2012.3.17(土) 刑事裁判に正しい関心を
朝からの雨が昼も降り続き、時折強くなる。夕方、夜まで一日中まとまった雨というのも久しぶり。一雨ごとに春が近づく。そう思えば、雨もいいものだ。
ここ最近、刑事裁判に関連する報道が目に付く。今日の新聞記事だけでも、「大阪2児放置死母親に懲役30年」、「光市母子殺害、元少年の死刑確定」、「「東電OL殺害で高検が(被告側からの再審請求に対して)請求棄却求め意見書提出」、「「検察審で『起訴相当』議決で初起訴の被告に、栽判員裁判で無罪判決」、「通行トラブル巡り傷害致死、正当防衛認め無罪(裁判員裁判)」など。12日(月)には、連続不審死事件で、交際男性3人への殺人罪などに問われた木嶋佳苗被告(37)の裁判員裁判で検察による死刑求刑があった。直接証拠が存在せず、状況証拠だけで有罪とできるかというむずかしい裁判。裁判員の在任期間が100日というのも異例だが、死刑判決もありうる難しい裁判で量刑まで決断させるのは、私ならとても務まらない。制度に無理がある。
今日の報道にある裁判の論点としては、未必の故意、正当防衛、死刑の量刑、冤罪の可能性、裁判員裁判の限界、検察審査会の意義といったことがある。検察の取調べで供述調書に嘘を書いたり(小沢一郎事件)、検察による証拠隠滅がなされたり(村木厚子事件)などからの検察不信が明るみに出ている。そんな中で、取調べの可視化も議論されている。刑事裁判について、他人事として面白半分で見るのではなく、国民の側でも、突然逮捕されたり、裁判員に任命されたり、「明日はわが身」という感覚で問題意識を持つことが大事であることを知らされる。
刑事裁判についていえば、知的障害を持つ人たちが、司法関係者の無理解と支援の少なさもあり、「罪を負い、罪を負わされ、再犯を重ねる」という図式がある。村木厚子さんが自らの冤罪で勝ち取った国家賠償の全額を寄付して発足した「共生社会を創る愛の基金」は、その図式を打ち壊そうという目的で運営される。これは、単に知的障害者の救済だけではない。、検察、裁判所という圧倒的権力から、司法弱者をどう守るか、その先鞭をつける役割もあることを改めて心に刻みたい。
2012.3.16(金) 「乃里子三部作」
午前中散歩18分+17分41秒。ゆったりペースが快い。珍しく2日連続の散歩。明日は雨の予報だから3日連続はだめだろう。
午後は労災病院の耳鼻科外来。ずっと聴こえはいい状態なので、とりたてて治療の必要もないのだが、軽く、つまり痛くならない程度で、耳垢を取り出してもらった。その後聴力検査もしたが、ほぼ正常である。鈴木貴裕医師にかかるのはこれが最後。鈴木医師は古巣の昭和医大に戻る。次回の5月18日の診療からは鈴木医師の後輩の医師にかかる。「お世話になりました。お元気でご活躍ください」の言葉でお別れ。いい先生だった。
田辺聖子の「乃里子三部作」(講談社文庫)は久しぶりの面白い小説。万里子に誕生祝でもらった「言い寄る」から始まって、「私的生活」、「苺をつぶしながら」と読み進んで、今日、三冊読み終えた。乃里子の31歳から35歳まで。片思いの失恋から結婚、離婚まで。乃里子の「人生のプロ」たる立ち居振る舞いが魅力たっぷりに描かれている。昭和48年の作品だから、携帯電話、パソコンは登場しない。登場人物の間で交わされる大阪弁の面白さに声を出して笑ってしまう。上質のユーモアの中に、キラリと光る人生の輝きが描かれている。田辺聖子の筆力ははんぱじゃない。ドラマ化したら乃里子役は、大阪弁も使えるNHKの朝ドラ「カーネーション」の尾野真千子がぴったり。書き留めておきたいセリフや表現がたくさん散りばめられている。帯にある、田辺聖子自身の「私、この作品を書くために生まれてきたのかもしれへんわ」の言葉に納得。
2012.3.15(木) 春なのに、春だから
横浜の気温が13℃を記録した昼に散歩、18分+17分56秒。「無理しないでね」という光子の声に送られて散歩に出る。「無理をする」というのがどの程度のものかは見解が分かれるところではある。私の前を同年輩の小柄な男性が歩いている。特に急ぎ足ではない標準的な歩き方に見える。彼とピッチを同じにして歩くと、どんどん先に行かれてしまう。つまり、私の歩幅が狭いということ。自分としては、歩幅を広くして歩いているつもりだったが、標準歩行よりは遅いペースということになる。これが「無理しない」歩き方なのだろう。無理をしないで歩くから、岸根公園では、初春の景色に目をやり、子どもたちの遊ぶ声に耳を傾ける余裕がある。身体的にも楽だ。しばらくは、こういう散歩を心がけよう。
今朝の朝日新聞の一面を見て「えっ」と思ってしまった。ほぼ全面、プロ野球巨人軍が新人入団にあたって、協定で標準とされた上限を大幅に上回る契約金を払っていたという記事である。読売新聞は見ていないが、少なくとも一面トップ記事にはならないはず。報道するなとは言わないが、一面トップはないでしょう。春なので浮かれたのだろうか。
その一面に民主党内の消費税増税法案を巡る「大議論」の記事がないのは、バランス上どうなのか。それはさておき、一体この議論の行き着き先はどうなるのだろう。この時期、この大事な問題に、あまり次元が高いとは思われない議論が衆人環視の下で行われている。賛成派、反対派、どっちがどうとは言わないが、一言、みっともない。これ以上みっともない結末にならないように心から望む。春の浮かれ気分では済まない。
2012.3.14(水) 「原発再稼動 政治判断へ」???
3.14の今日は「円周率の日」であるらしい。アルベルト・アインシュタインの誕生日、日本では「数学の日」にもなっている。数字についていろいろ考えながら、40分の散歩。岸根公園まで行ったが、ひょうたん原っぱの円周は回らずに戻ってきた。久しぶりの散歩なので、ゆっくりペースを心がけた。日は出ているが気温は低い。ゆっくり歩きでも、歩いているうちに少し汗ばむ。
2日前から、身体各所に発疹が出てきた。しばらく治まっていたのに、「突然」という感じである。右ひじ近くが一番派手に出ている。左腕も数ヶ所、足にもちょっと出ている。多分GVHDによるものなので、OHA軟膏をつけている。ステロイドのセレスタミンを今朝から服用始めた。「痛くもかゆくもない」と言いたいところだが、かゆいことはかゆい。就寝中、半分ねぼけて掻いている。「掻いちゃダメ!」と声を出して自分に言い聞かせているが、またねぼけて掻いてしまう。意志の力だけでは、掻くのを抑えることができない。
朝日新聞朝刊一面トップ「原発再稼動 政治判断へ」という見出しに「えーっ」と反応して記事を読んだら、内容はちょっと違う。関西電力大飯原発3,4号機について、野田首相は今月中にも原発の安全性を総合的に判断し、地元に再稼動の理解を求めるというもの。地元の同意が得られれば、改めて閣僚懇談会を開いて再稼動を最終決定する。そういうことであれば、「政治判断へ」などと表現する必要はない。「安全性の判断」とすればいいところ、わざわざ「政治判断」と書くから安全性の判断とは別な政治判断がありそうに誤解してしまう。いやいや、誤解ではなくて、安全性には不安はあっても、政治判断で再稼動に「ゴー」ということもあるということなのだろうか。
そんな言葉の問題はどうでもいい。実際のところ、地元の同意がなければ再稼動にゴーサインは出せないのだから、政治判断の入る余地はない。「地元の同意が得られれば」と野田首相は言っているが、地元の同意は決して簡単には得られない。福島第一原発の事故以来、原発は究極の迷惑施設と化したことを肝に銘じるべし。迷惑施設を受け入れるかどうかは、地元の住民が決める。がれきの県外処理の場所とされたところの住民がどれだけがれき受け入れに反対したかを思い起こせばいい。がれき処理より何倍も危険な原発の再稼動に、原発から10キロ以内の住民が簡単に「どうぞ」と言うはずはないではないか。「日本国中の原発の再稼動は今年中には一個もない」ということを前提としたエネルギー供給対策、経済対策、雇用対策を政府は用意しておくべきではないのか。それこそが「政治判断」であると思うのだが。
2012.3.13(火) テレビ出演の反響
自宅にてテレビ東京の取材。「総合対策開始1年、HTLV−1をもっと知って」という企画である。HTLV-1問題はまだ世の中に広く知られているとはいえない。今こそ情報が広まることが必要である。こういう番組がどんどん放送されることは意義がある。喜んで取材に協力させていただく。14日(木)16:52−17:22テレビ東京「ニュース・アンサー」で放映。BSジャパン(BS7)でも同じ時間。
テレビ放送といえば、昨日、読売テレビ「ミヤネ屋」に出演した反響がツイッターに出ているのを覗いて見た。「副作用なのか顔がむくんでて以前の容貌とまったく変わってしまっているのが痛々しい」、「病気してたんやねー、知りませんでしたわ」、「髪の毛どうした?前からそうだった?」といったつぶやき。ついでに、10日朝の「ウエークアップ」を見ていた人のつぶやきは「元宮城県知事の浅野史郎を久しぶりにテレビで見たけど、思った以上に衰えていてびっくりした」、「浅野史郎老けたなあ、病気のせいか」、「浅野史郎さんすっかりおじいさんになっちゃったなあ」、「老けたんでなくて、はげた・・・いや、ヅラを外したのかも」。みなさん、テレビに映る私の姿を見て、いろいろなことつぶやくのだな。私の身体のことを心配してくれていると受け止めている。ありがたいことである。
2012.3.12(月) 3年ぶりの「ミヤネ屋」出演
読売テレビの「ミヤネ屋」に出演。2009年5月14日以来、ほぼ3年ぶりである。病気になる前、毎週木曜日にレギュラー出演していた。6月4日の出演をドタキャンして、その日から入院闘病生活に入った。「ATLという病気で入院治療に入ります。次回の出演はドタキャンです」と東大医科研での入院手続きが済んだところで、番組のプロデューサーの吉川真理さんに電話で伝えた時に、吉川さんが電話の向こうで絶句したのを思い出す。今日3年ぶりで吉川さんはじめ番組スタッフとお会いした。スタッフ一同から復帰祝いに赤ワインを頂戴した。赤ワインもうれしいが、みんなの気持ちがもっとうれしい。
番組は、宮根誠司さんの相変わらずの軽快な司会で快調に進む。震災関連のコーナーでは宮根さんがどんどん振ってくる。そのテンポが快い。左隣には3年ぶりに会う春川正明さん、右隣にはデープ・スペクターさん。この二人にもどんどん振る。昔を思い出しながら、番組を楽しんでいた私。
大阪に着いたら、みぞれ模様で寒い。行きの新幹線、車窓から見えたのは五合目から上が雲に隠れた富士山。帰りは18時12分新富士駅通過。灯りがともる街の後ろにそびえる富士山の姿を見るのは珍しい。なんともはや、今日はいい日だ。
2012.3.11(日) 大震災から一年
大震災から一年が巡ってきた。新聞もテレビも震災特集が並ぶ。東京の国立劇場では政府主催の追悼式が営まれた。天皇陛下、皇后陛下もご臨席になり、天皇陛下からはお言葉が述べられた。心臓の手術後の療養中の身でありながら、ご本人の強いご希望で追悼式ご出席となった。被災地の慰問にも何度も足を運んだ天皇陛下は、これこそ自分の仕事であるという強い思いがおありになった。周りの心配を知りながら追悼式への出席を決めたのは同じ思いからだろう。ご出席になられてよかった。遺族の方々も天皇陛下のお言葉でどれだけなぐさめられたことだろう。テレビの中継を見ながら、私も粛然たる思いであった。
「3.11だからこそ出たかった」という選手が多かった名古屋ウイメンズマラソン。結果はロシアのアルビナ・マヨロワが優勝。日本人一位の2位には尾崎好美が入った。ひそかに応援していた野口みずきは、先頭から200メートルも離されたのを盛り返して、一時はトップに立ったが、がんばりはそこまで。2時間25分33秒で6位。代表入りを狙っていた渋井陽子、赤羽有紀子も届かなかった。マラソン本当に厳しい。
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