浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 12月第3週分          

2011.12.17(土)

骨髄バンク20周年   

 午後から、日比谷の東商ホールで開催された骨髄バンク20周年記念全国大会に出席。35分という限られた時間だが、「新しいLIFEをもらって」という講演をさせていただいた。骨髄のドナーがあって、私の命がある。ドナーを見つけてくれたのは骨髄バンクである。20年前に、骨髄バンクの設立に、尽力してくださった方がいて、私の命がある。35分では言い尽くせなかったが、ATLという病気になった意味、病気から回復して得た新しいLIFE(いのちと人生)について語らせてもらった。

 私の講演の後にあった、骨髄移植を受けた患者と骨髄を提供したドナーによるトークショーがとてもよかった。移植を受けて人生観が変わった、ドナーになって人生観が変わったというのは、私も患者の一人だから、よくわかる。患者は、ドナーからの手紙に涙し、ドナーは、患者からの感謝の手紙をいつも持ち歩いている。手紙を読むたびに涙涙というのは、ドナーに共通の経験である。ドナーになれて、感謝の気持ちで一杯と、異口同音に語っていた。これが究極のボランティアというゆえんだろう。

 「ドナーと患者は、HLAの型が一致しているのだから、遠い昔の親戚同士」という言葉が、ドナーから聞けたのが、今日一番の収穫である。いい言葉だ。そして事実でもある。ドナーと患者は、昔からの親戚であるからこそ、お互いに他人とは思えない。何世代か下って、ドナーの造血幹細胞が患者の血液に入り込んで、患者の白血球をドナーのものに入れ替える。昔の親戚同士が、再会するということにならないだろうか。

 ドナー登録者が40万人近くにまで増えたが、まだまだ増えて欲しい。HLAの型が一致するドナーが見つかりやすくなり、患者が助かる可能性が高まるからである。私にできることがあれば、骨髄バンクのために、これからも、なんらかの役に立ちたい。


2011.12.16(金)

クリスマス、そして年賀状   

 クリスマス、そして年賀状  昨日よりは気温が低いが、昼の太陽が照っている。風もない。散歩に出ようとしたところで、家族から厚いジャケットを着ていきなさいと言われ、素直にしたがった。普段よりゆっくりめに歩いたので、今日は往復37分もかかった。この厚いジャケットは暑い。重い。途中で、脱いだが、汗をかなり掻いての帰宅となった。

 雑用の合間に、「シローと夢トーク」のDJ部分一本分を録音。これで、来年の1月放送4回分の録音を完了。録音の音声を載せた録音機を、仙台「ラジオ3」の佐藤研さんに送った。早めのクリスマスプレゼント。受け取った研さんが、編集で苦労をする番である。研さん、どうか、よろしく願いますね。パソコン経由の同時放送を利用して、仙台以外に在住のエルヴィスファンの何人かが毎週熱心に聴いてくださっている。高校生の頃は、誰も聴かない「ひとりDJ」をやっていた史郎少年である。一人でも聴いてくださっている方がいるのを励みに、番組はもう少し続けたい。

 年賀状の原稿を書いた。たまたま、今日のテレビで、「例年と違って、来年の年賀状では、『明けましておめでとう』、『謹賀新年』という文面を使わないのが多い」といったことを言っていた。早速、私もそれにしたがい、「明けましておめでとう」でない年賀状を作った。再来年はどうしようかなんということは考えず、来年はこれでいこう。

 クリスマスがやってくる。小学校5年生まで、サンタクロースは実在すると信じていた史郎少年。クリスマスはサンタクロースの誕生日だと思っていたK君。「きよしこのやろ」とからかわれていた清君。彼らも、私と同じくじいさんになった。扮装しなくとも、サンタがやれるだろう。今夜は、我が家でも、クリスマスの真似ごとをした。鳥のもも肉とケーキを家族で食べたというだけだが。この日記も、エルヴィスの素晴らしいクリスマスソングのアルバムを聴きながら書いている。


2011.12.15(木)

取材も楽し   

 久しぶりに暖かい。日差しが柔らかく射している。こんな日に散歩しなければ、する時がないというほどに、絶好の散歩日和である。1週間以上ご無沙汰していたことを思い出し、急にたくさん歩き出してもまずいだろう。今日は、15分ほどで切り上げたが、師走の散歩としては上出来。気持ちがいい。

 午後からは、取材対応。テーマは、「私の闘病」。同じテーマで、一昨日、北海道新聞の取材に応じたばかり。だからいやだということではない。今日のインタビュアーは、話の引き出し方が上手で、ついつい、いろいろしゃべってしまう。それが楽しいし、しゃべっていて、自分でも驚くような新しい視点が生まれてくる。これがどんな記事になるかはわからないが、私が取材を嫌いでないのは、こういうやりとりから、自分自身、得るものが多いからである。

 散歩と取材の合間に、レジュメを完成し、「シローと夢トーク」の番組を2回分録音した。その合間には、エルヴィス・プレスリーのクリスマスソングをゆったりと聴いた。メール対応も、10通以上である。こう書くと、忙しい一日のようであるが、実態は、昼寝こそしないものの、のんびり、ゆったりの時間を過ごしている。


2011.12.14(水)

病友からの電話   

 忠臣蔵の吉良邸討ち入りの日。毎度のことだが、浅野姓を名乗る身としては、心から楽しめない。若い頃、タクシーを降りる時に、運転手さんに、「そこのデンチューのところで降ろして。浅野です」と言って、それなりに受けたものだ。知事時代のことだが、この日に衆議院宮城第六区の補選があって、大石正光さんが当選した。対抗馬が「マダムキラー」のような好男子だったかは、忘れた。もちろん、浅野としては大石を応援していた。伯仲の戦いで、なかなか当落が決まらず、「しばし松の廊下」だなと言い合ったのを思い出す。結局、大石が勝っただが、勝因は政策というより、にんじょうだった。ろっくでなくて、演歌だな。今日は、雪までは降らなかったが、寒い一日。家で謹慎です。

 携帯電話が鳴って、窓に表示された名前を見て、向こうがしゃべり始める前に、私のほうから、「朝日新聞の記事でしょ」と機先を制した。昨日の日記で、朝日新聞のATLについての記事のことを書いた。あそこでは名前が伏せられていたが、「小樽」、「68歳」、「ATL」のキーワードで、記事に登場する人物が誰か、私にはわかっていた。

 こういう事情がある。5月に電話をいただいたのが、この方だった。自分の妻がATLになって、今は元気にしている。世の中に恩返しをしたいので、同じ病気の人の相談に乗ることにしたという。私の電話は、鹿児島の菅付佳代子さん(「日本からHTLV-1ウイルスをなくす会」会長)から教えてもらったとのことだった。その時に、いろいろとお話したのだが、その内容が、朝日新聞の記事に載っていた。案の定、今日の電話は、「朝日新聞に載りました」という報告だった。「ATL患者の会を発足する話があるのだけど」と言ったら、「私、北海道支部長やります」と応じてくれた。「そんなことだったら、新聞の記事で実名を出しておけばよかったのになあと思いながら、病友の輪が広がっていく手ごたえを感じた。


2011.12.13(火)

ATLが記事になる    

 日中は、日が差して、あまり寒くなさそうな天気だったが、散歩は念のため、中止ということにした。歩きたいな、歩かなければという思いはあったが、ここであせっては、また元に戻っても困るという配慮のほうが勝った。私も慎重居士になったものである。

 午後から、北海道新聞の取材。お正月の記事として、私の闘病を取り上げるとのこと。加えて、大震災のことも取り上げたいらしい。北海道新聞に掲載する必然性があるのかどうかは、こちらで考えることではない。取材が始まると、訊かれないことも含めて、言葉がどんどん出てしまう。「撮影が終わったら、先に帰ります」と言っていたカメラマンも、最後まで残っていた。「私の話をもっと聞きたかったからだよね」と言い、無理矢理「はい」と言わせた。はてはて、どんな記事になるのだろう。

 その記者に、「今朝の朝日新聞の記事見た?」と訊いたら、「今朝、札幌をばたばたと出てきたので、読みませんでした」とのこと。朝日新聞の「患者を生きる」の「感染症」シリーズで、今日から6回続く「ATL」が始まった。先日の「相棒」(テレビ朝日)でATL、HTLV-1ウイルスが登場したのに続き、マスコミに取りあげられることは、認知度が低いこの病気を多くの人に知ってもらういい機会である。

 取材で時間は使ったが、合間に、次週の授業のレジュメ制作にとりかかった。「地方分権」についての授業で、それなりに力が入る。今日で完成とはいかなかった。


2011.12.12(月)

体調回復、授業に全力    

 熱発後、十分な休養をとったこともあり、体調は元に復した。慶応大学SFCのキャンパスに行く月曜日を迎えた。行き帰りは、相変わらず、タクシー利用である。SFCに近づいたところで、富士山の美しい姿が目に飛び込んできた。1週間前と同じく、その威容に打たれた。この姿を見られただけで、キャンパスに来た甲斐があろうというもの。

 「地方自治論」の授業は、出席96名。情報公開が本日のテーマ。自治体の正常なパフォーマンスのために、絶対に必要なものである。霞ヶ関の情報公開より、自治体のほうが進んでいる。霞ヶ関のパフォーマンスに問題があるのは、情報公開が遅れていることだけが原因ではないが、一因ではある。情報公開は、住民参加の条件であり、民主主義につながる。住民が、行政のありように、問題意識を持つ契機になり、問題追求を深める道具でもある。この辺のところ、学生はわかってくれるかどうか、心配ではあったが、授業後に提出された出席カードの記述を見る限り、ほとんどの学生はしっかり理解した様子に安心した。

 午後からの研究会は、各グループが視察にいったところの報告。今日は5グループから報告してもらったが、各グループとも、パワーポイントを上手に利用して、わかりやすいものだった。視察先で、「ほんものの障害者」と接して、各メンバーがどう感じたか、その率直な感想をもっと聞きたかったが、各グループ15分の時間制限では、無理というもの。全体として、いいプレゼンテーションになっていた。彼らの視察日程の調整に、大汗を掻いただけの甲斐はあったというもの。来週、残り5グループの報告が楽しみである。


2011.12.11(日)

無為徒食の日    

 発熱の予後で、家にこもり、ゆったりと過ごす。横になって身体を休めていることが多かった。そのおかげもあって、発熱は過ぎ去り、正常に復した。仙台の「ラジオ3」の佐藤研さんから番組制作用の録音機が戻ってきたので、1月放送分の「シローと夢トーク」の録音をした。4回分やってしまおうかと思ったが、病後でもあり、一本だけにしておいた。お手紙を一通書いたのも、思い出した。今日の「活動」といえば、そのぐらい。あとは無為徒食であった。徒食のほうだが、食欲は正常にあるので、これも身体の回復には役に立っているはず。

 日曜日とて、郵便は来ないし、メールさえ送信がない。めぼしいスポーツもないし、国会も閉幕した。ニュースもあまりない。つまり、こんなことしか書くことがない。師走どころか、歩くことさえない師休の一日である。こんな日もあってもいいだろう。


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