浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 9月第4週分          

2011.9.24(土)

野球も、サッカーも、快勝    

 爽やかな秋風、青空には秋らしい雲が浮く。散歩には絶好の日和だが、用済みの大気観測衛星が空から落ちてくるのが怖いので(嘘です)、散歩は自粛した。私に人工衛星が当たる確率は20兆分の1らしいが、地球上の人間の誰かに当たるのは3200分の1とのこと。HTLV-1ウイルス陽性の母親からの授乳で乳児がウイルスに感染する割合は3%、ウイルス陽性の人がATLを発症する割合は5%、その症状が急性化する割合は2%、これらを掛け合わせると、HTLV-1ウイルス陽性の母親を持つ人間が、急性のATLを発症する割合は、33、333分の1となる。宝くじの1等に当たる確率がどんなに低くとも、当たる人は必ずいる。そして、それが私に当たってしまって、急性ATLを発症した。

 秋空の下、クリネックス・スタジアム宮城では、楽天対ソフトバンクの試合がデイゲームで行われた。野球は、ドーム球場ではなく、青空、星空の下でやるのがいい。今日のようなゲームは球場に足を運んで観戦したかったが、スカパーの中継で我慢した。その試合、田中将大投手のエースらしいピッチングが冴えて、106球、無四球で完封勝ち。われらのアイドル内村賢介二塁手がランニングホームラン。163cmの俊足が駆ける、駆ける。これが内村選手の初ホームラン。あの身体でスタンドまでボールを運ぶのはむずかしいが、こうやって足で稼ぐホームランなら打てることを見せてくれた。8対0の快勝。5連敗の泥沼から抜ける貴重な勝利。

 横浜の日産スタジアムでの、サッカーJ1のベガルタ仙台対横浜マリノスの試合は、野球と同じ時間帯にNHK・BS1で中継があった。野球の合間に覗いていたが、3対1で仙台の逆転勝ち。今日は、野球もサッカーも、うれしい結果で、精神的にもとてもよい。


2011.9.23(金)

野田首相の外交デビュー    

 秋分の日。「暑さ寒さも彼岸まで」に忠実なお天気君は、涼しい空気を運んできてくれた。蝉の声に代わって、虫の音が朝からうるさいほどに響く。秋到来。何をするにも、気持ちのよい季節である。

 野田首相が、外交デビューとして、国連総会で演説。原稿を読む形でいいから、英語でやってほしかった。ところで、歴代首相で、演説を英語でやったのは、誰と誰だろう。オバマ大統領との日米首脳会談も、米側の厳しい反応に、野田首相としては「ほろ苦い外交デビュー」となった。アメリカとの間には、早々と秋風が吹いた。野田首相が悪いのではない。オバマ大統領としては、次々と首相の顔が替わり、普天間基地移転問題など、懸案もまったく進展を見せない状況に「いい加減にしろよ」とでも言いたくなるのは、当然だろう。ここから、地道に、粘り強く、アメリカとの信頼関係を築いていくしかない。

 日本の首相のようにはころころ替わらなかった中日ドラゴンズの監督であるが、ここにきて、落合博満監督が今期限りということが、球団側から発表された。落合監督に対する見方は、両極端である。熱烈に支持する人があり、もう一方で嫌いで仕方がないという人がいる。私は、どちらかというと後者。プロ野球は人気商売なのだから、あんな愛想もない、表情もない、言葉もない監督では、人気は得られない。あれだけの実績がありながら、野球殿堂入りが遅かったのは、新聞記者の間での不人気があったせいと聞く。日本ハムの梨田監督も今期限りで辞めることを自ら決めたが、その時には、辞任を惜しむ声が多かったのとは、好対照になったのではないか。


2011.9.22(木)

角田から新米が届いた    

 今朝の散歩では、昨日の台風の爪あとが残っているかどうか、見回りながら歩いた。特に、被害はみつからなかった。お隣の家の楡の木が、途中で折れて、その隣のお宅の屋根に覆いかぶさっている。昨夜は、すごい風だったのだと、改めて知らされた。

 今朝のニュース映像で見たが、昨夜は、台風のために電車が止まって、ものすごい数の帰宅困難者が主要駅のターミナルでバス、タクシーを待っている。聡子が帰宅したのは、間一髪のタイミングだったことに、改めて気がつく。今年は自然災害が多いこと、首都圏は災害に弱いことを思い起こしている。

 「宮城かくだ発田んぼ通信」とともに、「角田の百姓」を自称する面川義明さんから、今年も、新米が送られてきた。今年のお米には、特別の意味が込められている。「田んぼ通信」の冒頭には、「角田市の米は、2回の放射線検査の結果、『不検出』でした」とある。同封されていた「講演録」を読んだら、最後のほうで、印象的な言葉に出会った。面川さんは、草刈作業の際に、あえてマスクをしていない。「朝日を浴びて、青草の匂いとともに草刈りをする。そして汗をかく。実に気持ちがいい。マスクをすることで、常に放射能を意識してビクビクして仕事をすることが健康にいいとは思いません」。「放射能から逃げ惑う日々を過ごすことではなく、放射能といかに共存する『知恵』を生み出し、生きていくことを考えることが必要です」と言い切る。「東北の農産物を食べて、これからも一緒に生きっぺ」という面川さんの連帯の言葉とともに、信念を共有したい。早速、家族でいただいた面川さんのお米、格別においしかった。  


2011.9.21(水)

台風襲来    

 台風15号が日本列島に来襲した。横浜の自宅の窓から外を見ると、大粒の雨が激しく道路を叩いている。夕方になると、風も強くなった。窓を打つ雨の音が室内に響く。幸いに、外に出る用事もない。家の中にいる限りは、安全である。研修で出ていた聡子が、早めに切り上げて、帰ってきた。電車が止まらないうちに戻ってきたのは、正解である。テレビ画面は、台風の荒くれる様子を生生しく伝えている。窓を打つ風雨の音とまぜこぜになりながら、テレビの画面を見つめていた。台風の襲来が多い年である。これが最後の台風襲来になってくれるといいのだが。

 昨日、福島聡さんに送ったメールに、すぐに返事がきた。あえて、一部引用する。「福島です。拙著献本について、御丁寧なごあいさつのメールをちょうだいし、痛みいります。 このたびの浅野さんの苦闘の過程は、私とはまたちがった意味で、まさに「復活と再生」だと存じます。同じ病を持つ多くの方に希望を提供しただけでなく、病はなくとも生きる希望をなくしている多くの人々に勇気を与えてくださったと存じます。「浅野史郎伝説」がまた一つ増えましたね。(後略)」9歳で視力を失い、18歳で聴力を失った「盲ろう者」である福島さんが、私のメールを読み、こんなにも早く返信をくださる。しかも、発信地は10月まで研究のため滞在しているニューヨークである。現地時間では早朝5時ごろの発信。

 視力と聴力を喪失し、福島さんは「喪失と再生」の人生を歩んでいる。同じく盲ろう者であるヘレン・ケラーが「奇跡の聖女」であるのに対して、福島さんは自らを地酒とワイン好きな、腹の突き出た単なる中年男と卑下してみせる。(著書の「まえがき」から)  そんな冗談が関西弁でポンポン出てくる、彼の深い、深い講義を、慶応大学の私の福祉ゼミの学生に聞かせた時の、学生の驚きと畏敬の表情を思い出す。もう一度、研究会のゲストとして、ぜひおいでいただきたい。再会を心待ちにしている。  


2011.9.20(火)

久しぶりのキャンパス    

 久しぶりに、慶応大学SFCのキャンパスに赴く。7月末に夏休みに入って以来だからずいぶんしばらくぶりになる。郵便物がたまっていた。その中に、福島智さんのご著書「盲ろう者として生きて」(明石書店)がある。驚くべき本である。そもそも、福島さんが驚くべき人なのだ。この本のことについては、読み終えてから、改めて書くことにしたい。

 キャンパスでの用向きは、AO入試の面接のための予習である。志望学生に関する書類にあらかじめ目を通しておいて面接に臨む。午前中だけで作業は終了し、同行の妻と学生食堂で昼食を摂った。緑いっぱいの広々としたキャンパス。勉強する環境としては、最高である。その魅力を改めて実感した。秋学期の授業は、26日(月)から。熱心な学生に会えるのが、今から楽しみである。  


2011.9.19(月)

卒業生の来訪    

 午後から、慶応大学SFCの卒業生が来訪。神原貴子、加藤友理奈、中島有理と女性ばかり3人。昔話はそこそこに、今の仕事の話などを聞かせてもらった。在学時代の幼さは影を潜めて、それぞれに職業人としての落ち着きと貫禄が感じられる。こういう学生に関わり、成長した姿を見ることは、大学人としての特権だし、大きな喜びである。知事業を卒業して、大学に新しい仕事の場を得たことは正解だった。大きな病気の後に、こうやって復帰できたことも、ありがたいことと、改めて感じる。

 夜は、NHKのEテレで「福祉ネットワーク」を見る。「HTLV-1ウイルスから赤ちゃんを守ろう(1)−キャリア108万人の衝撃」で、自らHAMの患者として、HTLV-1対策の推進を求めて活動を続けてきた菅付加代子さんの奮闘ぶりが紹介される。私もちょっとだけ顔を出す。内容的には、教育テレビの番組らしく、学術的な色彩が濃いものであり、一般の視聴者には、気軽についていけないものだったかもしれない。あまり知られていないHTLV-1ウイルス問題について、広く知ってもらうという意味では、意義のある番組ではあった。  


2011.9.18(日)

「バンキシャ」に出演    

 日本テレビ「バンキシャ」に出演。2年半ぶり。汐留の日本テレビに入るのも久しぶり。控え室、メークルーム、スタジオ、これも久しぶりだが、2年半も離れていたとは思えない。そして、昔のスタッフもなつかしい。福澤朗さんが、私の復帰を心から喜んでくれた。番組では、夏野剛さんと一緒に「ご意見番」を務める。なんと、夏野さんも、慶応大学SFCで教える仲間だった。いつもながら、ご意見番に振られる時間は短いのだが、二人ともなんとか、短時間のコメントをこなしたと思う。番組終了後は、福澤さんの48回目の誕生日をみんなで祝う場面にも、ご一緒させてもらった。そのことも含め、楽しい、心にしみる時間だった。  


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