2011.9.10(土) 電車に乗って、講義にでかける
「第3回willbeアカデミー」の2日目の第一時限の講師を務めた。残間里江子さんからの講師依頼を気楽に受けたのだが、錚々たる講師のお名前を見たら、怖気ついてしまった。大田弘子(政策研究大学院大学教授)、岡本行夫(外交評論家)、妹島和世(日本女子大学・多摩美術大学客員教授/建築家)、田原総一朗(早稲田大学特命教授/ジャーナリスト)、月尾嘉男(東京大学名誉教授/willbeアカデミー講師代表)、中沢新一(明治大学野生の科学研究所所長)、原研哉(武蔵野美術大学教授、グラフィックデザイナー)、福岡伸一(青山学院大学教授)の各氏が、9月3日(土)の第一日から、毎週土曜日、9月18日(土)の第三日まで、一日3人ずつ登場する。
今年のアカデミーの統一テーマは、東日本大震災を契機として「日本再生」、「日本創生」を考えるというものである。私は、自分の闘病体験を交えながら、大震災と原発事故に無理やり結びつける話を展開したが、学問的なにおいのまったくない内容になってしまったことを恥じつつ、10時から12時まで、90分の話と30分の質疑対応を何とかこなした。聴講生は、61名。club willbeのメンバーが対象で、講師を務める私としては、受講料分の元を取ってもらわないといけないと思い詰めるので、「こんな講義でいいのだろうか」と悩んでしまう。反面、とても熱心な受講態度なので、講義していて張り合いがある。
会場へは、横浜の自宅から電車を乗り継いででかけた。病気以来、これだけ長い電車での「旅」は初めて。それだけでも、私にとっては、画期的な経験ではある。講師としての出来の悪さはとても気になっているのだが、こういう経験ができたことで、自己満足をするしかない。
長い「旅」は結構身体的にも大変だったが、それは今日の季節はずれの暑さのせいもある。本郷三丁目の駅から、東大赤門までの歩きは、9月とは思えないギンギラギンの太陽に熱せられて、同行する妻とともに、「暑い、暑い」を連発していた。「台風が空気をかき回して、季節が移った」と、7日の日記に書いたが、それは間違えだったことになる。
帰宅して、楽天対日本ハムの試合をテレビ観戦。田中将大対斉藤祐樹の対決である。あの甲子園での対決から5年、プロ野球の場での初対決を見逃せるはずがない。この試合で見る限り、田中のほうが一枚も二枚も上。田中は、最終回、松井の失策もあり、満塁から押し出しで1点献上し、今期5回目の完封こそ逃したが、4対1で快勝。斉藤君、田中との対決に勝つまでは、まだまだ時間がかかるよ。もうちょっと、しっかり練習しなさい。
鉢呂吉雄経済産業大臣の「放射能をつけてやる」、「死の町のよう」の発言は、発言そのものも問題だが、この大事な時期の大臣としての自覚のなさの発露であるから問題なのである。一刻も早く、鉢呂大臣が自ら辞任するべきである。このように日記に記したところに、辞任のニュースが入った。
2011.9.9(金) 聴こえが回復
昼前に、フジテレビの「新報道2001」のスタッフが来宅。11日(日)の7時半からのこの番組に、出演依頼を受けていたので、それに向けての打ち合わせである。3.11の大震災からちょうど半年、番組のテーマは大震災関連である。スタジオでのテレビ出演は、7月1日のTBSテレビ「朝ズバ」以来となる。福島県の佐藤雄平知事、宮城県の安住宣孝女川町長と電話で話をした。番組出演の機会に、現地の状況をインプットしたかったし、被災地で頑張っている二人を励ましたいとも思った。お二人とも、復興対策に大変な思いで取り組んでいるが、使命感をもって戦っていることがわかり、その意味では心強く、安心もした。
午後からは、横浜労災病院の耳鼻咽喉科の鈴木貴裕医師の診察・治療を受けた。放射線照射の副作用で、鼓膜に耳垢が張り付いている。それを取り除くのだが、今回は耐え難い痛さはなかった。「先生、今日は手加減したんですか」と私が訊くと、「少し耳垢を取り残しても、聴こえは変わらないし、あまり無理して耳垢を取る必要はないですから」というお答え。「耳管が炎症を起こしている可能性もあるが、その治療は簡単ではないし、いずれ放射線の影響が抜ければ、治るのだから、このままにしておこう」とも説明してくれた。「先生、時間の問題ということですね」、「しゃれみたいだけど、耳管の問題です」というやりとりで診察を終えた。
自宅に戻って、トイレに入ったら、トイレの設備が故障している。「シャー」という大きな音がするし、トイレの水を流したら、すごい音である。前者は、空気清浄器の空気を放出する音で、今までどおりに作動していることに気がついた。今までどおりでないのは、私の耳である。つまり、先ほどの治療で、聴こえが回復したということではないか。テレビをつけたら、これまでは、音量24にしないと、ちゃんと聴こえなかったのが、音量16でもはっきりきこえる。CDをかけてみたら、これまで音量18でもぼんやりだったのが、音量13でもはっきり聴こえ、しかも、ステレオで聴こえるではないか。ここに至って、聴力が完全に回復したことを確認した。ウワーうれしい、うれしい。ラッキー、ラッキー。9月9日は、救急の日でもあるけど、重陽の節句である。古来中国で縁起のいい数字である九が重なっているのだから、最も縁起のいい日ということになるらしい。おかげさまで、耳が聴こえるようになりました。
NHKテレビの午後5時半ごろ、生島ヒロシさんが登場。震災直後の3月15日、「おはよう一直線」でリスナーからのメールを読んでいるうちに、涙が止まらなくなった様子が、番組の録音で紹介された。それを聴いている生島さんが、スタジオでまた涙を流している。気仙沼出身の生島さんの妹夫婦が、津波に遭って、いまだに行方不明であることを思い出しての涙である。そんな生島さんのことを気遣ってくれるリスナーのやさしさに心を動かされての涙である。その場面を見ている私も、つい涙を誘われた。
昨日の日記を書いた時点では、なでしこジャパンのオリンピック出場が決まっていなかった。オーストラリアが中国を1対0で破ったことにより、出場が決まった。昨日の記述で、オウンゴールを引き出したシュートを放ったのは大野選手とあるのは、永里優季選手のまちがい。お詫びして訂正します。
2011.9.8(木) 元気な北朝鮮になでしこジャパン苦戦
散歩42分。強い光の陽が差している。行きはよいよいだが、帰りは気温もあがり、かなりこわい。(「こわい」は宮城県や北海道では、「怖い」ではなく、「疲れた」の意味で使われる。発音は、「こえー」となるのがふつう)
今日のお楽しみは、なでしこジャパンの試合。NHKテレビにかじりついて応援していたが、対戦相手の北朝鮮がなかなか強い。日本得意のパス回しが通らない。北朝鮮は簡単にボールを奪い、すぐに攻撃してくる。危ない場面が何度もあったが、日本は相手ゴールを脅かす機会が少ない。「これじゃ負けるな」と思ったところで、大野のシュートが相手のおウンゴールを誘い、貴重な一点。ところが、守りのミスもあり、北朝鮮にゴールを許し、結局引き分けに終わった。終わってみれば、負けないでよかったと思えるほどに、相手のスピードと体力の強さに圧倒された試合だった。そう簡単には、オリンピック行きの切符は手に入れられない。
2011.9.7(水) 日浦さんとの対談
朝、涼しさの中で、散歩に出る。台風が空気を掻きまわしたために、季節が変わったのだろう。吹く風は、秋の風である。蝉の声に代わって、朝から虫が鳴いている。涼しいと散歩も体力の消耗が少なくて、楽である。
午後、日浦美智江さんが、ドキュメンタリー制作中の貞末麻哉子さんと来宅。日浦さんとは、昭和62年、私が厚生省の障害福祉課長就任した直後の時期に初めてお会いした。横浜市栄区桂台に、重症心身障害を持つ人たちが通ってくる施設があることを耳にして、行ってみたのが「朋」である。施設長の日浦さんの案内で視察させてもらった後、私が日浦さんを質問攻めにした。こういった事業は、次の一手として、是非必要だと思ったからである。この時の知見をもとにして、重症心身障害者通園モデル事業を予算化したのを思い出す。そんな思い出話や、重症心身障害者が果たしている役割、今後の障害者福祉のあり方など、じっくり対話をした。その様子を貞末さんのカメラが撮影している。対談は、雑談も交えて、3時間に及んだ。ドキュメンタリーは、日浦さんに密着して、数年かけて作成するらしい。今日の対談もそうだが、ここからどう編集するのか、相当の労力が必要だろう。
2011.9.6(火)
記録的豪雨による人的被害 湿度が低くて、爽やかな朝。元気一杯で散歩に出る。ひょうたん原っぱでは、ジョガーならぬランナーの集団が、逆回りで走っている。私が1周7分半かかっているところを彼らは2分半ぐらいで走っている。のろのろウオーカーから見ると、とてもかっこいい。あんな集団と出くわしたのは、今朝が初めてである。
横浜はこんないい天気なのだが、台風12号は各地に大雨をもたらした。紀伊半島での大雨は記録的である。奈良県上北山村では、3日間の累積雨量が1,652ミリを記録した。観測史上最大である。三重県熊野市では、9月4日の明け方に1時間雨量130ミリという猛烈な雨が降った。熊野市の更谷令治さんには、お見舞いの手紙を出したが、被害がなかったか心配である。
この大雨では死者と行方不明者で百人近い被害を出しているが、どうしてそんなに多くの犠牲者を出すことになったのだろう。地震や津波と違って、気象情報から、大量の降雨は予想されていた。早い時期に避難させることができたはずである。「想定外」の降雨で対応が遅れたのだろうか。対応次第では、犠牲者をこんなに出さないですんだのではないか。今回の惨事において、避難指示などの対応面に問題はなかったのか、早急に総点検をし、これからの災害対策に生かすのでなければ、犠牲者が浮かばれない。
3月に東日本大震災、大津波、原爆事故に見舞われた日本列島。9月1日の防災の日の直後の豪雨災害である。災害が多いのは、日本列島の宿命であるとしても、災害による被害を最小にすることは可能である。毎日が防災の日という意識を、国民一人ひとりが持たなければならない。
2011.9.5(月) なでしこジャパン、さすがの勝利
曇り空の中、傘を持って散歩に出た。ひょうたん原っぱに入ったところで、雨が降ってきたので、そこから戻ってきた。大した降りではなかったこともあり、実害なく32分の散歩を終えた。備えあれば、憂いなし。晴天の中でも、傘を忘れない。そういう心構えは必要である。なんて、えらそうに言うほどのものではないか。
昼は、妻も同席して、TV関連の事務所のお二人とビジネスランチ。横浜のシェラトンホテル28階のレストランは、眺めも料理も雰囲気もとてもいい。ちゃんとしたレストランでの食事は久しぶりで、うれしかった。
うれしかったのは、もう一つ。オリンピック・アジア最終予選の第3戦で、なでしこジャパンはオーストラリアと対戦し、1対0で勝ったこと。試合をNHKテレビにかじりついて見ていた。日本が前半も後半も、ずっと押し気味で、決定的チャンスが何度もあったが、なかなか点を取れなかった。ともあれ、これでオリンピック出場のアジア枠をほぼ手中にした。
野田内閣の副大臣が決まった。政務官も配置される。各省に、相変わらず、多数の政治家が入り込む。重要な決定は、大臣・副大臣・政務官の間で相談してなされるのだろうか。官僚諸君は、重要案件については、これらすべての人たちにご説明にあがるのだろうが、その時間と労力たるや膨大なものになる。「政治主導」のシステムが、官僚の徒労とため息と怒りの中に埋没しないことを、切に望む。菅政権時代の過ちを繰り返してはならない。
2011.9.4(日) あちこちスポーツ観戦
なんとなく気分が乗らない。天気はいいのだが、今朝の散歩は中止。こういうこともある。気分が乗らない時に、無理して強行すると、ほんとに調子が悪くなったりする。ジョギングを続け入る時も、同じようなことがしょっちゅうあった。無理はしない。これが長続きさせる秘訣である。
自分のほうは身体を動かすことはなかったが、スポーツ観戦については、テレビ中継が満載であり、どれを見るべきか迷うほど。昨夜は、楽天対ロッテの試合とWカップアジア予選で日本代表が韓国と戦う試合、時間が重なっていた。もうひとつのチャンネルでは、世界陸上の中継。こちらは、日本選手も出ていないし、あまり興味がない。楽天は、途中経過で9対0とリードし、ピッチャーは絶対信頼の田中将大だから、勝ちは決まっている。それで、サッカーのほうにチャンネルを替えた。試合は、2対1で日本リードで前半を終えたが、後半は、韓国の攻撃を必死に防いでいる日本代表から目が離せなくなった。手に汗をにぎらされた試合だったが、勝って一安心。
今日は、世界陸上で男子マラソンを観戦。日本勢は、堀端宏行の7位が最高。中本健太郎が10位、市民ランナーで注目していた川原優輝が18位で、団体戦で銀メダルは、このところ低迷気味の日本の男子としては、上々の出来だろう。よくやった。楽天の試合は、夕方5時から。我が家のお気に入り、身長163cmの内村賢介内野手(我が家では「チョコマカ」と呼んでいる)が今日も猛打賞の活躍。6対3でロッテに3連勝で、借金1とした。この上げ潮モードをどこまで続けられるか。
なんだか、テレビばかり見ているようだが、合間を縫って、原稿2本仕上げ、お手紙3通書き、秋学期の大学授業のレジュメも1回プラス2回目の途中まで仕上げた。「夏休みの宿題、ちゃんとやってんのか」と小言を言いそうな母親に、「勉強だって、こんなにやってんだかんね」と言い訳しているような書き方だなと、この部分は苦笑しながら書いた。
2011.9.3(土) 睡眠の日
8月31日が野菜の日、9月1日が防災の日。このことは、この日記でも書いた。9月2日が宝くじの日で、今日、9月3日は睡眠の日。「ぐっすり」の語呂合わせで制定したらしいが、かなり苦しいこじつけ。これを決めた人は、夜も眠らずに、考えたのだろう。
「生まれてから今まで、眠れないということが一度もなかった」というと、尊敬というよりは、「なんと鈍感な奴」と軽蔑の目で見られそうだが、実際にそうだから、仕方がない。自慢するよりは、むしろ、恥ずかしそうに告白すべきなのだろうか。仕事が忙しくて、十分な睡眠時間が確保できないということも、今までの人生ではほとんどない。最近は、頻尿のために、夜中に何度もトイレに行くが、ベッドに戻るとすぐに眠りに入れるので、睡眠障害になるほどではない。考えてみれば、これは幸せなことである。睡眠障害で悩む人が多いし、眠りたくとも仕事や、介護、子育てで睡眠時間が削られる人もいる。そういう人にとっては、今日の睡眠の日は、特別の感慨がある一日なのだろう。
台風12号の接近により、今日の関東地方は大雨という予報も出ていたが、降りそで降らずの一日だった。予報を信じて、今朝の散歩は中止にしたが、それで「損した」と考えるべきか、「得した」と考えるべきか。散歩を義務と考えるか、権利と考えるかが、分かれ目。ちょっとだけ損したというのが、正解かも。
新内閣、野田佳彦首相にも外国人献金発覚、一川保夫防衛大臣の「素人だから文民統制」発言を、野党自民党は、早速槍玉にあげて、責任追及の構えである。また、安住淳財務大臣の経済、金融の知識のなさを攻め立てる作戦も練られているとか。別に、名前の挙がった人をかばうというのではないが、野党には、「そんなことやっている場合かよ」と言ってやりたい気はしてくる。もっと政策的のところで論争を挑むというのなら、いいのだけれど。言われている人は、夜も眠れないなんてことにならないように。
2011.9.2(金) 新内閣が発足
9月最初の散歩は、蒸し暑さの中。天気予報では雨降りのはずだったのだが、なんとか持ちこたえている。途中で降られたら戻ってこようと、雨傘持参で、出発した。湿度、気温が高い中での散歩は、結構疲れる。それでも、帰宅してシャワーを浴びるとすっきりする。
野田新内閣が発足。誰とは言わないが、不可解な顔ぶれも見られる。入閣した人より、党幹部にも、閣僚名簿にも名前のない人のほうが気になる。岡田克也(本人固辞)、仙谷由人(周りの反発、本人辞退)、枝野幸男(菅氏の女房役の責任?)、海江田万里(代表選出馬したのに)、馬渕澄夫(鹿野氏は入閣したのに)、与謝野馨(しょせん使い捨てか)、片山善博(非議員を大臣にする余裕なし)、原口一博(このところ影が薄い)など。首相に訊けば「適材適所」と答えるのだろうが、誰が見ても、党内バランス重視の人選である。その意味では、党内安定にはプラスだろうが、それぞれの大臣の力量となると、どうだろうか。まあ、やらせても見ないで、いろいろ批判するのは、早計である。私としては、それぞれの大臣には、手堅く仕事をやり遂げることと、そのためにも、官僚組織を使いこなすことを切に求めたい。日本の政治に、もう、後はないのだから。
5月に、鹿児島のTさん(55歳、男性)から、NHKの番組(「二人のチャレンジド〜浅野史郎と村木厚子」)を見て、同じATL患者として勇気をもらったというメールをいただいた。「入院して半年経つが、まだ骨髄移植のドナーがみつからないので不安だ」ということだったので、私から「必ず回復しますから、その信念をもって病気と向き合ってください」というメールを返信した。
一昨日、そのTさんの娘さんからメールがあり、8月3日にTさんが亡くなったという。その経緯がなんとも悲惨である。骨髄移植を受けるべく、前処置(強い抗がん剤と放射線照射で、白血球をゼロにする)をして待機していたところ、前日になって、ドナーの心臓に異常がみつかったために、骨髄採取ができなくなり、移植を断念せざるを得なくなった。そのため、Tさんは白血球ゼロという状態に置かれ、その中でウイルス感染を起こし、それが命取りになってしまった。本人もご家族も、どれだけ無念だったろう。私にとっても、同病の患者の命が救えなかったことに、無念さを覚える。お悔やみの言葉とともに、そのことを書いたメールをお送りした。
今日、再び、娘さんからメールがあった。私からのメールを読んで、お父様の死から一歩前に進む決意ができたというものである。それにしても、無念さは、なかなか去らないことだろう。骨髄移植のシステムのあり方を見直さなければ、Tさんのような悲劇は、何度でも繰り返される。この問題を改善するために、私としてやるべきことはあるように思う。Tさんの無念さを晴らすためにも、やらなければならない。
2011.9.1(木) 防災の日
9月になった。「セプテンバー」(竹内まりや)、「九月になれば」(ビリー・ヴォーン楽団)など、9月を冠した曲には、いいものが多い。
1日の今日は、防災の日。大正12年9月1日午前11時58分、相模湾を震源とする地震は、死者・行方不明10万5千人、全壊10万9千棟、全焼21万2千棟の被害をもたらした。関東大震災である。先日、「関東大震災」吉村昭著(文春文庫)を読んだ。すさまじい被害の様子が、生々しく記述されている。被服廠跡地に逃げ込んだ人だけで3万8千人の命が失われた。「朝鮮人来襲」という流言により、多くの朝鮮人が殺されたのは、大災害に襲われてパニックになった結果であるが、なんとも痛ましい。
同じような地震が、現在の首都を襲ったら、どうなるか。政府の出した推計では、死者1万数千人とされているが、その程度で済むかどうか。関東大震災の時には、新幹線、地下鉄網、超高層ビル、高速道路、埋立地などはなかった。東京の地下鉄を利用するたびに、「今、ここで大震災に襲われたら、助からないだろうな」と感じたことを思い出す。無計画とも思える開発の波は、東京では、絶対に大地震は発生しないと決め込んでいるとしか思えない。
今日は、避難訓練や交通規制訓練など、実践的な動きが展開されたが、これではまだまだ不十分である。木造老朽家屋が密集しているところで火災が起きたら、どうやって避難するのか。自動車を使って逃げてはいけませんということは周知されているか。自分の足では逃げられない高齢者や障害者を救うシステムは構築されているか。実践的なノウハウが蓄積されていない。3.11の大震災を経験したばかりなのに、首都圏では危機意識が足らないのではないかと、憂えるものである。
今日は、築地のがんセンターでの外来受診の日。隅田川が東京湾に出て行くところからすぐである。ここに10メートルの津波が襲来したらどうなるのだろう。災害のことはひとまず置いて、目の前の検査結果に集中しなければならない。その検査結果であるが、尿酸値が高い。これは、ザイロリックの服用を止めていたからだろう。服用を再開することとされた。炎症反応を表すCRPが0.2(正常上限0.1)と上がっているのは、なぜだろう。田野崎医師は、「この程度は、心配はありません」と言うが、ちょっとだけ気になる。気になるのは、その程度で、あとはいつもどおり「異常なし」。大変な状況を想定しないでいいということだろう。安心して帰途につく。
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