浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 2月第5週分          
2013.2.28(金)

惜別SFC  

 慶応大学SFCへ。光子も同道。7年間使った研究室の片付け。書棚に並ぶ書籍を、自宅に送る、捨てると分類し、それぞれ段ボールに入れる。書類のうち、機密にわたるものは、「溶解」と書いた段ボールに入れて部屋に残す。事務室の方があとで溶解処分をしてくれる。残りの書類は廃棄処分に回す。この日は、12時半から「「政策・メデイア研究科委員会」、17時から「教員会議」、19時半から送別会があり、私は作業ができない。実際の作業は光子が一人でやるはずだったが、たまたま研究室に用事があってやってきた学生の高橋理恵さん、林圭佑君が、作業の手伝いを引き受けてくれたので、なんとか片付けを終えることができた。学生の皆さんには、最後までお世話になった。ありがとうございます。

 私にとっては、最後となる委員会、教員会議に出席。会議終了後、生協食堂で、3月末での退職者の送別会。教職員の皆様をはじめ、慶応大学SFCには、ものすごくお世話になった。7年間の在職中に、東京都知事選挙に出馬したり、ATL発症で2年間休職したりと、多大の迷惑をかけた。白血病の治療では、多額の医療費を慶応大学健康保険組合に負担してもらい、どれだけ感謝しても感謝しきれない。

 SFCで好きなものは、熱心な学生、四季折々の美しいキャンパス、「SFCらしさ」だった、などなど話すことがたくさんでてきてしまった。挨拶を終えたら、同じく退職者の草野厚教授に「浅野さんの挨拶、10分以上かかったよ」と言われてしまった。10分だけでは言い足りないほどに、SFCには思い出が詰まっている。私の人生を変えた経験である。ありがとうSFC,さようならSFC。


2013.2.27(水)

イタリア政局と円高、株安  

 午後から、今回の定年退職に関する諸手続きのために、慶応大学SFCへ。事務室総務担当の池本晶子さんにお世話になりながら、諸手続きを無事終えた。今日に限らず、総務担当の方々には大変にお世話になった。ありがとうございました。

 イタリアの総選挙の結果で、安定政権が樹立できない状況になった。イタリアの財政再建の見通しが遠のいたという見方が広がり、ユーロを売って円を買う動きが急速に進んだ。その結果、対ユーロで急激な円高になり、対ドルでも円高が進んだ。株式市場でも、東証株価が一時280円下落した。その後、円高、株安は収まったが、今後のイタリアの政局によっては、どうなるかわからない。アベノミクスだけで円安、株高になったわけではない。諸情勢による結果でもあるとすれば、諸情勢の動き方いかんでは、後戻りすることもあり得る。そうなっては困るのだが、我々としても、「諸情勢」をしっかりと見守ることが必要である。


2013.2.26(火)

小事件  

 2.26(にい・にい・ろく),3.11(さん・てん・いち・いち)、5.15(ごー・いち・ごー)、9.11(きゅう・てん・いち・いちor nine eleven) のように月日を読み通りに言われる日には大事件が起きている。二・二六と五・一五は、知らない世代が増えている。その二・二六の散歩中に、大事件ではないが、 事件が起きてしまい、ショックを受けている。「事件」といっても、身体、健康に関わるものではない。金銭、犯罪に関わるものでもない。一週間後にならないと、事件の内容は明かせない。思わせぶりでごめんなさい。かなり落ち込んでいる私。

 事件ではないが、午後から、全国骨髄バンク推進連絡協議会の菅早苗事務局長と黒川紀子さんが来宅。骨髄移植のドナー登録を増やすのにも、いろいろ大変なことがある。それに関連したことなど、いろいろお話を聴かせていただいた。

 ボランティア的な活動であるが、こういった運動に関わる人たちには、それぞれ関わるだけの理由がある。「骨髄移植ができなくて命を落とす人をなくしたい」の一念でここまで運動に関わってきた。運動を始めてしまうと、一直線に進んで止まることがない。「立派だな、すごいな、ありがたいな」と、月並みだが感心してしまう。本人たちに、活動を楽しんでいる様子も見られるのが救いである。菅さんは、秋田県の由利本荘市から出てこられて、今晩、寝台車でお帰りとのこと。半端じゃない行動力に恐れ入る。


2013.2.25(月)

日銀新総裁は黒田氏か  

 築地のがんセンターで外来受診。通常であれば、先週の木曜日の受診となるところ、当方の都合で今日に替えていただいた。通常の診察に加えて、肺機能検査、胸部レントゲン、吸引とあったが、待ち時間が少なく、効率的にこなせた。診察結果は、肺機能もレントゲン結果も異常なし。その他の数値も異常なしで、今日も無事合格点である。

 政府は、日銀総裁に黒田東彦アジア開発銀行総裁を起用する方針を決めたとの報道が一斉に出回っている。「事前報道された人事は受け付けない」、「財務省OBはだめ」ということは、民主党も主張しないことになったらしい。インフレ目標論者であることから、安倍首相のおめがねにも叶う人事なのだろう。副総裁候補として名前があがる岩田喜久男氏も同様。

 アジア開発銀行総裁というのは、重要な役職である。その経験を十分に生かしてもらえるはず。黒田氏の後任のアジア開発銀行総裁として、日本人を送り込むメドもついたのだろう。黒田新総裁には、大物総裁として、世界の中央銀行のスーパースターである、米連邦準備制度理事会(FRB)のベン・バーナンキ議長、欧州中央銀行(ECB)のマリオ・ドラギ、英イングランド銀行のマーク・カーニー総裁(7月就任予定)たちに伍して、存在感を発揮してほしい。まだ国会承認も受けていない時期ではあるが、早めの期待の言葉を送りたい。


2013.2.24(日)

なつかしの東京マラソン  

 第7回東京マラソンが9時10分、新宿の都庁前からスタート。2009年3月22日の第3回大会に出場し、4時間15分で完走したのを思い出す。その2ヶ月後にATL発症の告知を受け、6月4日に入院などということは思いもしないで楽しく走った。

 テレビ中継を見ていると、自分の走ったコースどおりに、トップランナーが走っていく。新宿を出て、日比谷、皇居、西新橋、増上寺、田町、高輪、品川と、私の場合はキロ6分前後のペースで走ったが、トップランナーはキロ3分前後である。「品川駅前で折り返してすぐに、「シローさん、がんばって」の声に沿道に目をやると、なんと、仙台から鳥よしの親方たちが応援に来ていた。3万分の一の偶然みたいなもの、奇跡に近い」(この日の日記から)。そのあともペースは落ちずに、キロ6分ペースのままゴールした。

 こんなふうに書いていったら、きりがない。あれが私として5回目のフルマラソン。初マラソンの記録は、厚生省時代の1990年、掛川マラソンでの4時間6分。最高タイムは、翌年のつくばマラソンで3時間56分。知事時代に走ったのは河口湖マラソン。4時間17分で最低タイムである。

 病気さえしなければ、東京マラソンのあと、何回かフルマラソンを走っていただろうし、70歳ぐらいまでは挑戦できたかもしれない。病後の身体では、今後フルマラソンを走ることはないだろう。だからこそ、一度でも東京マラソンを走ったことは、人生の貴重な財産に思えてくる。そんなことを考えながら、ケニア、エチオピア勢が抜群の強さを発揮したレースをテレビ観戦していた。


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