浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 1月第3週分          

2012.1.21(土)

服薬も仕事のうち   

 大学の学期末試験の採点作業が一段落。いくつかたまった原稿執筆に時間をかけられるようになった。時間に余裕がないときのほうが、原稿書きは効率的に進む。今は、時間的余裕があるので、のんびりというわけではないが、じっくりと取り組める。今日はそういう一日だった。

 一日のノルマには、体温、血圧、体重、血糖値の測定と記録のほかに、薬剤の服用がある。治療のための薬剤だけでなく、予防のための薬剤も含む。プレドニゾロン9mgはGVHDによる肺炎の鎮静のために服用しているステロイド剤である。昨日分から、10mgを9mgに減量された。徐々に、徐々に減らしていくのが、田野崎先生のやり方。抗ウイルス剤のアシクロビル、コレステロールを下げるリピトール、尿酸値を下げるザイロリック、真菌(カビ)殺菌のフルコナゾールを1錠ずつ朝食後に、細菌対応のクラリシッドを朝食後と夕食後に1錠ずつ服用する。毎食後には、こういった服薬で荒れた胃を守るための胃薬を服用する。服薬は、今の私にとって大事な「仕事」である。飲み忘れなし。まじめな服薬生活である。以上、クスリ日記でした。


2012.1.20(金)

横浜に初雪   

 横浜に初雪  首都圏での36日ぶりのお湿りは、雪だった。横浜の初雪は、平年より13日遅い。みぞれに近い雪なので、積もることはない。気温も低いが、いつもぬくぬくと家の中に閉じこもっている私には影響なし。異常乾燥がこれ以上続けば、インフルエンザの流行が加速するだろうから、「感冒罹患厳戒警報発令中」の身としては、ありがたいお湿りである。

 SFCでの「地方自治論」の学期末試験の採点を終えたが、学生の答案を見て、どうもすっきりしない。そこで、「試験の講評」を書いて、履修者全員にメールで送った。設問のポイントを示し、学生の回答(正しくは「解答」)ぶりと比較して、どう答えるべきだったかを説明した。各設問ごとに、実際の答案から「模範解答」を抜き出して、引用しておいたので、学生は「なるほど、こう書けばいいんだ」と納得するだろう。試験をやりっぱなし、受けっぱなしでは、もったいない。自分のまちがいを認識し、次につなげることが大事である。学生にとっても、そして、私にとっても。  


2012.1.19(木)

感冒罹患厳戒警報発令中    

 築地のがんセンターで外来診察。血液検査結果は、基本的に正常だから心配はない。GVHDによる肺の炎症の具合がどうなっているか、これが気がかり。今日のレントゲンの所見では、少なくとも悪化はしていない。治まりつつある。炎症反応を示すCRPの値は、0.02で正常値上限の0.1を大幅に下回っている。田野崎先生の説明を聞いて、私なりに現状を理解した。昨年末、GVHDにより、肺に炎症が発症した。これは、ボヤが発生したということ。ステロイド10mg/日の投与による消火にあたったところ、ボヤから本格火災になるのは食い止められた。火勢は衰えたが、まだブスブスと火種は残っている。消火活動をやめると、また燃え出すおそれがあり、ステロイドの投与は、量を少しずつ減らすにしても、続けなければならない。今、気を付けなければならないのは、風邪、インフルエンザなどの感染症。風邪への罹患が、GVHDによる炎症を再燃させるきっかけになる。また、GVHDへの対応として、免疫を抑える方向を取っているところに、感染症の治療で、免疫を高めるという真反対の治療を施さなければならなくなり、治療が大変むずかしくなる。巷では、インフルエンザが大流行の兆しを見せている。「今は、感冒罹患厳戒警報発令中というところですね」と申し上げたら、田野崎先生がうなずいたように見えた。

 診察を待っている私に、田野崎先生の診察を終えたKさんが、声を掛けてきた。ATLに罹患し、東大医科研での治療を経て、田野崎先生のところで骨髄移植を受け、現在は極めて順調とのこと。彼が大船渡市盛町在住と聞いて驚いた。私が生まれたところで、当時、父親は盛町の気仙病院で内科医長をしていた。なんと、Kさんのお住まいは、移転前の気仙病院の近くだという。3.11の津波では直接の被害は免れたようだが、大変な思いはしたはずである。大船渡から築地のがんセンターに来るだけでも、容易ではない。いろいろ話をしたかったのだが、私の診察の順番になってしまった。「ATL患者の会」(仮称)のメンバーになってもらうようお願いして、今日のところは、連絡先をお聞きするだけになった。こういう出会いが、この廊下では、何度も起こる。


2012.1.18(水)

採点―続き    

 慶応大学SFCで今学期担当した「地方自治論」の定期試験の採点、集計が今日終わった。採点は昨日のうちに終えたが、集計は今日に持ち越し。「A評価は受験生の20%以内」といったガイドラインがある。それに沿って、何点以上をA、何点から何点までをBとかして、評点をつける。14点満点が2名いた。採点票の提出期限は2月3日だから、そんなに急いで採点しなくともよかったのだが、目の前に答案用紙が積まれていると、どうしても採点したくなってしまう。まあ、これで一応、ほっとした。福祉の研究会は、レポート提出である。こちらの提出締切りは1月31日23:59。私宛のメールで送ってもらうのだが、毎学期、この時間(日時ではない)ぎりぎりに送ってくるのが何名も出るのは、どうしたものだろう。「少し余裕をもって提出しろ」と注意しているのだが、効き目がない。今学期はどうなることやら。レポートの内容もだが、こちらのほうも気になる。

 1月13日にイタリア沖の地中海で座礁した豪華客船「コンスタ・コンコルディア」の事故当時の様子がだんだんわかってきた。乗員1,023人の6割超は、サービス・娯楽担当で、船員の資格を持っていない。しかも、多国籍で、遭難救助の際に言葉が通じなかった。休暇が取れずに、里帰りができなかった船員が、船上から陸地の親戚に挨拶できるようにと、船長が陸地近くに船を寄せたことが座礁の原因という報道もあったが、信じられないほどの無責任さではないか。4,200人もの客を乗せての航海なのに、緊張感がまったく見られない。こんなクルーズには、乗り合わせたくないものだ。


2012.1.17(火)

終日採点作業    

 昨日の「地方自治論」の定期試験の採点作業を開始。受験生一人ひとりが、80分間、頭を絞り、腕を激しく動かして作成した答案である。あだやおろそかに採点するわけにはいかない。一問3点の配点だが、なぜこれは3点でなく2点なのか、この勘違い回答に1点でもあげられるか、迷ったり、悩みながらの採点作業である。理解が表面的だなと感じる答案、はなはだしい誤解に基づく答案も散見され、自分の講義が不十分だったのかと反省もした。できれば、もう一回だけ授業したい。そこで、履修者の思い込みと理解不足を補いたいという気持ちにさせられた。なんとか、約130人分の答案の採点を、今日一日で終えた。明日、もう一度、見直し、点検をして完成となる。疲れるが、楽しい作業ではあった。

 阪神淡路大震災から17年目。東日本大震災の被災者が、この日、神戸で追悼の集いに参加して、17年前の被災者の話を聞いて、さまざまな感慨を持った。17年経っても、愛する人を亡くした悲しみは去らないことを知った。その一方で、見事に復興している神戸の街に立って、自分のところも必ず復興するとの確信を持った人もいた。そして、神戸の被災者が東日本大震災の被災者に寄せる思いが語られた。言葉の本当の意味での連帯である。つらい悲しい運命も、連帯することで勇気をもらうことがある。そんなことを実感させられた神戸での集いである。    


2012.1.16(月)

定期試験と福島智さんの授業    

 今学期最終授業でSFCへ。日が翳っていて寒い。「地方自治論」の授業は、定期試験である。持ち込み可、「合法的カンニングペーパー」(事前にヤマをかけた問題の答メモ)ありの試験だが、小論文を加えて4問に80分で回答するのは、大変に厳しい。持ち込んだ資料を探して、読んでから書くとなると、到底時間は足らなくなる。「資料を見る前に、ともかく、書いてみろ」と試験中に何度か注意喚起したが、結局時間切れで、全問に回答できない学生も少なからずいた。これから、じっくりと採点をする。学生が、私の授業をどれだけ理解してくれたかがわかる。厄介だが、楽しみな作業でもある。

 午後からの障害福祉の研究会には、福島智さんが指点字通訳二人を伴ってゲストスピーカーとしておいでいただいた。通訳者のうち、お一人は奥様の光成沢美さん。盲ろうという大変な障害を克服して、東大教授にまでなったという苦労話を学生に聞かせたいと思ったのではない。こういった究極の障害を持ちながら生きるとはどういうことか、人間存在にとって、コミュニケーションの持つ極めて重要な意味、そういうことを本人から学生に伝えてもらいたかった。十分伝わったと思う。体調も十分でない中、藤沢市のはずれのSFCまでおいでいただいた福島さんには、感謝感謝である。


2012.1.15(日)

休養日は返上    

 「毎日が日曜日」のような生活を送っている。週日忙しく働いている人たちにとっては、日曜日は貴重な休息の時間であるが、私にとっては、ほとんど毎日が休息の日である。それでも、生活に一週間サイクルのリズムを持ち込まないと、どうも落ち着かない。ということで、今日の日曜日を、いつもの休養より、もっと徹底した休養日にしようと思った。

 昼から全国都道府県女子駅伝のテレビ中継を見て、その後、昼寝を決め込んだが、眠くならない。起きだして、なにげなく、机上にあった「原稿依頼」を見たら、原稿文字数6,400字とあって驚いた。雑誌「ガバナンス」に、「復興のガバナンス」というテーマで寄稿を頼まれていたものである。「ガバナンス」では、「アサノ・ネクスト」という地方自治に関するコラムを連載している。そこからの依頼であるから「喜んで!」と承知したのだが、承知した時には、原稿文字数など意識していなかった。6,400字となると、いつものコラムのように、簡単にはいかない。情報収集を相当やり、考察も十分したうえでないと書けない。ということで、やおら、資料を取り出して、執筆準備を始めた。「休養日」は返上である。

 今朝、まだ「休養」している時間帯、フジテレビ「新・報道2001」に蟹江ぎんさんの4人の娘さんが登場しているのを見た。政治について、姉妹同士で、いろいろ発言していた。スタジオの安住淳財務大臣に対しては「あんた、はっきりモノを言うし、今までの政治家と違って、なかなかいいでなぁ」と言って、スタジオの硬い雰囲気をなごます。蟹江ぎんさんとは、あの「きんさん・ぎんさん」のぎんさんである。「若い人に迷惑かけるで、長生きしたらいかんなあ」と言いながら、98歳の長女から89歳の五女まで、4人そろって元気で頭もしっかりしている。実にチャーミングである。きんさんは107歳、ぎんさんは108歳の長寿家系である。こういう長生きこそ、みんなの理想だろう。


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