2011.12.31(土) 大晦日
2011年という年は、誰にとっても、終生忘れられない年になるだろう。「あの時、どうしていた?」、「あれからどうしていた?」。2011年3月11日以前と以後とでは、我々の世の中を見る目が変わった。自分の人生を考える視座が変わった。大地震・巨大津波の被害を受けた東北の人たちだけではない。原発事故で、ふるさとを離れざるを得なくなった福島の人たちだけではない。日本人の誰もが、2011年3月11日を忘れない。今年は、そういう年として、我々の胸の中に刻まれる年である。
その2011年が今日で終わる。暦が一枚めくられ、新しい年になっても、世の中が変わるわけではない。「今日の話は昨日の続き、今日の続きはまた明日」といって終わるラジオ番組があった。大晦日に言うとしたら、「今年の話は去年の続き、今年の続きはまた来年」ということになるのだろう。「去年(こぞ)今年 貫く棒のごときもの」(高浜虚子)の句が好きだ。何も変わるものではない、そういった連続性のほうを大事にしたい。そう思う反面、新しい年には、新しい展開を期待する気持ちもある。今年よりも来年が、少しでもいい年になることを願う。大晦日とは、そのためにある日である。
今年一年、こんな日記を読んでくださった方々にお礼を申し上げたい。日記をホームページにあげるのが一日遅れたりすると、「具合でも悪いのだろうか」と心配する読者もいらっしゃる。それをプレッシャーではなく、励ましと受け止め、義務ではなく、権利ベースでこの拙い日記を来年も書き続けたい。来年もよろしく。
2011.12.30(金) 「おはよう一直線」は今年最後
朝6時15分から、TBSラジオ「おはよう一直線」に電話出演。7分間で今年を振り返るというのは、到底無理と思っていたが、やってみたらそのとおり。全然まとまらない、内容のないコメントになってしまった。今年最後の放送だというのに、リスナーのみなさんに申し訳ない。ラジオ大好き人間としては、番組に出してもらうだけでうれしいので、反省しつつも満足である。生島ヒロシさんも、ラジオ大好き人間。そうでなければ、この番組を3,589回も続けられない。自然体でやっているのがいい。声もいいし、しゃべりも 滑舌がよく聴きやすい。来年も、快調に続けて欲しい。
年内にあと2本原稿を書こうとしているが、今日は気力充実せず、何も書かない日だった。そのかわりに何をしていたかというと、パソコンでDVDを何本か見ていた。娯楽関係ではなく、どちらかというと仕事関係。それなりに収穫はあった。
こんなふうにして、2011年の最後の日々が暮れていく。この時期恒例であるが、今年一年を振り返るのは、今年はあまり気が進まない。大災害、原発事故など、あまりに大変なことが起きてしまった年である。5月に大学復帰できたといういいことだけを振り返って、今年の回顧としたい。
2011.12.29(木)
年末の過ごし方 午前中に原稿執筆にとりかかったのだが、結局、夕方までかかって、やっと書き終えた。「地方自治の将来像」のテーマで4,000字。来月、SFCで「地方自治論」の学期末試験をするが、私も受験したような気持ちである。答案作成の制限時間(本番では80分)はオーバーするし、これで、Aが取れるかどうか自信がない。原稿締切りは1月14日である。編集者にいつも言っていることであるが、「内容はともかく、原稿提出は早いよ」、「早い、安い、まずいの○○屋の牛丼です」と添え書きをして、メールで送った。編集部も、年末年始は休みだろうから、年が明けてから送っても同じなのだが、こちらとすれば、年内終了ですっきりしたい。
原稿執筆など、机の前での雑事をしながら、このところ"ELVIS PRESLEY Love Songs"のCDを聴いている。高校生の頃の「ながら勉強」のようなもの。20曲すべてが、やさしい愛の歌なので、耳に快い。何度聴いても、情感のこもったエルヴィスの歌のうまさに魅入られてしまう。こんなふうに、穏やかに、心静かに、年末の日々を過ごしている。
2011.12.28(水)
「追試」は合格 築地のがんセンターで外来受診。先週も木曜日の受診で、CRP(炎症反応)が高い値を示し、肺にも影が見られた。試験で赤点を取ったようなもの。それで、今日の追試験ということになった。追試の結果は、なんとか合格。CRPが3.5から0.45に下がった。これでも正常上限の0.1以上であるが、方向性として良くなっていることはまちがいない。肺のレントゲン映像でも、影が増えているとは認められなかった。結果を聞いて、妻とともに、ほっとした。先週の診察では、「年末、正月に入院ということになるかもしれない」と田野崎先生に言われていたので、私だけでなく、妻も結構ビクビクしていたのである。これで晴れていい正月を迎えられる。
がんセンターを出て、築地市場のほうを見たら、買い物客でにぎわっていた。年末恒例の人出である。今の私は感染症が怖い。とても、その人波の中には入れない。追試は合格したが、まだ経過観察期間である。幸い、年末から正月にかけては、1月7日(土)の大学の授業までは、何も予定は入っていない。家で、駅伝観戦三昧、のんびり正月を過ごそう。
2011.12.27(火)
原発事故の検証委員会が中間報告 12月27日(火) 原発事故の検証委員会が中間報告 散歩には行かず、家に閉じこもって、雑事をこなす。年賀状500枚余に、ひとこと自筆で加える作業を始めたが、途中で根気が続かず、時間が足らず、大半そのままの形で投函する。今日出せば、なんとか元日には配達されるだろう。
地方財政に関する原稿を頼まれていたのを思い出して、執筆。「執筆」ではなく、「パソコンを打った」ということだが。原稿締切りは来年2月2日だが、「あとで書く」とすると、忘れることが多い。来年に仕事を持ち越したくないという思いもある。できた原稿を送ったら、すぐに別な雑誌から、メールで執筆依頼。「地方自治の将来像」がテーマ。このところの原稿依頼は、「闘病関係」、「大震災について」というのが多く、地方自治の原稿依頼は、あまりなかった。原稿依頼、あるうちが華である。喜んで書かせてもらう。
政府の事故調査・検証委員会が、福島第一原発事故について、「中間報告」を提出した。国や東電の驚くような不手際、対応ミスが指摘されている。特に、深刻なのは、現場の運転員が、非常用復水器のシステムを理解せず、非常時に復水器が機能しなかったことである。以前にも書いたが、原発運用には、ハード面での安全性だけでは不十分で、原発運用のシステムを熟知して機動的に動ける人材、つまりヒューマンウエアが必要である。これが決定的に欠けていたのでは、原発の安全は確保できない。
事故発生直後の、官邸、東電、保安員、原発現場の情報の錯綜と混乱は、ある程度は、仕方がない面はある。しかし、SPEEDIの情報が使われずに、住民避難が的確に行われなかったことは大きなミスである。こういった調査が政府の委員会で行われたのだから、いわば内部調査である。内部調査は、普通は身内に甘いものになるのだが、今回の「中間報告」は相当に厳しい。そのことは、評価すべきである。
今日の出来事。消費増税案のとりまとめ、年内見送り。つまり先送り。民主党2議員が、それぞれ、増税反対、八ツ場ダム工事継続反対を理由に、離党を表明。「民主党は、どうなってるんだ!」ということを、年末になっても繰り返さなければならない。情けない。普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古への移設に向けた環境アセスメント評価書が、市民団体の阻止行動により沖縄県庁に届けられず。そもそも、運送業者に届けさせるのは、どういう了見なんだろう。しっかりしてくれよ。
2011.12.26(月)
今年の最終授業 慶応大学SFCは、今年最後の授業。朝のタクシーから見る富士山は、上のほうが雲にかかっていて、全体の雄姿が眺められない。美人が顔を隠すような風情というのは、しっくりこない表現だが、こちらの気持ちとしてはそんなところ。
「地方自治論」の授業では、2週間前に実施したアンケート(通信簿)の結果を、SAの神野翔君から紹介があり、適宜、私に感想を求めてきた。全般に、履修者の満足度は高く、通信簿は及第点と言える。建設的な批判意見もあり、これからの授業をするときの参考になる。授業の後半は、これまでの授業の「出席カード」、「宿題」の記述が秀逸なものとして、何度もレジュメに名前を書かれた学生を指名して、最前列に坐ってもらい、その6名との質疑応答をした。質問は私で、答えるのは学生。なかなか生産的に進み、授業後に提出された「出席カード」の記述でも、「よかった」というのが多かった。振り返ってみて、学生がとてもまじめで熱心だった授業である。その意味では、やりやすかったし、楽しかった。
午後の障害福祉に関する研究会では、学生からの発表。学期末のレポートで扱うテーマについて、予備的に話してもらった。各自の発表に、私が横から質問やら、アドバイスやら、口を出す。16人の発表が時間ぴったりに終えて満足。それだけでなく、内容的にも、幅広いテーマをそれぞれが追い求めている様子にも満足。どんなレポートが出てくるか、楽しみは、来月末の締切りまでとっておく。結局、参加希望者が少なくて、今年は「飲み会」ができなかったのが心残りだが、授業の内容としては、ゲストの話のほかに、視察あり、発表ありと、なかなか充実していたので、これも満足。
2011.12.25(日)
駅伝は楽し 寒さが続く毎日。寒さが身体によくない影響を与えるのは、避けなければならない。クリスマス記念散歩は自粛した。今年一杯寒い日が続くようなので、今年の散歩はもうおしまいということになるかもしれない。
歩けない、走れない私の代わりに、高校生が都大路を走ってくれる。全国高校駅伝をNHKテレビで観戦。午前中に女子、午後に男子、続けてみっちりテレビで応援をしていた。応援するのは、男女とも仙台育英。男子は、過去7回も優勝の実績があるし、今年も優勝候補だったのだが、第一走者が20位と出遅れ、結局12位に終わった。優勝は、ダントツで世羅高校。女子は期待していなかったが、アンカーの留学生選手ががんばって、3位は見事な成績である。勝っても負けても、駅伝は見るものを夢中にさせる。次は、正月の箱根駅伝が楽しみ。
駅伝を見ながら、年賀状の印刷。余裕をもって準備していたつもりなのに、結局は、ぎりぎりになってしまった。年賀状に「おめでとう」とか「謹賀新年」は、大震災での被災者のことを思うと使いにくいというのが、多くの人が感じているらしい。私も、それにならって、いつもとは違う文面にした。来年は、年賀状そのものを自粛する人も少なくないのではないかと予想しているが、どうなるだろうか。
以前のジョギング日記はこちらから
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