浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 6月第2週分          

2014.6.14(土)

市毛研一郎さんを偲ぶ会

 午後から、学士会館で「市毛研一郎さんを偲ぶ会」に出席。私の生まれて初めての著書「豊かな福祉社会への助走」を出版してくれたのが、市毛さんのぶどう社である。その出版パーティが、平成元年4月28日に日比谷のプレスセンターで大大的に開催された。これがあまりに楽しかったので、以後、出版パーティのために本を出すという身体になった。その意味でも、市毛さんは恩人である。厚生省障害福祉課長になってすぐの頃、初めて会った市毛さんの「私は障害福祉の本しか出版しません」という言葉にいたく感激したのを思い出す。それだけではなく、こだわりの人である。

 偲ぶ会に出席の100人以上の出席者のほとんどは、ぶどう社から本を出版している。会場の入り口には、その著書がすべて並べられている。拙著も4冊。司会は野沢和弘(「条例のある街」)。挨拶に立ったのは浅野史郎(「豊かな福祉社会への助走」)、大熊由紀子(「寝たきり老人のいる国いない国」)、前半の挨拶が終わっての献杯は佐藤進(「障害幼児の保育実践」)の各氏である。中間の挨拶は森正子(「はぐくむ」)、鈴木淳(「ぼくらの発達障害者支援法」)、橋みかわ(「大震災・自閉症っこ家族のサバイバル」)。歓談の後の挨拶は、戸枝陽基(出版準備中)。戸枝さんは、市毛さんの講演のビデオを見せてくれた。最後の挨拶が、今回の偲ぶ会の呼びかけ人代表の明石洋子(「ありのままの子育て」)と息子の徹之。皆さん、自著の出版にあたっての市毛さんとの関わりの思い出を語ってくれた。閉会の挨拶は奥様の未知子さんと娘さんのさやかさん。市毛さんのDNAをそっくり引き継いでいるさやかさんが、ぶどう社を続けて行くという決意表明をしてくれた。

 会場では、20年ぶり以上のご無沙汰の旧友と再会。ぽれぽれくらぶの目黒久美子さんは仙台から、ひまわり学園の湯浅民子さんは北海道から、児童精神科医の佐々木正美先生、元おもちゃ図書館財団の青柳絵里子さん、むそうの戸枝陽基さんは愛知県から、ひいらぎの中山幸枝さん。市毛さんが引き合わせてくれた。会が終わり、出口で受け取った「発達障害の子が働くおとなになるヒント」(堀内祐子+柴田美恵子著)は、市毛さんが手がけた219冊目=最後の本である。


2014.6.13(金)

厚生省同期会

 朝から青空が広がる。湿度も高くない。思わず口元がほころびるようないい天気である。こんな日の散歩は、身体も軽やかである。ラジオ体操に岸根公園に集まる善男善女の顔も輝いている。梅雨の晴れ間を楽しんでいる。

 かしわ哲さんらと進めているプロジェクトが実現に向けて大きく前進した。プロジェクトは、障害のある人たちの社会参加として、音楽やダンスなどの身体表現活動を進めていこうという実践である。その手始めとして、長崎の瑞宝太鼓とかしわさん率いるロックグループ「サルサガム」がコラボレーションするコンサートを企画している。開催日が11月5日。今日は、会場となる桜木町の横浜銀行本店隣接の「はまぎんホール ヴィアマーレ」の申し込みに出向いた。その場で、横浜本郷ロータリークラブの江上克彦さんと会う。日浦美智江さんの紹介である。その江上さんが、会場との折衝、利用申し込み、チケット、チラシの印刷、その他必要なことは何でもやってくださるという。こんなありがたいことはない。この企画、うまくいきそうな気がしてきた。

 夜は、六本木の乃木坂倶楽部で厚生省45年組の同期会。真野章君が、毎回幹事役を引き受けてくれる。ありがたいことである。このところ2回、ドタキャンをしていたので、久しぶりの参加である。9人参加は、地方(外国を含む)在住を除けば、出席率90%である。皆元気で、話もはずむ。時間の経つのを忘れるぐらい楽しい夜だった。


2014.6.12(木)

畳一目一目

 朝から雨、それから降ったりやんだり。そんな中、築地のがんセンターへ。採血を待つ患者の数がいつもの倍以上。そこで時間をとったが、以後は順調に放射線科の診察、田野崎先生の診察、吸入と進んだ。途中で、前回に続いて、富士市の山本けい子さんと一緒になる。診察では、血液検査の結果良好。クレアチニンの値は、ほぼ正常値上限にまで低下。セレスタミン(ステロイド剤)の服薬を、2日で1錠から3日で1錠に減らす。徐々に、徐々に(私の表現では、畳の一目ずつ)減らすことになる。ステロイドの服用がいずれゼロになれば、正常の身体に近づく。その日を気長に待つことにしよう。

 がんセンターの帰り道、横浜駅のヨドバシカメラで血圧計を購入。その後、光子とアイスクリームを食べる。そんなこんなで、予定より帰宅が遅くなり、来週の授業のレジュメづくりに取りかかるのが遅れる。明日以降に持ち越し。のんびりもできないが、あせるほどでもない。

 あせっているように見えるのが、安倍首相の動き。集団的自衛権容認の閣議決定を今国会中にしてしまおうと、公明党に合意を迫っている。ここまで来ると、内容への不審もあるが、なぜにそんなに急ぐのかのほうに大きな不審を抱く。こんな大事なことを、締切を設けて突っ走ろうとするのは、どんな思惑からだろう。そんなことを勘ぐってしまう。畳一目一目で、慎重に、丁寧にいけないものだろうか。  


2014.6.11(水)

雨降り、そして授業

 傘を持って散歩に出る。散歩とラジオ体操を終えて帰宅するまで、雨は降って来ない。今日も傘は空振り。その後は、雨は降ったりやんだり。そして、時に強く降る。

 そんな中、神奈川大学の授業へ。往路は雨降らず。「障害福祉論」ゼミは、4班に分かれてのグループワーク2回目。始業ベルが鳴る10分以上前から、ディスカッションを始めているグループが複数ある。こんな真面目で、熱心な教室は初めてであると、何度も言った感想を繰り返す。次次回、3回目のグループワークをして、その次の週は発表である。何とか、まとめるメドがついたグループがほとんど。真面目、熱心だけでなく、中身も伴っているようである。まことに頼もしい。期待を裏切らないように。

 4時限の「地方自治論」は、情報公開がテーマ。学生には、これがなかなか飲み込めないのは、経験上、私にはわかっている。講義するほうも、なかなかにむずかしい。授業後回収のコメントペーパーを読んだら、やはり、まだ誤解がある。講義の仕方にもうひと工夫必要だったと気がついた。来週の授業で補足をしなければならない。帰宅時には、雨は本降り。タクシーを使ってしまう。


2014.6.10(火)

あれこれありの2日分の日記

 昨日のこと。光子と仙台へ。母のところへまず顔を出す。来月94歳になる母は、耳が遠いぐらいで、元気である。記憶減退、同じ話の繰り返しは、老化現象としてあたりまえのこと。杖をつかないで歩ける、めがねなしで新聞を読めるのが、自慢であるらしい。心身とも順調ということは、本人も安心だが、こちらも安心。いつまでもこのまま元気でいて欲しい。

 母のところから、芳賀孝和君のお見舞いに自宅へ。仙台二高一八会の中心として、宮城県知事選挙の折りには、責任者として活躍してくれた芳賀君である。本業の設計の仕事が、3.11の大震災の後には、学校の耐震化などで寝る暇もないぐらいの忙しさで,無理を重ねた。糖尿病を抱える身には、厳しかったのだろう。脳梗塞、続いて脳出血を発して、大変な闘病生活を送った。病院を転々とし、やっと自宅に帰って来て、病状が安定したというので、見舞いに行くことにした。思ったより顔色もよく、髪の毛もふさふさ、耳も聴こえるし、意識もしっかりしているが、表情がない、言語中枢が傷ついて、しゃべれない。ボディタッチで思いを伝えた。奥様のご苦労は並大抵ではないが、芳賀君をなんとか支えてやって欲しいと願いながら、ご自宅を辞去した。

 その後は、「鳥よし」にご挨拶。知事時代の秘書の今野純、菅原久吉、山内伸介の3氏が合流する。7人の秘書のうち、4人は県庁卒業で、この3人だけが現職である。毎度ながら、昔話に花が咲き、楽しい時間を過ごした。親方の横田良一さんは74歳、看板娘の栗田成子さんもそれに近い。二人とも、昔と変わらず元気なのがうれしい。いつまでも店を続けて欲しい。

 今日のこと。梅雨の晴れ間で散歩に出て、住宅街を歩くと、ほとんどの庭に紫陽花が咲いているのが目に入る。この時期の散歩ならではの景色である。

 耳鼻科で受診。前回取り残した左耳鼓膜貼り付きの耳垢を完全除去してもらった。生井医師は「痛くなかったですか」と訊いてくれる。「全然痛くないです」と答える私。最初の受診の時に、「痛くしないでください」としつこく頼んだおかげで、先生は本当に慎重に、丁寧に治療してくださる。ありがたいことである。


2014.6.8(日)

友あり、楽天の試合を語る

 雨の日曜日。散歩を自粛したので、一日中家に閉じこもる。閉じこもって、講演で使うパワポイントとのデータ作成に励む。講演は今月末に、九州大学産学連携セミナー「地域政策デザイナー養成講座」の一講座として行うもの。厚生省年金局時代に一緒だった、大蔵省出向組の谷口博文さんからの依頼による。講座は半年間、隔週土曜日の午後に開講、九州大学大学院生30名に社会人聴講生を合わせて100人程度が参加する。「九州の自立と成長戦略」というのがメインテーマであるが、障害福祉の問題を切り口にこのテーマをを扱うことにして、なんとか講義案を作成した次第。今回初演の書き下ろしである。

 仙台時代に、年間シートを2人分購入して楽天戦を観戦していた。決まった席なので、前後の顔ぶれはいつも同じ。そのメンバーの一人の立木さんが、横浜球場で開催の楽天対DeNAの試合を見にきた帰り道に我が家に寄ってくれた。仙台では出席率が高かった義母は、球場でも人気者だった。ビールの売り子が大好き、ビールも大好きの立木さんは相変わらず。昔話に花が咲いて、楽天は連敗だったが、最高に楽しい宵だった。  


以前のジョギング日記はこちらから


TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org