浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 7月第4&5週分          

2013.7.31(水)

蝉の声  

 午前中、神奈川大学に赴いて、学期末試験の「成績採点報告書」を教務課に提出した。提出にあたって、気がかりが3点あった。1点目は、59点以下の不可(不合格)が51人(17%)もいたこと。90点以上の「秀」も40人(14%)いたのだから、決して問題が難解だからではないとはいえ、少々気になっている。2点目は、答案の氏名欄の記入がまちがっているものが1名いること。「佐藤勇二(仮名)」と書くべきところが「佐藤勇」となっている。自分の名前まちがうはずないのだから、「替え玉受験」ではないかと疑った。調査の結果、問題解消。3点目は、来期の成績評価変更について。これは、来学期の最初の授業でその旨学生に徹底すれば問題なし。ということで、まずはほっとした。

 キャンパス内は蝉の声がうるさいほど鳴いている。今朝の岸根公園では、同じく木々が多い環境なのに、蝉の声はこれほどうるさくない。場所の違いではなく、時間の違いなのかもしれない。朝早くは、蝉も寝ているのが多いのだろう。それにしても、蝉の声に聴く夏本番である。明日は、もう8月となる。


2013.7.30(火)

採点終了

 夕方までかかって、やっと292枚の採点終了。記述問題を4問も設定したものだから、そちらの採点評価に多大の労力と時間を要した。しかし、これがあるからこそ、学生の習熟状況が克明にわかる。できる学生と、全然理解できていない学生と、明確にわかれた。「成績採点報告書」に生の点数を書き込んだものを、明日教務課に届ける。

 今日はこれにて終了。


2013.7.29(月)

自宅での作業2題

 午前中の作業は、厚生労働省の「造血幹細胞移植委員会」第43回会議の事前説明を拝聴すること。泉潤一臓器移植対策室長以下3人が来訪。泉室長は、7月2日付けで間隆一郎氏の後任として就任したばかりで、新任挨拶ということでもあった。次回会議では、これまで審議してきたことをまとめた「基本方針」(案)が議題になる。事前に説明しておかないと、浅野は何を言い出すかわからないということからの牽制かなと思いつつ、説明を拝聴した。所要1時間半。

 採点作業のほうは、1時間半の中断にもかかわらず、順調に進んだ。残り60枚ほどだから、明日の午前中で292枚すべてが終了するだろう。という見込みが立ったので、夜は、ビールを呑んで、ゆっくり過ごす。


2013.7.28(日)

採点作業

 日曜日でも仕事の日である。神奈川大学の「地方自治論」の学期末試験の採点を8月2日までに終了しないといけない。札幌行きで2日間、実績ゼロだったので、今日は追い込みである。292枚の答案と格闘している。

 とはいいながら、今日の作業は17時で終了。疲れた、日程逆算すると、余裕がある、そして、何よりも、17時から楽天対ロッテの試合がある。3ゲーム差はあるが、1、2位対決だから負けられない。

 ということで、17時からスカパーの中継にかじりついていた。先発の美馬が打たれて0対4、今日は負けだと覚悟した。後を受けた宮川が4回を無失点に抑え、ジョーンズの日米通算2,000本安打は2塁打。桝田慎太郎が同点打と勝ち越し打で、5対4の逆転勝ち。最後まであきらめてはいけない。楽天は、調子に乗ってきた。負ける気がしない。この調子が続けば初優勝も夢ではない。夢を追いかけよう。


2013.7.27(土)

楡の会設立20周年記念式典

 新さっぽろのシェラトンホテル札幌で、「楡の会」設立20周年記念式典。私は記念講演をさせていただいた。北海道庁時代に、何も知らない私に、障害福祉の仕事を教えてくださったなつかしいお顔が何人もいらしてくださっているのに、感激しながらの講演だった。高橋武医師は、当時は北海道療育センター院長。この実寮の寮長だった加藤孝さん。ケア付き住宅づくりに示唆をいただいた我妻武さん、ご母堂とともに活躍していた芝木厚子さんとは、その後の祝賀会でも、お話することができた。なつかしい、実になつかしい。

 今回の札幌訪問では、「楡の会」の活動状況を施設見学で見せてもらった。20年前の開設をめぐっての反対運動を打ち破った感動的なストーリーも再現してもらった。28年前の北海道庁時代の日々がよみがえってくるような思いである。昨日は、豪雨のあと、会食の頃には雨があがり、今日は天気予報では雨だったのに、青空も覗けるほどのいい天気。ホテルの近くに咲く、濃い青のアジサイが目に残る。とても有益な、心に残る札幌を後にした。


2013.7.26(金)

札幌の夜

 札幌へ。病気になってから初めてだが、5年ぶりぐらいだろうか。社会福祉法人「楡の会」創立20周年記念式典で記念講演のための来札である。

 「楡の会」は自宅にいる重症心身障害児の通ってくる施設としてはじまり、今では、年齢や障害の種類・程度にかかわらず、終身一貫した関わりを持った活動を展開している。17種類の事業を21施設でやっており、一日平均330人の人たちが利用している。開設時には、近所の町内会の一部から反対運動が起こり、大変な苦労を経て、開設にこぎつけた。私は、開設記念式典にも出席していたことを思い出した。

 記念式典は、明日。今晩は、三宅誼理事長はじめ、理事、職員7人の方々と、すすきのの素敵なお寿司屋さんで会食。70歳代とは見えない三宅理事長と後藤理事の様子に感心。後藤さんは、脳性まひの娘さんが開設当初からの利用者だから、「20年お世話になっている」とのこと。言葉はしゃべれないのに、その場の状況に合った歌のメロディーを口ずさむのだという。「纏められたり、纏めたり」と言いたい時には「とんとんとんからりと隣組」のメロディーになる。とても感動的な話を聞いて、「後藤さん、理事は長く務めなさいね」となぜかお願いした私。

 三宅理事長の開設前夜の苦労話に感動した。北海道の珍味には、舌が感動で震えた。光子もお相伴の楽しい会食。時間があっという間に過ぎていく。久しぶりの札幌の夜は更けていく。


2013.7.25(木)

SFC教え子との会食

 6:05から「おはよう一直線」に電話出演。生島ヒロシさんは、今週は夏休みで、今日のお相手はTBSの駒田アナウンサー。「参議院選挙の惨敗のあと、野党はどうなるのか、特に民主党はどうなるのか」というのが論点。丁度、昨日の日記に書いたことなので、そんなことを話す。ほんとのところ、5分間という短い時間では、まとまった話ができない。ともかく、野党が一緒になるという前に、各政党が党内で政策についてしっかりした方向性を打ち立てることが必要であることを強調した。連携、協力、野党再編成は、それからのこと。政策が一致しない同士が一緒になっても、政党としての力にはならない。

 夕方、神奈川大学に、昨日の試験の答案を受け取りにいく。郵送では、採点にかかるのが一日遅れてしまう。こういう時には、キャンパスから自宅が近いのがいい。280人分の答案がずっしりと重い。早速、採点にとりかかるが、ほんのちょっとやっただけで、中断。

 夜は、SFCのゼミでの教え子3人娘、松田美那、城田佳帆織、三原早百合と会食。会食といっても、例の近所の居酒屋「世界長」での飲み会である。それでは、あまりにも寂しいので、隣のバーCarvadosにて二次会。彼女たちは、SFC卒業後、それぞれ活躍中である。改めて歯学部に再入学して歯科医を目指す人、研究所で研究職を続ける人、輸出メーカーの子会社で働く人。元気な3人に囲まれてご機嫌な老人(私のこと)。「また、集まろうね」といって、楽しい一夜が終わる。


2013.7.24(水)

学期末試験

 雨降りに備えて、傘持参ででかけた散歩。降りそで降らずのまま、散歩を終える。今朝の朝日新聞の「ひと」欄では、東北弁のラジオ体操を考案した西根栄一さん(50)が紹介されていた。いづ、ぬぅ、さん、す・・・の石巻弁の号令で始まる「おらほのラジオ体操」の考案者である。「方言を聞き、思いっきり伸びをして、被災地に思いをはせる」という趣旨である。こちら岸根公園のラジオ体操は、正統的「いち、に、さん、し」の掛け声で、毎日がんばっている。

 神奈川大学で「地方自治論」の学期末試験。慶応大学SFCの試験と比べると、はるかに厳格であることに驚く。学生の坐る席が決まっている。机の上に学生証を置いて、試験中に監督者がチェックする。その監督者は大学院生で、7人もいるのに驚く。試験時間は70分。40分経過すると、答案を書き終えたものは、答案を提出して退出していく。そういう早出し組が多いのに驚く。記述式の問題4問プラス穴埋め問題5問だから、70分で終われない学生が多いだろうとの予想がはずれた。

 答案は、全員分まとめて、試験終了後、試験実施本部にまとめて提出する。実施本部で答案の枚数チェック、製本をして、明日の16時以降に担当教授(私のこと)に手交される。こういう作業がなされるのに驚く。驚くことだらけの学期末試験であった。あとは、採点の楽しみが残っている。ここでも驚かされるのだろうか。


2013.7.23(火)

大敗した民主党は

 散歩に出ようと、家から三歩行ったところで雨が降ってきた。「今日は中止」と極め込んで、家に戻る。雨はすぐに上がったようだが、出端挫かれ再出発はせず。その後、降ったりやんだり、天気定まらず。夕方には、雷、大雨もやってきた。人生でも、政治の世界でも、こういうことがあるものだ。

 民主党の行路も、こんなものである。2009年末の政権奪取で舞い上がったのが、小沢一郎氏に翻弄され、首相が毎年替わった。党勢はどんどん衰え、それに内紛では、なすすべなし。2012年末の衆議院選挙では、ぼろ負け。政権の座から陥落。都議会選挙での大敗に続き、今度の参議院選挙では、結党以来の大負け。立ち上がる元気さえなくした様子である。

 こんな状況では、党代表は責任を取って辞任が通常のコース(2月の党大会では、「参院選敗北なら辞任」と明言していた)だが、代表のなり手がいない。先発投手がメッタ打ちされても、ブルペンにリリーフ投手の姿は見えない。よって、幹事長の辞任だけで、海江田万里代表は続投ということになる。一方で、告示直前に党の公認をはずされた大河原雅子さんを、選挙中に菅直人元首相が応援したために、東京選挙区で好漢鈴木寛氏が落選の憂き目を見たということで、菅氏を除名しようという動きが出てきた。みっともない。「窮すれば鈍する」のたぐいであろう。

 落ちるところまで落ちたのだから、ここは一番、開き直って政党としての原点に戻ってはどうだろうか。政権復帰は10年先でいい。政党としての基本的立場と政策の骨子を創り直す。2月の党大会で、結党以来初めて「民主党綱領」を決定したが、抽象的過ぎて、運動論には結びつかない。与党との違いが明確になるような「綱領」に創り直さなければならない。その過程で、党内に不協和音を奏でるような分子がいたら、切り捨てる覚悟で取り組まなければならない。民主党は、政策なき選挙協力共同体から脱皮すべき時であり、やるなら、大敗を喫した直後の「今でしょ」。


2013.7.22(月)

自民党の一人勝ち

 散歩とラジオ体操を終えて、自宅の郵便箱から新聞を取り出す。投票から一夜明けて、参議院議員選挙の結果が各紙に出ている。新聞の締切時には、投票の集計が終わっておらず、比例区の当選者の何人かは掲載されていない。

 結果は、自民党の大勝ち。一人区で29勝2敗(岩手と沖縄)、複数区でも候補者全員当選である。民主党は19の一人区で全敗、複数区でも落選が多い。共産党は8人当選(5人増)と躍進、みんな、維新は伸び悩みである。この結果、参議院の勢力図としては、自民党115人プラス公明党20人で、与党が悠々過半数。ねじれ解消である。

 さて、これからどうなるか。自民党の暴走を危惧する向きもあるが、それはないだろう。舞い上がり、おおはしゃぎは、あり得る。党内の「いけいけ、どんどん」を首相周辺がどう抑えるか。

 賢い(と信じたい)安倍晋三首相のことだから、しばらくは慎重運転でいくだろう。選挙中は争点隠しだった憲法改正、対外強硬論、原発再稼働をいつ、どうやって表沙汰にするか。安定多数でねじれも解消されたのだから、そんな恐ろしいことは封印して、社会保障改革、貧困者対策、非正規労働者対策などに腰を据えて取り組んで欲しい。

 今回の投票率が52.6%と低いことが気になる。国民の半分近くが、投票に行っていないのだから。憲法96条(改正発議の3分の2条項)、原発再稼働については、世論調査では反対のほうが多い。国会内のねじれは解消したが、民意とのねじれは残っている。このことを肝に銘じて政権運営にあたって欲しい。


2013.7.21(日)

参議院選挙投票日

 日曜日のラジオ体操は、平日と微妙に雰囲気が違う。普段参加しない人が出てくるからだろうか。今日は、若い外国人が私の目の前にいた。体操はたぶん初参加で、ところどころ間違うが、一つ一つの動きがとても力強い。いつもと違う感じは、彼のがいたからかもしれない。  いつもと同じは、体操開始前のおばちゃん方の会話。「このところ涼しいわね」、「三宅さんは来てないけど」、「今日は投票所のお手伝いで来れないんだって」。そうか、今日は参議院選挙の投票日。私は期日前投票組だが、目の前で体操している老男女は、投票に行くのだろうか。外国人の彼には選挙権がなくていけないだろう。

 投票の結果が出そろっていないが、投票率が低いことはまちがいない。なぜ投票しないのだろう。一方で、前国会での公職選挙法改正により、成年被後見人の選挙権が6年ぶりに回復し、茨城県牛久市の名児耶匠はしっかりと投票した。投票用紙の交付ミスが、数カ所の投票所で発生した。三宅さんは、ミスはしなかったようで安心した。


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