浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 3月第3週分          

2014.3.14(金)

26年前の記憶を運ぶ本

 今日も、クリニックを2軒はしご。9時に宮沢歯科で前回の続き。右下奥歯のグラグラ矯正のため、隣の歯とブリッジかける作戦の3回目である。痛くも何ともないが、口を開けっ放しでいるのが疲れる。今回は型取りの前哨戦である。この分では、あと3回はかかりそう。

 続いて、竹内皮膚科へ2回目。大繁盛の医院だけあって、待合室は満員である。診察券だけ出して順番確保。自宅で1時間過ごして戻っても「浅野さーーん、4人目です」という状態。訴えは、前回の治療だけでは治らない額のかゆみ。薬を追加してもらう。新しく、右手薬指の爪に細菌が入って膿んでいるというのがある。ここも「肝っ玉先生」に治療してもらうが治るまで時間がかかりそう。指に包帯を巻いているので、パソコンを打つのに難儀する。この指は「O」のキーの担当なのでちと困る。

 面白い本が回送されてきた。立教大学コミュニティ福祉学部の角田慰子助教が書かれた、「知的障害者福祉政策にみる矛盾?『日本型グループホーム』構想の成立過程と脱施設化」というもの。厚生省障害福祉課長として、「日本型グループホーム」の構想を立て、国の制度づくりに関わった私である。一読して、ここまでよくも調べ上げたと感心し、感動した。26年前の日々の記憶が甦ってくる。表題にあるように、政策の批判にあたる部分もきっちり書かれているが、その批判ももっともなものである。この分野で切実に求められていた施策であり、「急げ急げ」でまとめたゆえに不足するところもあった。大蔵省で予算を通すため、低予算にせざるを得なかったうらみもある。そんなことも思い出しつつ読んだ本である。


2014.3.13(木)

小保方晴子さん窮地に

 天気予報では、昼前から雨、それも大雨という。雨が降ってくる前に、散歩に出かける。気温が高いので、身体は楽である。こうやって、散歩とラジオ体操を続けているうちに、冬の間になまってしまった身体の調子も戻ってくるだろう。

 雑誌NATUREに掲載されたSTAP細胞の論文が、取り下げに向けて検討がされているという。小保方晴子さんと共同研究の若山照彦山梨大教授が、論文に問題がいろいろ含まれていることから、取り下げを呼びかけたことが発端である。悪いことは続くもので、小保方さんの博士論文にも、20頁にわたるコピペがみつかった。日本中を湧かせた「リケジョ」の大発見。割烹着姿、研究室のムーミン、愛らしい容姿などが評判になったが、今やそれが逆目に出ている。小保方さんはつらいだろうが、ここは落ち着いてじっくり考え、出直すなら出直したほうがいい。研究生活は、これからも長く続くのだから、あわてることはない。それにしても、世の中の小保方さんに対する掌返しが気になるところではある。

 安倍政権の下で画策されている諸改革には、ストップをかけたいものも多い中で、教育委員会制度の改革は評価できる。教育委員会制度の抜本改革案について与党合意がなされた。この方向で法改正の公算が大きい。内容は、首長に、これまでの教育長と教育委員長を一体化した新たな「教育長」の任免権を持たせるということが中心である。首長の教育への関与を名実ともに認めて、範囲も広げるというものである。現在の制度は、教育分野に政治家である首長の過度な影響を防ぐことを主眼にして定められている。私の知事時代の経験から言うと、知事が教育行政から遠ざけられている感じがした。宮城県の小中学校の一部で、障害のあるなしを超えた統合教育を進めようとしたときに、教育委員会との間でいろいろあり、苦労したことを思い出す。そういうことを考えると、今回の改革案はいい方向ではあると感じている。


2014.3.12(水)

春よ来い、早く来い

 朝の最低気温が4℃超になるのを待っていたが、やっと今朝ぎりぎり4℃超であった。久しぶりの散歩は、快調である。「♪はーるよこい、はーやくこい、あーるきはじめたじいちゃんが♪」使いはじめのシューズ履いて、散歩に出たいと待っているのだ。

 春がなかなか来ないのは、大震災の被災地である。原発事故から避難している人たちの思いは深刻である。安倍首相は「事故は完全にコントロールできている」とオリンピック招致のスピーチで言い放ってから半年が過ぎた。除染もまだまだ終わらない。汚染水の漏出が止まらない。見知らぬ土地に避難している人たちは、ふるさとに帰るメドが立たない。そして、原発事故の原因さえ究明されていない。こういうことのおさまりがつくまでは、避難している人たちに、本当の春はやって来ない。

 そんな中で、政府と電力会社は、原発再稼働を急ごうとしている。事故の際の避難計画をまとめた自治体は半分以下である。避難計画が妥当であるか、原発から30`圏内の住民にはわからないままである。高レベル放射性廃棄物の処分場のメドさえ立っていない。これが、原発事故3年目の実態である。


2014.3.11(火)

大震災から3年で

 日本人にとって永遠に忘れられない日。忘れてはならない日。そうではあるが、東日本大震災から3年目を迎えると、生々しい記憶は薄れてくる。

 災害の目に見えるモニュメントを残そうということで、被災各地で検討が進められている。例えば、宮城県南三陸町の防災対策庁舎。町では解体の方向で進めていたが、県から待ったがかかっている。43人が亡くなった庁舎を残したままにするのは、遺族にとってはつらいことである。建物の管理にも多くの費用がかかる。人口1万5千人の町としては財政負担が大き過ぎる。解体すべきか、残すべきか、住民の間でも賛否がわかれる。

 賛否が分かれるといえば、臨港部の長大防潮堤である。建設には膨大な予算が必要である。中途半端な高さでは、津波を防ぐのには不十分である。高いものを作れば、海に出る際の障害になり、漁業に支障がある。陸地から海が見えなくなり、景観上も問題である。命と財産を守るか、仕事の場を守るか。地元でももめている。

 これ以外にも、住宅地をどこに求めるか、高台移転か平地のままか。住民同士での意見がまとまらず、事業が滞っている。  

 一昨日にも書いたが、原発被災で避難している人たちは、さらに大変である。まだまだ長い戦いを強いられる。これが3年目である。


2014.3.10(月)

備えあれば、憂い無し

 昨日告示された大阪市長選挙に、前職の橋下徹氏のほかに3人が立候補した。維新の会以外の主要政党が候補者擁立を見送っている中で、どんな選挙結果になるのか予想はつく。橋下氏が当選したとしても、それは大阪市民が大阪都構想を支持したことにはならない。そうだと橋下氏が受け止めたとしても、二元代表制のもう一つの機関である大阪市議会の賛成を得なければ、大阪都構想は実現しない。そんな中では、今回の選挙にはほとんど興味が持てない。大阪市の有権者もそうだろう。投票率が50%を超えるかどうかだけが問題になる。事前に政策討論会はなかった。告示後もないだろう。なんのためにこんな選挙やるのかわからないというのが、大方の見方であろう。困ったもんだ。

 明日は3.11、東日本大震災から3年目。今日は3.10、東京大空襲から69年である。太平洋戦争末期、東京は昭和19年11月から104回の空襲に見舞われ、そのうち5回が大規模のもの、一番大きかった3.10の空襲が大空襲と呼ばれている。その大空襲の際の死者は10万人以上。爆撃による直撃だったり、火災による焼死がほとんど。大変な惨劇であるが、M7級の首都直下型地震が起こる確率は、この30年内に70%と言われている。国の有識者会議は、昨年12月、最悪の場合死者23千人、経済被害95兆円という想定を発表した。それに対する備えは万全とはほど遠い。東日本大震災、東京大空襲の被害を繰り返さないためにも、今から準備をしておかなければならないことを、この時期に強く思う。

 備えがなくて、あせってしまうのは、私生活でも同じ。「年金時代」編集部の奈良知幸さんから昼にメールが入った。「原稿は今日が締切です」という。備えのなかった私は、それを見てあわてて原稿を書き始めた。「新言語学序説」の第123回の原稿である。時事ネタの佐村河内守事件、武井聖寿事件も含めて「ニセモノについて」という原稿を書き終えて、日没前に奈良さんに送り届けた。最後は「この原稿は、確かに私が書きました」としたが、読者はわかってくれるだろうか。


2014.3.9(日)

ぷれジョブ藤沢

 一夜明けて、昨夜の疲れも見せず、ぷれジョブ藤沢の3月定例会で藤沢駅前の湘南よみうり新聞社へ。今回から会議室が1階の右側から左側に変わる。事務室スペースが狭くなったので、以前に使っていた会議室が事務室になった。引き続き、我々に会議室を使用させてくださるご配慮に、改めて感謝感謝。

 今日は、去年の8月から長後駅近くのcafe'KOBAでお仕事をしてきた柚香さんに修了証書を渡す。よくやりましたねと声をかけたが、これで卒業かと思うと寂しい。でも、こうやって一人一人巣立っていくのを見るのもうれしいことである。今日の報告では、毎回のお仕事で、どんどん進歩していくということを何人かかから聞いて、これもうれしかった。年度末で、本人もジョブサポーターも入れ替わりが多くなる。次のメンバーをみつけるのが、これからの急務である。

 11日の東日本大震災3年目を間近に控え、このところのニュース番組ではこの関係の特集報道が続いている。3年も経っているのに、まだ住宅移転の場所が決まらない、だから仮設住宅から出られない、防潮堤の高さをどうするか、住民の中でも意見、異論が相次いでまとまらない。復興庁の縦割り仕事は、まだ直らない。復興予算が復興とは関係のない事業に使われているのは、被災者だけでなく、財源確保のために特別な税金を24年間も払わされる我々も怒っている。もっと大変なのは、原発事故での避難者が元の町に帰れない。知らない土地での生活が続いている。除染が終わらない。そして、原発そのものでは、汚染水対策が進まないし、その中で汚染水漏れが止まらない。3年経っても、まだまだ懸案だらけ。これが、4年目まで、5年目までには解決できるという見通しが立てばいいのだが、その見通しが立たないから、被災者不安が募る。被災3年目はそんな状況である。何とかしなければならない。


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