(脂肪)の理論。ジョギングを12分間続けた後の毎分毎分で脂肪が燃えて筋肉に変わる。だから、ジョギング15分で3分間脂肪が燃え、ジョギング20分で8分間脂肪が燃える。条件は、1分間の心拍数が120回以上の運動強度であること。つまり、有酸素運動でなければならない。今のウオーキングで、この心拍数を充たしているかどうか。今度、計測しながら歩いてみよう。
午後は、横浜労災病院の耳鼻科での外来受診へ。前回は、2月18日だった。今回も、鼓膜に張り付いた耳垢除去の治療はせず、次回、6月24日の受診の際にやるよと、イケメンの鈴木医師に予告された。「大丈夫です、痛くしませんから」と付け加えながら。以前に治療をされたときに、私が「痛い、痛い」と訴えたのを覚えていたようだ。
2011.4.14(木)
本日の外来
2週間ぶりの外来受診のため築地の国立がん研究センター中央病院へ。検査結果は、異常なし。肝機能の数値がすべて正常値を示した。γGTPは40である。去年の10月に354を記録したことを考えれば、驚くべきほどの改善ぶりである。今日の計測で初めて正常値上限の45を下回った。そもそも肝機能の数値が高いのは、大量の薬服用の影響である。このところ薬の服用量を減らしたことにより、肝機能が正常に戻ったとみるべきだろう。いずれにしても、うれしいことである。今日からステロイド剤であるプレドニンの服用量を2.5mg/日に減量。いずれ、ゼロになるのを待ちつつ。次回の受診は2週間後となる。
菅首相下ろしの動きが、民主党内部から出てきた。「菅政権は無責任 さらに災厄を招く」と言いながら、倒閣の声をあげている。民主党員の資格停止処分を受けた小沢一郎氏が仕掛け人である。大震災後の復旧に、国を挙げて全力を尽くすべきときに、その混乱に乗じて政局にするとは、なんたることかとあきれてしまう。「内閣不信任案の提出という手もある」と仲間内では話しているという。そういった権謀術数を云々すること自体、今の国難の時期をなんと心得ているのかと言いたくなる。今朝の読売新聞の「編集手帳」は、そこのところを、わかりやすく論じている。「何ごとにも頃合いがある。戦力として疑問が生じた場合でも、"戦場"にいる人の進退は軽々に扱ってはならないだろう。・・・首相も”戦場”の人には違いない。情報開示の遅れや不要なパフォーマンスなど、手腕が心もとないのも事実だが、手術中の執刀医を交代させるにも等しい党内抗争は危険だろう。」 そのとおりである。今は、手ごわい敵を相手にした戦争の最中である。その真っ只中に、指揮官を代えろと叫ぶ味方の参謀の姿が、尊敬を集めるとはとても思えない。冷静になってくれよ。今、何が求められているのかを、しっかり見つめてくれよ。声を大にして、そんなことを言いたい。
2011.4.13(水)
ふるさとにいつの日帰らん
原発事故の周辺地域の住民は、他の市町村に集団的に移り住んで、不自由な避難所生活を続けている人たちもいる。その人たちは、文字通り、着の身着のまま、とるものもとりあえず、自宅を出てきている。そういった人たちに、一時帰宅を認めるための計画が作成されつつある。一家で一人、短時間(数十分?)といった制限が付されるらしい。これでは、ごく限られた物しか持ち出せないだろうし、そういった物に放射性物質が付着している場合は、それもできない。この一時帰宅は、例外的措置で、基本的には、この地域に戻ることは許されないということが、なんともつらい。菅総理と会談した松本健一内閣官房参与によると、原発事故周辺の非難対象地域について、「当面住めないだろう。10年住めないのか、20年住めないのかということになってくる」と菅首相が語ったという報道があった。この発言は、松本氏の推測での引用で、実際には菅首相は言っていないと訂正されたが、仮に、「10年、20年住めない」ということになったら、住民の方々にとっては、どんなにか悲しいことだろう。残酷な運命をうらむのか、それとも、あきらめが先に来るのだろうか。
映画「二十四の瞳」を見たことが契機で、CDラックから「こころのうた」(小鳩くるみ)を取り出して、このところ毎日聴いている。50年以上前のアイドル小鳩くるみの歌声を7,8年前にラジオで耳にして以来、その確かな歌唱力と透明感の中にうるおいのある声に魅せられている。季節感もあって、「小さい秋みつけた」なんていうのははずして、「早春賦」、「さくら貝のうた」、「花」、「ふるさと」、「浜辺の歌」、「荒城の月」をprogram で厳選編集した。「ふるさと」、「浜辺の歌」は、どこで、いつ聴いても、涙が出るほどであるが、小鳩くるみの歌声は、思いひとしおである。「ふるさと」の三番の歌詞、「♪こころざしをはたして いつの日にか帰らん 山はあおきふるさと 水は清きふるさと」は、特に心に沁みる。原発事故で避難させられた人たちのふるさとに、一体、いつの日に帰ることができるのだろうか。国敗れても山河がある。しかし、原発事故の放射能で汚染されたふるさとの山、ふるさとの水は人が住めるところでなくなってしまう可能性もあるとは、なんと残酷なことか。
楽天は、今日もロッテ相手に5対1で快勝。快投で勝利投手となったラズナー投手が、インタビューで涙を流していた。被災地のことを思ってのことだろう。今日の勝利に貢献したからだけで言うのではない。あんたはえらい。同じく仙台を本拠地とするサッカーのベガルタ仙台の外国人選手が、震災で気持ちを集中できないとして本国に帰ってしまったのと、どうしても比べてしまう。
2011.4.12(火)
情報の開示が一番大事
福島第一原発の事故について、原子力安全・保安院と原子力安全委員会は、国際的な自己評価尺度(INES)で「深刻な事故」とされるレベル7に引き上げたと発表した。テラとか京といった、ふだん聞いたこともないような数値単位で語られる放出放射線物質の量の大きさに、事態の深刻さを実感し、心が震える。一方で、このようなことを、発表したことは評価していい。諸外国が、今回の原発事故を見る目は厳しいものがあるが、それは事故が起きたことを非難しているのとは違う。東京電力などによる復旧作業が後手後手に回っている手際の悪さをあげつらっているわけでもない。批判的な目は、当局が正しい情報を適時適切に出していないのではないかということに向けられている。
その批判は正しい。我々国民としても、当局に対して、いろいろ言いたいことはあるが、今、最も気になっているのは、適時適切に正しい情報が伝えられていないのではないかということである。当局は情報を隠しているのではないか、嘘の情報を流しているのではないか、という不信感を国民に抱かせる状況がある。当局の「理屈」もあるらしい。情報の開示によって、国民をパニックに陥れてはならないという配慮である。しかし、それで情報に手加減をいれるということがあるとしたら、とんでもないことである。そんな情報操作は、絶対にやってはいけない。パニックを起こすということに関しては、情報を開示することが問題なのではなく、その伝え方が適切かどうかということである。「当局の言うことは正しくない、当局は情報を操作している」という疑心暗鬼が広がることのほうが、はるかに深刻な事態を引き起こす。原発事故に関しては、デマや危機を煽る誇大なうわさが広がっているが、当局の情報開示に絶対の信頼が確保できていれば、そんなデマなどは、信じられる余地はなくなる。
なぜ、こんな危険な原子力発電所を作ってしまったのか、復旧が遅れたのは誰の責任かなどということは、いずれ、きっちりと総括しなければならない。しかし、今やるべきは、総力を挙げての復旧作業である。知恵と人力を最大限投入して、乾坤一擲の総力戦を戦い抜くことこそ、最も大事なことである。そして、絶対に守らなければならないことは、正しい情報の適時適切な公表である。国民の信頼があってこそ、国民の理解と協力を得ることができる。厳しい目で注目している諸外国の期待を裏切らないためにも、絶対に必要なことである。今日の自己評価尺度レベル7の発表ということは、評価できると書いたのは、こういった意味からである。
今日のプロ野球開幕のことにもちょっとだけ触れたい。我が東北楽天ゴールデンイーグルスがロッテを相手に戦った開幕戦で、6対4で勝利した。岩隈投手が最終回に3点本塁打を打たれて、ひやっとする場面もあったが、若きチームリーダー嶋捕手の3点本塁打の活躍で快勝。「被災地に勇気を与える」ということも大事だが、はつらつとしたプレイを期待する。今日のところは、その期待に十分に応えていた。
2011.4.11(月)
大震災から一ヶ月目
3月11日の大震災から、一ヶ月目である。あの日、大津波が町を襲う様子をリアルタイムで見ることになったが、あの時の衝撃を、つい昨日のことのように思い起こす。知事時代に何度も訪れた美しい海岸線の町が、一瞬にして目の前から消えてしまった。そして、多くの人命が失われ、家屋が流され、船が内陸まで乗り上げた。実際に起きていることが信じられない。信じられないままに、今日に至っている。病後の身で、体調が完全ではないので、現地に赴くことができないのが、なんとも歯がゆい。被災して、今もなお不自由な生活を送っている方々に、直接声をかけることもできないでいる。
一ヶ月経っても、避難所での生活が続いている被災者が、まだ15万人もいる。その方々にとっては、この一ヶ月は、とても長く感じられただろう。一日も早く、普通の生活に戻ることができるように、祈っている。その一ヶ月目の今日、夕方以降に大きな余震が何度も東北地方を襲った。幸い、被害はそれほど大きくなかったが、激しく揺れる避難所で、幼い子が泣き叫ぶ姿があわれである。打ち続く揺れに、恐怖を感じているのだろう。余震が、一ヶ月経ってもまだ納まらない。それだけの巨大地震だったことを、改めて実感する。
そんな中の明るいニュースは、マスターズゴルフでの若手選手の活躍である。石川遼選手と松山英樹選手が、いずれも名だたる選手たちに混じって、まったく引けを取らない立派な結果を残した。石川遼選手は20位、松山英樹選手はベストアマチュア賞であるから、十分な活躍である。どちらも19歳ということも、観衆にとっては、驚きであろう。石川遼選手の獲得賞金の全額寄付は現地でも絶賛の的である。早速、今回、獲得賞金790万円プラスバーディー分140万円の合計930万円が寄付されることになった。松山英樹選手は、被災地仙台にある東北福祉大学の2年生で、被災者のことを考えると、マスターズ出場を辞退しようかどうか、最後まで迷った末の決断だった。そのことも、現地の人たちの大きな関心の的で、連日、写真入りで報道されていた。
統一地方選の結果が出て、一夜明けた。民主党が大敗ということは、予想されていたことではあるが、民主党にとっては大きな打撃である。その敗戦をとらえて、野党だけでなく、民主党内からも菅首相退陣を求める声があがっている。そんなことを言っている時期なのかどうか、よく考えて欲しい。震災対策は、この時期、誰が首相であっても、容易ではない。四方八方から批判、非難の声は上がるだろうが、与党としては、なんとかここは首相を支えるべきである。批判する前に、肩を揉んでやれよ、励ましてやれよ。力を合わせて、国を挙げて復興に邁進すべき時であることを忘れてはならない。みんなそれぞれ、自分のやるべきことをやる。19歳の若者たちの奮闘から学ぶことがある。
2011.4.10(日)
統一地方選挙
統一地方選挙の投票日。午後から、妻と連れ立って、近くの神町小学校に投票に行く。途中で、見事な桜の満開の様子をいくつか愛でる。それだけで、心が和み、浮き浮きしてくる。投票所は、閑散としていた。投票していたのは、我々だけだった。最終的に投票率はどうなるのだろう。大震災の直後でもあり、選挙どころではないというムードが漂っている中なので、いつもとは違う有権者の反応である。今日の散歩は、投票所往復で代行。いつもの距離よりは短い。
投票したのは、神奈川県知事、神奈川県議会議員、横浜市議会議員。知事はともかく、県議会、市議会の活動の様子はほとんど知らない。各候補者のことも、まったく知らない人がほとんど。そんな中で、なんとか「意中の人」を選んで投票した。慶応大学SFCの政治学や地方自治の講義で、地方自治に興味と関心を持ちなさいと論じているのだが、実際には、なかなかむずかしい。ポイントは、地方議会が見える存在になり、議会としての役割をきっちりと果たすこと。そうでなければ、興味の持ちようもないではないか。
選挙結果は、神奈川県知事選挙では黒岩祐治氏が初当選、東京都知事選挙では石原慎太郎氏が四選を果たした。これからの任期四年を、地方自治のために、きっちりと仕事をしてくれることを心から望む。
以前のジョギング日記はこちらから
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