浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 12月第1&2週分          

2012.12.8(土)

首相候補は誰?

 午前中に、毎日新聞の清水健二記者の取材を受ける。東京都知事選挙について。2007年に都知事選挙に立候補したこと、それに先立つ12年間の宮城県知事時代のことを思い出しながら、清水記者相手に語っているうちに、結論らしきものに収斂していった。「東京都も地方自治体である。都知事選挙は、地方自治体のトップを選ぶ選挙である。都政における喫緊の課題である防災対策、高齢化問題への対応について、候補者は語らなければならない。『日本の顔』を選ぶのではない。都政をしっかりと進めていく人材を選ぶ選挙である」といったところ。取材で、記者相手に話しているうちに、自分の考えがまとまっていく。この経過を、ソクラテスの哲学が、対話を通じて真実に迫るというのになぞらえるのは、とんでもない飛躍ではあるが、「対話を通じて」ということだけは、私の取材の場合にもあてはまる。

 衆議院議員選挙公示後、初めての週末である。選挙期間は、残すところ1週間。各党の代表の街頭演説にも熱がこもる。その代表のことであるが、政党の代表は、本来、次期首相候補である。日本未来の党の嘉田由紀子代表、新党大地の鈴木宗男代表は国会議員でないので、首相にはなれない。日本維新の会の石原慎太郎代表は、記者会見で「日本維新の会の首相候補は誰か」と訊かれて、「平沼赳夫」と答えている。衆議院選挙終了後の特別国会での首班指名選挙で、これらの党の議員は、誰の名前を書くのだろうか。そもそも、今の時点で、「我が党の首相候補はこの人」ということが有権者に示されていなければならない。日本未来の党の首相候補は誰なのだろう。それを特定しないで、衆議院選挙に臨んでいる政党がある。そんな選挙があるものか。これをおかしいと思わない人たちがいるのが、とてもおかしい。

 今日は、太平洋戦争が始まった日である。日本は、なんたる無謀な戦争に突入したことか。精神力だけで勝てるはずがない。当時の列強国に追い込まれて、やむにやまれずの開戦だなどという言い訳は通らない。開戦の決断をした会議の様子が、明らかになっている。誰も責任を取らずに、なし崩し的に開戦が決まった。その結果として、230万人の軍人・軍属・準軍属が戦死し、80万人の一般人が死亡した。あの戦争は何だったのか、なぜ無謀な戦争に突き進んでいったのか。そのことへの真摯な反省もないままに、歴史は風化し、事実は忘れ去られようとしている。そんな中で、「自衛隊を国防軍に」、「日本の核武装のシュミレーションぐらいしてもいい」といった発言が、政党の代表から飛び出す。簡単に忘れ去ってはならない国の歴史がある。開戦記念日に、そんなことを考える。


2012.12.7(金)

「ぷれジョブ藤沢」の一日 

 午前中、辻堂駅近くのFCCという会社を訪問。FCCの深澤正司社長とは、神奈川県中小企業家同友会で仲間同士の鈴木暢ハートピア湘南所長のご紹介で、今日はご同行いただいた。「ぷれジョブ」の概要を私から改めて説明させてもらい、「ぷれジョブ藤沢」の第3号の事業所を引き受けてくれることになった。「ジョブサポーターは、近所の普通のおじさん、おばさんがいいですよ」との私の説明に応じて、早速、近所をあたってみるとのこと。深澤社長は飲み込みが早いし、前向きなのが、とてもうれしい。早ければ、今年中に第3号スタートとなる。「今年は一つ発足できればいいや」として始めた「ぷれジョブ藤沢」だが、年内に3号までいけたら、快挙である。(「ぷれジョブ」にご興味のある方は、ネットで「ぷれジョブ」を検索していただければ、情報が得られます。――筆者注)

 16時半にワキプリントの会議室で開催の「ぷれジョブ藤沢定例会」まで時間があるので、SFCの研究室でひと仕事する。辻堂からSFCまでは、鈴木さんに車で送っていただいた。道々の車内での会話で、鈴木さんが母親と一緒に、藤沢の地で障害者の小規模作業所を始めて、今は社会福祉法人となり、社会就労センター「ハートピア湘南」として活動を広げていること、富士山を毎日見て育ち、富士山大好き人間であることなどを聞き出した。車(「ハートピア湘南」のバン)のナンバーは、なんと「3776」である。

 16時半、ワキプリントピアで「ぷれジョブ藤沢」の定例会。毎月第一金曜日に開催しているので、今年最後。そして、「第一号」の内海隼吾君にとっても、最後の定例会である。「ぷれジョブ」では、事業所に通うのは6ヶ月と決まっている。来月からは、別の事業所に通うことになるのだが、隼吾君は、来春、養護学校高等部を卒業するので、別途「就活」に入る。早手回しだが、12月21日付の「修了証書」を「ぷれジョブ神奈川」代表の私から「内海隼吾殿」に渡した。定例会が終わって、「第2号」の武藤俊樹君とお母様と一緒に、毎回定例会にオブザーバーとして参加している鈴木さんのバンで湘南台駅まで送っていただいた。その車が、17時18分には、信号待ちのvanが、地震で大きく揺れた。


2012.12.6(木)

今日も富士山 

 読売テレビ「ミヤネ屋」出演のため、大阪へ。新幹線の新富士駅付近から、雄大な富士山が見えた。光子も、「今日の富士山は冠雪のバランスがいい」と感心するほどの素晴らしい山容であった。なんだか、もうかった感じである。

 番組は、中村勘三郎さん逝去に関連するビデオが30分ほど。残念だ、歌舞伎ファンだけでなく、多くの人が早すぎる別れを悲しんだ。日本人全体として、大事な方を亡くしたという思いがする。歌舞伎という伝統を守りながら、新しいものにも挑戦した勘三郎さん。57歳での逝去は、確かに、早すぎる。しかし、勘九郎、七之助という立派な後継ぎを育てたということには、間に合ったのである。親子の強い結びつきがすごい。歌舞伎界においては、世襲こそが伝統を伝える最良の作法ということを知る。選挙の際の世襲や、北朝鮮での指導者世襲とは、わけが違う。何百年後にも残したいもの、富士山のほかに、歌舞伎がある。

 番組では、ニュージーランドに渡った日本人の羊の毛刈り(シアラー)の紹介に結構長い時間かけていた。私の発言機会は、番組全体で1回だけだったが、ゆっくり番組を楽しむことができた。たまには、こういうことがあってもいい。

 横浜に戻ってきたら、北風が吹く寒い夜だった。明日の朝も冷えるのだろうな。しばらく、散歩はお休みである。


2012.12.5(水)

学生のプレゼン 

 SFCに向かうタクシーの中から、巨大な富士山が見えた。「巨大な」というのも変な形容だが、実感としてはそうなる。久しぶりの富士山は、雪化粧が映える。これも「化粧」というのが表現としてはぴったり。息を飲むような光景である。帰りのタクシーの運転手さんから、SFCキャンパスから1キロほど先にいったところが、一段と高くなったところで、そこから見る富士山がまさに絶景だと教わった。今度SFCに行く時には、そこまで足を伸ばして、その「絶景」をぜひ見たい。

 「政策法務論」は、グループワークの発表。グループといっても、最大3人。パートナーが欠席気味で、ソロワークになった学生もいる。今日の発表は、1チームだけ。「大都市地域における特別区の設置に関する法律」の内容と制定過程について。なかなかいい出来の発表である。ギャラリー(聴き入る学生たち)の評価も高い。「よく作りこんである」、「パワーポイントもレジュメもわかりやすい」などのコメントがあった。メンバーの一人、4年生の簑島淳一君は、「浅野先生の前でプレゼンするという4年越しの宿願がかない、感激です」という感想を残した。簑島君が1年生の時、私の担当する「未来構想ワークショップ」を履修していたが、その授業でプレゼンをする前に、私のATL発症で休職してしまった。「感激です」というコメントに、私のほうが感激である。  


2012.12.4(火)

衆議院議員選挙の公示日に 

 SFCでの授業は、「地方自治論」から。第10回目のテーマは「地方自治体の危機管理」ということで、災害対策、不祥事対応について講義した。いずれも、私が宮城県知事のときに、実際に直面した問題であるので、79名の出席学生は興味深げに聴いてくれる。

 午後からの「障害福祉研究会」は、学生グループによる調査・研究の発表。今週から、毎回4グループずつ、3週間続く。今日は第一弾なので、学生も緊張気味である。発表に聴き入る他の学生には、それぞれのグループの発表の出来を○?△で評価してもらう。その集計結果は、来週の授業において発表する。今日の4チームの私の評価は、決して高くはない。まだまだ改善の余地あり。だからこそ、こういう発表をやらせている。適宜、厳しい評価のコメントを返すつもりである。

 衆議院議員選挙が、今日、公示された。16日投票日に向けて12日間の選挙戦が始まる。12党が乱立する選挙であるが、報道するにあたっては、公平を期さなければならないのだから、テレビ局は神経を使う。「我が党の報道時間が、他の党より5秒短かかった」と文句をつけられることが、実際にあるらしい。

 NHKの「党首に問う」という番組を見た。安倍晋三自民党総裁、山口那津男公明党代表、野田佳彦民主党代表の答えぶりは、見事なものである。石原慎太郎日本維新の会代表の対応ぶりを聴いていたら、「おやおや」と思ってしまった。「原発ゼロなんて、CO2排出対策どうするのか。太陽光発電で電力需要に応えられるはずがない」という発言は、本来の日本維新の会の公約を完全に否定することにつながる。(橋下代表代行は、「『2030年代までにフェードアウトする』は公約ではない」と弁明し、「原発を何年にゼロにするという話ではない」というところまで「後退」しているにしても、日本維新の会の公約と石原発言とは相容れない)。「TPPなんて、アメリカから遺伝子組み換えの野菜が入ってくるのを止められなくなることにつながる」という発言は、どう考えても「TPP参加反対」としか聞こえない。

 「大同で一致すればいい、小異はどうでもいい」という石原氏の考え方に基づいて、日本維新の会と太陽の党が合流したのだろうが、原発政策とか、TPP加入問題といった「小異」に属する問題は、合流するにあたって、日本維新の会と本気ですり合わせをしていないこと、少なくとも、石原代表がそのすり合わせに主体的には関わっていないことを露呈した今日の発言である。大事な公約が、石原代表によって、ことごとく否定され、後退させられる。選挙戦において、日本維新の会としては、「自分たちの公約はこういうことだ」ということが言いにくくならないだろうか。少なくとも、有権者の目には日本維新の会の公約が揺らいでいることは明らかとなる。昨日の日記で、日本維新の会と太陽の党の統合の修正計算は「1+1=0.9」と書いたが、今日の石原代表の発言を聞いたあとには、「1+1=0.7」ぐらいに暴落してしまった。


2012.12.3(月)

衆議院議員選挙の告示前夜 

 久しぶりに、何の日程も入っていない一日。5日が締切の「アサノネクスト」(月刊「ガバナンス」連載)の原稿を書く時間がやっとできた。「ガバナンス」1月号の発売日には、新政権が発足しているはずである。「新政権に望むもの」として、選挙時の熱狂、興奮から早く自由になること、誤った政治主導に陥らないこと、新首相は4年間きっちり務め上げることの3点を挙げた。今回は締切ぎりぎりになってしまった原稿を送ることができて、さすがにほっとした。

 明日は、衆議院議員選挙の公示日であるが、ぎりぎりまで、政党間でどこと一緒になるかといった調整が行われている。最終的に、12の政党が「乱立」する選挙になるようだが、こんなことは、今までなかった。これからもないだろうから、まことに珍しい選挙になる。

 「どこと一緒になるか」という流れの中で、日本維新の会の勢いに陰りが出ている。太陽の党を取り込んだことで、有権者にとって一番の魅力だった純粋性が失われた。掲げる政策も後退したり、あいまいになったり。「企業・団体からの政治献金の禁止」を棚上げにしたのは、日本維新の会の存在の根幹に関わる。太陽の党のメンバーを取り込んだ時点において、この根本政策の棚上げは避けられなかった。日本維新の会としては、太陽の党と一緒になることによって、1+1=3ぐらいの効果を期待していたのかもしれないが、どうも1+1=0.9ということになるのではないか。石原慎太郎さんの人気をあてにするあまり、「最後につまずいた橋下さん」ということにならなければいいのだが。


2012.12.2(日)

小児血液・がん学会  

 朝から、パシフィコ横浜での「第54回日本小児血液・がん学会」に参加。この会の会長は加藤俊一東海大学医学部教授、仙台二高の高校生のときの私の最も親しい友人である。しかも、小児白血病についての学会であるのだから、私としては、是非にでも参加すべきものである。「ATLのサバイバーとして」という題で、1時間お話する機会をいただいた。その後、公益法人「がんの子どもを守る会」が主催の公開シンポジウムで、加藤俊一さん、大谷直子さんとの20分の鼎談もやらせてもらった。菊間千乃さんの司会により、田村元延さん(15歳で罹患した白血病を克服)によるラートの実演、骨髄移植を受けた子どもや家族からドナーさんへのお手紙の朗読(東ちづる、間寛平、市川團十郎さんなどによる)のVTR放映、今陽子さんによるミニコンサートなど、盛りだくさんの企画を楽しませてもらった。いずれも、心に響く内容である。

 終了後は、クイーンズスクエア内のお店で、在京一八会(仙台二高第18回卒業生の集まり)で、14人の仲間とのお食事(飲み会)。学会の後始末を終えて、加藤俊一君も遅れて合流するなど、なつかしい仲間との飲み会は、大いに盛り上がり、楽しい一日の締めくくりとなった。


2012.12.1(土)

長崎にて  

 朝から「トップセミナー」に参加。今回のセミナーは、社会福祉法人南高愛隣会の設立35周年記念としての開催である。冒頭、田島良昭理事長からの開会挨拶は、法人の35年の活動を振り返る内容であった。昭和62年(1987年)10月、厚生省障害福祉課長になって10日目に、私のオフィスにやってきた田島さんと初めて会った。以後、障害福祉の仕事の先輩として、良き仲間として、田島さんとの付き合いは25年になる。平成5年(1993年)宮城県知事になった私からの依頼で、田島さんに宮城県福祉事業団の副理事長(のちに理事長)に就任してもらった。私の知事辞任までの12年間、田島さんを長崎の南高愛隣会から無理やり引き離してしまったわけで、今更ながら、申し訳ない思いである。そんなことを思い浮かべながら、田島さんの力強い挨拶(というより、講演)を聴いていた。

 田島良昭理事長の挨拶の次は、「ようこそ長崎へ」という田島光浩常務理事の挨拶。午後からの「AI―ACTの取り組みの成果と課題」という講演も、光浩さんが担当した。重い精神障害のある人たちの地域での暮らしを支えるプログラムであるACTについて、精神科医として実際に活動に関わっている立場からの、とてもわかりやすい講演であった。「田島さんは、いい息子を持ってよかったな」と思いながら、講演に聴き入っていた。

 今回のセミナーのテーマは、精神障害者の地域生活を進めるための「医療と福祉の有機的連携を目指して」というもの。田島光浩さんの講演に続いてのパネルディスカッション「障がいのある方々が地域で安全に暮らすためには」には、私も助言者として参加。ファシリテーターの大熊由紀子さんの見事な司会ぶりに乗って、全国在宅療護支援診療所連絡会事務局長の太田秀樹氏、日本精神保険福祉会会長の柏木一恵氏、日本精神科看護技術協会会長の末安民生氏、日本作業療法士協会副会長の山根寛氏が、これまた見事な議論を展開する。医師、看護師、精神保健福祉士、作業療法士が、それぞれの立場から、精神障害者の地域生活を支えるための方策について語り合うのは、実に迫力ある場面であった。こういう場に私も加えさせてもらったのは、とてもうれしいことである。

 夜には、いくつかの分科会、翌日には魅力的なプログラムが用意されていたが、今日中に横浜に帰る日程のため、それに参加できないのが残念。そんな思いを残しながら、長崎空港から帰路についた。  


以前のジョギング日記はこちらから

 



TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org