浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 8月第4週分          

2013..8.24(土)

HTLVーTウイルス量ゼロ

 夜のうちに降った雨は朝方にはあがり、散歩に支障はない。念のために傘を持って出たのだが、ラジオ体操を終える頃には、日傘にしたいぐらいの天気になった。最近の天気は、先が読めない。夕方から雨降りの予報ははずれている。

 「HTLVーT感染者コホート共同研究」に協力する形で、HTLVーTウイルス量の検査を受けた。6月25日に採血された測定結果が、今日、東京大学医科学研究所附属病院 血液腫瘍内科の内丸薫先生から送られてきた。「HTLVーTプロウイルス量 0.00%」という結果である。骨髄移植を受けることにより、ウイルスがゼロになったということであり、ATL再発の可能性は限りなくゼロに近いということと理解している。

 ATL発症前は、ウイルス量は相当多かったはずである。そのウイルスがリンパ球の中のT細胞に取り付いてがん化させることにより、ATLが発症する。骨髄移植により、がん化したT細胞が破壊され、ATL治癒ということになったのだが、T細胞の破壊とともに、取り付いていたウイルスもなくなったということなのだろう。この理解が正しいかは、今度内丸先生にお会いしたら、訊いてみよう。「ウイルス量 0.00%」という検査結果は予想はしていたが、改めて、この結果を知るとほっとする。真夏の夜の朗報である。


2013..8.23(金)

偽メール「事件」

 今朝は暑かった。湿度が高い。風はないので、じわーっとした暑さである。いつも以上に汗をかいて、散歩とラジオ体操を終える。  午後から手紙を5通書いた。手紙で来たものには、メールで返信というわけにはいかない。5通はすべて手紙への返信である。時間はかかるし、80円切手も必要。それでも、心は伝わると信じて、手紙を書き続ける私。

 メールと言えば、偽メールに出会った話。ネットで偶然、元宮城県庁職員Sさんのホームページ上に「元宮城県知事浅野史郎氏からの(10年前の)メールを公表する」とあるのを見つけた。そのメールには、「あなたのホームページにおかしなことが書いてあるのを削除せよ」と書いてあり、「あなたのような人には、官僚(出身)の考え方は理解できないだろう」といった侮蔑的な記述もある。

 Sさんはそのメールが浅野史郎からのものと信じて、「こんなひどいメールを浅野史郎が送ってきた」ということで、ホームページ上に10年前のメールを公表した。このままではよくない。S氏宛に、「このメールは浅野史郎が送付したものではない。偽メールです」とメールしたら、S氏から返信があった。自分がメールを浅野史郎のものと信じた理由がいくつか書いてあったが、私への謝罪の言葉はない。それはないよね。一言「ごめんなさい」ぐらいあっていいでしょう。ある意味、これは名誉毀損ですよ。

 2006年2月の「永田偽メール事件」で堀江貴文氏の偽メールが国会で取り上げられたのを思い出す。偽メールを信じて大失態を演じた永田寿康議員(民主党)は議員辞職をする結果となった。偽メールを信じて行動することには、リスクが伴うのである。


2013..8.22(木)

イチローの快挙

 朝の食卓で、「そろそろイチローの出番かな」と察知して、テレビのチャンネルをNHKBS1に変えた。それから数分後、イチローはやってくれた。日米通算4000本安打を三遊間を破るクリーンヒットで達成。この歴史的瞬間をリアルタイムで見られたのはラッキーなことである。僚友ヤンキースのメンバーが1塁上のイチローのところに祝福にいく。いい光景である。チームメートやファンが喜ぶの見て半泣きになったというイチローだが、こちらももらい泣きである。それにしてもイチローはすごい。それ以上の言葉が出てこない。久しぶりの明るいニュースである。

 明るいニュースのあとに、原発からの汚染水のことを書くのは気が進まないが、少しだけ。原子力規制委は、この事象を国際的な尺度でレベル3の「重大な異常事象」とした。次から次と異常なことが起きているので、「ああ、またか」となってはいけない。大変な事故、事象である。東電が、当初、このことを隠していた節があるのが、とても気になる。事故が起きたことは重大なことであるが、それを隠蔽するのは、もっと重大なことである。事故の発生を一次災害とすれば、隠蔽がばれることは二次災害である。どちらも人災だが、二次災害を起こした責任のほうが、はるかに重い。

 集団的自衛権めぐる山本庸幸最高裁判事(前内閣法制局長官)の発言について、菅義偉官房長官が「違和感を感じる」と批判した。山本判事の指摘は、集団的自衛権の行使を憲法の解釈変更でやるのは無理であり、やるなら憲法改正が必要という趣旨である。発言は、政治的にはどうかはともかく、法律論としては、まっとうなものである。

 他国への攻撃に対して日本が反撃できるというのが集団的自衛権ということらしいが、なぜこれが自衛権の発動と言えるのだろう。ジャパンというバーは、やくざから攻撃されるのに備えて用心棒を雇っている。隣のバー「アメリカ」がやくざに攻撃されているのを見て、そこにバー「ジャパン」の用心棒が出ていくといったことに似ている。用心棒はやくざの出入り、殴り込み部隊とは違う。専守防衛の自衛隊と同じようなものである。これが、こっちから攻撃ができるなら、用心棒ではない。憲法は用心棒の役割を超えた殴り込み部隊を認めていない。つまり、日本が攻撃されていないのに、反撃(この用語はおかしい)するような軍隊は持てないのである。持ちたいなら、憲法9条を変えるしかない。こんなことは、むずかしくもなんともない当たり前の理屈である。当たり前のことを無理に変えようとする勢力がある。そんなことは、やめたらいい。山本判事の発言に、しっかりと耳を傾けたらどうか。

 これも暗いニュース。藤圭子さんが自殺。このことを伝えるニュースで「宇多田ひかるの母親」という説明がつくのが気に入らない。藤圭子は好きな歌手である。今、「京都から博多まで」を聴きながら書いている。五木寛之氏は自身のエッセイの中で、「この人は、このアルバムを出しただけで、この世に生まれてきた価値がある」と、藤圭子のデビューアルバムを絶賛していた。その藤圭子が、私より若くしてこの世を去るなんて。  


2013..8.21(水)

ミヤネ屋出演

 読売テレビ「ミヤネ屋」出演で大阪へ。新幹線の窓から雲の上に富士山が顔を出しているのが見えた。こういう富士山もなかなかに見応えあり。今日のメインテーマは社会保障改革。宮根さんらしく、むずかしい課題を軽妙に捌くのに感心した。隣に坐るコメンテーターは元阪神タイガースの赤星憲広さん。コマーシャル中に、「私は50年間阪神ファンだった。今は楽天」という話から、選手時代のことから、引退した時の心境まで、いろいろ聞かせてもらった。ゲストの井戸さん(女性)は「私、赤星さんの大ファンなんです。握手してください」と言って、しっかり握手してもらった。よかったね。

 帰りの新幹線が三島駅を過ぎたところで、停電でストップ。乗客(私も含まれる)も乗員も落ち着いたもの。少しも騒がない。10分ほどで復旧したのだから、騒がないのは当然かもしれない。こういうこともある。    


2013..8.20(火)

暑い暑い8月に

 立秋を過ぎても、暑い暑い日が続く。最低気温が27℃だから、早朝でも暑い。そんな中の散歩とラジオ体操。これぐらいの運動を朝のうちにしておくことが、暑さを乗り越えるのためには最適という解説を聞いたことがある。確かにそのとおりと身体が教えてくれる。そんなことを考えながら、今朝も散歩、ラジオ体操に勤しむ老人(私のこと)。

 心身ともに快調なまま、講演用のパワポイントづくりに励む。来週の火曜日、益信経済クラブで地元企業の経営者の方々に下呂温泉で講演をする。テーマは「改革への挑戦・地方から国を変える」ということだが、中心は「地域起こし」である。病気前には、こういったテーマの講演が多かったが、病気後は初めて。パワポ作成しているうちに、記憶が甦ってきて、なんとか完成することができた。「暑い中ご苦労さん」と自分に語りかける。

 8月は終戦記念日があり、戦争の記憶が呼びさまされる時期である。歴史認識とか愛国心などが論じられる。安倍晋三首相が「全国戦没者追悼式」の演説で、アジア諸国の国民に対する反省と哀悼の言葉がなかったことが、国内外から問題視された。「加害責任を否定することで、国内の支持を得ようとしてきたが、(中略)これは『地政学的無神経』だ」(米国の歴史家キャロル・グラック氏)というのが国際的常識らしい。愛国心ということでいうと、在日コリアンへの悪意むき出しのデモなどの「ヘイト・ナショナリズム」は愛国心でもなんでもない。次代を担う若者がデモの中心というのも、懸念される。暑い暑い8月ではあるが、こういったことを真剣に考えるべき時期である。  


2013..8.19(月)

ぷれジョブ勉強会

 昨夜、日記を書き上げた後の出来事。楽天対西武戦で、途中まで4対8と楽天の敗色濃厚だったので、テレビ観戦をやめて自室に閉じこもっていた。その間に、松井、マギーと3ランホームラン2本で11対8と大逆転。そこで安心して入浴して、入浴から出たら、大変大変、9回裏の抑えに出たラズナーがノーアウト1、2塁にした場面に遭遇した。そこから連打、押し出し四球、さらに連打、最後は4点取られて、11対12で逆転負け。

 テレビ中継で、最後の場面を見た家族(私を含む)は、「ラズナーは二軍行きだ、二度と顔も見たくない」と怒り心頭。義母は怒りのあまり、血圧が急上昇。ラズナー投手は、間接的な殺人犯人になりかねない状況であった。(大げさです)試合後の星野監督のコメントが「これが野球だ」というのを今日になって知って、「なるほど」と思ってしまった。そうだよな、ラズナーを責めても仕方がない。巡り合わせでもある。そう悟ったら、怒りもどこかに行ってしまった。これからに期待したい。それが野球だ。それが人生だ。

 昨日のことはここまでにして、今日のことにいこう。午後から、トレッサ横浜の会議室でぷれジョブ勉強会があり、そこで30分の講演。主催はトレッサ横浜の業務部である。主催側も含めて30人以上が参集した。横浜でもぷれジョブを始めようということで、今が準備段階である。こういった周到な準備を経てから始めようというのは、なんにも準備なしにいきなり開始した「ぷれジョブ藤沢」とは大違いである。

 30分の講演では、「やりゃあいいんだよ、準備なんかいい加減にして」と持論を説いてしまった私。勉強会の後、有志が残ってトレッサ横浜内の韓国料理店で、勉強会の続き。というのは嘘で、私の独演会になってしまった。こちらのほうの講演時間が本番より長かったかもしれない。それも含めて、楽しい時間だった。


2013..8.18(日)

父の33回忌

 父の33回忌  昭和56年8月18日に65歳で亡くなった父の33回忌の法事。臨済宗東昌寺の国安和尚がお経をあげてくださる。国安さんは仙台二高の後輩でもあり、何かと気遣いをしてくれる。息子さんも一緒にお経をあげる。声もいいし、とてもハンサムである。「お父様がお亡くなりになる1年前に生まれました」という国安さんの話だから33歳ということ。立派な跡継ぎができたということになる。

 法事には、長姉敞子の長男、次姉公子の長男夫妻と娘、長女夫妻と息子二人も顔を見せた。93歳の母親は「これで最後だから」と、暑い中、お墓参りも済ませた。「もうすぐ行くから待っててね」というぐらいには元気である。母にとってはひ孫にあたる小学生3人は、子どもらしく元気である。私たち夫婦は、ほぼ初対面。自分たちにも、あんな時代があったんだなあと感慨にふける私。33回忌の後に、37回忌、43回忌、50回忌とあるらしいが、そちらをやるかどうかは、わからない。これが最後になるかもしれないご法事、母に言わせると「とっても楽しかった」とのこと。お墓の下の父も、喜んでいるかもしれない。


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