浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 4月第4&5週分          
2013.4.30(火)

河北新報の友人たち  

 4月も今日で終わり。朝の散歩は自粛。昨日の怪我で、膝の痛みが少し残る。「謹慎」という言葉も頭に浮かぶ。再開後は、今まで以上に気をつけて散歩をしなければならない。

 午前中に、内海邦和、智子ご夫妻が来訪。設立計画中のNPO法人(ドリームエナジープロジェクト)についての相談に来られた。障害児・者のためのカルチャーセンターのようなものが必要ではないかという問題意識がある。ダウン症の息子隼吾君が、ミュージカル出演などしているが、障害を持った人たちに、同じような活動をする機会を与えるのも、NPOの事業として考えている。体験レッスンが6月2日(日)午後、JX日鉱日石エネルギーの根岸製油所内の体育館で行われる。歌、ダンス、絵会話、美術、作動などを専門の講師が丁寧に教えてくれる。私も、当日、のぞいてみるつもり。

 午後は、月刊「プレジデント」の取材。「がんと生きる」という特集で、他のがん経験者とともに登場するらしい。担当者、ライター、写真担当と3人が来訪して1時間半。的確な質問と突っ込みだから、いい記事になるだろう。

 夜は、地元河北新報の東京支社のメンバーと会食。知事就任一年目の県政キャップ、東京支社編集部長を務めた佐藤純さんが、4月に東京支社長に就任した。知事時代には、とても気の合う記者であり、私としても信頼していた。いろいろな場面で、助けてもらった記憶がある。今日は、就任祝いという気持ちでお誘いし、佐藤純さん、石川雄康編集部長、県政記者クラブでご一緒した元柏さんで支社のある銀座で会食。知事時代のいろいろなエピソードで、大いに盛り上がった。こういう話がなつかしいと思うのは、年取ったせいだろうなと感じつつも、楽しい一夜であった。


2013.4.29(月)

好事魔多し 

 昭和の日の祝日。天皇誕生日、みどりの日を経て、昭和の日になった。三連休の最後の日でもある。高速道路の上り線が大混雑する。連休中、どこにも出かけない身には、関係ない出来事。

 どこにも出かけないかわりに、散歩だけは只で楽しむ。昭和の日の朝は、気持ちよく晴れ渡る素晴らしい天気である。その気分の良さが暗転するのは、ひょうたん原っぱを散歩中のこと。ちょっとした段差でつまずいて、膝をすりむいてしまった。その後、ラジオ体操はちゃんとできたのだから、大した怪我ではない。好事魔多し。気をつけなくてはいけない。

 外はいい天気だが、家に籠って原稿書きに勤しむ。月刊「年金時代」6月号の「新言語学序説」第113回のテーマは「日記について」。このところ日記に関するエピソードが複数あったので、書いてみた。この連載の86回目も同じテーマだったが、今回は少し目先を変えて再登場。毎回、テーマ探しに苦労する。今回は比較的早く探し当てて、締切11日前に社会保険研究所の編集部に原稿を届けることができた。「内容はともかく、早いのが取り柄」だが、「GOOD JOB!」と自分をほめてやる。


2013.4.28(日)

主権回復記念式典 

 春眠暁を覚えず。今朝は、3時過ぎからラジオを聴いていて、二度寝したせいもあり、再び目覚めたのが、いつもより20分遅れの5:55。急いで歯磨き、身繕いをし、岸根公園までの散歩行程も速歩で通した。岸根公園到着が6:29。ラジオ体操に間に合った。今朝のラジオ体操は、福島県鏡石町の公園からの放送。鏡石町の公園に集う人たちとのコラボレーションの体操を楽しんだ。青空、薫風のラジオ体操日和である。

 朝に運動をすると、頭の働きがよくなり、考え方も前向き、行動的になる。その勢いのまま、朝食後に月刊「ガバナンス」6月号の原稿書きに突入。「続アサノ・ネクスト」(第33回)のテーマは、「自治体の人口減少」。先日、国立社会保障・人口問題研究所が公表した「地域別将来推計人口」で、2040年には全国の市区町村の22%が人口5,000人以下となり、56村は人口1,000人以下となるという内容に衝撃を受けた。その思いをそのまま原稿にした次第。締切の1週間以上前に「ぎょうせい」編集部に送ることができた。残る原稿ノルマは、あと2本半。

 今日4月28日は、61年前の1952年にサンフランシスコ講話条約が発効した日である。「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が政府主催で東京都千代田区の憲政記念館で開かれた。天皇皇后両陛下もご出席になられたが、お言葉はなかった。  「主権回復」というが、この日は沖縄の米国統治が合法化された日でもある。政府開催の式典と同じ時間の11時に、沖縄県宜野湾市の海浜公園では「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」という抗議集会が開かれた。確かに、沖縄県民にとっては、「屈辱の日」である。

 最近の若い人の中には、日本が米国相手に戦争をしたことを知らないのがいる。「へー、それでどっちが勝ったの?」というのは冗談に近いが、こういう若者に「主権回復」といっても何のことやらわからないだろう。だからこそ、この「主権回復記念式典」の開催の意義があると考えるべきなのかもしれない。「日本は戦争に負けたんだよ。戦後はアメリカに占領統治されて、7年近く経ってやっと主権を回復したんだよ」と教えつつ、歴史認識を深める機会にすればよい。歴史認識を深めるのは、若者に限らない。我々国民すべてが心得べきことである。「国民」の中には、現在の政権担当者も入る。


2013.4.27(土)

新たなえにしを結ぶ会 

 午後から、日比谷のプレスセンターホールでの「ことしもまた、新たな縁(えにし)を結ぶ会'13!」に参加。「今年もまた」ということで13回も続いている。大熊由紀子さんが、文字どおり縁の下の力持ちぶりを発揮して、ここまで続けてきた。今日も350人を超える参加者で会場は一杯。私は、5年ぶりの参加。

 第1部の濃縮シンポジウム「住みなれたまちで、老い・障害・病気・認知症と仲良く暮らすために」のコーディネーターは野澤和弘さん(毎日新聞論説委員)。パネリストには、田島良昭さん(南高愛隣会理事長)、潮谷義子さん(前熊本県知事)など。第二部の立体シンポジウム「冤罪をつくる構造?警察官・検察官・裁判官、そしてメディア」のコーディネーターは大熊一夫さん。弁護士の弘中惇一郎さんが大熊さんの対談相手。「立体」で会場から参加が、村木厚子さん、岩川徹さん(秋田県旧鷹巣町長)、二階堂甚一さん(岩川さんの事件で関与)、いずれも冤罪で逮捕経験者である。

 1部、2部ともに、熱気あふれる発表、熱心に聴き入る参加者で、例年どおりただものではない会である。何人か旧知の仲間に会ったが、外貌の変わり様に、私だとすぐには気がつかない人もいた。5年ぶりに参加できたことに満足して、会場を去った。


2013.4.26(金)

評判の本が2冊 

 朝10時からの「造血幹細胞移植委員会」に出席のため厚生労働省へ。今月2回目の開催である。毎回、これだけ真剣に熱心に議論が展開される審議会は珍しい。本日も、活発な意見交換のうちに、2時間の会議時間があっという間に過ぎた。委員の一人として、立派な報告書が提出できるように、力を尽くしたい。

 委員会が12時に終了したあと、鎌田麗子委員(患者)と野村由美子委員(中日新聞社記者)を誘って、虎ノ門の「長崎飯店」へ長崎チャンポンを食べに出る。暑いほどの天気の中、サラリーマンはワイシャツ姿で道を行く。買ったばかりの夏用帽子が薫風に飛ばされないように、頭を押さえつつ道を行く私。

 鎌田さんは、前回に続いて2回目のチャンポン行きを期待していた。野村さんもチャンポン大好きとのこと。お二人にも喜んでもらってのチャンポン行脚であった。お店の親父さん、おばちゃんにも再来店を喜んでもらった。帰りがけに、親父さんから「先生も元気で!」と声をかけてもらったが、80歳でチャンポン料理現役の親父さんに励まされて、やや複雑な想い。

 帰宅したら、アマゾンから注文していた本が届いていた。「海賊と呼ばれた男」百田尚樹著(講談社)の上下巻。昨日は、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」村上春樹著(文藝春秋)が届いた。前者は今年の本屋大賞第一位作品である。百田尚樹の作品では、「永遠の0」しか読んでいないが、これが素晴らしい。読み終わって涙が止まらない作品は珍しい。「生還の可能性が1%でもあれば闘える」という主人公の飛行機乗り哲学が、闘病中の私には共感できた。すごい作家だと思っていたので、今回の作品はぜひ読みたいと思っていた。

 村上春樹の作品は、マスコミで「ものすごい人気」と報道されており、それに乗せられた形になるのを潔しとせず、購入を控えていたが、「本当に面白いのか、確かめずにはいられない」とアマゾンから取り寄せた。買い置きストックの中から文庫版の「アンネの日記」を本日読了したので、明日からは取り寄せた単行本に取りかかれる。さあ、どっちから読もうかな。


2013.4.25(木)

韓国ミュージカル 

 築地のがんセンターで定期受診。ATL survivorsの誰とも会わないのは珍しい。診察の結果は、レントゲン検査、便検査も含めて異常なし。セレスタミン(ステロイド剤)の服用を減らすタイミングに悩んでいた田野崎隆二先生から、「1錠2錠1錠2錠でいきましょう」という判断が示された。これまでは、1日2錠の服用だったのを、奇数日1錠服用、偶数数日2錠服用に変更する。これだけ減らすのに、半年以上かかっただろうか。それだけ、慎重に考えてくださる田野崎先生の存在はありがたい。

 がんセンターの帰り道、横浜高島屋に寄って、夏用の帽子を購入。光子にも見立ててもらう。半年前、がんセンターの看護師さんが私のはげ頭を見ながら、「防寒用に帽子がいいですよ」とアドバイスをしてくれた。その時に購入した帽子は、ハゲ隠しの効用もあって愛用していたが、季節が移って被っていられない。新しい帽子を得て、ルンルン気分。病気にならなければ、帽子着用などという楽しみ方は持たなかったはず。ここにも「病気になって得たもの」の例がある。

 夜は、六本木の「アミューズ・ミュージカルシアター」で、韓国ミュージカル「カフェ・イン」を鑑賞。ユン・コンジュ(韓国を代表するミュージカル女優)とキム・ドヒョン(男優)の二人だけの舞台だが、二人の歌唱力と踊りに圧倒された。特に、二人がデュオで踊る迫力のあるダンス(" Love is")を見ていたら、ぐっと来るものがあった。

 観劇に誘ってくれたのは、残間里江子さん。彼女の尊敬する大里洋吉さんが、韓国ミュージカルを上演するための常設劇場をオープンして、そのこけら落し公演が「カフェ・イン」である。こんなに素晴らしいミュージカルの初演を見られたのだから、残間さんからのお誘いに応じて、ほんとうによかった。終演後のパーティでの残間さんのスピーチで、「大里さんの『アジアは一つ』実現の情熱がもたらした韓国ミュージカル上演」という紹介があった。日韓関係が政治の分野でぎくしゃくしている中だからこそ、こういった文化交流はとても大事なことである。観劇していて「ぐっと来るものがあった」のは、そんな大里さんの熱き想いが感じられたせいもある。これからの1年で、10作品ほどの上演が予定されている。大成功を予感させる今日の上演であった。


2013.4.24(水)

教室変更 

 朝の岸根公園。風が強い。今にも雨が降りそう。こういう日は、散歩していても、ラジオ体操していても、あまり心が弾まない。毎日が「絶好の散歩日和」でないからこそ、たまにある素晴らしい天気が貴重に思える。人生なんて、そんなもんだろう。

 水曜日は、神奈川大学での授業の日。一週一回でも、授業があるから、曜日の感覚が持てる。今の私にとっては、授業は楽しみでもある。生きていることを実感するといったら大げさだが、週1回の授業がなかったら、生活はよほど詰まらんものになるだろう。

 その授業だが、9:41に大学の教務から教室変更の電話があった。小川教授の社会経済論の授業の履修者が500人超なので、私の「地方自治論」の10ー42教室(定員608名)に替えて欲しいとのこと。私の授業は、7ー21教室(定員384名)になる。「わかりましたが、こんなぎりぎりのタイミングでなく、もっと余裕を持って知らせて欲しかった。1点貸しですよ」といって了解した。学生にとっても、突然の教室変更で、結構混乱した。授業後回収の「リアクションペーパー」には、「人口密度が高くなって、教室が暑い」との反応があった。その分、「知事とは何か(その2)」の授業も熱いものだったのだが、学生もそう感じてくれただろうか。

 宮城県選出の元衆議院議員(民主党)の今野東さんが、特発性間質性肺炎のため、仙台市内の病院で、昨日、亡くなった。私と同じ65歳だからまだまだ若い。今野さんが議員になる前から親しい仲である。東北弁で落語を演じるなど、ユニークな議員だった。連座制の選挙違反で当選無効、5年間の立候補禁止を経て、07年参院選比例代表で国政に復帰するなど、浮き沈みの議員生活だった。親しみやすい人柄で、私とも気脈の通じるところがあった方である。心から今野さんの逝去を悼む。


2013.4.23(火)

希望の朝  

 「新しい朝が来た 希望の朝だ/ 喜びに胸を開け 大空あおげ/ ラジオの声に 健やかな胸を/ この香る風に 開けよ/ それ 一 二 三」。岸根公園の広場に新しい朝が来た。希望の朝である。それだけでうれしい。喜びに胸を開きたくなる。大空をあおげば、そこには青空が広がる。ラジオの声に合わせて、健やかな胸を開く。香る風は爽やか。まさに、「ラジオ体操の歌」(藤浦洸作詞・藤山一郎作曲)そのものの今日の朝である。そういえば、この「ラジオ体操の歌」が、朝日飲料の「マンダ」のCMで使われている。作詞、作曲の豪華な顔ぶれを見るまでもなく、これは名曲である。「ラジオ体操の歌」に続いて、ピアノ伴奏に合わせての体操で、目一杯身体を動かした。実に気持ちがいい。今日も、そういった朝である。

 アベノミクスの影響で、株価が上がりつづけている。関係者にとっては、株式市場が開く朝が待ちきれない。「希望の朝」が続き、「今日も株が上がったな」と喜びに胸を開くのだろう。先日、岸根公園のひょうたん原っぱを散歩していたら、隣で老人が話しているのが聞こえてきた。「私は、株のことは素人だから」、「そんなことはないよ、簡単だよ。今度教えてやる」、「どうも鉢植えにするとうまくいかないんだ」。アベノミクスの影響は、散歩老人にまで及んでいるのかと勘違い。なんのことはない、花の株のことを話していた。


2013.4.22(月)

お寒い関係 

 久しぶりに太陽が顔をのぞかせ、青空の見える天気だが、気温はまだ低い。じっとこらえて、今日も散歩は自粛した。

 午後から、神奈川新聞の取材。神奈川区に住み、職場は神奈川大学の私としては、神奈川新聞は地元の新聞として大事にしたい。30年後の県内の人口減にどう対処するかという問題。人口減はともかく、高齢者が増えるのにどう対処するか。高齢者が地域内で仲間と一緒に活動する場づくりが大事。地域、非専門家、元気老人がキーワード。行政は、地域住民の活動に余計な口出しをしないことが重要。医療、福祉の基盤づくりと公共交通機関の整備など、基礎的なことだけやればいい。といったようなことを話したが、短いコメントにまとめるのはむずかしい。

 中国四川省雅安市で起きたM7.0の地震で大きな被害が出た。中国政府は、外国からの支援はいらないと言っている。韓国政府は、閣僚の靖国神社参拝に不快感を示し、今月末に日本で開催予定の日韓外相会談はキャンセルの意向。日本から韓国への観光客は大幅減。北朝鮮の挑発は、国民全部をイライラさせる。近隣国との関係が、ぎくしゃくしている。角突き合わせているだけでなく、なんとかお互い大人の対応ができないものだろうか。一般国民としては、そんなことを考える。  


2013.4.21(日)

お寒い天気、お寒い球団、お寒い政党  

 日本列島に強い寒気が入って、北日本では雪が降るような寒さ。明朝も、北風が強い予報である。そろそろ散歩とラジオ体操を再開したいところだが、まだ自粛が続きそう。Unseasonably coolという状況が続く。

 お寒い状況が続いているのは、楽天イーグルスも同じ。一時は首位に立ったこともあったが、連敗、連敗で今は最下位に沈んでいる。投手陣がお寒い状況で、かっかときて熱くなっているのは、星野監督だけ。ここで踏ん張れよ、イーグルス。

 お寒い状況は、民主党も同じ。離党する議員が続出。出て行く議員は節操がないが、党としては去る者は追わず、むしろ純粋民主党だけで固まったほうがやりやすいと腹をくくったらいい。今が最悪の時期と思い定めて、次の政権獲得まで長期的な観点でじっくり党内を固め、政治路線を明確にすることが大事である。

 英国で保守党のマーガレット・サッチャー政権、ジョン・メージャー政権が18年間も続いていた時期に、労働党の若き党首トニー・ブレアは、労働者階級の政党から脱皮して、「新生労働党」とも呼ぶべき方向に大転換を計った。政策的にも、社会民主主義的なものから、新自由主義的な政策も一部取り込む「第三の道」を目指した。その結果、1997年の選挙で保守党に大勝し、以後13年間、ブレア首相からブラウン首相まで労働党政権が続いた。

 海江田民主党は、この英国労働党の歴史から学ぶべきである。目の前の選挙での勝ち負けに一喜一憂するのではなく、党としての政治的立場、政策の方向性を明確にし、与党との違いを前面に出しながら、次の政権を担う体制を築くことが第一である。いずれ政権交代の時期が来る。「いずれ」が10年、20年になろうとも、である。  


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