浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 8月第3週分          

2012.8.18(土)

「ウエークアップ」での椿事    

 読売テレビにて、8時から「ウエークアップ」に出演。竹島、尖閣列島問題で、スタジオの前原誠司民主党政調会長と日本テレビから出演の猪瀬直樹東京都副知事の間で議論が続き、私を含む他のゲストのコメントはほとんどできなくなった。予定していた項目(ロンドンオリンピックの総括、維新の会の国政進出)がほとんど取り上げられずに番組が終わってしまった。時間切れで、天気予報も伝えられず。猪瀬さんのしゃべり過ぎ、辛坊さんのしゃべらせ過ぎ、前原さんの「言語明瞭、意味不明瞭」コメントのせいかな。まあ、生放送だから、こういうことは仕方がないのだろう。ものわかりのいいゲストは、そんなふうに総括する。

 新大阪駅でのタクシーの乗り降りにしか大気と触れる機会はないのだけれども、その時に感じる暑さは半端じゃない。気温が高いだけでなく、湿気も多い。「ウエークアップ」のスタジオが熱くなったのは、外の暑さの反映かもしれない。

 ツイッターには、テレビ出演後の恒例として、私の「外貌の様変わり」のコメントが飛び交う。「えっ、この人浅野史郎だったの。宮城県知事してた頃と比べ外見がすごく変わったなぁ。びっくりした」、「浅野史郎って、どこか悪いのか?」、「浅野史郎・・・劣化が激しい」。未明の1時過ぎのフジテレビの番組(録画)に出演していた私を見てのコメントもある。「浅野史郎の見た目がめっちゃ変わったと思ったら、病気だったのか」、「浅野史郎の髪の毛がないことにビックリしすぎて、内容が全然はいってこない」などなど。はじめは面白がって引用していたが、もうこれぐらいにしておこう。


2012.8.16(木)

エルヴィスの命日に    

 早朝6:12、TBSラジオ「おはよう一直線」に電話出演。10分間だけの出番なので、あれもこれもとはいかない。尖閣列島、竹島の問題が相次いだ時期でもあり、話題はこれに集中。お互いに冷静に対処すべきである、外交についての専門家による研究機関を持つことが必要、日本の政権が不安定であることの足下が見られているといった、常識的なコメントとなる。

 毎日新聞の高橋咲子記者からの電話で、書評欄へのコメントの寄稿の依頼があった。エルヴィス・プレスリーのことを知るのに役に立つ本を3冊紹介して欲しいというものである。手元には、それにふさわしい本が2冊だけあるが、それだけでは不安なので、松井裕香さんに助けを求めた。松井さんは、エルヴィスのファン歴は私より短いのだが、その熱烈度ははるかに高い。端的に「ステージが上」ということ。候補になるような本を何冊か持っているということで、送っていただくことになった。「今日は、エルヴィスの命日ですし、ヴィデオを見ていたところ」と言われて、「あっ」と思ってしまった。なんということだろう。すっかり忘れていた。私の「ステージの低さ」を象徴する間抜けなできごとである。高橋咲子さんに電話して、「命日に原稿依頼があるなんて、不思議な縁ですね」と、今日が、1977年に42歳で亡くなったエルヴィスの命日であることを伝えた。彼女も、今日が命日だということは知らなかったらしく、この日にエルヴィスに関する原稿の依頼をした偶然に驚いていた。

 これは、エルヴィスのアルバムを聴きながら書いている。私家版の「シローの選んだベスト25 Shiro Asano Presents My Favorite Elvis Songs」である。いつもと違って聴こえるのは、左耳の聴こえが最低レベルだから。横浜労災病院の耳鼻科で治療を受けたのは昨日のこと。右耳の聴こえは回復したが、それまでは健全だった左耳の聴こえが悪化した。つまり、右左の耳の聴こえが逆転したのである。日程を見て、早めに再受診に赴かなければならない。

 そういった聴こえの状態ではあるが、流れてくるエルヴィスの歌声に改めて聴き惚れる。全世界のエルヴィスファンが、今日は同じ思いでエルヴィスの歌声に涙し、ライブパフォーマンス(のヴィデオ)に感動していることだろう。亡くなって35年経っても、エルヴィスは永遠である。


2012.8.15(水)

終戦記念日    

 朝から蒸し暑い。そんな中の散歩で、往路で汗をかいてしまう。岸根公園でのラジオ体操、足の屈伸のところでは、膝のところが汗で長ズボンにひっついてしまい、うまく曲げられない。今日のラジオ体操の巡回会場は、福岡県太刀洗町。戦時中、太刀洗飛行場があったところ。特別操縦見習士官として、ここで操縦訓練を受け、沖縄戦での特攻に向かった。終戦記念日の巡回会場として大刀洗町を選んだのには、そんなこともあったからだろうか。そんなことも考えながら、10分間のラジオ体操をみっちりやって、散歩の後半に移る。18分+16分29秒。

 終戦記念日である。なぜ日本は、勝てる見込みもない無謀な戦争を始めたのだろうか。アメリカからの最後通牒(ハルノート)にある「中国大陸、仏領インドシナからの日本軍の全面撤退」は日本としては、絶対に受け入れられない。ここまで行けば、引くに引けない。しかし、その前に、「満州は日本の生命線」の「論理」に乗っての中国侵略がある。この「満州は日本の生命線」は、「原子力発電はやめられない」と同じ論理ではないだろうか。「日本の農村の窮乏の打開のためには、新天地満州に活路を求めるしかない」というのが、「原発廃止による電力不足で、日本の企業は打撃を受け、国民生活の便利さも犠牲になる」という理屈と重なって見える。満州に乗り出す前に、窮乏に耐える、日本国内だけで解決するという選択肢はなかったのだろうか。一方、「原発再稼動反対」を掲げる人たちは、電力不足の「耐乏生活」を受け入れる覚悟があるようだ。「たら、れば」ではあるが、当時の国民がぎりぎりの「耐乏生活」を耐え忍ぶことを選択すれば、満州進出もなかったし、その後の開戦もなかったのではないか。

 ミッドウエイ海戦での大敗北で、日本の勝ち目がなくなったことは、大本営でもわかっていただろう。南洋の島々での「玉砕」は、決して戦況打開には結びつかないことは、誰の目にも明らかだった。この時点で、降伏する選択はなかったのだろうか。せめて、広島、長崎への原爆投下の前に降伏していれば、大きな犠牲は免れたはずである。戦争を起こしたこと、戦争に負けたことの責任は問えなくとも、終戦時期をこれだけ遅らせたことの責任は問われるべきである。終戦記念日に、そんなことを思う。

 この1週間ほど、右耳の聴こえが悪い。横浜労災病院の耳鼻科の外来に飛び入り受診。定例外来の渡邊彩先生でなく、竹村栄毅先生に診てもらった。外耳に炎症を起こしていて、その部分に耳垢がたまり、外耳を塞いでいる。それが器械で吸い取られる治療は厳しい。「痛い、痛い」と何度も声に出てしまう。渡邊先生、その前の鈴木先生は、こちらが「痛い」というと、「ごめんなさい」といって、治療をやめてくれた。竹村先生は、私の「痛い痛い」は無視して、ひたすら吸引を続ける。久しぶりに痛い思いをしたが、聴こえは戻った。竹村先生は、耳鼻咽喉科の部長先生である。なるほど、腕に自信、態度に威厳がある。患者の「痛い痛い」より、治すことが先決。納得し、感謝感謝の診療であった。  


2012.8.14(火)

戦い済んで日は落ちて    

 朝、散歩に行くつもりで起きてみたら、外は小雨模様。今日はお休みということにして、それから1時間近くベッドの中でダラダラ。

 ロンドンオリンピックが終わって、テレビでは「振り返って」という特集を競って報じている。感動場面だけでなく、笑いを誘う「こんなことも」の場面も。最初のうちは、それなりに面白がって見ているが、どこも同じような内容の繰り返しで、見るのはやめてしまう。オリンピックの各種競技では、勝者は雄叫びを上げ、敗者はうなだれる。戦いが済めば、みんなが勝者である。真剣に戦った記憶だけが残り、それを見たものすべてに感動を残して、日は暮れていく。次のリオデジャネイロでまた会おう。

 開催前には、ひそかに、テロの心配をしていたが、その兆候すらなかった。過激派が自重したのか、警備が厳重だったからか。いずれにしても、何事もなく済んでよかった。1972年のミュンヘンオリンピックの際に、イスラエル選手団の選手村がパレスチナゲリラに襲撃され、人質になった選手全員が命を落とした。私がイリノイ大学に留学して、寮に入室してラジオをつけたら、アナウンサーが試合中継には似つかわしくない緊迫した調子で報道していた。英語がよく聴き取れず、最初はなんだかわからなかったが、テロだと知って驚いたのを思い出す。今回のオリンピックは、「平和の祭典」にふさわしい、すがすがしい大会だったことは、記憶に残しておこう。大会関係者の努力を称えたい。  


2012.8.13(月)

若さに脱帽    

 散歩に出るべく外に出たら、日の光が強い。真夏の暑さである。岸根公園で、今日の放送の巡回先である熊本県阿蘇市からの実況に合わせてのラジオ体操に参加。小学生二人も毎日来ているらしく、体操も板についてきた。自分のおじいさん、おばあさんの年齢の人たちとラジオ体操を続けたことは、夏休みのいい思い出になることだろう。私の場合は、何十年前の思い出を引っ張り出して、ラジオ体操を追体験しているようなもの。その一方で、明日に向かっての体力づくりという思いもある。「残っている明日」は、あまり長くないなどと言うなかれ。だからこそ、体力よ戻れ、筋力よ戻れと掛け声をかけながら、体操に勤しみ、散歩を続けているのだから。

 午後から、角廣志氏が来宅。私が環境庁に勤務した頃からの付き合いだから、ほぼ40年になる。先日、知事、市長8人を集めてのシンポジウムでコーディネーターを務めたが、そういった企画を「ふるさとテレビ」の役員として進めているのが角さんである。今日は、森林を利用しての「水と緑の連携プログラム」を実施する自治体を探しているということで、相談に来られた。私としては、何にも力になれないが、角さんのいまだ衰えぬ行動力と使命感に感心しつつ、お話を聞かせていただいた。「いまだ衰えぬ」というのは、角さんが来年は70歳になることを思ったからである。見た目も、精神もとてもそんな年とは思えない。その若さに脱帽である。  


2012.8.12(日)

オリンピック閉幕    

 夏休みモードで、時間的に余裕のある生活を送っている。気持ちの上でも余裕を持つには、「締め切りのあるノルマは解消」という状態にしておかないといけない。10月11日に公務能率研究会で講演の予定があるが、その講演のレジュメを送って欲しいとの依頼が2日前に入っていた。締め切りは9月20日とだいぶ先であるが、「ノルマは解消」の原則にしたがって、今日午前中の仕事として完成した。ノルマなし、宿題終了というのは、やはり気分がいい。

 気分のいいのに乗って、「海の史劇」(吉村昭著 新潮文庫)の読み残しを一気に読む。日露戦争を記録文学として描いたものである。ロシアのバルチック艦隊の大長征、迎え撃つ東郷平八郎連合艦隊司令長官の水際立った作戦による大勝利に終わる日本海海戦を軸として、詳細、克明に描く。ロシアとの講和条約締結を「弱腰外交」としていきり立ち、日比谷焼き討ちに興奮する国民の姿、ロシアの捕虜を礼を尽くして遇する国民の姿の対比が、心に残る。この部分が、後半4分の一を使って丁寧に描かれている。オリンピックのサッカーで、男女とも善戦する姿に喝采を送る日本国民、無敵スペインを破った男子チームに驚き、賞賛を送る外国のサッカーファン。日露戦争で、強国ロシアを打ち破った「黄色い肌のアジアの小国」が強国ロシアを打ち破った時の日本国民の歓喜の波と諸外国の驚嘆の声とがダブって見える。それとは別に、この日露戦争での勝利が、次の無謀な戦争へと導いていくことが、この小説を読んで、改めて浮かび上がってくる。

 ロンドンオリンピックの最終種目、男子マラソンでは、奇跡はおきなかった。中本の6位入賞は、「よくやった」というところだが、メダルには及ばない。日本人選手が、レース前から「入賞を目指します」というのでは、勝てるはずがない。世界のトップランナーとの実力の差はいかんともしがたい。黄色い肌のひ弱な日本人選手が、世界を驚かすことにはならなかった。これで、日本全体を熱狂と不眠にさせたロンドンオリンピックも無事終了。明日からは、何に熱狂するのだろう。


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