浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 1月第3週分          
2013.1.18(金)

橋下市長の猛進 

 昨日の日記にグダグダ書いた原稿やり直し。今朝方無事完成して主催者に送付した。一件落着で、まずはほっとする。目の前の懸案がなくなった。SFCでの二つの授業でレポート提出を課しているが、提出期限がそれぞれ来週火曜日と水曜日である。これまでの例では、締切ギリギリにどっさり送られてくる。次の懸案というか仕事は、それらのレポートを読んで採点すること。どんなレポートができたのか、読むのか楽しみである。作業は決して苦痛ではない。

 橋下大阪市長の桜宮高校を巡る発言が気になって仕方がない。体育科2年の生徒が顧問から体罰を受けて自殺した問題である。橋下市長は、市教委に対して、同校の体育科とスポーツ健康科学科の入試の中止を求めたが、これはいくらなんでもやりすぎである。受験準備をしている生徒の戸惑いは、いかばかりだろう。それが気になる。

 さらに気になるのは、2学科の入試を中止しなければ、入試に必要な予算支出を認めないという発言である。「予算執行権は僕にある」ということも付け加えている。市教委や中学校長会が反対しようとも、世論が「やりすぎだ」と批判しようとも、自分の考えを通すために、予算執行停止という手段に出る構えである。

 宮城県知事時代に、県警の予算執行を停止したことを思い出す。2005年度の県警の捜査報償費予算である。捜査に協力した市民に対して支払われる謝礼は捜査報償費から支出されるが、実際にはそんな協力者は存在せず、捜査報償費は裏金になっている。そう信じるに足る材料を私は多数持っていた。県警に対しては、捜査報償費の執行状況について捜査員から聞かせて欲しい、予算執行の書類を見せて欲しいと何度もお願いしたが、県警は全く応じない。「それならば、捜査報償費の予算執行は停止する」として、実際に執行を停止した。

 この措置は、県警への脅しでもないし、罰として課したのでもない。適正に執行されているかどうかわからない予算を執行するのは、予算執行権者としての知事の責任問題となる。県警側から「このように適正に執行されています」という説明がなされない限り、知事が予算執行することは許されない。県税を負担する納税者に申し開きができない。だから、執行停止にしたのである。

 入試実施のための予算の執行を停止することは、市長の権限であるとしても、自分の考えを押し付けるための方策として行使するのは、正しくない。権力の濫用と批判される余地がある。教育委員会の首長からの独立性にも関わってくる。問題解決を急ぐ気持ちはわかるが、猛進してはならない。受験準備中の中学生の困惑を考えれば、自分の考えの押し付けはできないはずである。この際、橋下市長には、みんなが納得するような別な方策を探りながら、冷静な対応を求めたい。


2013.1.17(木)

原稿やり直し  

 講演記録の原稿起こしに、半日関わっていたが、今日中には、ついに完成できなかった話。

 昨年の7月に「いきいきと生きる」という演題で講演をした。その講演内容を文字起こししたものが、昨年10月頃に送られてきた。「これに手を入れてください」という依頼つきである。講演内容を主催者発行の「紀要」に掲載するとのこと。ざっと見て、これは相当に直さないといけないことがわかり、その作業の大変さに怯えてしまって、なかなか手がつかなかった。先方の「締切はずっと先ですから、ごゆっくりどうぞ」という言葉に甘えていた。  気持ちを奮い立たせて、作業に取り掛かったのが昨年末。手直しでは間に合わないほど、文字起こしの原稿がひどい。ひどいのは文字起こしの仕方ではなくて、私の講演のまとまりの悪さ、話し方の冗漫さのことである。このまま載せたのでは、恥ずかしい。全面的に書き直さないといけない。全体の半分近くまで完成したところで正月休みが入り、他の仕事も入って中断した。

 4日前、それを再開しようとしたのだが、これまでの原稿がパソコンから消えていたのに気がついた。消えたのではなく、誤って削除してしまったらしい。がっくりきて、やり直す気力をなくしてしまった。  がっくりきていたのは2日間だけ。昨日から気を取り直して作業再開し、なんとか半分完成した。今日で全部完成のつもりだったが、集中力を切らしてしまい、あとわずかのところで明日回しになってしまった。

 以前にも、1年分の読書日記を間違って削除してしまったことがある。それ以来、読書日記を書くのはやめてしまった。今回は、めげずにやり直したのだから、なかなかえらい。こういった経験をした人が、他にもきっといると思いながら、つまらないことをグダグダ書き連ねてしまった。


2013.1.16(水)

アベノミクスへの危惧  

 午後から、「ぷれジョブ藤沢」の1月定例会で藤沢市石川の「ワキプリントピア」へ。第1号の内海隼吾君は、ワキプリントピアでの6ヶ月の研修を終えて卒業となった。今日の出席は、第2号の武藤俊樹君とお母さんの靖子さん、俊樹君のジョブサポーターの小林恵里菜さんが本来のメンバー。隼吾君のジョブサポターを卒業した林圭佑君も、特別に参加してくれた。オブザーバーとして参加した新保隆さんは、第3号のジョブサポーター候補。第3号の研修生候補の香川まほさんのお母さんもオブザーバー参加。同じく第3号のジョブサポーター候補として、「障害福祉研究会」の高橋理恵さんも参加してくれた。だんだんに、ぷれジョブが広がっていく予感がする。

 安倍内閣による補正予算案では、いろいろな施策が講じられている。アベノミクスの三本の矢、金融緩和、財政出動、新分野への投資のすべてが、予算に反映されている。いろいろまぜこぜだから、アベノ「ミックス」である。

 それはともかく、一番気になるのは、財政出動である。野田政権下の予算で、44兆円を国債に頼っているのにも危機感を覚えた。それなのに、来年度はこれが52兆円になる。その政策選択が、いとも簡単になされているのが気になって仕方がない。財政規律が緩むという心配もあるが、若年層への配慮が全くない政策であることを危惧している。

 先行きの借金返済にあたる主力は、現在の若い人たちである。参議院議員選挙では負けられないと強く意識している自民党政権も、若い人たちを怒らせることは気にならないようだ。怒らせてはいけないのは、高齢者層と思っている。数も多いし、投票率も高いのだから、高齢者層の意を迎えるような政策を採らないといけない。一方、若年者層については、「どうせ投票率が低いんだから、若者のことは気にしなくていい」と見透かされている。20歳未満の若者には、そもそも投票権がないのだから、気にするまでもない。まだ生まれていない次世代のことなど、放っておいていい。

 こんなことで、国債依存の引き上げが、気軽に行われるのは問題である。だからこそ、アメリカのように、法律で借金の上限を決めるという手段が取られる必要がある。政治的には、国債増発にはほとんど歯止めがかからないから、どうしても法律上の制約を課さないと、とんでもないことになる。


2013.1.15(火)

心臓検査  

 7年ぶりに首都圏を見舞った大雪による積雪が残る中、六本木の心臓血管研究所附属病院へ。がんセンターでの前回の診察の際に、田野崎先生から心臓を詳しく診てもらうようにという指示を受けた。田野崎先生から旧知の澤田準先生を紹介していただいて、今日の検査・診察に至った。

 胸部レントゲン、心電図、心エコー(超音波検査)を受け、澤田先生の診察を受ける。検査結果の精査をしないとはっきりしないが、何か大きな問題があるようではないとのこと。こちらも、念のため診察とは思っていたので、余裕をもって臨むことができた。新しくて、すっきりシンプルな病院設備に感銘を受けたのは、その余裕があったからのこと。

 今日も数通の寒中見舞いが届いた。それぞれに、近況や私へのメッセージが自筆で書かれているのは好ましいし、うれしいものである。三が日にいただいた年賀状には、「明けましておめでとう」としか書かれていないものが多かったので、少し寂しい思いをしていた。心のこもった寒中見舞いが、なおのことうれしい。


2013.1.14(月・祝)

大雪だ  

 朝から「雪が降ってきた ほんの少しだけーれど」と窓の外を見ているうちに、牡丹雪が大量に降ってきた。いつまでも降り止まず、10センチ以上降り積もってしまった。電車は止まるし、羽田空港のすべての発着便は運行休止となり、交通は大混乱。今日の成人式は散々。せっかくの晴れ着が雪まみれ。足元はぐちゃぐちゃ。一生忘れられない思い出ができたと達観するしかない。でも、彼らの身になれば、かわいそう。

 私が成人式を迎える頃は、大学3年生。東大紛争の真っ只中で、大学は開店休業状態だし、何をするでもなく、ただただ無為に過ごしていたような記憶がある。成人式にも出ていない。「そんなものがあるんか」と全く無頓着。早くほんものの大人になりたいとばかり思っていた。私の成人式は、厚生省に入省した当日、22歳の4月1日だった。

 書斎の窓から、降りしきる雪を横目で見ながら、原稿書き。「自治日報」2月1日号の原稿を、「地方自治と民主主義」というテーマで書いた。先日の「地方自治論」の試験問題のようなテーマだなと思いつつ、すらすらと書き上げた。仕事はこれだけ。

 夜は、日本テレビで「はじめてのおつかい」を見る。昨日は「おしん」の再放送6回分と都道府県対抗女子駅伝をたっぷり堪能し、今日は大好きな「はじめてのおつかい」をゆっくりと楽しむ。「おしん」では同情の涙、駅伝では感激の涙、「おつかい」では健気さに涙。私の大好きな番組の視聴が続いた。


2013.1.13(日)

豊かさと「おしん」  

 うららかな日曜日。天気予報では「三月上旬並みの気温」と言っていた。思い立って15時過ぎに散歩に出かける。ゆったりペースで岸根公園まで歩き、ひょうたん広場一周730mも周回。びっくりするほどの人が出ている。ひょうたん広場だけで、無慮二百人いじょう。キャッチボール、サッカー、バドミントン、フリスビーと思い思いの楽しみ方である。風がない中、凧揚げの凧はちゃんと揚がっていた。子どもたちの姿が目立つ。少子化の言葉はここでは通じない。なんとのどかな景色だろう。平和な情景だろう。突然に、日本の豊かさを感じてしまう。

 唐突に「豊かさ」などというのは、午前中にBSNHKプレミアムで「おしん」の第7回から第12回まで見たからかもしれない。先週から、日曜日の10時―11時半、一回に一週間分6回の再放送が始まった。

 ほんの百年ほど前の日本、特に農家は貧しかった。「口減らし」のために、おしんは数え年7歳で奉公に出される。筏で最上川を下って奉公先に向かうおしん、川岸から追いかけていく父親作造(伊東四郎が好演)のシーンでは涙、涙である。奉公先でこき使われるおしん。吹雪の中、川でおしめを洗わされる場面では、「かわいそう、かわいそう」の声が漏れる。小林綾子演ずるおしんが健気で、かわいくて仕方がない。「大変だな、かわいいな、えらいな」と、テレビのおしんに声をかける。

 年間に2000万トン、11兆円分の食料を廃棄している飽食の日本では、大根めし食べられるだけでもありがたいという生活は、想像もできない。電気洗濯機、掃除機、エアコン、パソコン、大型テレビ、携帯電話、モノがあふれている。川でおしめを洗濯、学校に行きたくても行けない子ども、口減らしのための奉公、などなど。「おしんのしんは、辛抱のしん」、耐えるということの大事さ、貧しかった日本、忘れてはならないことが「おしん」には一杯詰まっている。何よりも、小林綾子のひたむきな演技に魅せられる。完全再放送をしてくれるNHKさん、ありがとう。


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