2012.5.31(木) 日程の詰まった一日
築地のがんセンターで受診。検査結果は異常なし。5月19日の出版パーティに呼びかけ人として出席された田野崎先生が、その場のスピーチで「浅野さんの闘病は、マラソンでいえば、現在、35キロ地点」と会場の皆さんに紹介した。妻には「まだ35キロ地点なんだから、気を緩めてはダメ」と引用される。今日の診察でも、田野崎先生から「無理はしないように」と念押しされた。「35キロ地点で注意すべきは、気を抜かないでゴールを目指すこと。もう7キロでゴールというよりは、ゴールまでまだ7キロもある」と受け止めるべきなのであろう。
がんセンターから赤坂のTBSへ。「嶌信彦のエネルギッシュトーク」の収録である。内容としては、嶌さんの誘導により、私の人生の出来事を語るというもの。闘病が中心で、そのほか、宮城県知事選、障害福祉など。1時間半の収録内容が編集されて、7月半ばの日曜日23:00−23:30に放送予定。2回になるかもしれないとのこと。ラジオ出演は、私にとっては、気楽で楽しい。嶌さんの名司会ぶりに乗せられて、今日も楽しく話をさせてもらった。
私が出演した「徹子の部屋」が、今日放映である。TBSへの移動の時間にあたり、見られなかった。視聴したいろいろな人から、感想が電話やメールで寄せられたが、自分が見ていないので、なんだか変な感じである。ツイッターには、相変わらず、「別人のような顔と髪の毛」、「白血病であんなに変わってしまうんだ」といった言説が飛び交う。
TBSを後にして、東京ドームへ。お誘いがあって、楽天対巨人戦を観戦。プロ野球観戦は3年ぶり以上である。今日は、行事が続いて疲れ気味なので、試合途中で帰宅。試合は楽天の敗戦だった。
2012.5.30(水) なつかしの医科研へ
朝、10分+9分45秒の散歩を済ませて、慶應大学SFCへ。このところ、電車利用での通勤である。タクシー通勤では味わえなかった「通勤感」(こんな言葉ありません)がある。空いている車内でゆっくり新聞を読んだり、車窓に流れる景色を眺めたり、他の乗客の生態をウオッチしたり。
「未来構想ワークショップ」の授業を終えて、まっすぐ帰宅。妻と一緒に、白金台の東京大学医科学研究所附属病院へ。2009年6月4日から10月14日まで、この病院に入院してATL治療のための化学療法を受けた。花一杯で、木々が生い茂る庭のたたずまいが、都心とは思えない雰囲気を醸し出している。そういえば、初めて医科研を訪ねたのが、この時期だった。「紫陽花が咲き始めた頃で」と妻が言う。病気入院の場所なので、「なつかしい」というのとは違うが、医科研の庭は、あの時のままである。
当時の主治医内丸薫先生から、「市民公開医療懇談会」での講演を依頼されていた。講演に先立って、「なつかしい」病棟に赴き、入院中のGさんにお会いした。2月末、山口県在住のGさんがATLを発症して、奥様から「どうしたらいいでしょう」というメールが「夢らいん」経由であり、「東大医科研、内丸先生に相談するのがいい」とお答えしておいた。3日後には、Gさん夫妻が医科研を訪れ、そのまま入院。その後のことが気になっていた。「ATLネット」のメンバーの南克己さん、小澤礼子さん、田中君代さんも一緒。いずれも、医科研入院経験者である。Gさんの治療が、順調に進んでいることを知って安心した。
講演は「ATL患者になって得たもの」というテーマで27分。短い時間で、意が尽くせなかったのが残念ではあるが、会場一杯の市民の方々の熱心さが印象的であった。
フジテレビの夕方のニュースで、私も取材を受けたATLについてのレポートが放映された。医科研で講演している時間帯だったので、リアルタイムでは見られなかった。後でユーチューブで見たが、病気前の映像と、5月8日にSFCで細貝沙羅さんの取材を受けた時の映像を比べると、私の相貌の変容は明らかである。「まるで別人」というツイッター上に飛び交う感想も無理もないかなという気がする。レポートは、よくまとまっている。細貝さん、NICE
JOBだよ。
2012.5.29(火)
今日の授業 毎週火曜日は、慶應大学SFCでの授業が、18時まで3コマある忙しい日である。今日の「政策協働論」は、「新聞の読み方」の解説である。朝日新聞社のご協力により、藤沢販売所から、出席者全員用に今日の朝日新聞が届けられる。授業では、その新聞記事の解説をする。定例の早朝散歩を休んで、事前に、今朝の朝日新聞をじっくり読み込む。横浜駅では、全国紙、地方紙含めて7紙を買いこんだ。
授業では、「政策協働論」として論点になりうる記事について、すべて説明する。社説については、「3分間で読んで、社説で言いたいことを発表せよ」ということで、学生2名にその場で発表させる。その答え方を問いたいのではない。新聞を短い時間で読むことの大切さを知らせたかった。というようなことで「新聞の読み方」は終了。後半の授業は、以前の授業で、地方分権についての学生の理解が不十分だったことから、「地方分権再訪」として、追加的説明の時間に充てた。今回の「再訪」で、十分に伝えた自信はない。授業後提出された「出席カード」の記述からも、学生はまだまだ理解不十分であることが読み取れる。学生にとって、「地方分権」は相当に難解であるようだ。
午後からの「障害福祉研究会」では、藤沢市在住の内海さんご一家に登場いただいた。長男の隼吾さんがダウン症。母親の内海智子さんとは、最近知り合ったばかりだが、「ぷれジョブ」のことなどで、短い間に何度もお会いしている。父親の内海邦一さんがご一緒というのが、うれしい。障害者問題で、父親が関わることは、ごくごく稀だからである。今日のゼミでも、父親である内海邦一さんのお話がとても有益だった。邦一さんと隼吾さんは、掛け合いの小噺まで披露してくれた。その時の隼吾さんの笑顔がとっても魅力的という学生の意見があった。学生諸君は、隼吾さんに魅了されたようである。
ダウン症という障害を初めて目の前で見たという学生にとっては、得がたい経験になっただろう。「ぷれジョブ」の第一回の開始は、6月8日から7月6日に延期になったが、その第一号が隼吾さんである。これからも、「ぷれジョブ」で何度も会う機会があるだろう。楽しみである。
2012.5.28(月) みのもんたさんの喪主挨拶
朝、20分23秒+18分38秒の散歩。午後、7月27日(金)の「社会福祉セミナー」での記念講演について、主催の鉄道弘済会のご担当の方が打ち合わせに来宅。1時間半の講演だが、昨日の講演での思い込みによる時間オーバーといった失態を繰り返さないよう、気を引き締めて打ち合わせに臨んだ。
奥様の葬儀から一夜明けたみのもんたさん。「朝ズバ」ではどんな様子なのか気になったので、5時半からテレビをつけて見ていた。いつもと変わらない元気さでの司会ぶりだったのには、ほっとした。葬儀でのみのさんの喪主挨拶もテレビで拝見した。娘さんが「どうしても着たい」といって奥様の和服の喪服を着た。急遽着付けに駆けつけた先生から「お嬢様のサイズに仕立て直してあります」という信じられない言葉を聞いた。そのことを挨拶で紹介するみのさんの目に涙。「お別れしたくない、ずっと一緒にいたい」としみじみと語る姿に、こちらも思わず涙。心のこもった、素晴らしい喪主挨拶だった。
2012.5.27(日) 「架け橋」設立シンポジウム
日曜だからということもないが、いつもより遅めの起床。散歩にでかけるのも、いつもより遅め。岸根公園に着いた時には、ラジオ体操は終了していた。そういえば、2日前の「生島ヒロシのおはよう一直線」で、「ラジオ体操は、理想的な有酸素運動で、その他、姿勢の保持、免疫力向上、代謝の促進などに大きな効果がある」という話をドクターがしていた。ラジオ体操は偉大である。だからこそ、戦後ずっと続いており、今でも岸根公園の集団ラジオ体操が隆盛を誇っている。ラジオ体操は、日本の文化伝統になったのではないか。
午後から、築地の聖路加看護大学講堂で開催された、患者・家族と医療をつなぐNPO法人「架け橋」の設立シンポジウムに参加。「自身の体験から院内患者サポートに求めるもの」というお題での基調講演をした。実際に話したのは、患者の体験ではなく、知事の体験からの危機管理と情報公開についてである。私の講演は、内容はともかく、いつも時間ぴったりに終わるのが取り柄である。今日は5分もオーバー、それも主催者から注意されて、終了時間の勘違いに気がついたというお粗末。こんなの、初めて。このところ、「なにごとも、初めてということはあるものだ」というのが続く。おとといの電車で席を譲られたのも、生まれて初めての経験だった。
医療機関と患者の間に立って、相互のコミュニケーションを促進し、医療事故が起きたときには、双方の正しい理解と行動を促すという患者サポートの役割を果たす職種がようやく定着しつつある。「架け橋」は、そういった患者サポートに尽力する人たちを応援するためのNPOである。今日のシンポジウムには、そういった人たち、医療機関、医療事故で家族を亡くした人など、いろいろな人たちが参加していた。シンポジウム終了後、居酒屋での打ち上げにまで参加して、そんないろいろな人たちとしばし歓談。新しいことをたくさん知った一日である。
2012.5.26(土)
原発再稼動は「他力本願」 この時期の散歩の敵は暑さと紫外線である。この暑さなのに、長袖シャツ、長ズボン姿は、紫外線対策。マスクをした上に、すっぽり顔を覆う帽子をかぶっての怪しげスタイルでの散歩は、17分16秒+16秒28秒。
みのもんたさんの奥様、御法川靖子さんが、22日、がんのため66歳で亡くなった。みのさんの自宅で営まれた通夜に光子とともに参列した。立教大学在学中に知り合って、以来50年近くご一緒だった奥様をなくしたみのさんのお悲しみはいかばかりだろう。早く元気を取り戻して欲しい。
総合資源エネルギー調査会の基本問題委員会から、「2030年に国内電力のうち原発の割合をどれくらいにするか」について、5つの選択肢が示された。0%、15%、20〜25%、35%とあり、政権はこの中から一つを選んで、今夏に作成する「新エネルギー基本計画」で政府目標として決める。これがおかしい。
今、関西電力の大飯原発の再稼動について、地元自治体(福井県に加えて、滋賀県、京都府)が「認める」とは言っていない状況である。再稼動の是非が問われる原発は、大飯原発に続きいくつもある。その一つ一つの原発は再稼動できるだろうか。福島原発事故発生以後の再稼動については、どこの原発でも乗り越えるべきハードルは極めて高い。立地自治体住民の間に、原発運転について完全な安心感が共有できていないからである。一体、どの原発、固有名詞で特定されるどの原発が再稼動できるのか、今、確信をもって特定できる人はいない。
来年の今頃、再稼動できている原発があるとすれば、それらの原発が生み出す電力が、その時点での国内電力供給全体の○○%であるということになるだけの話ではないのか。先に「25%」という数値を決めておいて、それに合わせて、「この原発とあの原発を再稼動させることにしましょう」ということになるだろうか。これは、政府が再稼動する原発を自力で決められるという前提があってのことだが、実態は違う。変な表現だが、今や、原発が再稼動できるかどうかは「他力本願」であることに気がつかなければならない。政府でなくて、「民意」が決めるということ。「民意」を軽く扱ってはならないよという「警告」を、私としては何度も出してきたつもりである。そもそも、「原発の割合は○○%」というのを政府目標として決めるのはおかしいというのは、このことを言っている。「おかしい」というより、「できない」ということである。これが「他力本願」の帰結である。
2012.5.25(金) 初めて席を譲られたよ
早朝、少なめの散歩。11分+10分54秒。昨日より、片道1分だけ多い。午前中、(株)ウイングルが運営している「蒲田就労支援センター」の視察。SFCの「障害福祉研究会」の有志学生4人と妻も同行。ウイングルの鳥光誠さんにご案内いただく。15人ほどが、真剣に訓練を受けている様子を見せてもらった。訓練にあたる職員がきっちりと訓練を受けているのが、よくわかる。成功のための方法論の一端である。一事が万事、何を目的とした事業かの哲学があり、実現のための方法論があり、人材が質、量とも確保されている。
午後からは、同じくウイングルが運営する発達支援センター「リーフジュニア」の視察。未就学児に特化した、発達障害のための療育専門のサービスを提供している。今年1月に開設したばかりなのに、70人の登録児童を抱えるほどの盛況である。ここでも、療育にあたる人材がしっかり確保されている。療育の実際は、カメラ越しにしか見られなかったが、指導員の創意工夫が生かされている指導ぶりという印象を持った。ウイングルは、未就学児への療育だけでなく、「学習塾リーフ」も開設し、発達障害の支援としての学習支援を始めた。その契機となったのは、就労支援の訓練をしていて、発達障害の人にもっと早い時期に訓練がされていれば、就労支援はうまくいくことに気づいたこと。すぐに、それを実行に移すところがすごい。
視察の後は、霞ヶ関ビルでのフィランソロピー協会の理事会へ。京浜蒲田から新橋、新橋で地下鉄銀座線への乗り換えが大変。長い距離を歩く、階段を上る、階段を下りる、高齢者や病身の人には、きつい行程である。横浜駅から蒲田まで利用した京浜東北線の車内は、結構な混みようだった。川崎駅で、女性に席を譲られた。生まれて初めての経験である。一緒にいた妻に「このはげ頭で高齢者に見られたのだろうね」と苦笑しつつ席に坐った。はげ頭が役に立ったのは、喜んでいいのかどうか、悲喜こもごもである。
2012.5.24(木) 何もしない日、何もできない政権
久しぶりに散歩へ。久しぶりということは、筋肉が少し衰えているということ。このところ、多忙な日程だったので、疲れもあるかもしれない。起床が遅かったこともあり、散歩のスタートが遅れた。ということもあり、岸根公園までは行かず、途中の郵便ポストが9分地点なので、そこで郵便物を出してから1分歩き、反転。10分+10分06秒の短めの散歩で終了。こういうのを臨機応変の術という。それにしても、いい天気である。こういう日は、紫外線への暴露が怖い。
久しぶりの「何もない日」である。来週の授業のレジュメを完成して、SAに送った。途中、昼寝を少々。そんなこんなで夕方になってしまう。「何もない日」は、「何もしない日」に近い。
このところ、金環日食だ、スカイツリーだと、報道は加熱気味。その一方で、政治、政局のほうは、報道ぶりにも「うんざり」といった感じが出ている。「何も決められない政権」、「前に進まない政治、政策」といった状況では、政治ギャラリーは、あげて「うんざり」だろう。原発再稼動、TPP加入、社会保障と税の一体改革(法案)といった重要な案件が進まない。個別の案件への賛否、問題点についても言いたいことはあるが、それ以前に、「進まない」ことの問題のほうが大きい。野党との議論以前に、与党内、政権内の政策決定のシステムが機能していないのが大問題である。システムの不備を乗り越えて、覚悟を決めてものごとを進めていくという意志が見えない。これでは、橋下大阪市長の維新の会に期待が集まるのも無理はない。私としては、政権には、まだ期待を持っている。その賞味期限が切れる前に、やるべきことをやって欲しい。
2012.5.23(水) 輝くキャンパスで輝く学生たち
夜中に足がつった。足がつるのは、初めてではない。私の場合も、一般的にも、「こむら返り」といってふくらはぎがつるのだが、今回は脛がつった。これは初めてのこと。これまでなら、足がつっても、自分で足指を手前に引く動作をすることによって、容易に回復するのだが、今回は、どうやっても治まらない。隣に寝ている妻を起こして、患部をもんでもらったりしたが、それでも治らない。その後、「脛伸ばし」別名ストレッチングを何度か試みて、なんとか窮地を脱したが、こんなの初めてであり、そのことがショックだった。ネット情報で、考えられる原因を探したが、筋肉疲労、栄養不足、水分不足、どれもあてはまらない。「糖尿病、骨粗しょう症、肝硬変、甲状腺機能低下症、副甲状腺機能亢進症、動脈硬化症、静脈瘤、神経系の病気」なども、該当せず。そもそも「脛がつる」というカテゴリーがみつからない。原因不明なので、予防・治療のしようがないのは、顔と胸の発疹と同じか。いろんなことが起きるものである。
昨日の冬の天気から、今日は一挙に夏に変身。SFCのキャンパスが、強い太陽に照らされて輝いている。鴨池を見下ろす芝生に、学生カップルの姿が何組も。毎度の感想だが、素晴らしいキャンパスである。今日の授業の「未来構想ワークショップ」を受講する学生たちも、このキャンパスに育てられて、素晴らしい人材に育ちつつある。グーループワークも佳境に入りつつある。むずかしい課題を抱えて、取材に赴くグループもぼちぼち出てきた。その前段のアポイントメントを取るのに四苦八苦しているグループも。そういう苦労を乗り越えて、成果を手にして欲しい。「失敗から学ぶ」が、このワークショップの真髄である。
2012.5.22(火) 多彩な授業
天気が激変。最高気温が16℃。昨日より8℃も低い。しかも雨降りで、3月下旬並みの気温である。「レインコートを着ていきなさい」と光子に言われて家を出て、「レインコートでよかったでしょ」と念を押されて帰宅した。妻の言うことは聴くものである。それぐらい寒い一日だったということ。
その寒い一日は、SFCでの「政策協働論」の授業。元北海道警察の幹部であり、退職後は警察組織の問題を追及する「市民の目フォーラム北海道」の代表として活躍中の原田宏二さんをゲストにお迎えした。警察内部にいた人が、警察内部の問題を指摘するのだから、臨場感があり、迫力がある。学生にとっては驚くような講義になった。答案シートに記述された、その驚きの内容を原田さんにお届けしないといけない。
午後からの「障害福祉研究会」は、十愛療育会が運営する横浜療育医療センターの視察。センターには、常時の医療を要するような極めて重度の障害を持った重症心身障害者が入所している。横浜市には、この種の施設としては、ほかに一ヶ所、小規模のものがあるだけで、ここが入所施設の中心である。視察をしてどう感じたか、学生の反応は、まだ聞いていない。40年前、私が初めて重症心身障害者の施設を見学した際に受けたショックを感じたのかどうか、確かめてみたい。十愛療育会の会長になった日浦美智どうなのかは、別問題である。
江さんの講義も心に沁みた。やはり、現場に身を置くことは、いろいろなことを考えさせる。 視察を終えた後、センターの職員などが集まる中で、講演をさせていただいた。1時間の講演で話す内容があるかどうか心配だったのだが、障害福祉の話だけでなく、闘病のことにも触れたら、時間が足らないほどだった。終わってみたら、あれも話せなかった、これも触れるつもりだったのにとの思いのほうが大きかった。私としては、久しぶりに快調に口が回った感じで、話しているほうとしては、楽しい講演だった。聴いているほうが
2012.5.21(月) 金環食
朝6時、散歩に出るところで、お向かいの恵藤さんのおばさんがご挨拶。「今日は見られるかしら」「だめかもしれないね」。これだけでわかる。金環食のこと。横浜のこの時間は、曇り。早々と金環食を生で見るのはあきらめた。メガネもないし。結局は、この世紀の天体ショーはテレビで見ることになった。今日のテレビは、各局とも、金環食の話題一色である。それはそうだ、何百年に一回という大事件なのだから。
そんな中、散歩だけは忠実に実行。いつもより少なめの17分15秒+16分20秒。このところ、いろいろな行事が続いたので、自粛という意味もある。
午後からは、NPO法人「キャンサーリボンズ」の岡山慶子副理事長、廣瀬瑞穂委員、(株)朝日エルの大和田庸子さんが来訪。6月16日開催の「『がん支えあいの日』記念フォーラム」の事前説明のためにいらした。私は、パネルディスカッションに参加する。患者にとって、「暮らす」、「働く」をどうとらえるべきかといったことを、患者の立場から話すことが期待されている。持ち時間10分少々では、とてもむずかしいが、精一杯やろうということになった。岡山さんは、朝日エルグループの会長である。自身ないし家族ががん患者ということでもない。民間会社として、「がん患者さんの治療と生活をつなぐ」という活動の重要さに気がついて、そのための活動を展開しているのは、すごいことである。私としても、力不足ながら、できる限りの協力をさせてもらいたいという気になった。
2012.5.20(日) 「共生社会を創る愛の基金」運営委員会
「祝う会」から一夜明けて、いろいろお心遣いをいただいた方々に、御礼のお手紙を書き始めた。まだまだ終わらないうちに、13時からの「共生社会を創る愛の基金」の第一回運営委員会に出かける時間になってしまった。
村木厚子さんが、自身の「冤罪事件」で国からの損害賠償で得た3,333万円を社会福祉法人南高愛隣会(田島良昭理事長)に寄付をしたもので「基金」が創設された。基金の目的は、罪を問われた障がい者に対する救済である。そのために、必要な研究調査などを実施する。
障がい者、特に知的に問題がある人、コミュニケーションに難のある人たちは、罪に問われやすいし、逮捕されてからの取調べでも自分を守ることがむずかしい。刑を終えて出所した後も、なんらの支援を受けられず、何度も刑務所に戻ってくる。これまでは、誰からも見放され、法務省と厚生労働省の役所の隙間に落ち込んでいた。そんな問題の解決に、最初に動いたのは、田島良昭さんである。そのことを知る村木さんが、南高愛隣会を寄付先とする決断をするのは、自然なことである。とても意義のある寄付であると、話を聞いたときから感じていた。今回の運営委員会の委員になって欲しいという依頼が村木さんからあったときに、「喜んで!」と応じた次第である。
委員会のメンバーがすごい。今日の委員会に本人が出席している人だけでも、前知事が私と堂本暁子前千葉県知事の二人。元厚生労働事務次官が辻哲夫さん、戸苅利和さんの二人。坂本由紀子元参議院議員(元厚生労働省職業能力開発局長)、荒 中日本弁護士連合会事務総長、大熊由紀子国際医療福祉大学大学院教授(元朝日新聞論説委員)などである。私自身が入っているので、少し言いにくいが、このリストを見せられたら、基金の活動、趣旨がまじめで、まともなことはすぐに理解してもらえるだろう。
私が運営委員会の座長になったが、これも「喜んで!」お引き受けした。3時間に及ぶ委員会では、なんとかこの活動を盛り上げていこうということで、活発な意見交換が行われた。これまで注目されることもなかった大きな問題が、だんだん解決に向けて動いていく予感がする。
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