2011.7.9(土)
原発論議は、「安全第一」が大原則 福島での原発事故以来、原発の安全性について、今までは想定外のことも想定したうえでの安全性の確保ということで、安全性の基準のハードルが上がった。それだけではない。安全性というのは、安心感に裏付けられたものでなければならない。安全性は、原子炉の設備としての機能とそれを運用する人間の能力を、理論的に、客観的に評価して判断される。一方、安心感は、文字通り、「感」であるので、心理的なものであり、客観的評価は困難である。今回、事故には至らなかった福島第二原発には、1号機から4号機まで4基の原子炉がある。これらの原子炉について、安全基準を厳しく定めて、厳重な安全審査をクリアしたとして、再稼動が許されるだろうか。あえて「許されるか」と書いたが、福島県民は、絶対に許さないだろう。安全性のハードルは越えられても、福島原発事故の惨状を体感した福島県民に安心感を与えるためのハードルは、とてつもなく高いからである。
安心感は、原発を運用する側の人間への信頼感にも裏付けられている。この信頼感に揺らぎが生じている中で、安心感は生まれるはずがない。最近の玄海原発をめぐる動きを見ればよくわかる。ストレステストを追加するという、菅首相の唐突な動き。九州電力によるやらせメール。古川佐賀県知事や玄海町長の了承もむずかしいが、住民は簡単に受け入れるとは思えない。原発推進側への信頼感が揺らぎ、それが原発への安心感の喪失につながっているからである。
こういった現状を見れば、現在休止中の原発の中で、どれだけの原発が再稼動できるか。安全基準をクリアし、政府がそれを認めたからといって、立地地域の住民がすんなりと受け入れるだろうか。となると、原発推進だ、反原発だという議論は無意味に近い。現実がそんな議論をふっ飛ばしてしまう。実際問題として、来年の5月には、稼動している原発ゼロということは、十分想定しうる。そうなっては、日本経済に及ぼす影響は耐え難いものになるから、無理やりにでも、いくつかの原発を稼動させるのだろうか。「安全第一」という大原則は、降ろすわけにはいかないとすれば、議論はこうなる。「日本経済に深刻な悪影響を及ぼすことを防ぐために、一体、何基の原発を稼動させるべきか」という立論ではなく、「(安全第一の原則に照らして判断をした結果)稼動してもいい原発がどれとどれかを確認したうえで、それによって確保できる電力量に見合った経済活動、国民生活はどうあるべきか」ということを議論して、そのための計画を策定するべきものとなる。その際には、この夏の節電作戦が、どういった結果をもたらすかを参考とすることになろう。
あれあれ、大論文になってしまった。もうちょっと書かないと、真意が伝わらないだろうと思いつつ、ここでやめておく。こんな日記は珍しい。
2011.7.8(金)
耳の聴こえは、回復途上
午前中に、「年金時代」に連載している「新言語学序説」の第91回目の原稿を書いた。テーマは「上から目線について」。あの松本龍初代復興担当大臣と宮城県知事との面談に触発されて、このテーマを選んだ。そろそろ種切れになってきて、テーマを探すのに一苦労である。
午後から、横浜労災病院の耳鼻科へ。火曜日から4日連続のお出かけ。イケメンの鈴木貴充医師に鼓膜に貼り付いている耳垢を取ってもらうのだが、右耳の段階で、痛さに音を上げてしまった。「危険な処置なので、無理しないでおきましょう」と、左耳の処置は、痛くない程度のところでやめてくれた。放射線照射の後遺症で、鼓膜に耳垢が貼り付いている。放射線照射は1年半前に終了しているので、これ以上悪化することはない。聴こえは確かによくないのだが、日常生活に大きな支障があるほどではない。無理せず、ボチボチと治療していただくのがよいのではないか。いずれ、放射線の影響も抜けるだろうし。次回診察は、9月9日である。実際問題として、最近の政治情勢の混乱や、原発問題の混乱を目の前にすると、耳が少々聴こえ悪いままのほうが、心の安定は保てる。
原発再稼動が、菅首相の唐突なストレステストの指示で揺れている。九州電力の「やらせメール」の発覚が混乱に輪をかけた。古川佐賀県知事、岸本英雄玄海町長は、「一体何を信じていいのか」と政府不信を隠さない。それにしても、九州電力はなんたることをしでかすのだろう。「やらせメール」をメールで依頼するなんて、絶対にばれるに決まっている。ばれれば、住民の不信感は極限に達し、原発再稼動なんて吹っ飛んでしまうことを予想できなかったのだろうか。競争なき、独占企業の電力会社だからこそ、こんなおばかな社員が生まれる。そんなおばか社員の給料も電力供給のコストとして算入されて、電力料金にはねかえる。だから、日本の電気料金は、諸外国より何倍も高い。原発をどうするかと平行して、電力会社をどうするかを真剣に見直すことが必要だろう。
原発をどうするかについては、「安全第一」が原点。これについては、いずれ書く。
2011.7.7(木)
菅さん、もう限界ですよ
2週間に一回のがんセンター中央病院での外来受診へ。肝臓機能の数値が高いのは、前回からの引き続きで気になるが、田野崎医師によれば、心配する数値ではないとのこと。それ以外の検査結果は、順調であり、全体として異常なし。次回の診察は2週間後。
両手のボチボチ発疹は、少し下火になった。かゆみも、だいぶおさまった。赤みはとれたが、ボチボチは残っている。もう少しで収束するだろう。
収束しないのは、政治情勢の混乱である。海江田万里経済産業大臣が、近い将来の辞任を表明した。大臣として、ぜひとも成立をさせなければならない法案にメドがついたら、責任を取って辞める意向である。6月18日に、海江田大臣が、休止中の原発に再起動安全宣言を出した時には、「何を根拠に安全宣言か。早過ぎるよ」と私としては、強い疑問を持った。それに対して、菅首相は、「私も海江田大臣と同じ考えである」と言っていた。その後、海江田大臣は、佐賀県の古川康知事のところに出向いて、玄海原発の再稼動を要請した。そんなところに、菅首相がストレステストの実施を指示したのだから、海江田大臣の面子丸つぶれ、再稼動を受け入れていた玄海町長も、受け入れ意向を翻した。
ストレステストの実施の指示自体は、結構なことである。しかし、それは、6月18日の海江田大臣の安全宣言の前に言い出すべきことであった。タイミングがまったく悪い。突然の方針転換は、事態を混乱させるだけ。例によって、誰かの入れ知恵に基づく、菅流の思いつき発言としか思えない。思いつきであるかどうかは別としても、この迷走は罪深い。責任を取るべきは、はしごをはずされた海江田大臣ではなく、はしごをはずした菅首相である。
短い時間に、松本龍初代復興担当大臣の9日間での辞任、モーニングまで用意させておいて、中山義活政務官の経済産業副大臣昇格人事の撤回、そして海江田大臣の辞意表明。岡田克也幹事長も、「首相と経済産業大臣の意思疎通が図られていない」と批判発言があった。昨日も書いたが、絵に描いたような政権末期症状である。誰もついていけない、求心力をまったく失った首相の下で、どんな国政が展開できるのだろう。だめです、菅さん、もう限界です。
2011.7.6(水)
予報が当たらない 週間天気予報では、しばらく曇り空と雨の日が続くと報じていたが、予報はずーっとはずれ続けている。今日も、朝から太陽が地面を照らす暑い一日だった。そんな中、午後から、慶応大学SFCに出かけて、教員会議に出席。学部長と政策・メディア研究科の委員長選出の選挙である。「SFCで実施される行事の中で、最も重要なもの」とのお達しがあるので、欠席は許されない。投票は、国政選挙並みの厳正な形で行われる。最終的には、総合政策学部長、環境情報学部長、政策・メディア研究科委員長、すべて、現職が当選という結果だった。2時間近くを要したが、厳正な投票が確保され、誰もが納得。
政治情勢は、どうなっているのだろう。昨日は、民主党の安住淳国会対策委員長が、「こんな内閣では、とてもじゃないが、ばかばかしくてやってらんないよ」と聞こえるような、厳しい政権批判の言葉を発していた。党の執行部の一角から、これほどの厳しい批判が公然となされるようでは、政権末期と言わざるを得ない。一方で、今日の衆議院予算委員会では、比較的、穏やかに審議が行われているようで、その温度差にとまどいを感じる。最重要閣僚である復興担当相がたった9日間で辞任というのは、異常事態である。それでも、「3条件達成」まで、政権は続くのであろうか。私の週間政権予報も、週間天気予報並みに、はずれ続けるらしい。官僚の皆さんが、一日も早い菅首相の辞任を心待ちにしているのを、菅首相自身はご存知ないのであろうか。こんな状態での一日の政権延命は、一日の国政停滞を意味する。
2011.7.5(火)
ナミねえの講義に、感動の学生たち 慶応大学SFCに8時半着。1時限目の「総合政策学の創造」にゲストとして特別講義を頼まれていた。聴講生は、総合政策学部の一年生400人ほど。「いのちを考える」というお題をもらったので、自分の闘病のことを前半に、後半は重症心身障害者のいのちについて話した。大震災の復興についても、いのちを考えるという文脈の中で話してみたが、なかなかむずかしい。話題を欲張り過ぎて、時間が足らなくなり、ちゃんとした話のまとめもやらずの言いっぱなしになったのが残念である。この授業担当の国領二郎総合政策学部長から、「今年の一年生は、特に熱心で前向きに取り組んでいる」と聞いていたので、学生たちの反応も知りたかったのだが、そういったやりとりの機会が持てなかったのは、私の責任である。
2時限の「政策協働論」には、神戸のプロップ・ステーションの竹中ナミ理事長をゲストとして来てもらった。以前にも登場いただいて、学生たち大感激だったのが記憶に残っているので、今回も大きな期待を持ってお迎えした。期待どおり、学生たちには忘れがたい感銘を与えた。重症心身障害の娘を「自分の恩師、恩人や」と言いながら、「チャレンジド(米国で使われている「障害者」の別称)を納税者に」という活動について、多くの実例をまじえた、わかりやすい講義を展開してくれた。世の中は、こういう活動から変えていける、政治は政治家だけがするものではないというメッセージは、この授業のタイトルにふさわしい締めくくりだった。
なんと、4時限の研究会のゲストも竹中ナミさん。ここまでナミねえを酷使していいのかと思いながら、私の闘病中には、ずっと心配し続けてくれて、今回の再会をなによりも喜んでくれているナミねえに甘えてしまっている私。疲れを知らないナミねえは、連投講義をエネルギー全開で走り抜けた。ITを使えば、重度の障害者も仕事ができる、専門家になれるという実践を紹介する講義には、学生たちも目の色を変えて聞き入っていた。ナミねえは、講義の後、学生たちと湘南台駅近くの居酒屋での飲み会にまで参加してから、神戸に帰っていった。ナミねえ、忙しい中、酷暑の中、遠く神戸から来ていただいて、学生たちに生涯忘れえぬ感動を与えていただきました。お疲れ様、そして、心からありがとう。すごい女性です。
松本復興担当相の辞任について、一言。これは菅首相の任命責任といった簡単なものではない。この大事な時期、政府の最重要ポストに、こんな方しか据えられなかったという政権の機能不全を露呈したということである。政権の末期症状であり、これでは、震災対応だけでなく、大事なことは何も動かない。一日も早く、というより、今回の大臣辞任を契機として、菅首相は辞任すべきである。
2011.7.4(月) 松本復興担当大臣の暴言
松本龍復興担当大臣が、昨日、岩手県と宮城県を訪れ、それぞれの大臣と会見したが、その対応ぶり、暴言とも言える発言に、非難の声が各方面から上がっている。特に、宮城県知事との会見がひどい。各局のニュースで、その様子を逐一伝えており、ネット上に動画配信もされているので、何度も見たが、何度見てもひどい。上から目線の言い方とか、命令口調とかが、ものすごく気になるし、不快である。村井知事も、今日の記者会見で、「地方と国は上下関係ではなく、お互いパートナーの立場なのだから、命令口調でないように話してもらいたい」と言っていたが、そのとおりである。
どっちが上だ下だという問題ではない。宮城県民は、自分たちの選んだ知事に対して、あんなえらそうな口をきく大臣に対して、怒りに震えているはず。国の復興対策が遅々として進まない中で、村井知事が復興のために、最大限の奮闘努力をしていることを、県民はよく知っている。その知事に対して、前任の防災担当大臣として何もできなかった松本復興担当相があんな態度をとるのは許せないと思うのは当然だろう。私自身がそう思っている。被災地の人たちに、そんなふうに見られている松本氏が、復興担当相として、ちゃんとした仕事ができるとは思えない。たまたま、口がすべって、不適切な発言をしたというのとはちがう。人間性の問題であり、復興担当相にふさわしい人間性の持ち主ではないことは、誰の目にも明らかだろう。
国会でも、当然、辞任を求める動きが出るだろうが、上から目線だから、命令口調だから、態度が悪いから、というだけでは、辞任理由として決め手に欠ける。しかし、あの会見の動画を見れば、民主党議員でも絶対に大臣不適格と認めるだろう。菅首相の任命責任もある。よりによって、あんな人間を復興担当大臣にするとは、不見識もはなはだしい。
2011.7.3(日)
テレビ出演の意味 午前中に手紙を3通書く。慶応大学のマークが入った便箋に、それぞれ2枚ずつ、万年筆で行を埋めていく。住所を書いた封筒に便箋を入れ、80円切手を貼り、散歩の途中で、郵便ポストに出しに行く。パソコンから送る電子メールは便利だが、、こういう手間隙にずっと心がこもるような気がする。お手紙をくださる方は、だいたいにおいて、字がとてもお上手である。そんな方に、まずい字でお手紙を返すのは、気が引けるのだが、恥を忍んで直筆の手紙を書く。下手は下手なりに、直筆には人柄がにじむ。メール全盛の時代にも、手紙の存在意義はあると思う。
7月1日(金)にTBSテレビ系列で放送された「朝ズバ」を見た人からのメールが何通か届いている。まったく面識がない方からもいただいた。岐阜県のHさんは、骨髄異形症候群で骨髄移植を受け、現在は合併症(ドライアイ、口内炎)に苦しんでいる。そのHさんからのメールには、私の大学復帰を知って、「人生の光をみつけた」とあり、これを境に合併症に負けることなくがんばっていきたいとの決意表明が書かれている。足の血栓で大学病院に通っているという福岡県のKさんからは、「テレビの浅野さんを見て、私もがんばろうと思いました」とのメールが届いた。病気に苦しんでいる人にとって、私が大学に復帰したことは、勇気を与えることになることを、改めて実感する。私のテレビ出演には、自分で考える以上の意味があるのだということも、知らされている。
2011.7.2(土)
社会保障・税の一体改革 午前中に、「ガバナンス」8月号の原稿を書いた。社会保障・税一体改革について。社会保障改革だけだったら、理屈と数字の世界であり、議論をしながら結論に辿り着くことは可能である。しかし、税制との一体改革となると、これは政治の世界である。消費税の引き上げという、国民に痛みを及ぼす内容が含まれる。選挙が怖い議員は、正面から取り組もうとしない課題である。実現に向けての強い意志とリーダーシップが必要だが、菅首相の下では、それはまったく期待できない。よって、この改革は、現政権では実現の緒につくことさえ覚束ない。だから・・・・。ということを書いた。原稿が活字になる一ヵ月後には、菅政権はどうにかなっているのだろうか。
午後からは、楽天対ロッテ戦をスカパーで観た。昨日の田中将大投手の完封勝ちには快哉をあげたが、勝ちは続かない。計算できる投手がいない中、この貧打では、勝つのは相当にむずかしい。どうせ、惨めな敗戦だろうと、途中で観るのをやめたが、その後、ルイーズ選手が、今日は2本もホームランを打った。負け試合でなくて、もっと大事な場面で打ってくれればいいのに。
2011.7.1(金)
なつかしい金曜日 朝、6時自宅発で、「朝ズバ」出演のために、TBSテレビへ。2年前までは、毎週金曜日、4時半自宅発で通っていた。まさに、2年ぶりのスタジオ入りである。司会のみのもんたさんをはじめ、コメンテーターの与良正男さん、吉川美代子さんに温かく迎えていただいた。アナウンサー陣は、2年前とだいぶ変わってしまったが、高畑百合子さん、岡安弥生さん、米田やすみさん、男性では奥平邦彦さんが健在で、なつかしのご対面を果たした。
事前に、「感染症が怖いので、スタッフはマスクの着用を願います。握手、ハグ、キスなどのボディタッチは禁止です」と言っておいたら、それが徹底していて、カメラマンも含め、スタッフ全員がマスク着用して働いていた。そんなにも、気を遣って待っていてくださったことに、感激である。今日付けで、他の番組担当に異動になったチーフプロデューサーの高田直さんにお会いできたのも、うれしかった。高田さんは、私が最初にこの番組に出た時から関わってくださった。2年前、入院のために番組を離れる際に、高田さんに「きっと、戻ってきますから、待っていてください」と言ったのを思い出す。プロデューサーの森本典嗣さん、現在は情報制作局長の吉崎隆さん、新しいチーフプロデューサーの武石浩明さん、スタッフ皆さんの歓待に感謝である。
今回は、番組復帰ではなくて、ゲストコメンテーターとしての出演である。2年ぶりにコメンテーター席に坐ったら、一気に2年のブランクは飛んでいってしまい、口からどんどんコメントがあふれ出てしまうほどであった。やはり、うれしかったし、この職場は、自分に合っているのだなと確認する場面であった。
番組を見たといって、何人かからメールや電話があった。まことに残念ながら、東北放送が7時20分でローカル放送に切り替わるので、一番見てもらいたかった宮城県の方々には、元気な姿を届けられなかった。
番組では、大原博司ディレクターが、昨年の8月から取材してきた内容を15分のビデオに編集したものが流れた。これが、とてもいい出来で、感心してしまった。石巻の小林厚子さん、仙台二高の同級生の菊地昭典君のインタビューも、うまくまとめられていた。大原さん、ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。
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