2012.3.10(土) 「共生社会を創る愛の基金」キックオフ
読売テレビ「ウエークアップ」に出演。被災地からの中継を入れて、すべて震災関係である。ご一緒するのは、生島ヒロシさん、白羽ゆりさん(元タカラジェンヌ、福島県出身)、河田恵昭(関西大学社会安全学部長)。津波で妹さんを亡くされた生島さんの涙が止まらなくなる場面もあった。最後のほうで紹介された、女川町の「もうひとつの学校」女川向学館で学ぶ中学二年生成田拓朗君の話がよかった。「女川町の役に立つ仕事をしたい」と言いつつ、震災を機に見違えるように勉強に打ち込むようになったという。こういう若者がいることに希望を見出す。最後は、4年前から毎月仙台を訪れてFM局でDJをやっている大阪出身のデュオ「ひまり」が登場。震災後は番組で被災地を励まし、また、宮城の様子をライブで訪れる先々で話しているという。自作の曲も披露してくれた。自宅に戻ったら、彼らからメールが届いていた。きちんとした好青年、門松良祐、松瀬一昭の両君。これからの活躍が楽しみである。
帰りの新幹線も生島さんと一緒。我々はその後、「共生社会を創る愛の基金」キックオフ会に参加するため新宿のベルサール新宿グランドへ。村木厚子さんが冤罪事件での国家賠償で得たお金を寄付してできた基金の出発の日である。基金は田島良昭理事長の法人に託されている。罪を犯しがち、罪を着せられがちの障害者の社会復帰を支援する活動のために基金は使われる。田島良昭さんから基金発足の経緯が説明され、村木厚子さんから基金への寄付に至る思いが語られた。今日のキックオフには大勢の人たちの参加があった。いずれ力になってくれる人たちである。村木さんの思いがこういう形で広がっていく。
2012.3.9(金) ラジオ・テレビはしご
TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう一直線」に生出演のため、家を5時15分に出る。この番組、このところ電話での出演が多かったが、今日は生出演で9階の第8スタジオ入り。生島さんと相対しての話は面白い。生島さんも生き生きとしていた。ラジオは聴くのも出るのも楽しいなと思うのは、こういう瞬間である。
6時半に終了。スタジオから出ると、8時半からの「ゆうゆうワイド」キャスターの大沢悠里さんが隣の机で番組準備をしているのに会う。「俺もう70歳だけど、まだやっているぜ」と元気な声。昨年は心臓の手術(恐れ多くも、天皇陛下と同じような手術らしい)で番組休んだこともあった。「あまり無理はできなくなった」と言いながら、まだまだ番組は続ける気持ちが伝わってくる。高齢者に勇気を与えるためにも、もう少し頑張って欲しい。
エレベーターのところでは「朝ズバ」の森本ディレクターが待っていてくれて、テレビのスタジオまでご案内。この日は、TBS内でラジオとテレビのはしごである。こういうのは初めて。「朝ズバ」出演は昨年7月1日以来。前回同様、スタッフは全員マスクをしている。私に風邪をうつさないようにと最大限気をつけてくれているのがうれしい。みのもんたさん、与良正男さん、吉川美代子さんなど、3年前にご一緒したメンバーが暖かく迎えてくれる。アナウンサー、レポーターの皆様もなつかしさで一杯。そんなことに感激してばかりはいられない。コメンテーターとしてよばれているのだから、震災問題などについても自分なりに一生懸命コメントさせてもらった。楽しかった。
午後から、明日の「ウエークアップ」出演のための前泊で大阪へ。新幹線の中で寺島実郎さんをみつけたので声をかけたら、一瞬けげんな顔をして私を見る。「浅野です」といって、「おー、浅野さん」と応じる。頭に毛がないうえにマスクをしていたので、すぐには私と認識できなかったようである。久しぶりの感激のご対面は、そんな驚きとともに始まった。
夜は、やはり明日の番組に出演する生島ヒロシさんと宿泊ホテル内の串料理屋で会食。光子も一緒に楽しい時間を過ごした。早朝のラジオで一緒、夜の食事も一緒。明日は番組で一緒。生島デイである。
2012.3.8(木) 外来受診異常なし
2週間ぶりのがんセンターの外来受診。血液検査結果も、胸のレントゲン撮影結果も異常なし。正常値に収まっていない数値もあるが、気にするほどではない。ステロイド剤のプレドニンは6mg/日から5mg/日に減らされた。6mgだと粉薬だが、5mgとなると錠剤である。粉薬の飲みにくさに辟易していたので、錠剤になったのがうれしい。ステロイド剤の服用量が減っていくのは、それだけ治療が進んでいるということだから、それもうれしい。患者はこんな細かいことでも一喜一憂する。
明日は、TBSラジオ「おはよう一直線」にスタジオ生出演。5時過ぎには家を出なければならない。ラジオが6時半に終わったら、そのままテレビスタジオに直行して「朝ズバ」出演。午後からは大阪に移動。珍しく忙しい一日になりそう。今晩は早く就寝しないといけない。
2012.3.7(水) 梅は咲いたか、桜はまだかいな
今日も暖かい。散歩は岸根公園のひょうたん原っぱを一周して帰ってくるコースで43分。梅が紅梅とりまぜて5,6本咲いていた。春到来を知らせる梅の花。桜の開花まではあと20日ぐらいか。明日は冬に逆戻りらしい。
東日本大震災から1年、各テレビ局が震災特集を組んでいる。私にも出演依頼があり、9日(金)「朝ズバ」、10日(土)「ウエークアップ」、12日(月)「ミヤネ屋」に出演予定。1年経っても、がれき処理は進まず、商店街復活の声は聞こえてこない。企業活動が再開しないために雇用が戻らない。原発事故で避難を強いられている住民がいつ故郷に戻れるのか目処が立たない。その一方で、1年経ったら、非被災地の人たちは被災地の苦しみを忘れてしまったのだろうか。がれき搬入反対の声を聞くたびに、「分かち合い」はどこへ行ったのか、「絆」は言葉だけかと思ってしまう。
2012.3.6(火) 暖かい一日
昨日とは打って変わって暖かい一日。18分+18分08秒の散歩の途中、ジャンパーを脱いで腰に巻いて歩き続けた。気温15℃は昨日より7℃も高い。ジャンパーなしの薄着でも汗ばむほどである。こんな暖かい天気は明日までで、以降はまた冬に逆戻りらしい。散歩するなら今のうち。
午後、「年金時代」連載の「新言語学序説」4月号の原稿を書く。「出版について」書いたが、5月刊行予定の自著の前宣伝のようになったかもしれない。言語に関するテーマで続けているこの連載も99回目になった。いよいよ種切れになってきて、毎回、題材探しに苦労している。なんとか100回まではたどり着きそう。
2012.3.5(月) 「告白」なんですか
雨の日が続く。気温も低い。散歩は今日も中止。身体がなまってきそう。筋肉も元に戻って弱くなりそう。
昨日の「バンキシャ」出演を見たという人たちからメールが入っていた。「テレビで見るとまだ万全でないようだ」←薄い髪の毛、声のかすれのせいもあるのだろうが、体調は万全です。「野田首相に言いたいことを言ったコメントはよかった」←軽くかわされました。「発言の時間がもっとあればよかった」←この番組はいつもこの程度の発言しか回ってきません。この日は多かったほうです。「テレビで雄姿と鋭い弁舌にしびれました」←そんなはずないよ。 テレビ越しに友人・知人に元気な姿を見てもらい、近況報告ができるのは、番組出演のありがたいところである。
「作家で作詞家のなかにし礼氏(73)が5日、コメンテーターを務めるテレビ朝日「ワイド!スクランブル」で食道がんであることを告白した」という報道があった。これからはテレビ出演を含めて仕事をキャンセルして治療に専念し、復帰を目指すという。3年前の私と同じような状況である。私と同じように、必ず復帰できるはず。密かに応援したい。報道で気になるのは「告白した」という表現。本人は「報告した」ということなのに、なぜ「告白」という言葉を使うのだろう。「思い切って」というニュアンスを含む言葉であるが、こういう場面で使うのは何か変。変というか偏見だと思う。
2012.3.4(日) 「バンキシャ」出演
雨模様で寒い日。散歩は中止。昼からびわ湖毎日マラソンをテレビ観戦。このレースで日本人選手のタイムが伸びなければ、川内優輝選手にロンドンオリンピック出場のチャンスが巡ってくる。普段なら、日本人選手に「がんばれ」の声援を送るのだが、今回だけは「がんばるな」と心の中で祈っていた。結果は山本亮選手がベストタイムを大幅に更新する2時間8分44秒で日本勢トップの4位でゴール。山本選手は一般参加での快挙。これはこれでおめでとうと言いたい。下馬評の高かった堀端宏行選手は11位。これだからマラソンはむずかしい。
夕方は日本テレビ「バンキシャ」に出演。野田首相が生出演ということで、秘書やSPの人たちで局内は一杯である。野田首相自身がこの番組の出演を希望したというだけあって、どんな質問に対しても堂々と自説を展開していた。私が口を挟む余地はないだろうと思っていたが、2回もコメントすることができた。
夜は、見たい番組がいろいろあって、一つに集中するのがむずかしい。その中で最優先はテレビ東京の「河北新報のいちばん長い日」だったが、やや期待はずれ。本で読んだときの迫力をドラマで再現するのはむずかしい。大震災という題材が大き過ぎる。被災の状況は最小限にして、新聞社の奮闘努力の様子をもっと描くほうがよかったのではないか。
2012.3.3(土) ひな祭り
消費税増税法案をめぐって民主党内では非難祭り。テレビで与野党が一緒になると相手をなじる非難祭り。原発事故で他町に強制移住させられている人たちは、避難生活で祭りどころではない。ぼんぼりに灯りをつけて、桃の花を飾って、ほんとのひな祭りを祝いたい。娘たちがいなくなり、お雛様が物置にしまわれたままの我が家では、せめて桜餅をいただいてひな祭り気分とも思ったが、それも血糖値を気にする老夫婦は自粛した。
外は春の息吹である。気温が高く、風もない。そんな中の散歩を、多分、40分楽しんだ。「多分」というのはこういうこと。散歩開始時にストップウオッチを押して歩き始める。信号待ちでは一時停止ボタンを押す。信号明けで再び歩き出す時に一時停止解除のボタンを押し忘れてしまった。ストップウオッチの再稼動を失念した人為的ミスである。
たどり着いた岸根公園は穏やかな春の光の土曜日とあって、たくさんの人でにぎわっている。幼児用自転車乗り(推定5歳)、サッカーボールを蹴る子(推定2歳)、父親の投げるボールをテニスラケットで打つ少女(推定4歳)などなどが躍動している。親鳥に見守られながら、羽ばたく訓練中のひな鳥たち。そんな様子を見ながら、64歳のがんsurvivorが幸福感に包まれながら歩いている。そんなひな祭りの日の散歩。
2012.3.2(金) 予定テレビ番組2題
雨の一日。横浜での雨量は16ミリというから、まとまった雨である。一雨ごとに春が近づいてくると思えば、雨降りも気にならない。散歩は中止だが、気にならない、気にしない。
3月になって、ぼちぼち活動再開である。手始めは4日(日)の「バンキシャ」(日本テレビ18時―)出演。この日は、目下話題の人が生出演する予定。私の出番はうんと限られるが、この出演者との対面には、今から少しドキドキしている。今月はさらに2回テレビ出演の予定。
テレビ番組といえば、同じ4日(日)19;54−テレビ東京の「明日をあきらめない・・・がれきの中の新聞社〜河北新報のいちばん長い日〜」が楽しみである。東日本大震災の大混乱の中、河北新報は新聞発行を途切らすことなく、被災地にも新聞を届け続けた。昨年の11月に、「河北新報のいちばん長い日―震災下の地元紙」河北新報社著(文藝春秋)を河北新報社の佐藤純総務部長から送ってもらった。社員一丸となって、地元新聞としての使命を果たすべく悪戦苦闘する経過が克明に描かれている。一連の報道で河北新報は昨年の新聞協会賞を受賞している。それがテレビドラマになった。ぜひとも見なくてはならない。佐藤純さんはどんな人が演じるのかも気になる。
2012.3.1(木) 新しい病友
今日から3月。久しぶりに散歩。ところどころに昨日の雪が残るのを見ながら39分。岸根公園のひょうたん原っぱの入口まで行けた。公園内の上り坂がきつい、腰が痛い。このところ散歩を休むことが多かったが、そのつけが回ってきたのだろう。
昨日の朝、山口県在住のGさんからメールあり。「本日、東京大学医科学研究所付属病院へ入院するために、山口から東京へ向かっている」とある。3日前にGさんから「夢らいん」経由で、夫が2日前にATLの慢性型と診断された、セカンドオピニオンについてアドバイスが欲しいというメールをもらっていた。折り返しのメールで東大医科研を紹介したのだが、それからの展開が速い。Gさんは、昨日、そのまま医科研に入院となった。すぐに治療が始まる。間に合ってよかった。結果的にぎりぎりのタイミングということになる。まったく面識のないGさんだが、ATLの病友ということであれば他人とは思えない。なんとかうまくいってくれることを祈っている。
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