2013..9.21(土)
楽天の初優勝近し
午前中、日刊スポーツ新聞の中山知子記者の取材。「ご無沙汰しておりました。都知事選以来です」と言いながら、取材が始まった。楽天がパリーグ優勝を見越しての前倒し取材である。こちらも優勝した時の気持ちを前倒しして対応する。優勝を見届けた感慨はそこそこにして、楽天が仙台に進出を決めた頃のこと、その後の球団運営の素晴らしさと楽天の戦いぶり、そして楽天ファンの応援が熱烈かつ冷静であることなどを話した。取材の最後に、楽天のユニフォームを持っての写真撮影。記事が出るのは、楽天の初優勝が決まった翌日である。何とか今月中に決まって欲しい。
そして、午後からは楽天対日本ハム戦をテレビ観戦。田中将大投手が8回まで1失点に抑えたところで9回裏はリリーフ投手に任せる。例により、リリーフ陣がピシっとせず、2点取られたが、終わってみれば7対3で快勝。田中は開幕から22連勝。優勝までのマジックナンバーは6になった。今日の取材があったので、この勝ちにほっとした。
2013..9.20(金)
寝坊しました
朝、二度寝、三度寝しているうちに寝過ごしてしまった。身体が睡眠を欲していたからだろう。身体が発する声には、素直に従ったほうがいい。そのまま寝続けて、散歩は休止。
身体が睡眠を求めていたのは、昨夜の就寝が遅かったから。神奈川県中小企業家同友会湘南支部の9月例会で「地域が支える福祉」という講演をした。実態は、ぷれジョブの売り込みである。開会が18時半で21時閉会後の懇親会までつき合った。「良い子は早寝早起き」の例外である。講演の後、26人の参加者が5グループに分かれてグループ討議をする。討議後の各グループの発表では、「ぷれジョブは面白い。気楽にできるのがいい。我々も協力事業者になろう」といった発言が相次いだ。「ジョブサポーターをやります」というのも3名。赫赫たる成果を上げた例会での講演だった。帰宅が遅くなるだけの価値があった。
今日のことも書こう。14時、湘南よみうり新聞の取材。編集長の諸星千鶴さんは、ぷれジョブ藤沢の協力者で、月例会の会場も提供してくださる。取材は、ぷれジョブに関するものもある。いずれ紙面で、ぷれジョブのジョブサポーター、協力企業の募集にわたることも扱ってもらえるだろう。
夜は、新橋の居酒屋で青木良英さん、小金澤ゆきさんと会食。小金澤さんは、「ミヤネ屋」のディレクターで長い付き合いである。今回、東京勤務になった。いずれ、歓迎会でもやろうと思っているところに、青木さんからメールがあり、「それでは3人で会食しよう」ということになった。青木さんがメールをしてきたのは、9月5日の日記を読んで「なつかしい」となったから。五年前、青木さんは私の「ミヤネ屋」出演の際のマネージャー役であった。台風の影響で帰りの新幹線が名古屋止まりとなり、その晩は、ふたりで名古屋のラブホテルに泊まった。会食は、そんなエピソードなど、昔話で大いに盛り上がった。
2013..9.19(木)
特定秘密保護法案
3週間に一度のがんセンターでの受診の日。いつもどおり、散歩、ラジオ体操をすると、その後があわただしい。青空の広がる美しい秋の日。散歩日和ではあるが、受診日和とまではいえない。
血液検査の結果は、いつもどおり、異常なし。尿酸値が少し高い。ビールも少量しか飲んでいないし、納豆毎日ということもない。原因がわからないので、気をつけようがないのが、ちと困る。「ザイロリック(尿酸の薬)の量は増やさなくていいでしょう」という田野崎先生の言葉があり、特に心配はしていない。日程表の写しを持ち込んで、「これは無理な日程でしょうか」と尋ねたところ、「大丈夫、余裕があります」と言われたので、安心した。「感染症は気をつけましょう」ということは変わりない。なんとか、今度の冬は無事に乗り越えたいと、先の話ではあるが、覚悟を新たにする。
安倍政権が臨時国会に提出予定の「特定秘密保護法案」が問題となっている。記者の取材活動も処罰の対象になる可能性があるということで、新聞社は法案にぴりぴりしている。新聞紙面で、詳しい解説を展開しているのは、当然だろう。
法案の問題点はいろいろあるが、県知事時代に情報公開の問題を扱った経験から、私としても関心がある。防衛、外交、スパイ、テロの4分野が「特定秘密」に指定されるが、何が秘密なのかは国が決める。実際には、その範囲がいくらでも広げられる心配がある。
私の知事時代、県警は警備の際に警察官に配った弁当の発注書類を非開示にした。「どこの店から弁当を購入しているかがわかると、その弁当屋が攻撃される恐れがある」、「弁当が何個発注されたかわかると、警備の規模が明らかになる」というのが非開示の理由であった。念のため言っておくと、「発注書類の開示」は、実際の警備が終わった後の問題である。リアルタイム情報ではない。そんなものが開示されると困るというほどに、県警の警備はやわなものなのだろうか。私が言いたいのは、どれが大事な秘密かということを実施主体(この場合は県警)が決めるとなると、その範囲は、ここで見たように、屁理屈をつければ、どこまでも広がる。これが怖い。今回の法案でも、同じことが危惧される。法律そのものではなく、法律の運用の問題である。
2013..9.18(水)
静岡県知事、再考あれ
しばらくぶりの散歩。ひんやりした空気に青い空、まさに秋の天気である。昔から、 こういう空を見ていると「生きているだけでも幸せだ」と感じたものである。今日もそういった思いがある。ラジオ体操で身体を目一杯動かすことに快感を覚える。1週間前までは、汗びっしょりだったが、今日はまったく汗をかかない。こういう日がこれからしばらく続く。
朝9時に宮沢歯科へ。今日の患者第一番である。歯科だから、開口一番という。ほんとの開口一番は、左下の奥歯2本の仮の被せものをはずし、歯を少し削って、もう一度型をとる。来週は、本番の被せものをはめ込む。治療は全然痛くないから楽なものである。来週の治療費は、ちょっと痛いかもしれない。
静岡県の川勝平太知事は、全国学力テストで成績の悪かった100校の校長名を公表する意向らしい。その方針はまちがっている。その理由の説明に、1961年の旭川市立永山中学校での学テ反対運動に関する訴訟での最高裁判決(1976年5月)を引用しよう。
「中学校内の各クラス間、 各中学校間、更には市町村又は都道府県間における試験成績の比較が行われ、それがはねかえってこれらのものの間の成績競争の風潮を生み、教育上必ずしも好ましくない状況をもたらし、また、教師の真に自由て?創造的な教育活動を畏縮させるおそれが絶無であるとはいえず、教育政策上はたして適当な措置であるかどうかについては問題がある」というものである。つまり、学テが成績競争の風潮を生むことを戒めている。学テは1961年から4年間実施されたが、中止することになったのは、こんな内容の反省が文部省の中でもあったからだろう。
2007年の学テ再開にあたっては、文部科学省は大昔の学テ実施の反省を踏まえ、学校間の競争を助長しないことを肝に銘じている。成績の悪かった学校の校長名の公表を認めるわけにいかないのは、当然である。校長名の公表は、その校長の尻を叩くことに通じる。その学校では、学力テストの成績を上げるための「教育」に狂奔することは目に見えている。そんなものは、真の教育とは言えない。この辺のところが、川勝知事には見えていないのだろうか。ぜひ、深く深呼吸して、再考されたい。
2013..9.17(火)
しばらくぶりの帰宅
10:10の全日空便で小松空港から羽田空港へ。前日までとは打って変わって、秋らしい青空の広がる爽やかな天気である。ホテルから空港までは、昨日のシンポジウムの主催者「輝きネットいしかわ」の幹事である寺井直則さんに車で送っていただいた。車中で、寺井さんの病気のことなど、数奇な運命の半生記をお聴きしながらの40分。今回は、何から何までお世話になりました。
金沢2泊3日の旅から、しばらくぶりの帰宅である。横浜に戻ったら、暑い暑い。帰って一息ついてから、旅行の疲れと暑さにもめげず、来週から始まる神奈川大学の授業の準備など、真面目にお仕事をする私。敬老の日の翌日とは思えない。なんてことを思いながら、夜は雨で中止続きだった楽天の試合を家族打ち揃ってテレビ観戦する。ソフトバンク相手に、3点差を簡単にひっくり返しての逆転勝ち。マギーの26号満塁ホームラン、新人則本昂大投手の背番号と同じ14勝目、藤田一也の4安打のオマケ付き。これでマジックナンバーは9に減った。いよいよ優勝までのカウントダウンが始まる。
2013..9.16(月)
「多選を問う」公開シンポジウム
世の中は敬老の日らしいと、65歳の老人(私のこと)がつぶやく。その敬老の日、金沢市のホテルで目覚めた朝。外は強い雨が降っている。今日は午後から、ホテルの隣の金沢市文化ホールで「多選を問う」の公開シンポジウムがある。このテーマは、現地石川県の谷本正憲知事(68)が3日前に6選出馬表明をしたことと関係があるらしい。谷本知事の前の知事である中西陽一氏は8期務めた。こんなテーマに県民は関心を示すだろうか、さらに、この雨では、入場者がどれだけ来られるだろうかと心配になる。
という心配はあったが、午後には雨も小降りになり、入場者も200人以上。これだけ集まれば上々である。私の出番は、13:35?14:20「知事になる・知事をやる・知事を辞める」という講演。いつもどおり、時間ぴったりに終える。(中味はともかく、時間厳守だけが自慢なのです)次に、主催者代表の桑原豊氏との対談が14:20ー15:10、知事の多選をめぐっての話題が中心である。そのあと、再び私の単独出番となり、「闘病から学ぶ」の講演。「多選を問う」というテーマとどういう関係があるのかわかりませんが」と言いながら、主催者のリクエストに応じた内容で15:15-15:33。さらにその後、会場からの質問にも回答して、公開シンポジウムは無事閉会。閉会後は、拙著「運命を生きるー闘病が開けた人生の扉」に署名とお買い上げの方ごとに短いメッセージを書く。100冊以上はこなした。休みなくよく働くなあと自画自賛。これで夕方の部は終了。
夜は、ホテル内のお店で、主催者11人と我々夫妻で会食。一人一人から自己紹介があったが、それぞれ面白いことをやっているのがわかった。珍しく、光子も選挙の思い出など、結構語っていた。私がけしかけたおもむきもある。いつもながら、一番しゃべっていたのは私。楽しい、有意義な会食だった。
2013..9.15(日)
金沢にて
9:45の便で金沢へ。光子が同行。台風の接近により、予定を一日早めての移動である。出発の横浜は朝から大雨。最寄りの白楽駅までの100メートルで濡れてしまった。羽田空港から小松空港までの飛行は大きく揺れることもなく、時間どおり到着。金沢は曇りがちだが雨風なし。
宿泊のニューグランドホテルから歩いて10分の長町武家屋敷跡を散策。これがとてもいい。用水堀沿いの狭い道の両側に武家屋敷が並ぶ。その中の一つで昼食を摂る。なんだか、ゆかしい。観光は、自分の足でゆったりとするに限る。予定を早めたおかげで、思わぬ拾いものをした。
観光を終えて、ホテルでゆったりの時間。時間が取れることを見越して、今回はパソコン持参である。10月の神奈川大学理学部での特別講義用のパワポイント作成にとりかかる。おかげさまで、ほとんど完成。真面目な奴(私のこと)。
以前のジョギング日記はこちらから
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