浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記            

2015.2.14(金)

バレンタインデイに

 午後2時から、藤沢市民会館で「みんないきいき地域活動見本市」に参加。高齢者のボランティア活動へのお誘いのための見本市で、わが「ぷれジョブ藤沢」も24の出店者に伍して小さなブースを開設する。ぷれジョブ藤沢でジョブサポーターをしていただいていた唐松さんがみつけてきた見本市で、説明会への出席から事前準備まで、全部やっていただいた。代表たる私もがんばらなければならない。ブースに貼り付いて、説明に相務めた。その結果、17名の方に署名していただいた。3月1日の定例会に、このうち5人でも見学に来ていただいて、そのうち1人でも2人でもジョブサポーターをやっていただく人が現れたらいいと願っているところ。

 ぷれジョブのプレイヤーOBがお母さんと一緒に来ていて、ジョブサポーターの勧誘の手伝いをしてくれていた。その彼からバレンタインデイのチョコレートを渡されて、「ああ、今日はバレンタインデイなんだ」と気がついた次第。「卒業」した後も、「浅野さんのジョークを聴きに来た」と定例会に顔を出していた彼である。ありがとう。


2015.2.12(木)

四人会

 築地のがんセンターでの受診。今回から正式に4週間に1回となる。1週分間隔が長くなるだけで、感覚としては随分久しぶりである。今日は光子の随伴なしの一人旅である。ATL仲間の仙台の小池さんご夫妻に会う。小池さんも順調な経過をたどっているが、毎回仙台から来るのは、時間的にも金銭的にも大変な負担だろうと思う。

 診察結果、検査結果は、CRP(炎症反応)の値が高い。「インフルエンザの影響でしょう」と田野崎先生。クレアチニン(腎機能)の値が高いのは、コメントすることもない。診察を終えて、自分で会計を済まし、薬も受領する。なんとか自立ができた。

 夜は、久しぶりの四人会。私が幹事役で「日本橋とよだ」を会場として設定した。「文久3年創業」という話題性だけで喜んでもらう。四人会のメンバーは寺島実郎、残間里江子、生島ヒロシ(敬称・肩書は略)と私。私以外は多忙な方々なので、幹事としては日程を設定するのに苦労する。

 いつもの寺島さんの格調高い話題は、「17世紀オランダからの視界」から始まり、どんどん広がる。知の巨人の学識の深さ、広さにいつものように、一同感嘆。その後話題は映画の話、芸能界の話題から好きな女優にまで広がる。いつもどおり、「満足、満足」で四人会を終える。


2015.2.10(水)

建国記念の日

 建国記念の日。神武天皇が橿原宮にて即位した日を何故に日本の建国の日としたのかは、さっぱりわからん。ということを毎年この日の日記に書いていた。それならやっぱり、日本は森喜朗元首相が言うように「神の国」ということになるじゃないか。日本国民はそれでいいの。ほんとにいいの。

 その建国記念の日に、今月2回目の昼の散歩に出る。暖かい陽を背中に受けながら淡々と歩くだけで、十分に幸福感を味わえる。岸根公園では、子どもと遊ぶお父さんの出番。その子どもらが、「お父ちゃん、なんで今日はお休みなの?」と訊いたら、「建国記念の日だからさ」と答えるかな。「お父ちゃん、なんで今日が日本の建国の日なの?」という二の矢にはお父ちゃんなんて答えるのだろう。

 そんなつまらないことは考えずに、散歩を楽しむ67歳の老人が一人(私のこと)。同じことを65歳の時に書いた覚えがある。建国記念の日にかかわらず、いい日和の2月の一日である。

 夜は、大築佑子司さんのお通夜。神奈川大学を昨年卒業した大築さんは、母親の介助を受けながら4年間の大学生活を送った。筋ジストロフィで車椅子である。母親と一緒の大築さんと学内で一度お会いして、学生生活でのハード面、ソフト面での難儀を語ってもらった。後期の障害福祉論ゼミのグループワーク4班は「神奈川大学での障害のある学生への支援」というテーマに取り組んだ。メンバーの学生は大築さんの自宅でインタビューをし、その結果を学期末の発表に活かしてくれた。

 その大築さんが、2月7日(土)に突然お亡くなりになった。在学中の大築さんを見守ってきた入江教授からの電話で知らされた。驚くと同時に大きな悲しみに襲われた。まだ24歳である。電話でのお母様の話では、「大学にも通ったし、充実した人生だった」ということだったが、無念のお気持ちは隠せない。ご冥福をお祈りする。


2015.2.9(月)

寒い一日

 寒い一日。ほんとうに寒い一日かどうかは、一歩も外に出ていないので確認していない。「天気予報によれば」ということである。昼の散歩もできないというのに、あせりといらだちを感じながら(この言い方は大げさです)、暖かい日が来るのを待っている。

 元東京地検特捜部長の河上和雄氏が逝去。81歳。日テレの「バンキシャ」で何度かご一緒した。吉永祐介元検事総長が死去81歳。元駐タイ大使で外交評論家の岡崎久彦氏が死去84歳。田村元・元衆議院議長が死去90歳。これだけの立派な方々が一遍でこの世を去る。年齢は80歳代と90歳。ご高齢である。そしてこの寒さもあるのだろう。ご冥福をお祈りする。


2015.2.8(日)

6年ぶりのアメニティフォーラム

 昨日の昼から今日の昼まで大津プリンスホテルで開催の「アメニティフォーラム19」に行っていた。6年ぶりである。それまではほぼ毎回出ていた。このフォーラムが「平成桃太郎の会」と呼ばれていた頃からのことである。北岡堅剛、田中正博、佐藤進と私が言い出しっぺで始まった。施設に固執する悪い鬼を退治する桃太郎のイメージで、地域福祉を推進しようという高い志を持っていた。それが今に続いている。

 6年ぶりで参加して、改めてアメニティフォーラムの参加者の多さ(有料参加者1,200人超)、3日間にわたり深夜までのプログラム、それに熱心に参加する聴衆に感動した。私の出番は、「冤罪の構造を問う?障害がある人の犯罪と取り調べのあり方を変えるために?」というシンポジウムでのコーディネーター役。出演者は厚生労働省事務次官の村木厚子さんと映画監督の周防正行さん。その内容は省略するが、壇上から聴衆を見渡したときの驚きのほうを書く。1,000人の聴衆で一杯の会場。端っこは霞んでいる。「ああ、これがアメニティフォーラムだ」と改めて感心した次第。

 出演講師の顔ぶれもすごい。厚生労働省の幹部(含むOB)、国会議員合わせて20人を超す。夜の交流会、深夜までのコンサートには安倍首相の奥様も参加していた。「来年も来たい」とおっしゃっている。アメニティフォーラムは癖になるのである。いや、それだけの魅力があると言い直そう。

 土曜日の21:30-23:30は瑞宝太鼓、サルサガムテープロックバンド、HANA(福島から)のミュージックコラボ「音楽で生きている」。これがすごい。安倍夫人も最後まで鑑賞されて、瑞宝太鼓のメンバーと一緒に写真におさまったり、声をかけたり。聴衆もノリノリであった。

 今日は、昼、フランス料理で私のバースデイパーティとなった。田島良昭、曽根直樹、田中正博に加えて、北岡堅剛が声をかけた女性メンバーを含む10人程度のこじんまりしたパーティというか会食。北岡氏が仕組んだパーティらしい。その心遣いに感激しつつ67回目の誕生日を祝ってもらった。パーティが終わって、私がホテルを引き上げる時には、ホテルの玄関に20人ぐらい集まって、拍手で送り出された。そういえば、今までもこんな場面があったなと思いだした。この仕掛も北岡氏による。アメニティフォーラムの企画運営も北岡氏が中心。改めて北岡氏のすごさに感心する。楽しい時間を過ごして帰途に就く。


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